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どないやねん対戦国

ブルガリア〜奇跡は起こせる!15年ごと〜

 欧州選手権予選リーグも大詰めを迎えている。グループCではイタリアばかりが注目されるが、その大国にあす22日に挑むのがブルガリアだ。東欧の小国は「いつかは対戦国」と銘打った特別編で、ラトビアと並び読者からの調査依頼が最も多かった国。今回は日本になじみの薄いブルガリアをチェックした。


 話を聞くヴァシル・ステファノフ君(16)はブルガリアで生まれ、2歳の時に来日した。同国の外交官を両親に持ち、両国を行き来する生活を送っている。両国に友人がいて、両国のサッカーを知っている。そんな青年は日本では柏レイソルのファンだ。言うまでもなく、ブルガリアが誇る英雄・ストイチコフが在籍していたからだ。ストイチコフがJで活躍当時、その活躍は祖国でも連日大きく新聞に取り上げられた。ブルガリアの、はるか東方にある島国のJリーグはストイチコフを通じて知られた。

ヴァシル・ステファノヴァ君
ヴァシル・ステファノフ君

◆10年前、そして5年後

 「ブルガリアの調子はどうか?」と問うと首を横に振る。自信がない訳ではない。ブルガリアでは首を縦に振るとNO。横に振るとYES。自信満々なのだ。日本人とは逆のジェスチャーに戸惑う。

 そういえば、かつてブルガリアのサッカーも前評判を覆す、我々にとっては戸惑うような結果を残してきた。  10年前。伝説は突然生まれた。ブルガリアはW杯予選で崖っぷちだった。94年米国大会本戦出場権も絶望視されていた。予選最後の相手こそ、パパン、カントナの2トッ プを擁し、メンバーも充実の強国フランスだったからだ。だがサッカーはそう簡単にはいかなかった。

 93年11月17日パリ。ここで1度目の奇跡は起きた。引き分けでも本戦出場が決まるホーム戦のフランスに対し、ブルガリアは1−1のまま後半44分を迎えた。スタジアムの空気が凍った瞬間だ。ブルガリアはカウンターからコスタディノフが勝ち越しゴールを突き刺した。後に「パリの悲劇」として歴史に名を刻んだ瞬間だった。ブルガリアは逆転でW杯出場を決めた。国民は熱狂した。

 94年6月30日ダラス。2度目の奇跡はW杯1次リーグ第3戦に起きた。初戦ナイジェリア戦を0−3で落とし、次戦で隣国ギリシャに4−0と圧勝したが、ブルガリア国内にはあきらめムードしかなかったという。次戦の相手こそカニージャ、バティストゥータ率いる優勝候補アルゼンチンだった。だが大方の予想に背き、前半ブルガリアは善戦する。そして0−0で迎えた後半21分、ストイチコフが先制弾を決め、結局2−0でアルゼンチンを破る。勢いは止まらず、メキシコをPKで下すと、準々決勝でマテウス、フェラーのドイツを破り、4強進出。結局、バッジオの2発でイタリアに敗れるが、W杯4強と6ゴールで得点王に輝いたストイチコフの名は永遠に刻まれることとなった。

ストイチコフ
英雄ストイチコフは引退試合でも2得点と存在感を示した。

 強さの秘訣は何か?「開き直り」だったと言う。ブルガリアの伝統的なフォーメーションは4−4−2だが、当時ペネフ監督は「適当に」を口癖にしていた。自由な雰囲気はピッチだけに留まらず、アメリカのナイトライフを楽しんだという。ソフィアが全てだった選手にとってNYはあまりにも刺激的だった。そんな刺激も等身大で楽しむ、その雰囲気が強さの秘訣となった。

 38歳になったストイチコフは先月31日、かつて所属したバルセロナの地で引退試合を行った。ドリームチームを相手に2−1で勝ったのだが、この2得点はストイチコフ本人によるもの。しかも出場10分で2得点。最後まで群を抜くゴールセンスを示した。

 他の4強メンバーではMFバラコフがシュツットガルトを最後に03年で現役を引退、MFダニエル・ボリミノフ(34)を残すのみとなった。10年前、米国大会ギリシャ戦、メキシコ戦でゴールを決め、今回も代表メンバーに入った。当時を知る最後のプレーヤーとなったわけだが、今大会予選でも後半の4試合にフル出場。右のサイドハーフおよびサイドバックとしてチームの精神的支柱となっている。

 しかし、現在のブルガリアは戦術やシステムを重視、スケジュールもハードで10年前とは一変している。世界の潮流でもあるのだが、果たしてこれがブルガリア人気質にマッチするのか、多くの国民が疑念を抱いているという。

 5月、現在熱戦を繰り広げる欧州選手権直前のブルガリア代表マッチが10年前の4強メンバーとの間で行われた。壮行試合だったが、国民はかつての英雄達の勇姿に熱狂した。バラコフ、ストイチコフらは変わらぬテクニックでピッチの中心にいた。2−4で現代表に敗れたとはいえ、平均年齢35歳超のベテラン達はピッチで当時と変わらず伸び伸びプレーし、ゲームをつくった。国民も10年前を思い出すように試合後、4強メンバーに鳴り止まない拍手を送った。

 バラコフは近い将来、5年以内には祖国の代表チーム監督にもっとも近い存在とうわさされる。その時、再び「自由なサッカー」がブルガリアを強くするだろう。そう誰もが信じている。

 ブルガリアの奇跡は15年に1度起こる。次回の奇跡は4強世代が指揮を執る5年後か。国民はユーロ2004のもっと先に期待している。

◆ブルガリア戦力

 ベルバトフとペトロフのラインが生命線であることは間違いない。基本フォーメーションは4−4−2。予選ではベルバトフの決定力を生かすために、4−5−1を採用していたが、ベルバトフのプレースタイル(ゴールを決めるだけでなく、周囲を生かすアシスト役もこなす、いわゆるアンリ型のプレーヤー)を考慮して、現在はツートップスタイルがファーストチョイスになっている。初戦もヤンコヴィッチとベルバトフの2トップだった。

 FWの配置は上背のあるベルバトフがセンター、ヤンコヴィッチがやや引き気味のシャドウストライカーとなる。攻撃陣の秘密兵器は若干18歳のボジノフ(伊レッチェ所属)。セリエA最年少出場記録(15歳11カ月12日)およびセリエAの外国人初得点最年少記録(17歳10カ月26日)を持っている天才プレーヤーだ。

 ブルガリアの弱点はDF陣。左からI・ペトコフ、パジン、キリノフ、ボリミノフと並ぶ4バックはテクニックよりもパワーで勝負するタイプ。空中戦には強いが、テクニックで勝負する相手には分が悪い。スウェーデン戦もパワータイプのイブラヒモヴィッチを抑えながら、ラーションの技に崩された。そういう意味でトッティの欠場は朗報。イタリアがビエリ頼みのパワー勝負を挑んでくるなら、勝機も出てくるが…。

◆ブルガリアリーグとJ

 ヴァシル君は、日本人選手もセリエAやスペインなど、花形欧州リーグでダメでもブルガリアならやれると言う。かつて、カズがクロアチアのザグレブに所属したことで、東欧でその名は知られたという。まずはブルガリアリーグに来てほしいと、無邪気に話した。Jリーガーも十分にブルガリアリーグでやれると。両国のサッカーを観戦してきた彼の言葉だけに説得力がある。

◆グンジについて

 ブルガリアでストイチコフ以上に尊敬を集める選手こそ、ゲオルギ・アスパルホフだ。「グンジ」という愛称を持ち、60年代にブルガリア国内で活躍、ドリブルの速さ、高いテクニックは伝説となっている。当時ほとんど国外でプレーする機会がなかった時代、名門インテルからオファーも受けたというからその凄さが分かる。1972年、20代後半で交通事故に巻き込まれ命を落としたが、今でも変わらぬ尊敬を集めている。今年、創立90周年を迎えた名門レフスキ・ソフィアのホーム・ゲオルギ・アスパルホフ・スタジアムにその名を留めている。

◆ソフィアでも驚異の新潟

 ブルガリア・リーグではレフスキとCSKAの首都ソフィアをホームとする2大クラブの人気と戦力が他を圧倒している。あまりにも試合が大差で決着するため、観客が満員となることは少ないという。逆に、この2大チームが対戦するソフィア・ダービーの夜は、首都の大通りから人影がなくなる。東部のヴァルナ、ブルガスにもダービーはあるが、盛り上がりが違うという。地方チームには十分なスタジアムもなく、ヴァシルくんが日本で最も驚くのはJ2時代の新潟サポーターの熱狂だという。ブルガリアでは、地方の2部クラスのチームが、万を超える観客動員を記録するのはあり得ないということだった。ブルガリアに帰って、現地の友人に新潟の話をしても誰も信じてくれないと言う。

◆「バルカン・プライド」

 94年W杯ブルガリア4強、98年W杯クロアチア4強、02年W杯トルコ4強と、ブルガリアを取り巻く国々が上位に進出を続ける。「バルカン・プライド」と呼ばれる国民の誇りだ。近隣国も自国と同様に誇る、そんな風景はサポーター間にも見られるから面白い。例えば、クロアチアのベオグラード・ダービーではレフスキのサポーターはパルチザンを応援に行き、CSKAはレッドスターという具合にクラブのサポーター同士で同盟関係を結んでいる。アテネ・ダービー(オリンピアコスvsパナシナイコス)にも多くのブルガリア人が押し掛けた。


◆取材を終えて〜神様が忘れた国

閑静な住宅街にあるブルガリア大使館
ブルガリア大使館

 強調していたのは、ブルガリアはヨーグルトだけではないということ。確かに、同国ではヨーグルトがないと食卓が成立しないほど基本食材となっている。しかし、同様にチーズ、ワインなど良質なものが多い。そして、何よりこの国は「神様がくれた」という伝説が残るほど美しい風景がある。  その伝説とは、次のようなものだ。神様が世界の国々に土地を分け与え、最後にブルガリアのことを忘れていたことに気付いた。もう与えるべき土地が地上になかったため、神様は天国の一部をブルガリアに贈った。この国は神様が忘れ、与えた美しい土地なのだ。そういえば同国を旅した友人は「昔の日本の田舎を思い出した」と話した。日本が失いかけた原風景がブルガリアにはある。

 ブルガリアのイメージは「ヨーグルト」。確かにそれは間違えてはいないのだが、この国がローズオイルの原料となるバラ(世界の80%を生産)、良質なワインなど世界に誇る物産を持つこと、また歴史は長く、9〜10世紀に建てられたとされるリラの修道院など、UNESCO指定の世界遺産が7カ所もあること。サッカーを始めスポーツが盛んで、例えば、大相撲の琴欧州(本名カロヤン・マハリャノフ、21=佐渡ケ嶽)が同国出身の力士ということ。1989年以降、自由主義経済に変わり、07年にEU加盟が決まるなど、IT技術、農業、食品工業、観光など産業も多彩なこと…。だが彼らはこんなことを決して声高々に自慢することもなく常に控えめで、人に聞かれて初めて、「実はそうなんです」と小さな声で答える、そんな国なのだ。

 最後に「ヨーグルトだけではない、奥深い国ブルガリアへ、ぜひ1度いらしてください」と領事でヴァシルの母のヴェラさんはアピールしていた。

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