フォトグラファー 蜷川実花 氏 || 「コンプレックスを育て、価値創造のエネルギーに変える」

イノベーティブ・ワン イノベーティブ・ワン ・ジャパン
ご意見・ご感想 | サイトマップ  
HOME インタビュー ブックレビュー 個を活かす組織 FAQ About Us
更新日にメールを希望
・新着インタビュー情報
・取材こぼれ話   …など
≫バックナンバー
≫登録メールアドレス
≫解除メールアドレス
Powered by
まぐまぐ
ブックレビュー
ブックレビュー

・CSR

・知的資本
・ブランド
・リスクマネジメント
・キャリア論
 
当サイトは、リンクフリーです。本バナーをご利用ください。
イノベーティブ・ワン
HOMEインタビュー>2004/10/01
フォトグラファー 蜷川実花氏
Innovator File No.13
フォトグラファー
    蜷川実花 氏
    Ninagawa Mika
インタビュー:株式会社日本LCA 知識開発室 高田晋治、高橋現
 鮮やかな色合いでありながら癒される構図。非日常とまでは行かないが、日常生活で見落としがちな風景を写した独特の映像世界。「片足ファンタジー」とご自身は表現する。そうした作品で、写真家を志す若者やカメラを趣味にする学生などのカリスマ的な存在となる蜷川実花さん。しかし、その華やかさとは裏腹に、「写真にまつわる全ての作業がいとおしい」と言い、アーティストとしての独善的な発想に陥ることなく、ユーザー発想で、営業、マーケティング、写真集の編集、展示会の構成・・・、あらゆる仕事に貪欲に取り組む。その姿勢が、ブームとともに消えていった“女の子写真家”と明暗を分けた。
 
*******************************
 
結局、自分には写真しかない
―― 先日、あるTVのドキュメンタリー番組を見ていたら、蜷川さんが出ておられて、ご自身のフォロワーであるアマチュアのカメラマンに対し、「私の亜流じゃダメなんだ」というシビアなコメントをしておられた。それを見て、私は強烈なプロ意識を垣間見た気がしたんですね。そこで、蜷川さんなら、新しい価値を生み出すことの厳しさ、イノベーターになることの難しさを語っていただけるのではないかと思ったわけです。

蜷川  TVの編集の加減で、より厳しい感じに伝えられていましたね。ここ数年、自分の撮った写真を見せにきてくれる人が結構いるんです。それで、「蜷川さんの写真が好きです。蜷川さんみたいな写真が撮れるようになりたいです」と言ってもらえて、それはとてもありがたいのですが、私と同じような写真を撮ってばかりでは、まあ私もまだ生きていますし、世に出て行くのはなかなか難しいと思うんです。ですから、写真を見せにきてくれた人には「趣味でやられているんですか?」と一番最初に聞くことにしています。それで、趣味だというのであれば、「写真って楽しいよね」「こういう写真がいいよね」という話で、その子のいいところを見つけながら話します。逆に、プロの写真家になろうと本気で考えている方に対しては、「自分なりの存在価値を創らないと、このままでは難しいのでは」と伝えています。それが礼儀だと思いますので、私の意見としてはっきりと言うことにしています。ただまあ、真似から始まる事も多々あるので、一概に何事も決めつける事はできませんが。

―― プロフェッショナルにはオリジナリティが必要だということですね。

蜷川  特に写真の場合は、カメラとフィルムさえあれば誰にでも簡単に撮れますから、「何かやってる感」というか「何か創ってる感」を得やすいのだと思います。それで自分は何かクリエイティブなことをしていると感じて自己満足するわけです。私も中学生高校生時代は、そういう時期を過ごしてきたのでよくわかるんです。そうした手軽さは写真の魅力の一つなんですが、手軽であるからこそ、他者との差別化が難しい。しかし、それをクリアしないと、誰も貴重な時間を割いてまで写真を見てくれないし、ましてやお金など払ってくれないと思っています。

―― 「何かやってる感」で満足しているところから、蜷川さんがプロの意識に変わられるまでには、大きな壁があったのではないでしょうか。

蜷川  転機になったのは、大学生になり、「ひとつぼ展」という公募展に応募してからです。この公募展はプロ写真家への登竜門と言われていて、そこでグランプリを受賞すれば、個展の開催が約束されるんですが、その頃の私は人に見せる前提でものを撮っていなかったので、人に見てもらうと思った時から意識が変わりました。この公募展のおもしろいところは審査がすべて公開で行われるところです。そして、300人程の応募の中から10人入選者が選ばれる。私は4回連続で応募したのですが、3回目まではその入選枠には入ったもののグランプリまではいけませんでした。なぜグランプリになれないのか、真剣に考えました。特に公開審査ですから、誰がどんな風に私の写真について思っているのかを考えるいいキッカケになったわけです。とても大きな経験をすることができました。

 この頃は自分の手の届く範囲内の世界をよく撮っていたんです。自分だったり、妹、友人などを被写体にしていました。ただ狭い世界を撮り続けていると、どうしても似たような写真になってしまう。しかも、撮れば撮るほど、「あのときは、こうやれば上手くいったな」と思って、どんどん自己模倣的になっていたんです。それで、そこから脱却しないといけないということで、「ひとつぼ展」では、それまでモノクロで撮っていたのをやめて、3回目からフィルムをカラーに変えてみました。

―― そうは言っても、それまで築いてきたモノクロのスタイルを捨てて、一から出直すようなものですよね。

蜷川  そんな大げさな事ではないのですが、私が良くやる手段として、まず物理的に何かを変えてみる、ということをよくやります。同じ方法論で長い間モノをつくっていると、どうしても自己模倣的になりがちです。写真を初めて長い経験があるわけではなかったのに、もう既にそこに陥っている自分に驚きました。それで方法としては単純な事だったんですが、モノクロからカラーに変えてみた。そうしたら、一気に目の前の世界が広がり、また広がると同時に今まで経験してきたもの、グラフィックであったり、自分のもっているカラフルな持ち物であったり、そういった自分が好きだったもの全てが繋がった気がしました。

 ただ、カラーに変えたからといって、特に色を綺麗に強調しようとした意識はなく、自分に心地よいところでシャッターを切っていただけなので、周りの方々から色味に関して褒めていただいたりすることが、私にとっては逆に驚きでした。でもそれによって、「ひとつぼ展」では4回目にグランプリを、同時にもうひとつの写真家の登竜門である「写真新世紀」では優秀賞を受賞することができました。

―― 鮮やかな色彩と「片足ファンタジー」といった蜷川さんの写真の特徴は、そうやって生まれたと。そして同時にプロ意識が芽生えたということだと思いますが、そのまま、写真家を職業にしようと考えられたわけではないんですよね。

蜷川  そうですね。写真は一生続けて行こうとは思っていたのですが、大学2年生の時から写真のお仕事をいただいていたにも関わらず、それで一生食べて行けると100%言い切れる自信が無かったんです。小さい頃から経済的にも精神的にも自立したいと強く思っていたので、その判断には慎重にならざるを得ませんでした。それで大学4年生のとき、就職活動の時期になり、一度だけ大手広告代理店の説明会に参加したんですね。それに出てみて私には会社勤めは無理だと思ったんです。

 その説明会では、会社説明のビデオを見せてくれたんですが、その内容というのが、「あなたにとって幸せとは何ですか?」という質問に社員の方が応えるQ&A方式で、それぞれに、その会社で働けることの幸福感を語っていくものだったんです。その事に非常に違和感を感じまして、その一社の説明会を最後に就職活動はやめました。

 いま思えば当たり前の事なのですが、一回しか無い人生ですから、好きな事を仕事にした方が良いじゃないですか。どうせ苦労するのだったらそのための苦労をしたい。理想論としては分かっていた事ですが、この時期に、それを心底実感出来た事は幸せでした。それで、「写真を仕事にしよう」と思い立ち、みんなが就職活動をしている時間を、私は、レコード会社や出版社などへの売り込みにあてました。それなりの努力をしたなとも思いますし、1つだけ言えるのは、今まで来たチャンスは1つも逃していないと思っています。

ページTOPへ▲
 
“女の子写真ブーム”に飲み込まれなかった理由
―― 蜷川さんと言えば、いまや我々は一作家として認識しておりますが、大学生の時代には、女の子写真家ブームの象徴的な存在でもありましたよね。

蜷川  95,96年ごろは、ただ「女の子」が写真を撮るということに価値があったんです。それは、ちょうど、プリクラが流行っていて、プリクラ感覚で撮る写真が世相を反映している、ということでありがたがられた時代だったんです。この時、私は、「自分にも『女の子』という商品価値があるんだ」と他人事のように感心しつつ、ブームで一括りにされることに関しては違和感を感じていました。さらに私の場合は蜷川幸雄の娘というおまけまでついていたので、結構厄介だったんですが、だからといってその流れに逆らおうというのではなく、100人の人がそういった事で写真を見たとして、その中の2、3人でも「写真そのもの」が良いと思ってくれる人が現れれば良いか、じゃあこのブームに乗るか、とわりと冷めた思いでいました。

―― その波を利用して、より先に進まれた。

蜷川  当時出版された写真集に、女の子写真家を16人集めた『Shutter and Love』というのがあるんですが、その16分の1として参加するかどうかとなったときには、正直悩みました。ブームに乗るというより、その中に自ら飛び込んでいくようなものですからね。でも、それで消えるんだったら、その程度のものでしかなかったんだと思ってあきらめようと、そんなことでうじうじと考えるより、自分の写真が1人でも多くの人の目に止まる方を選ぼうと思って参加したんです。

――いま、その16人の中で、プロの写真家として活躍されている方はほとんどおられないと思いますが、ブームとともに消えていった方たちとの違いはどこにあったと思いますか。

蜷川  他の方のことはわかりませんが、私がいまも活動できているのは、ブームの中にいると認識しつつ、戦略的に色々と模索してきたからではないかと思います。女の子は、そういったことを大体苦手にしてるんですよね。いまでも他の写真家の方を見ていて思うのは、自分の作品をより多くの方々に見てもらうための工夫が感じられないことです。 私はとにかく、もっとたくさんの人に見てもらいたいという、もっともっとという貪欲さに自分でも驚かされるぐらいで、撮った後は「そのためにどうするか」ということを最優先に考えて行動しています。見てもらうために、営業をする。プレゼンをする。展覧会の構成も考えるし、写真集の並びも考える。ファッション誌のグラビアでは、絵コンテも描く。

 逆に写真を撮ると言う行為は、どこまで無垢になれるかが勝負なので、その純度を高めるために戦略的な事は一切考えません。これらは全く両極の作業なんですが、私としてはどちらにも取り組むことが頭のバランスがとれて好きなんです。クリエイティブな事をやろうと思ったら男性脳と女性脳が必要だということでしょうか。

――それが、蜷川さんが常々おっしゃっている「写真にまつわるすべての作業がいとおしい」という言葉となる。そうした意識も、「ひとつぼ展」に応募するなかで芽生えたんですか。

蜷川  そうですね。それまでは、自分が気に入った写真をただファイルに綴じて友達に見せるだけだったんですが、応募を始めてからは、同じファイルに綴じるにしても、その一冊で自分を表現しなくてはならない。だから、第三者の目を意識するようになり、並べ方ひとつをとっても意味を考えるようになりました。先ほども申し上げましたが、当時、私は大学生で、大学ではグラフィックデザイン科を専攻していました。そのころは在学中に習っている事が、写真に直接的に関係があるとは意識しなかったんですが、実は、撮った後の写真をどうやって見せていくか、ということにとても役立てるようになっていたんですね。

ページTOPへ▲
 
要求水準の高さは父親譲り
―― 作家が陥りがちな独善的な発想ではなく、ユーザーの立場に立てるのが強みだと。しかも、アーティストとしての誇りを失ってファンに媚びるわけでもない。そのバランスの良さが、写真家の芥川賞と言われる木村伊兵衛賞の受賞後も勢いを失わない要因となっている 。

蜷川  とにかく、女の子写真ブームでも、木村伊兵衛賞でもそうですが、その場所にとどまりたくないんですね。もう過去のことですから、「次、次」といった感じです。私は現状に満足することがないと思います。それと、コンプレックスは逆に大事に育てるようにしています。それは幼少期から変わっていなくて、小学校2,3年のときには、女優としてデビューした従姉妹のお姉ちゃんに嫉妬したこともありましたね(笑)。
最近は、色々な方々が手放しに作品をほめてくれる事も多くなってきたんですが、そうした勘違いしやすい状況がもっとも危険だと思っています。もちろん写真家として、自分に対する絶対的な自信は必要ですが、一方で、自分のことを最も厳しく評価する目を持っていなければならない。その両極のバランスをもっていないと生き残っていけないと思っています。

―― そうした仕事に対するこだわりとか、要求水準の高さは、やはり父親である蜷川幸雄さんから学ばれた。

蜷川  最近になって、きっとそうなんだろうなと思うようになってきました。幼い頃から蜷川幸雄と共に生活をしてきましたから。一つの分野で、第一線で活躍するためには、どれだけ忙しく、どれだけ神経をすり減らしながら新しいものを生み出さなければならないか。そうして作り上げたものをまた壊して再構築する。そうした大変な作業が延々と続く孤独さ。いちいち説明を受けたわけではないんですが、もう、その仕事振りから伝わってくる。私が鑑賞するだけでも疲れる本数の芝居をつくっているわけじゃないですか。近くにいれば自然と伝わってくるものなんですよね。だから、私は、ちょっとぐらいほめてくれる人が現れても、自然と、「まだまだだな」と思える。そう思える基準値が、自分の中にあることが、すごい得をしていると思う。いまは本当に素直にそう思えますね。

―― 七光りの恩恵を受けず、自らの存在価値を模索してこられたからこそ言える言葉ですよね。そういう意味で、蜷川さんの生き方は、個人として生きようとするビジネスマンの全てに参考になると思います。本当にありがとうございました。

ページTOPへ▲
 
*******************************
 
聞き手から
 好きこそ物の上手なれ。この言葉の意味は、本当に深い。好きだから飽きずに続ける。続けるから上手くなる。上手くなったら、さらに好きになる。好きになるから、続けるためにあらゆる努力をする。努力をするからまた上手くなる。そうやって蜷川さんは現在のポジションを築いてきた。そしていま、「写真にまつわる全ての作業がいとおしい」という。

 しかし、そんな蜷川さんも、かつては「演出にまつわる全ての作業」をいとおしく思う父親や、他の各々の分野にのめり込む親類にコンプレックスを抱いていた。そしてそれをバネにし、カメラに没頭することで、現在の境地に至ったのだ。

 そう考えると、やはり蛙の子は蛙、起業家の子は起業家である。だが、来るべき「一億総プロフェッショナル化」の時代に、我々サラリーマンの子女は、そんな言葉で納得して、「所詮サラリーマンの子はサラリーマンだから」とあきらめてしまうわけにはいかない。

 ベンチマークというと安直な感じがするが、身近にいるプロフェッショナルから新しい価値を生み出すイノベーションのプロセスを盗まなければならないのだ。そしてそれによって、自分の名前、自分のブランドで稼げるようにならなければならないのである。そうでなければ、弊誌8月11日号で紹介した酒井邦恭氏の言葉のように「青天井」で生きる、本当に豊かな人生を手に入れることができない。「写真にまつわる全ての作業がいとおしい」。我々は、蜷川さんにコンプレックスを覚えた。(文責:高田晋治)

ページTOPへ▲
 
*******************************
 
<蜷川 実花氏 プロフィール>

1972年東京生まれ。 多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業。大学在学中より様々な公募展に公募し、数多くの賞を受賞。そして、2001年には、日本で最も権威のある、第26回「木村伊兵衛写真賞」を受賞。現在は、様々なファッション誌や、CDジャケット、広告を中心に、写真集や展覧会での作品発表など フォトグラファーとしての活動はもとより、ショートフィルム(監督)など映像分野でも活躍。

公式HP : http://www.ninamika.com/

 

<蜷川 実花氏 作品紹介>
 
mika  『mika』  
  蜷川実花   (講談社、2004年)
  キュートで愛らしい、蜷川実花ワールドの写真集。『Smart girls』『NEUT』『装苑』『Olive』などの雑誌掲載のほか撮り下ろしも収録。有名タレント・女優・モデルが満載。
   
over the rainbow  『over the rainbow』
  蜷川実花   (講談社、2004年)
  有名タレント・女優・モデルが次々に登場、雑誌・広告・カタログ等掲載写真のほか撮り下ろしも収録。ハートにズキンものの女の子写真が満載です。
   
ピンク・ローズ・スィート  『ピンク・ローズ・スィート』 
  蜷川実花   (E.T 、2000年)
  デリー、ジャイプール、ニューヨーク、鹿児島、サンタモニカ、種子島、ホノルル、ロサンゼルス、上海、シドニー、オアハカ、上目黒、ラスベガス…。蜷川実花が写した風景、花、人々。
   
ページTOPへ▲
記事についての感想やご意見をお寄せください。
2004/07/21 Innovator File No.6
「Mr.ウォークマン」が21世紀に訴えること
株式会社 黒木靖夫事務所
代表 黒木靖夫 氏
モノづくりの基本は「フォーム・フォローズ・ファンクション」(形態は機能に従う)
詳しくはこちら  
2004/10/11 Innovator File No.14
手漉き和紙の伝統文化を未来へ渡す
和紙デザイナー
堀木エリ子 氏
要望があるから作る、自己満足では意味がない
 
詳しくはこちら  
2005/01/11 Innovator File No.22
伝統と革新が共存する吉田カバン
 
株式会社 吉田
代表取締役社長 吉田輝幸 氏
優れたモノの形状や材質には必ず何らかの意味なり必然性がある
詳しくはこちら  
2005/01/21 Innovator File No.23
花のような、人間にとって特別な意味を持ったロボットを作りたい
 
フラワー・ロボティクス
代表取締役社長 松井龍哉 氏
人間を精神的に豊かにできるロボットがいる世界を切り拓きたい
詳しくはこちら  
ページTOPへ▲
HOMEインタビューブックレビュー個を活かす組織FAQAbout Usご意見・ご感想サイトマップ
経営コンサルタントにならないか
Innovative One -イノベーティブ・ワン- 経営コンサルティングの日本エル・シー・エー