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2003年06月09日最終更新

シュトックハウゼン音楽情報

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インデックスシュトックハウゼン一問一答

質問:シュトックハウゼンとトータルセリエリスムはどのように出会ったのですか?


 第6回ダルムシュタット国際音楽コース(1951年6月22日〜7月10日)で、ベルギーの作曲家カレル・ホイヴァールツと知り合ったことが最初の衝撃でしょう。
 また、フランスの音楽評論家アントワーヌ・ゴレアはコース期間中6月26日の講演において、先駆的にトータルセリエリズムへの可能性を示唆した、メシアンの実験作「リズムのエチュード」をレコード演奏し、シュトックハウゼンにやはり大きな印象を残しています。

 ホイヴァールツはメシアンの生徒で、既に総セリー的な作品「二台のピアノのためのソナタ、コンポジション1番」を書いて、シェーンベルクに見せるために持参していました。当時22歳のシュトックハウゼンはこの年上の友人に作品の全てを説明させ、それをひたすら吸収し、その場でソナタを練習して、病欠のシェーンベルクの代理となっていたアドルノのセミナー「アントン・ヴェーベルン」(7月4日)で二人で弾いて見せました(このときの録音が、第2楽章だけですがCDで出ています Col Legno WWE4CD31893)。
 有名なエピソードとして、ドイツ語の不自由だったホイヴァールツの代わりに シュトックハウゼンが作品の解説を行ったところアドルノが「しかしあまり曲の形がはっきりしませんね」と批判すると、シュトックハウゼンがすかさず「先生、あなたは抽象画の中に鶏のかたちを探しているんですよ」。

 ここまでの段階ではシュトックハウゼンは全てをホイヴァールツに噛み砕いて教えてもらったわけです。以降、数年に渡って極めてインテンシブな文通が始まり、シュトックハウゼンの最初期の音楽的思考は、まさにホイヴァールツという禁欲的なトータルセリアリストに導かれ、刺激されて展開したといって決して過言ではありません(これについてはベルギーの学者Sabbeが二人の文通に基づいた詳しいリサーチ「...wie die Zeit verging...」を発表しています(MusikKonzepte Band 19))。

 後年、シュトックハウゼンとホイヴァールツはたもとを分かち、さらにシュトックハウゼンは一度ダルムシュタットで初演されたホイヴァールツの曲に酷評を加え、それがもとでホイヴァールツという作曲家はしばらく絶筆してしまいます(篠原眞氏の談話による)。
 のち作曲を再開したホイヴァールツは、しかしながらすでにトータルセリエルな作曲家ではなく、疑似ミニマルで弱々しい作品群を晩年に残しました。

 ベルギー・アヴァンギャルドを代表する作曲家とシュトックハウゼンは、最後まで苦々しい関係で終えてしまったようです。ホイヴァールツはシュトックハウゼンの手紙を全て保管しておきましたがそれを決して返そうとはしませんでした。
 数回に渡るシュトックハウゼンの懇願をようやく聞き入れた、ホイヴァールツの手による文通のコピーがシュトックハウゼン・アルヒーフには収蔵されていますが、彼の解けない怒りを表すかのように極めて粗雑で脱落部分の多いコピー紙の山に過ぎず、読解はかなり困難です。

 さて、シュトックハウゼンはホイヴァールツからの影響を否定しています。これは伝記的には不当であり、音楽的には正当です。なぜならホイヴァールツ流の厳格主義、純粋主義ではない、極めて柔軟な音楽的技法としてのトータルセリアリズムと出会うのは、やはりパリ留学以降だからです。
 1952年、シュトックハウゼンはホイヴァールツの薦めでパリへ留学し、メシアンのクラスへ入ります(1952年1月16日パリ着)。
 その年の2月に最初のトータルセリエルな作品「ピアノ曲III」「ピアノ曲II」を作曲して妻へのプレゼントにした、ということになっていますが、最近の研究者にはその成立年代を疑う人もいます(例えばPascal Decroupet)。というのも、音楽的技法としてのトータルセリアリズムの意味と可能性がシュトックハウゼンに開かれるのはやはり、同年の3月にピエール・ブーレーズと知り合い、彼との強烈な情報交換、意見と批判の応酬を通じてこそだと思えるからです。

 さらに3つ目の重要なモメントは電子音楽との遭遇です。1952年にはパリでミュジーク・コンクレート「ETUDE」が生まれています。1953年5月にはケルンでも電子音楽スタジオが実用化します。1953年、54年には「STUDIE I」「STUDIE II」がうまれ、後者では既にいわゆる杓子定規的なトータルセリアリズム(一般的イメージとしての厳格な総セリー主義)は用いられていません。
 シュトックハウゼンのトータルセリアリズムは、電子音の内部へ分け入るときの欠かせざる技法であり、電子音楽と切り離せないものとしてあったわけです。

 結論として、シュトックハウゼンにおいてトータルセリアリズムは伝記的にはホイヴァールツと出会い、彼との交流を通じて(1951年〜1954年ほどまで)、音楽的にはブーレーズと出会い、彼との交流を通じて(1952年〜1957年くらいまで)、さらに電子音楽との遭遇を通じて(1952年〜現在にいたるまで)消化吸収され、展開していった。

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