私服通学している生徒が茶髪で行ったところ、それを理由に別室指導となり不登校状態になった問題に関する特設掲示板の過去ログです。各種情報はこちらのページ

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[17]... CEBc 02/5/12(日) 19:07
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[17]校則問題の基本的見解
 CEBc E-MAILWEB  - 02/5/12(日) 19:07 -

引用なし
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    当会では校則問題を考えていくにあたり、以下のようなスタンスのもとに様々な活動を行っています。本件もこれにあてはまりますので、その考えを以下に掲示します。


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校則問題の基本的見解

1.はじめに
 校則問題を考えるにあたり、当会の基本的な考えは、個人の「好み」を「規制」してはならないという点である。自己の服装や髪型をどんな色・型にするかは、その人の「好み」の問題で、第三者があれこれ口を差し挟むべき問題ではなく、人は自己の好みを他人に押し付けることによって、その影響力を行使するということがあってはならない。好みが違うからといって特定の人を排除するということは、それ自体が不当な差別として強く糾弾されなければならない。
 この原理原則は、子どもたちにも適用されることは当然のことであって、学校が「校則で決まっているから」というだけで、特定の生徒の「好み」を排除してもいいということには到底なり得ない、というのがまず大前提にある。
 その上で、その「好み」が他人に迷惑をかけるような場合にのみ、それを制限する権能が、学校施設管理者としての学校長に与えられている。その権能の行使は、上記の大前提に立脚し、かつ合理的な理由によるものでなくてはならず、また当然に不当に濫用されることは許されるものではなく、極めて厳格かつ限定的な権能であるというべきである。
 しかし現状では、ここで問題となっているように児童・生徒の「好み」を不当に規制したり、法令では認められている16歳以上のバイク免許取得を校則で制限している。これは以下で述べる「特別権力関係論」と密接に関係してくる。

2.時代遅れの「特別権力関係論」
 30年以上前までは、学校とは「国(公権力)が教育基本法の趣旨に則り、子どもに対して教育を施すための機構」との位置づけのもとで、公立学校における児童・生徒の在学関係は、いわゆる公法上の特別支配関係にあるとの考え方が、行政・司法から教育現場に至るまで定着していた。この考えは「学校は教育目的に必要な限り、その目的を達するに必要な合理的範囲内で、法律の規定に基づかないで、生徒に対し、その服従を強制したり、自由を制限したりすることができる」とするもので、教育を行う主体は学校(公権力)で、子どもはあくまで客体に過ぎなかった。(特別権力関係論)
 現在では、子どもは学習する権利を有する「主体」で、学校には子どもから自己に教育を施すことを要求され、それに応え教育の充足をはかる責務がある、との考え方が一般的となっており、少なくとも行政・司法のレベルでは表向きそのようなスタンスを取っている。これは90年代に入ってから出された中央教育審議会の様々な答申や、今回改正された学習指導要領のどれを見ても、子どもを学習する「主体」としてとらえ、その個性の尊重を計ることが、教育の基本である旨示されていることからも明らかである。
 そして司法レベルにおいてさえ「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではない」とするこの考え方は、すでに普遍的なものとして定着している。(1976年5月21日・旭川学力テスト最高裁大法廷判決)
 このように「特別権力関係論」はすでに時代遅れの考えであるが、しかし、この考え方は現場レベルにおいて生活指導の教師たちを中心として、今も受け継がれているのが現状である。教師たちにその意識はなくとも、現在の生活指導の手法は、まさにこの考えに則ったものであるとしか考えられない。そしてこの考えは「個人の尊厳を重んじる」とする教育基本法の理念の一つを真っ向から否定するものであり、今後の児童・生徒を主体とする教育に著しい障害となることは明らかである。

3.「好み」のバッティング
 さて上述した「他人に迷惑をかけるような場合」の範囲であるが、これは一般の社会通念上の範囲内で考えられるべきである。現状では「学校」が、同世代の児童・生徒を集めて教育を施す場であるという、町中の他の施設と比して特殊な存在であるとする「学校の特殊性」の考え方と、学校現場の教諭たちによる「特別権力関係論」の2つの理念を元に、児童・生徒に対して様々な規則を課している。
 「特別権力関係論」が時代遅れであることは上記で述べたとおりだが、「学校の特殊性」については、一定の考慮をしつつも、学校施設という「箱もの」の管理に関しては、一般社会の図書館や博物館等に危険物の持ち込みや騒乱行為等についての規制があるのと同じようなレベルで、学校においてもその施設管理という観点から一定の規則を定めることができるだろう。
 また、教員は教育実践について自由な裁量をもち、教育を司ることとされており(学校教育法28条)、これは基本的に教員の教育権として尊重されるべきものである。しかしこれは、児童・生徒が「安全で」「楽しく」「のびやかな」(当会定款より)学校生活を送ることを求める幸福追求権(憲法13条)や表現の自由(憲法21条)等の権利を侵害しない範囲においてのみ許されると解される。
 このように考えると、例えば制服は、一般社会では基本的には存在しないし(警察や自衛隊には存在するが、このあたりの具体的な考察は別稿)、髪型に至っては実に様々な色・形の人々がいる。これらの「好み」は、上述の表現の自由の権利により保障されていることは言うまでもなく、一般社会では通用しているわけで、学校だけに通用させてはならないとする理由は存在しないし、同時に教師が上記で示した子どもの権利を無視して、それら規制することは、教育を施す裁量権を逸脱した行為であるといえる。
 これらの「好み」を嫌いと思うことも「好み」に属することであろう。しかし一般社会では他人の「好み」を一定の範囲内において受忍するというのが一般社会通念として広く認められていると解するべきで、図書館に行って茶髪が気に入らないとの理由から、その個人を排除することが許されないことは一般的に通用する理屈であろう。その通念は、上記と同様、学校内においても通用させるべきなのである。

2001/4/1
(c)2001 CEBc

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[18]社会とかけ離れた感覚
 ikeike  - 02/5/12(日) 19:39 -

引用なし
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   CEBcが何を考え、どのような思想の下で活動されているかは、
憲法で保障されているからよしとしましょう。

でも、社会とかけ離れたところにあなた達はいます。

それを「社会正義」と勘違いしているように思えてなりません。

あなた方は、学校の生徒たち全員から声を拾っていますか?
こんな趣旨でAくんを守ろうとするのならば、Aくんは社会から孤立して
しまうだけでしょう。なぜ、平和的解決を図ろうと努力しないの?
大人のイデオロギーを振りかざしてあおっているだけにしか見えません。
まるで、映画の浅間山荘事件みたい。

だいたい図書館と学校を比較することがナンセンスであり、図書館は
いやだと感じたら、私は退出します。私には退出する自由がある。
学校はどう?退出する自由がある?もし、退出したら私の学習権の保障は?

弁護士か書いたようなわからん言い回しを持ち出して、事の問題を
はぐらかし、権利だの権力だの言い出す。汚い大人のやり口です。
そうなれば、くだらんことでこだわる教師たちと同種だと思う。

公共の福祉と個人の自由の制限について、弁護士さんはどう考えるの?
子どもにもわかりやすく説明する義務があります。
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[66]やっぱり線引きは、難しい・・・
 教師を目指す大学生2  - 02/7/26(金) 14:44 -

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    CEBcさんのお話は、私にとっては、凄くわかりやすくて、今、校則のあり方について、まだ、社会に出ず、しかも、義務教育を終えたばかりの大学生として、色々考えていたことに対する一つの見方がCEBcさんの立場からはっきり書いてあったと思います。今までは、憲法でも、校則でも、人間の行動を規制するその役目と確かな合理的意味を持たなければいけない法というのは、この世の中に、色んな人間が居る限り、一生その問題というのは、付きまとうだろうな・問題に解決方法はないけど、これから先も考えていかなければならないことなんだろうな、と思っていました。でも、CEBcさんがikeikeさんのいう通りに、弁護士さんであるなら、その立場からの見方・CEBcさんの考え方を持って、その線引きをはっきりと示すことができる所がさすがだなと感じました。ikeikeさんのいう通りに、頭で考えているレベルと、現実の中でのレベルっていうのは、差があります。でも、これらの学校の問題で、一番考えて欲しいのは、あくまでも子ども達が今の経験で、何を学かという所にあると思います。本当は、茶髪が良いとか悪いとかはどうでもいいことではないでしょうか?そんな中で子どもたちに何を感じてほしいか。私は、それは、法のあり方について子どもたちがきちんと見直せるいい機会なんではないかと思います。ここで、親や、PTA・教育委員会がメインで動くから問題は解決の方向に行かないし、子どもたちにとっては、ただ単なる「校則がゆるくなった・学校は、理不尽な所なんだ」みたいな感じでしか捉えられてないんではないでしょうか?親や、教師や、社会は、子どもたちが「おかしいんじゃないかな・・・?」って感じて、相談に来た時や、行動に出た時に、こういう時にあくまでも、本当の意味を教えるとか、一緒にどこがおかしいのか考えるとか、アドバイスをしたりするとか、子供では、どうにもできないことへのバックアップをしてあげるなどしかしてあげられないし、それ以上はするべきではないと思うんです。
私は、将来教師を目指して、今勉強していっているのですけど、もし私が、教師になれたとして、子どもたちに、文化を伝えていけるという役割を担っている中で、CEBcさんが教師になる私にこれだけは伝えておきたい・これだけは、子どもたちに考えてほしいというようなことがあれば、是非ご意見下さい。
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