大里俊晴(おおさととしはる) 1958年生まれ。早稲田大学文学部卒業後、
パリ第8大学芸術研究科修士課程および研究課程修了。1998年から本学教育人間科学部助教授。
表紙



学生たちにどんな能力を
開発できるのかを
明瞭に示すことが重要だ
渡辺慎介 副学長インタヴュー




発信する横浜国大
大里俊晴 助教授 インタヴュー



卒業生等訪問
藤原徹平さん
(隅研吾建築都市設計事務所)




編集後記

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大里助教授は、教育人間科学部マルチメディア文化課程で、現代音楽を教えている。もちろんいわゆる現代音楽もそこに含むが、大里氏はかつてロックミュージシャンであり、ロックを中心にしたポピュラー音楽にも深い造詣がある。大里氏がオーガナイズする「メディアと芸術F」という授業には、多くの芸術家たちがゲストで登場することも多い。大里助教授にお話を伺った。


─大里先生のご専門についてお話しください。

大里 最近自分が何の専門家かわからなくなっているところはあるんですが……。いちおう現代音楽の美学です。ジョン・ケージ以降の美学ということを考えています。ジャンルとしてはクラシックの延長線上にあるんですが、その中でも特に、いくつか中心的な興味があって、即興性と偶然性の音楽がそれに当たります。フリージャズみたいなものに興味があるのと、ジョン・ケージに代表されるような実験性の音楽に興味があります。それと最近は音響テクノロジーの歴史に首をつっこんでいて、特に電子音楽の根源のあたり具体音楽(ミュージックコンクレート)、その辺の文献を当たったりして、あまり語られていないフランスの文脈などを掘り起こしたいと思っています。


─音楽に興味を持ち始めたきっかけを話してください。

大里
 そもそもどうやって音楽にのめり込むようになったかと言うときに、やっぱりはじめから歌が好きだったからだし、今も歌が好きなんです。
 僕は昭和33年生まれですけど、フォーク・ミュージックを中学に入って聞くようになったんです。小学生の時にテレビから聞こえてきたグループサウンズのようなものとか、なにかメロディと意味を持った歌。素直に心に入ってくるようなもの、そういうものが好きだったということがあります。ところが、ある時期から音楽を頭で理性的にとらえるようになってきたんです。音楽が好きだなといったときに、頭でとらえるものとマインドでとらえるところの両方がある気がして。根源には歌があると思うんですけど、構築的に、理性的にとらえる局面での音というものも好きになりました。それは、おそらく中学生の時にプログレッシヴ・ロックを聞いたとき、メロディと意味が伝える、割と直接的で人間的な感動とは異なる構築物があると思って、非常に強く惹かれたんですが、未だにその間の分裂があるような気がします。
 「学」として成り立つものには、批判的・理性的・分析的ということを前面に押し出して取り組まないと、成り立たせるのが難しい。一方で自分がいままで心を揺さぶられ続けて来たロックやある種のシャンソンがあって、それはどこか別のところで聞いて、別の場所に貯まっていってるんじゃないかという気が常にするんです。たとえば、学生がロックを主題に卒論を書きたいと言ってきたときに、僕は絶対勧めないです。もちろん、普通の意味でポピュラー音楽史が持つ難しさが第一の理由なんですが、その他に「お前ロック聞いて感動してんだろ。そういうものを批評的・分析的に解剖していくと、その果てには、自分があのときグッときたものがなんだかわかんなくなるよ」っていう気持ちがあるんです。それはおそらく今の自分にも当てはまります。


─どんなきっかけでプログレを聞くようになったんですか?

大里
 プログレにはまるきっかけは、中学の時に誰かが持ち込んできたイエスとか、キングクリムゾンもあったんですが、あの当時のキングクリムゾンは割とパッションに訴えかける部分がありました。一方イエスは構築美で、そこにだいぶ憧れた。その方向をだんだん辿っていくと、行き着く先がクラシックか、もうひとつの方向がブリティッシュ・トラッドだとかそっちの方になる。僕は両方にいきましたね。そしてキングクリムゾンのパッションみたいな方を辿って行くと、フリージャズのような方向へ向かう。そっちにも行きました。だから結局、歌があってポップがあってロックがあって、そこにプログレが入ってきて、そこからクラシック・トラッドの方に流れていくか、ジャズに流れていくかという風に別れていく。さらにクラシックでいうと、一方で古楽というかルネッサンスでトラッドに結びついていく。もう一方で、どんどん知的な作業を繰り返していって訳のわからない孤高の現代音楽になっていくでしょ。そのどれもが好きになるんです。それらに対して、自分でジャンル分けして対面していかないと、どうつきあっていっていいかわかんない状況になってしまうんですよね。


─当時の高校生は、そうした趣味を共有していたんですか?

大里
 そうした趣味というのはごく一部のものだったと思います。皆がそうだったわけではない。当時の新潟─新潟出身なんです─だと、メディアも発達していませんから情報量が少ない。たまにマニアックな情報をもっているやつがいて、そういうやつをコアにして何人かの集団に発達していく。たとえば東京から転校してきたやつが中心になっていました。当時は中古レコード屋も輸入レコード屋もなかったですから。いくつかやや大きなレコード屋の棚に並んでいるもの、与えられたものから、おもしろいかもしれないと思って選ぶしかないわけですよ。そんなときに、自分より進んでいるロックを聞いている友達のうちにいくでしょ。ハードロックとか聞いてるとシャウトをしている。おれもやってみようかなと思って、シャウトとかしてみると、できちゃうんですよ(笑)。音域的にも高い音も出たので、「君、ヴォーカルね」と。何もやったことないのに、文化祭でヴォーカルやることになって。ギターはその前から細々とやってはいたんですが、それは四畳半フォークとかそっちの方でした。でも動機としては、歌の方は自分で歌いたいという動機だけど、ギターの方は弾ければもてるかな、くらいのものでしたね。でも文化祭出てからは、モチベーションもめちゃめちゃあがりましたけど……。


─でも大学は音楽系には進まれなかったんですね。

大里
 音楽を大学で学ぼうとは全然思わなかった。やりたかったのはフランスの文学だったんです。子供の頃、推理小説とSFが好きで、そういうのを読んでいくと、ちょっと高尚な「幻想文学」だとか「シュールレアリズム」とかの方向に入って行くじゃないですか。そうするとフランスってなんだかわかんないけどそういうのがいっぱいあるよね、と。高校時代いっぱしの文学青年を気取ってて、その中でもフランスの幻想性とシュールレアリズム性とある種の叙情性に惹かれていましたね。だからそういう文学を読んで評論したりする人になりたいとずっと思ってました。そうした延長線上には、現代思想があって、そのうち現代思想を勉強しなきゃとなって、モーリス・ブランショとかジョルジュ・バタイユとかに興味を持つと、それを評論しているジャック・デリダっていう難しい人がいるということになって。そっちの方に向かっていきましたね。そのころ音楽は一番ハードにやっていた頃で、音楽にどっぷり浸って、一方で文学なり思想なりっていうのもすごくやりたくて。ある日それがどっかで結びついたんです。それはたぶん77年くらいに出た「理想」っていう雑誌に、「音楽と思想」という特集が組まれていて、そこで読んだのがダニエル・シャルルという人の文章だった。僕がすごく衝撃を受けたクセナキスという人について、これもやっぱりすごいなと思っていたジャック・デリダという人を使って語っていた。最初の引用の部分には、サン=ジョン・ペルスの話が出ていたり。文学も思想も現代音楽も一挙にそこで結びついたんです。これなら何とかできる、そう思ったんですよ。分裂した自分の興味が、かなりの部分一緒にできると思ったからです。
 でも大学を卒業して、仏文の大学院とか行く気はさらさらないし、音楽がすごくやりたくなっていて、でもどうしたらいいかわからない、そんなときに、ちょうどそれらすべてを統合できる現代音楽の論理みたいなものがあるのだとわかって、留学しようと思ったんです。ダニエル・シャルル先生につきたいなと思ったんです。そうしたら、たまたまその年に彼がシンポジウムに来日したんです。「一年後にパリに行ったら採ってくれるか」とコンタクトをとってみた。彼は、「不思議な日本」が好きな人で、「ハイデッガーと禅」とか書いていますし、そして東洋にもっとも影響を受けたジョン・ケージの専門家でもある。そういうこともあって、うまい具合に転がって、フランスへ行くことになったという感じですね。


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