街を歩くと、ニシン漁とヒノキ材と北前船が織りなした江差の栄華の歴史が見えてきます。
(from:February.25.2003)
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江差いにしえ街道(江差町公式サイトを表示します)
歴史を生かしたまちづくり
〜「江差いにしえ街道」〜
 明治初期まで北前船によるニシン漁とその取引と檜材交易で栄えた町「江差」。その隆盛を極めた建造物(問屋蔵・商家・町屋・社寺)が海岸線沿いの下町に多く、そのまま残されていました。
 江差町では、この歴史的建造物を後世に伝え、かつ多くの人に見ていただこうと、平成元年から「歴史を生かすまちづくり事業」としてスタートし平成16年11月に街路事業が完了。「いにしえ街道」として情緒あふれる個性的な街並みとして大きく変化しました。
〜 京の香りを残す旧家。
代々受け継がれた鰊御殿 〜
 横山家は初代から数えること200年以上が経過しています。初代は天明6年(1786年)現在地において漁業、商業、回船問屋を営んでいました。現在の建物は今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年に道の文化財指定を受けました。
 母屋と四番倉にはニシン漁全盛期のころに使用されていた生活用具などが陳列しており、当時の暮らし振りを今に仕える貴重な建物のひとつです。
横山家(北海道指定文化財)江差町公式サイトを表示します
横山家(北海道指定文化財)
旧中村家住宅(重要文化財)江差町公式サイトを表示します
〜 ニシン漁全盛時代を今に伝える廻船問屋 〜
 中歌町に残されている旧中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたものです。
 家屋は、当時江差と北陸を往復していた北前船で運んできた笏谷石(しゃくだにいし)を積み上げた土台に、総ヒノキアスナロ(ヒバ)切妻造りの大きな二階建ての母屋、さらに母屋から浜側まで文庫倉、下の倉、ハネ出しまで続く通り庭株式で当時の問屋建築の代表的な造りとなっています。
旧中村家住宅(重要文化財)

〜 明治の香りを今に伝える洋風建築の粋を堪能 〜
 この建物は明治20年(1887年)11月に檜山爾志郡役所兼江差警察署庁舎として道内唯一現存する郡役所庁舎で、全国で25棟しか残されていない貴重な建物のひとつです。格調高い洋館の意匠には明治・大正期のモダニズムが漂い、各室内を飾ったというペイズリーや花柄など13種もの美しい布クロスは特に当時としては大変めずらしいものと高く評価されています。
旧桧山爾志郡役所(北海道指定文化財)江差町公式サイトを表示します
旧桧山爾志郡役所(北海道指定文化財)
江差追分会館(江差町公式サイトを表示します)
〜 本場日本一の江差追分を堪能 〜
 追分節は、江戸時代から信州中仙道で唄われた馬子唄がルーツ。一種のはやり唄として全国各地に広まり、越後に伝わったものは舟唄として船頭たちに唄われるようになって、今から200年程前に北前船によって江差に運ばれてきたといわれています。 さらに江差では、座頭佐之市がケンリョウ節と追分を融合させて独特の音調をもつ江差追分を誕生させたといわれ、それが多くの唄い手によって磨かれ、唄いつがれてきたのです。
 情緒豊かな江差追分の調べは、民謡を愛する人々の心を魅了します。民謡の道は江差追分に始まって江差追分に終わるともいわれております。
江 差 追 分 会 館
〜今、よみがえった幕末の軍艦。その歴史のすべてを再現〜
 幕末にオランダで建造された幕府軍艦。戊辰戦争中に榎本武揚らを乗せ活躍したが、暴風のために明治元年(1868年)江差沖で座礁、沈没しました。同施設はオランダに残っていた設計原図をもとに復元されたものです。内部には海底に沈んでいた開陽丸から引き揚げられた遺物の約3,000点が展示されている。中には大砲など、当時の最新式の武器や和洋折衷の生活用品などもあり、とても興味深い。大砲の発射音や砲弾の重量などを体験できるコーナーもあります。
幕末の軍艦「開陽丸」(江差町公式サイトを表示します)
幕末の軍艦「開陽丸」
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