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セガのゲームを作る、あんな人、こんな人。 どんな人が、どんなことを考えて、セガのゲームは生まれるのか? それぞれのクリエイターが持つ “こだわり” や “発想”、開発中に起きるエピソードなど、普段はなかなか聞けないことを、直接会って聞いてみよう! というこのコーナー。 今回は、落ちゲーの定番 「ぷよぷよ」 の面白さはそのままに、新システム “フィーバーモード” を搭載し新たな戦略性も生まれた 『ぷよぷよフィーバー』(PS2/DC/GC/Xbox) のディレクターである 湯田 高志 氏(ソニックチーム) にお話しを伺いました。
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―― 初めて遊んだゲームは何ですか? 湯田■小学生の頃だと思うんですけど、初めて遊んだゲームはただボールを打ち返すだけの単純なゲームでした。画面はもちろん白黒です。 |
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その後しばらくブランクがあって、久しぶりにゲームセンターに行った時には画面がカラーになっていて驚きましたねぇ(笑)。 (*)『スクランブル』 というゲームだったんですが、カラフルになっているだけでなく横にスクロールしていくゲーム性も新しくて、すっかりハマってしまいました。 ―― セガに入社するきっかけを教えてください。 湯田■高校生になる頃にはサッカーに夢中でゲームとは無縁の生活を送っていたんですが、大学は美大を選び、某ゲーム会社でキャラクターのデザインのバイトをするようになりました。 それはファミコンのゲームだったんですが、大学のサークル仲間の紹介があり、セガでデザイナーとしてバイトすることになったんです。ちょうどメガドライブの立ち上げの頃ですね。 セガでは家庭用のための第6研究開発部という部署ができて、大場さんのもとで (*)『ザ・スーパー忍』 の背景を描いたのが最初の仕事になりました。それがきっかけで、大学卒業後そのままセガに就職することになったんです。 ―― 入社後は、どのようなタイトルを手がけてきたんですか? |
*) AC 『スクランブル』(1981年) 横スクロールシューティング。(株)コナミ *) MD 『ザ・スーパー忍』 名作アルバム第9回 参照 |
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湯田■入社と同時にメインデザイナーとして 『アイラブミッキーマウス 不思議なお城大冒険』 をやって、その後ディズニーの一連のシリーズは携わっています。 このシリーズは 動き にとことんこだわりました。例えば、当時のゲームのキャラクターって、キー入力をしている間は歩いているのにキー入力をやめると “途端に” 立ちポーズになるものが多かったんです。それでキー入力をやめた時にいかに自然に立ち止まるか、ということを考え続けました。 今までのゲームにならってキャラクターの動きをつくっているだけじゃ物足りなかったし、題材がディズニーということもあったんでしょうね。アニメなどゲーム以外の部分から学んだものを、ゲームのキャラクターに反映していったんです。 ジャンプ中に進行方向のキーを押していたら、着地後にスムーズに走っていく。あるいはジャンプ中にキーを押していなかったら、いかに自然に立ち止まるか。 ……そういった動きに対するこだわりにどんどん欲が出てきて、立ち止まってる時もどこかが動いてるようにしたり、崖っぷちで 「おっとっと」 と落っこちそうになる時のアクションなんかを付け加えていきました。 |
MD 『アイラブミッキーマウス 不思議なお城大冒険』(1990年) ©The Walt Disney Company |
キー入力している時はもちろん、キー入力していない時のこだわりも強く持っていたんですよ。このあたりは評判もよくて、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』 にも反映されました。 このようにキャラクターのアクションに関して面白い試みをやっていたので、それが中さんの目に留まって 『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』 の開発に参加することになったんです。 ―― 当時、『ソニック3』 はアメリカで開発していたんですよね。 湯田■はい。アメリカに行って、“ナックルズ” をデザインしました。 |
MD 『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』(1994年) |
『ソニック2』 では “テイルス” という新キャラが登場したので、『3』 でも新しい相棒キャラをつくってみようということになったんですね。 「ソニックとほぼ同等の力を持ってる」 とか 「まわりから遮断された文明の中で育った」 など企画の方からいくつかの設定をもらって、描き始めました。 頭がドレッドだったり、体の色が緑だったり、たくさんのナックルズをデザインしました。最終的には子供たちにリサーチをして、10カット以上の中から現在のナックルズに決定しました。 ナックルズの首の下あたりに 月の輪熊(ツキノワグマ) みたいなマークがありますよね? 折り合いがつかなくて実現には至りませんでしたが、某シューズメーカーとのコラボレーションを考えていたんですね。あのマークはその名残なんです。 ―― 帰国後は、どんなタイトルに携わっていますか? 湯田■アメリカから帰国してからは、サターンの 『ビクトリーゴール'96』 などの企画とモーションを担当しています。 |
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