隣りの島に支配されるくらいなら、フランスに支配された方がイイ!

アンジュアン
モヘリ

アンジュアン 首都:ムツァムドゥ 人口:18万8953人(1991年)
モヘリ 首都:フォムボニ 人口:2万4331人(1991年)


 
アンジュアン(左)とモヘリ(右)の旗

1997年8月3日 コモロからアンジュアンが独立
1997年8月11日 コモロからモヘリが独立
2002年3月10日 コモロの自治政府となり復帰

コモロの地図 左がグランドコモロ島、中がアンジュアン島とモヘリ島、右は仏領マヨット島

ふつう独立運動とは、「植民地はもうイヤだ!独立国になりたい」と主張して闘うわけですが、それとは逆に「独立国はもうイヤだ!植民地に戻りたい」と主張して独立したのが、アンジュアンとモヘリ。一体どこにあるのかといえば、アフリカに近いインド洋に浮かぶ島国・コモロです。

コモロは首都があるグランドコモロ島と、アンジュアン島、モヘリ島の3つの島からなる国だが、そのうち2つの島がコモロからの独立を宣言して、同時にかつての宗主国だったフランスに「併合して植民地に戻してください」と要請したが断られた。すったもんだの末に現在ではいちおう独立は取り消してコモロに復帰したが、一体どういうことなんでしょう?

コモロには歴史的にアフリカ大陸の黒人や、海を越えて渡ってきたマレー系の民族が住んでいたが、その後やって来たアラブ人やペルシャ人のスルタンが支配するようになり、イスラム教が浸透した。19世紀後半になると、イギリスとフランスがインド洋に競って進出するようになり、コモロの島々は相次いでフランスの保護領になったのに続き、1912年にはマダガスカルの一部としてフランス植民地になった。

そして戦後。アフリカのフランス植民地が次々と独立し、マダガスカルも1961年に独立すると、植民地として残ったコモロ諸島には自治権が与えられるが、これを契機にコモロでも独立要求が高まった。74年に実施された住民投票では、島民の95%が独立に賛成したので、翌年コモロ共和国として独立を宣言した。78年には各島に自治権を与えて連邦制を導入し、国名もコモロ・イスラム連邦共和国に変えるが、連邦制とは名ばかりで首都があるグランドコモロ島に権力が集中し、予算の大半もグランドコモロ島に集中して、アンジュアン島やモヘリ島では政府に対する不満が膨らんでいった。

1997年になると経済的に困窮していたコモロでは国家財政が破綻してしまい、公務員の給料が10ヵ月も未払いという状態になった。これに抗議して公務員のデモやストが頻発するようになり、連邦政府は警官隊を出動させてデモを抑え付けようとしていたが、3月にアンジュアン島へ軍隊が派遣され、デモ隊鎮圧で死傷者が出ると、アンジュアン島民の怒りは政府に対する不満から島の独立要求、さらにフランス領への復帰要求へとエスカレート。アンジュアン人民運動(MPA)が結成されて8月にアンジュアン島の独立を宣言し、同時にフランス政府へ併合を要請。モヘリ島もこれに続いた。

連邦政府は翌月、アンジュアン島に再び軍隊を派遣して武力鎮圧を狙うが、退役軍人が率いるMPAの人民軍に敗れてしまい、300人の派遣軍のうち60人以上が戦死し、約80人が捕虜になる始末。MPAはもし再び連邦政府が攻めてくるなら捕虜を処刑すると警告したため、連邦政府は手出しができなくなった。

それにしても、島民たちはなぜコモロから独立するだけではなく、フランスの植民地に戻ることを要求したのか?

実はコモロ諸島にはもう1つの島・マヨット島があって、こちらは今もフランス植民地だ。マヨット島もコモロの一部として一緒に独立するはずだったが、ここを軍事基地として確保し続けたいフランスは、74年の住民投票の際に「マヨット島では64%がフランス残留希望票だった」と言い出して、マヨット島では植民地統治を継続。マヨット島の領有権を主張するコモロはもちろん、アフリカ諸国からの非難や国連総会での決議も無視して支配し続けている(※)。

※国際的非難を浴びたフランスは、1976年にもマヨット島で再度住民投票を実施して、「99・4%がフランス残留を支持した」と発表したが、国連総会では「不正の疑いが強い」とマヨット島をコモロへ引き渡すように決議(住民投票にあたってフランス残留派ゲリラが他島出身者を追い出した)。現在でもコモロはマヨット島の領有権を主張して、国旗の4つの星のうち1つはマヨット島。
コモロの産業はコプラ(椰子の果肉を乾燥させたものでヤシ油の原料)やバニラ豆(香料のバニラの原料)の輸出くらいで、世界でも最貧国の1つ。フランス軍の基地収入や潤沢な開発・経済援助が投じられているマヨット島との経済格差は開くばかり。住民1人あたりの年間GDP(国内総生産)は、コモロ700米ドルに対してマヨット島は2600米ドルだ。かつてはほとんどの住民がフランスからの独立を求めたアンジュアン島だが、豊かな暮らしを求めて2万人近くがマヨット島へ密航したという。

またコモロは75年の独立から25年間で、なんと19回ものクーデターやクーデター未遂事件が繰り返されている。うち4回のクーデターはフランス人傭兵隊長のボブ・ディナール(※)が関わり、95年のクーデターではボブ・ディナールと33人の傭兵たちがコモロを乗っ取ってしまった(5日後にフランス軍が侵攻してボブ・ディナールを逮捕)。産業基盤がないうえに政情がこれほど不安定なら、経済発展できるはずはないというもの。

※1950年代にインドシナやモロッコでフランス軍として戦った後、傭兵としてイラン、イエメン、ローデシア(ジンバブエ)、ナイジェリア、ベナン、アンゴラ、コンゴなどで戦争に関わり、ガボンでは大統領の軍事顧問となった。コモロでは大統領警護隊長として雇われたが、独立の翌月にアブダラ大統領打倒のクーデターを助け、78年にはアブダラの復権を助けてソワリ大統領を倒し、89年にはそのアブダラの暗殺に関わったと言われていた。ボブ・ディナールの背後にはフランスの意向があると見られていたが、95年のクーデターではフランスに事前通告しなかったため逮捕されたとも。パリの刑務所で10ヵ月間服役し、引退。
フランス領に囲まれたコモロとマダガスカル(クリックすると)拡大します
それにコモロの周囲には、マヨット島の他にもフランス領のまま残っている島がたくさん存在している。コモロからマダガスカルを挟んで東側のレユニオンはフランスの海外県だし、コモロのすぐ北のグロリューズ諸島や、南のバサス・ダ・インディア島やユーロパ島、ジョアン・デ・ノバ島もフランス領(住民はなくフランス軍の基地のみ)。マダガスカルは別として、周囲の小さな島はみんなフランス領なんだから、俺たちの島もフランス領に戻してくれたっていいじゃないか!ということ。
グロリューズ諸島の地図 ジョアン・デ・ノバ島の地図 
バサス・ダ・インディア島の地図 ユーロパ島の地図 
植民地への復帰(継続)を掲げた独立運動はカリブ海のアンギラ島アバコ島ロツマ島(ここは英連邦への復帰)も起きているが、背景には共通のパターンがあって、「隣りの島の連中に支配されて威張られるくらいなら、遠く離れたフランス(イギリス)に支配された方がマシ」というもの(※)。アドゥ環礁バヌアツの島々で同時多発的に起きた独立運動にも、そういう傾向があった。
※コモロが独立した時に、マヨット島の住民投票では反対票が多かった理由も、自治権が与えられたときににコモロの首都がそれまでのマヨット島からグランドコモロ島へ移され、「グランドコモロ島に支配されたくない」という感情が強かったからという背景があったらしい。
さて、連邦政府は武力制圧に失敗し、アンジュアン島とモヘリ島はフランスに「植民地復帰」を断られて、お互いに手詰まりになる中で、97年秋にはアフリカ統一機構(OAU)による調停が始まり、自治権の大幅な拡大と連邦制による独立撤回が提案された。連邦政府とモヘリ島は調停案を受け入れ、モヘリ島は実質的に連邦政府の統治下へ復帰したが、アンジュアン島は住民投票を実施して「99・88%が独立賛成だった」とあくまで独立を主張し、話し合いは平行線を辿った。

その後、連邦政府では独立運動を武力鎮圧しようとしたタキ大統領が98年に急死。一方のアンジュアン島では独立派の内部対立によるクーデターが繰り返されて弱体化し、2001年に新たにOAUが出した調停案をアンジュアン島が受け入れて、翌02年に国名をコモロ連合と改めてアンジュアン島も復帰した。

新しい体制では、3つの島にそれぞれ自治政府と大統領が置かれ、連合政府の大統領は4年ごとの連番制。財政的にも3島は完全に独立することになった。かくして人口60万人たらずのコモロには、連合政府の大統領+各島の大統領で、大統領が4人も存在している。

もっとも、グランドコモロ島優先の政策が改められたからと言って、産業基盤が乏しく全体的に貧しいのは相変わらずで、2005年には再び公務員の給与未払いによるデモや暴動が各島で起こり、ついでにグランドコモロ島では火山も爆発。今度は3島まとめてフランス領に復帰したいなんてことにもなりかねない?
 

●関連リンク

南インド洋旅行記 マダガスカル→コモロ→マヨット島の旅行記。次のページにはレユニオンの風景がありますが・・・
密航する女性たち コモロ諸島におけるポストコロニアルな戦略 花渕馨也氏の講演(PDFファイル)
Comoros: The Comoro Islands' Home Page アンジュアン島やモヘリ島の写真もあります(英語)
 

参考資料:
『世界大百科事典』 (平凡社 1971)
花渕馨也『幻想の終焉 コモロにおける分離独立運動』 (アジ研『アフリカレポート』第26号 1996)
外務省海外安全ホームページ http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=135
families com The Comoros http://encyclopedias.families.com/the-comoros-115-121-ciow
wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Comoros
Operation Azalee http://www.specwarnet.com/miscinfo/azalee.htm
CIA - The World Factbook http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/index.html
 
 

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