山口敏太郎原稿(未発表)
*当ページは山口敏太郎が執筆の際、使用したメモ、下書きなど未発表の記録を公開したものです。
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妖怪漫遊録(未発表)      
                                                山口敏太郎
神奈川県
 
川崎市夜光町
不知火の松  
大師河原の浜辺に父と娘の二人が住んでいた。貧乏だが懸命に暮らしておった。父の仕事は漁師であった。娘は、浜の松の下で、灯台がわりにたいまつをふりながら 父の帰りを待っていた。 一方父は、沖から、浜に「てかてか」と光るたいまつを陸の目印にしてきた。その光が命綱だったのだ。
それは、ある年の冬の事だった。夕方から天候が悪化し、急に激しい吹雪となった。吹雪で船の周りは視界が悪い。船は木の葉にようにまった。父は、暗闇の海で懸命に陸を探した。しかshじ、残念ながら、力つきて海の底にすいこまれてしまった。
そうとは知らぬ、娘は父の無事を信じてたいまつをふりつづけていた。降りしきる雪は、娘をつつんで行った。体が冷え、手足が冷たくなっても娘は、たいまつをふりつづけていた。そして、翌朝、たいまつを握りしめたまま凍死していた。
気の毒に思った村人は父と娘の遺体をを松の根方にねんごろに葬った。そして、漁行き帰りには親子の墓参りを行った。。
すると、不思議なことに夜になると松の木のてっぺんに不思議な火がともるようになった。
親子の念が火になって村人を見守っているのだと噂した。いつしか名のなかった松を人々は 「不知火の松」 と呼ぶようになった。「不知火の松」 は、埋め立てで無くなったが、「夜光町」 と名付けられ、石油コンビナ−トのあかりが不夜城のように輝いている
 
 
 
横浜市神奈川区区役所南の川
河童の皿
権現山の山上から滝が流れ落ち、深い滝壺になっており、そこには、数百年の年齢を経た河童が潜んでいました。この滝壺から流れる川が「滝の川」である。その河童は近くの東海道にでては、街道を往く旅人にいたずらをしたり、馬子が運ぶ荷物を奪っては困らせていました。この河童の悪事を聞いた剣術の達人が河童を待ち伏せし、捕まえてしまいました。河童は涙ながらに命請いをしました。未亡人のメス河童で、夫の河童が大蛇との対決の末に飲み込まれてしまい、子供2匹を養う為に人を襲ったというのです。剣術使いは河童を許しました。すると河童の約束として夫河童のサラが剣術使いの家に投げ込まれたといいます。
一説には河童の頭のミイラであったというバージョンの伝説もあります。
 
横浜市神奈川区
浦島太郎伝説
相模の国三浦の里に、水江の浦島太夫という人が住んでいました。太夫は仕事のため、久しく丹後の国へ赴いていました。その子の太郎が一日海に出て帰る際、浜辺で子供らにいじめられていた亀を助けました。太郎は助けた亀に連れられて「竜宮城」へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。月日の経つのも夢のうちで、いつしか3年の歳月が流れました。
 父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。故郷の土を踏んだ太郎には、見るもの聞くものすべて見知らぬものばかりでした。ついにこの玉手箱を開きますと、中から白い煙が出てきて白髪の老人になりました。3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでおりました。
 太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いましたが、この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれました。観福寿寺は明治5年に廃寺になり、現在は慶運寺に聖観世音菩薩像が安置されています。
 なお、浦島丘の蓮法寺には浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑があります。
 また、七島と大口通との境を流れていた川は浦島太郎が足を洗った川だということで、大口通に足洗川の碑があり、子安通一丁目には太郎が足を洗ったという井戸があります。
 

横浜市金沢区称名寺境内の阿字ケ池
美女石、うば石
その時の事である。さる姫君が乳母を連れて称名寺の池のまわりを散歩していた。すると、姫が足を踏みはずし池に落ちおぼれてしまった。慌てた乳母は姫を助けようと池に飛び込んだ。しかし、非力な二人は残念にも溺死してしまった。浮かばれない二人の無念は石になってしまった。それを美女石、うば石と呼ぶ。異説には供養の為にふたつの石を建てたというものもある。後世の人の道場を得たのか、この伝説には歌までも添えられている。
「称名の みのりの池の美女石も 姥もろともに 蓮のうてなに」現在は美女石しかない。姥石はどこに行ってしまったのであろうか。
 
横浜市金沢区瀬戸神社
おめんの怪
日照りが続いていた。瀬戸神社の抜頭面、陵王面というのがあるのだが、これを弁天島にもっていき雨乞いに使った。このお面に海草をそなえるのだ。お供えに使う海草をとりに若者が海にもぐっている間にくもってきた。大雨がふった。それ以来、日照りの時はこのお面を出すという。
 
横浜市金沢区光伝寺
光りもの
昔、六浦に長野六右衛門という傍若無人の男がいた。人の馬を奪い、好き勝手に乗り回すなど悪行の者であったという。ある夜の事、千葉の白浜を通っていたときのこと、乗っていた馬が急に立止まってしまった。何か怯えているようである。よくみると、暗がりの中に怪しく光るものが飛んできた。 剛胆な六右衛門は馬から飛び下るやいなや、その光るものを一太刀で突き刺した。そしてそのまま打ち捨てて立ち去った。
翌朝、現場に行くと。阿弥陀さまの御首が落ちており、自分の太刀が御首を突き刺している。昨夜の光るものは御仏だったのか。さすがの六右衛門もひざをつくと身を震わせ、これまでの悪行を悔い改め、光伝寺を開いた。のちに胴体だけの仏像も鎌倉で発見され無事、本尊の首と胴がつながった。なお今も長野の子孫は健在であるという。
 
横浜市金沢区富岡山長昌寺
芋神様 疱瘡神 
境内の観音堂に祭られる楊柳観音は、「芋観音」或いは「芋神様」とも呼ばれ住民たちに敬愛されている。江戸期に猛威を振るった疱瘡<ほうそう>の守り神として、古くから厚い信仰を集めているのである。霊芋観世音菩薩の護符を貼っている家庭には疱瘡神がやってこないというのだ。
 
横浜市金沢区称名寺
楓の精
謡曲「六浦」のモデルとなった伝説がある。京都の僧が関東への旅をしながら修行をして歩いていた。その僧は鎌倉を経て六浦港に着いた。安房清澄山に詣でる舟が出るまでに随分あるとの事で称名寺を訪ねた。季節は紅葉の盛りである。しかし、本堂の庭にある一本の楓が青々と緑をたたえている。としている。これはどうしたものかと思っているとふと女が現れた。女が言うには、中納言・冷泉為相卿が訪れた時には、この木だけ見事に紅葉していた。「いかにして この一本にしぐれけん山に先立つ 庭のもみじ葉」という歌を詠んで頂き、身に余る光栄なのでそれ以来紅葉するのをやめたというのです。僧はいかにも不思議な話とて女の素性を訪ねたところ、楓の精であったという。
 

厚木市小野神社
小町の化け灯籠
かつて小野神社には小町の7不思議伝説があったが、今は2つしか残っていない。化粧塚という小町が化粧をした塚と、あとは小町石灯籠がある。小町に由来のある灯籠らしいが、昔、東京の有力者某氏がこの石灯籠を購入して、自宅の庭に設置した豪華な庭に似合い見事な出来映えであった。しかし、毎夜不思議な事が起こった。女性の姿でたっていたり、男性の姿でたっていたり、家人は大いに驚いた。悩んだ某氏は石灯籠を元の小町神社に返したという。
 

厚木市白山
白龍
白山の山頂には池がある。この池には伝説がある。白龍が飛来し水を飲んでいくというのだ。そこで、飢饉の際は、雨乞いの儀式が行われた。効果は覿面で相模の平野に大雨を呼んだ。白龍のおかげで相模は豊作が多かったという。
 

座間市
なべっつるし婆さん
芹沢公園の付近に、幅がせまく、昼間でも暗く寂しい辻があった。木々がはえ日差しが入らない場所である。この辻には時々なべが吊されたといいう。付近の山中に住む、白髪の老婆がなべを吊すのである。老婆はよれよれの着物で、狂気じみた目をしていた。この妖怪の婆が、鍋を木の枝から吊し、通る子どもをすくいあげ捕らえて食べてしまうのだ。
 夕方、遅くまで遊んでいるとよく親が「なべっつるしがでるぞ」「なべっつるし婆さん」が出るぞ」と脅かされたものである。
 

座間市相模川
大蛇
相模川の川の中ほどに、源四郎山という小さな島がありました。底は子供の遊び場所でした。ところが、ある年から源四郎山に大蛇がでる、といううわさがたちました。
大人たちは、子供たちに源四郎山に行かぬように言いつけました。でも子供たちは源四郎山で遊びたくて仕方ありません。そこで、子供たちは勘太と元助を大将にして、大蛇退治にに出かけました。そして取り囲み一斉に石を投げつけました。すると、逃げ出したのは大蛇ではなく大人達でした。実は、子供に黙ってここでバクチをしていたのです。それ以来大人も反省し、子供の遊び場に戻りました。
 

座間市
大蛇
星の谷観音堂で毎日読経するチャンスをかつ蛇穴谷戸に棲む大蛇が狙っていたが、坊さんの読経の威力にスキが無く、何年もおそえないでいた。そのうち毎日ありがたいお経を聞いていた大蛇は悟りを開き天にのぼっていった。
 

座間市
一つ目小僧・道祖神
12/8になると毎年一つ目小僧がやってくるという。村々を廻ってだらしない家をチェックするという。それでも一つ目小僧を退ける方法はある。籠を家の軒先にさらすのである。籠は目が一杯あるので、一つ目小僧は恐れにて近寄らないと言うのだ。それでもチェックされた家は、一つ目小僧の帳面に氏名を記載されるという。それを一つ目小僧は道祖神に預けるという。そして2/8に取りに来るというのだ。でもまだ対策はある。何故なら1/14の「どんと焼き」で道祖神の注連縄、屋敷ごと焼かれてしまう習慣があるので毎年一つ目小僧の帳面は焼けてしまうのだそうだ。
 

綾瀬市早川の北部、相模小園団地
おいてけ堀
久尻川の川下に昼間でも暗く、川幅の広くなった場所があった。釣り名人のあるじいさまは、釣りの穴場ではと目をつけていて、ある日の深夜夜釣りにやってきた。確かにその場所は良く釣れる。あっつという間に魚篭は一杯になった。また夜もだんだんふけてきたので、じいさまは帰ろうとした。 すると川底から、うめくような低い声で、
「おいてけ、おいてけ」
と聞こえた。じいさまはおそろしくなって、びくに手をのばし逃げようとしました。しかし、魚篭は軽くすっと持ち上がったのです。
「獲物がない?」
さらに声は聞こえます。
「おいてけ、おいてけ」
じいさまは何もかも置いて逃げ出しました。おいてけ堀の主は狐とされています。
 

相模原市
でいらぼっち
大昔の事です。でいらぼっちが富士山を背中にしばって担いでいた。すると藤づるを、切れてしまった。富士山はぶーんと飛んでいってしまった。
  困ったでいらぼっちは、かわりの藤づるを相模野中をさがしまわったが、一本も見当たらない。気の短いでいらぼっちはいらいらしてきた。
  そしてついに、かんしゃくを起こしたでいらぼっちは、足をばたつかせて、大騒ぎした。そして、呪い文句をはいた。
「ええい、今後、相模野には、藤づるはここには生えるでない」
そしてぷいっと、どこかへ行ってしまったと。それから相模原には藤づるが生えなくなった。でいらぼっちが、足をばたつかした足跡は、鹿沼と菖蒲沼の二つの大きな沼になり、「じんだら沼」と呼ばれた。
 

相模原市
火の坂狸
陽原の坂の上に、ばあさまが住んでいた。そこへ毎夜勝手に炉端に体を温めにくる狸がいた。あんまりずうずうしいのである時、あつく焼けたいろりの火を狸にふりかけた。狸は火達磨になり、坂を転げ落ちて死んでしまった。それ以来「きゃいーん」という声が聞こえ続けたという。人々はその坂を「火の坂」と呼ぶようになった。大正時代には火の坂の下にすむ水車屋のかみさんが、狸の霊に取り憑かれ、祠をつくって狸の霊を慰めたという。
 

海老名市
のぞき小僧
大谷にある観音堂の天井の穴から顔だす化け物。のぞき小僧と呼ばれた。3,4才の子供で突然天井から顔を覗かせ、すぐ引っ込めてしまうそうである。坊主頭でかわいい子供なのだが、「出た」と人が指摘してからみてもいないというものであった。たくさんの人が同時に見ることはなく、たまたまその方向を向いて座っていた人が「のぞき小僧」の顔にぶつかる。江戸時代末期、摩尼山の観音堂に妙貞尼という年をとった尼さんが住んでいましたが、物騒だろうとの事で、隣の清眼寺には衡平親分という目明しが二人の子分とともに住んで、大谷村を守っていた。しかし、子分の一人はのぞき小僧が恐ろしくて夜になるとトイレにもいけず寝小便をするぐらいであった。泣く子も黙る目明かしの中にも化け物嫌いはいたそうです。
 
海老名市
枕返しの地蔵さま
大谷の観音堂を別名、摩尼山という。ここには「のぞき小僧」以外にも不思議な事が伝わっている。堂の入口の左側に、古いお地蔵様があります。このお地蔵様の方角に足を向けて寝ると、いつの間にか枕が足の方に移動するというのです。その為、「枕返しのお地蔵様」と呼ばれたのです。
 

海老名市
白椿の精
国分の薬師様の境内に白椿がある。毎年白い花を咲かせていました。薬師様の境内の下の大山街道を行き交う旅人も足と留め目を奪われました。
そして椿が咲く季節になると、薬師様の門前の茶店に一人の美しい娘が現れました。奇麗な着物を身につけ、何ともいえぬよい香りをただよわせていました。どこか気品にあふれた娘でした。 この娘が店に立ち寄ると何故か繁盛したので益々周囲のものは不思議がりました。ある年の事 ある若者が娘の袖に細い糸を取り付けました。そしてそっとあとをつけました。すると娘につけた糸は白椿に花びらにつながっていたそうです。それ以来その娘が出現する事はありませんでした。
 
海老名市
門石
門沢橋の付近の水底にある石である。この石は橋の基礎となる石の予定であったが、何故か河に放置された石である。実はこの石を引き上げると付近に騒動が起こるといういわれがあり、長く川の中にあった。近年、大正期に一度引き上げられ渋谷神社境内でお祓いを受け境内に設置されましたが、小作騒動が起こり、地主宅に乱入寸前まで問題がこじれ、仕方なく石は再び川底に戻されたという。
 

海老名市
化け狸
中新田の海源寺の境内にいつのころからか化け狸が住み着き、春先になったらよく化けて出たという。ある年など白装束の坊主に化けて高笑いをしながら現れた。「カランカラン」という音をたてながら歩き周り、肥料小屋の前で消えるという事件を起こした。しかし、住職になついていた。住職が旅をする時など、箱根まで見送りにきてくれたという。
 

海老名市
油舐め小僧
江戸末期の万延年間(1860年〜)のころの話でにあった事、寺の常夜灯として庭の石灯に火をともしておくのだが、ある時毎晩朝までもつ火がもたなくなり夜半にきえる事が多くなった。注意して見ていると黒い影が忍び寄っては石塔の油をなめ次々と消していくのがわかった。そこでその怪物を油舐め小僧と呼んでいたが、ある時石塔にふれると崩れるようにしくんでみた。ある夜の事、もの凄い音がした。皆で駆けつけて見ると古狐が死んでいたという。
 

鎌倉市建長寺
たぬき和尚
  鎌倉の建長寺がすっかりさびれて、山門の柱はかたむき、屋根もくずれなったときの事です。山門を再建するために、周辺の町を勧進の和尚が、まわっていました。しかし妙なのは和尚がくる時は、各家の犬をつなぐようにおふれが出たり、書いていただいた掛け軸や書が読めなかったりする妖しい事がありました。
 ある男がいたづら気分で犬をけしかえてみました。すると犬は和尚ののどを食い破り、死んでしまいました。7日目に正体を現したのですが、それは、狸でした。どうやら、建長寺の裏山にすんでいた、古狸だったのです。
  日頃、お世話になっている恩にむくいるため、山門再建に役立ちたかったのです。このことが建長寺へ知らされると、境内に、小さな祠をつくって労にに報いたそうです。 そして、この祠には、時折深夜に燈明がともったということです。このことから、建長寺の山門を、「狸の山門」というようになりました。
 

藤沢市
五頭龍
頭が5つある龍で、江ノ島周辺の人々を困らせていた。山雪崩を起こし、子供を喰らった。長者の16人の子供などは全員食べられてしまった。ある年の事、奇麗な天女が童子二人を連れておりてきた。龍は天女に求婚したが、悪事をする人の女房にならないと言われた。龍は真面目になることを決心し、人々の要請に応じ雨などをふらせてあげた。
 

横須賀市猿島
龍神伝説
建長5年(1253年)4月、日蓮は布教のため、上総(現在の千葉県中部)から鎌倉の都目指してへ船出し、しかし海は荒れ、船は今にも沈みそうになりました。意を決した日蓮は海神である龍に題目を唱えました。すると巨大な龍が出現し、荒れた海を鎮めたといいます。おかげで日蓮を乗せた船は無事猿島に流れ着き、更に神の使いの白猿の導きで、現在の米ケ浜に無事上陸できたといわれています。
 
角無しサザエ
米ケ浜に上陸した時、日蓮は漁夫がサザエの角で足を痛めているのを見て気の毒に思い、題目を唱え、サザエから角をとってしまいました。今でもこの周辺のサザエは角がないそうです。
 
大蛇
明治17年までは春日神社(現在三春町)は猿島にありました。毎年7月下旬に大祭を行っていましたが、祭り頃には毎夜のように上総の鹿野山から猿島へ、大蛇が泳いできたらしいのです。伝説によるとこの大蛇は春日神社の守護神であると言います。島の北側にある洞窟に大蛇は住んでいたといいます。なおこの洞窟から江ノ島の洞窟まで秘密の抜け穴が続いているといわれています。
 

逗子
化け狐
おもよ、与三郎、はな黒、おせんとか逗子はかつて化け狐のメッカであった。特にお夏と、孫三郎は有名な化け狐であった。披露山を縄張りにしていたお夏が、久木の孫三郎のところへ、嫁入りをするほどの仲良しであった。お夏が若い娘に化けて若い漁師を誘惑しているうちに孫三郎が獲物を頂く、あるいは、孫三郎が大男に化けて相撲を挑む隙に お夏が獲物を頂くという連係プレーに大いに住民はなやまされたという。
 

箱根芦ノ湖
九頭竜
かついて芦ノ湖では九つ頭を持つ九頭竜が暴れ回り周辺の住民を脅かしていた。毎年娘を生け贄に差し出していたのだ。そこで、万巻上人が、村人を助けるために、9つの頭を持つ竜をお経で封じ込めることになった。祭壇を湖中に建てて、一心に経を唱えていたところ、湖面がゆらぎ竜が出現した。苦しんだ竜は、今までの罪を万巻上人にわびた。そして、これからは、湖の守り神になる事を誓ったという。なお湖畔の箱根神社を建立したのは、万巻上人である。毎年7月下旬から8月上旬に開催され名物となっている「湖水まつり」では「九頭竜明神」に好物の赤飯がささげられる。
 
 
南足柄郡
金太郎、山姥
金太郎は、相模の荘園(今の開成町)で生まれたという。その後、金太郎が足柄山で山姥に育てられたという。この時に熊と相撲をとるという異能力を会得した。その後、京都の源頼光(藤原道長の時代)が都にかえる途中、足柄山に立ち上る異様な雲を見て、豪傑の存在を知り、自分の部下に加えた。その後、金太郎は、坂田金時と解明し頼光四天王となった。酒呑童子や、茨城童子、土蜘蛛退治など、多くの妖怪との対決に挑む事になる。
 
津久井町
天狗
津久井の青野原に、炭焼きのじさまがおった。じさまは三度の飯よりも芝居が好きで
村祭りの芝居がかかるのが楽しみだった。山での作業中も枝を刀に見据え芝居の真似をするほどであった。村人はじさまを「役者」というあだ名をつけて呼んだほどであった。ある時じさまは 山で天狗とあってしまった。天狗が言うにはじさまがあまりに芝居好きなので江戸の歌舞伎を見せてつれていってくれるという。じさまを背中に乗せると江戸までひとっ飛びであった。じさまは夢にまで見た歌舞伎に大満足だったが、天狗の姿がない。とうとうじさまは江戸から歩いてかえる事になったという。じさまが天狗にあった沢を「天狗沢」とそれ以来呼んで人々はおそれたという。
 

大井町
天狗さらい
  篠窪の鎮守さまの森は、相模の天狗の集会場であったという。大山の天狗や、道了尊の烏天狗など毎夜のように集まっていた。うちわを打ちならし、笛や太鼓で踊り廻っていたという。杜の中の椎の木のそばに「大山へ五里、道了尊)へ三里」と書いた道しるべが立っているという。以前、この付近の男が風呂あがりに褌姿のまま、姿を消してしまった。周りのものは天狗に浚われたのだろうと噂しあった。男の妻もあきらめてしまった。3年目の法事の日の出来事である。行方不明だった男がふらりとかえって来た。皆はびっくりしたが、男が言うには天狗と3日間相撲をとっただけだという。
 
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日本珍種妖怪アラカルト
(一部妖怪草子へ、一部未発表)
                                                   山口敏太郎
 
しばれぼっこ                                    北海道
 この妖怪は北海道特有の妖怪である。冬の吹雪の夜に家の玄関の扉をたたく音をたてるという。大人が不審に思い、家の扉を開けて外を確認するが誰もいない。しかし、もし子供が扉を開けると、鈴の音が聞こえるという。そして歌声が聞こえる。「ねぬみさきでろ、ねぬみさきでろ」という意味不平の歌を歌うのだ。そして、その歌声を聞いた子供はふらふらと外に出ていってしまい、命を奪われてしまうという。北海道の大人は、子供が遅くまで起きていると「シバレボッコが来て食ってまうぞ」と脅かしたものらしい。
 雪ん子系の妖怪であるが、子供の教育に使われた教訓妖怪の側面もある。意味不明の言葉、鈴の音が死者を感じさせ、不気味である。しばれぼっことは、縛れるぐらい寒いという意味である。縛れるくらい寒い夜に出る子供の妖怪という解釈が適切であろうか。
    情報提供 太狸庵主人氏  平成8年北海道での聞き取り調査
        不思議夜話    http://www.d1.dion.ne.jp/~noguckg/husigi.html
 

黒狐                     北海道
 松前町西館町の玄狐稲荷に祭られた狐の事である。非常に珍しい狐であり、全身が黒い。その為、黒狐と呼ばれた。尻内山に住み、松前家十三世道広は家臣に命じてこれを捕らえようとした。厚谷半蔵という家臣が黒狐を撃とうとすると、幻術を使うらしく周囲が真っ暗になって、見えず撃てなかったという。そこで「主君の命により撃つもので、例え術で一度は逃れてもいづれ撃たれるものである」と厚谷が言ったところ、狐の姿が見え撃つ事ができたという。道広は大いに喜び、皮をはぎ、肉は中津源兵衛に与えた。ところが中津も厚谷も変死してしまった。また、はぎ取ったその毛皮を家臣に命じて干していると、返せと一匹の狐が枕元に立ったという。そのうち毛皮は何者かに裂かれてしまった。また、この黒狐の祟りでニシンがとれなくなったという。
        出典  北海道の伝説    須藤隆仙  さんおん文学会
 
キタキツネの嫁入り                北海道
 場所はM町のI村ここに昔、在住していたおばあさんから聞きました。(今は、ここから引っ越して隣町にいます)この場所は、海岸線からすぐに山が切り立っている地形です。
交通の難所で、国道がトンネルが出来、全開通したのも20年ほど前です。今から50年前、その当時、お嫁にきてまもなくの20代だった老婆が、山の稜線でいくつも連なる狐火を見たそうです。それがゆらゆらと動きながら、さらに山を登っていったそうです。
この様子を初めてみて、すぐに知り合いの人に告げたところ、よくこのあたりの山には狐火がでるそうで、この火の行列のことを「狐の嫁入り」といっているそうです。
 果たしてキタキツネは化けるのであろうか。本土の狐が化けるのであれば、キタキツネは化けてもおかしくないのである。狐つまりFOXは偽るものである。
    情報提供 太狸庵主人氏  平成14年北海道での聞き取り調査
    サイト妖怪王に投稿   http://www.top.ne.jp/aliceweb/youkai/ 
 

火おさめ地蔵                                   北海道
 札幌から車で2時間ほど北上すると、M町という小さな町があります。そこにあるK寺山門前のお堂には不思議な言い伝えのある2mくらいの大きな地蔵が祭られています。
今から100年ほど前、この小さな港町に地域の大半を消失するほどの火事がありました。日本海から吹き付ける風は、ごうごうと火の粉を舞いあげ、子供をはじめとする多くの人々が逃げ道を塞がれあわや大惨事になるところでした。ところが、どこからか大男が現れ、人々を安全な浜辺の船まで助け出しました。また、大きな桶に海水を汲み上げ、何度も火に向かい、とうとう大火を消し止めてしまいました。騒ぎがおさまり人々が気がつくと、その大男が見当たりません。よく見ると、水がお寺の山門まで続いています。人々がその後をつけてみるとそこには、黒く煤でよごれた大男の顔に似た地蔵が立っていました。
「そこん地蔵さんだぁ。見てみれぇ。黒くなってる。」
地元の老婆にこの話を聞いたあと見ると、確かに黒い痕が残っていました。
        情報提供 太狸庵主人氏  平成13年北海道での聞き取り調査
    メルマガ妖怪王に投稿   http://www.top.ne.jp/aliceweb/youkai/ 
 

火吹き鳥             秋田県
尾去村の奥地に、大森山という山ありました。 文明13年、この山から羽根の長さが20mの光る大きな鳥が出現しました。怪鳥は、火炎を吹き、奇声を発しながら飛行し、田畑を荒し廻りました。恐怖に震えた人々は、山伏に怪鳥調伏の依頼をしました。ある時、大森山から怪鳥の悲鳴が聞こえました。 村人たちが恐る恐る鳴き声のした場所へ行ってみると、怪鳥が血を流して死んでいました。大森山の神が獅子に化けて怪鳥を退治してくれたのです。怪鳥の血は沢まで流れ 沢は赤く染まりました。そこが赤沢という地名になった由来です。また怪鳥の腹部を裂くと、金や銀、銅、鉛などの鉱物が入っていました。 それを見た尾去村の村長が、最近夢で見た鉱物の埋まっている場所を思い出しました。夢のお告げ通りに皆で山を掘ってみると、金や銀、銅がたくさん発見されました。これが、鹿角の尾去沢鉱山が始まった原因と言われてます。
出典  米代川ガイドブック        国土交通省東北地方整備局能代工事事務所
 

待て待ての沢                 山梨県
 当事山仕事をする人々をポッカ衆と呼んだ。現在も職人の作業服の事を「ニッカポッカ」呼ぶが関連があるものと思われる。
 昔、追分けと呼ばれる家の近所に、ポッカ衆の休み場所があった。ある時、五作と春吉という二人組が通りかかった時、奇妙な声が聞こえたという。背後で「待て待て」という声が聞こえるのだ。二人が振り返っても誰もいない。でも確かに聞こえたのである。二人は大急ぎで逃げ出したという。この山の小川が集まった小さな沢では度々このような声が聞こえたという。必ずその声は「待て待て」というものであったらしい。
 このような声の怪は、全国で多数報告されている。この「待て待ての沢」の場合は地中を流れる水流の音が正体であろうか。
                糸魚川西頸城の民話 民話テレホンサービス
 

火を消すおろち                  長野県
 明治23年2月に新聞紙上で報道された事件である。長野・松本においては何故か明治19年、21年、23年と2年おきに火事が発生する。特に23年は60戸焼いてようやく鎮火した。奇妙な事に馬喰町の○○という豪商の家の近くまできたら火事はいつも消えてしまう。兎に角、理由はわからないが、いつも消えてしまうのだ。
 周囲の人々はこの家の古い倉庫に数百年を経たおろちがいて「火事を消してしまう」と噂した。この商家では、おろちを養うのに毎日数升の米をささげているという噂もたち、さらには見せ物小屋から数百円でゆずってくれと言われたがうちのまもり神だし、このおろちはどんな火事でも消せるからと断ったというもっともらしい話が流れた。
蛇は先祖の霊であるとか、屋敷神であるとか言われるが、鎮火の神と言われるのは珍しい。
出典「爆笑・三面記事 びっくりニュースの玉手箱」河出書房びっくりデータ情報部編 
 

猫多羅天女(みょうたらてんにょ)               新潟県            
 鳥翠台北茎の記した「北国奇談巡杖記」(文化4年〈1807〉に成立)巻三において「猫多羅天女の事」という記述がある。
「夏の夕暮れの事である。佐渡国雑多郡小沢に、ある老婆が一人で住んでいた。すると一匹の老猫が慰めるように砂の上でころがりはじめた。老婆はその猫の姿を見るとうれしくなり、猫と遊んだ。数日後、老婆は自分の体が妙に軽いのに気づいた。そのうち、体に猫の毛がはえて飛行自在の術を会得してしまった。老婆の顔はまるで化け猫であり、周囲の人々は怖れた。老婆は妖怪となってしまったのだ。雷をとどろかせ越後国・弥彦山に飛行し、天空を駆けたり、大雨を何日も降らせた。里人は老婆を畏怖し、猫多羅天女と呼んだのだ。年に一度、猫多羅天女が佐渡に飛行する日には、激しい雷があると伝えられている。
                                             出典       『北国奇談巡杖記』
 

登蛇                                              新潟県
 信濃川の分流 西川をはさむ曽根村、鈴木村の若者が河辺で遊んでいると、二尺(60cm)程度の某のようなものが 地上一丈(3m)のところで停止して 身をくねらせているのが目撃された。まるで兵術の棒のようにくねくねと回転し、くねるたびに妙な音を発するのです。周囲にいた若者たちは、大騒ぎとなり竿や棒でたたこうとしたが、そのうちその生物?はどこかにいってしまった。そのうち、たちまち暴風雨が起こったのであれは「登蛇」の類ではないかと言われた。
 登蛇とは年月を経た蛇が、竜になる天に昇る事を言い、暴風雨を巻き起こすものである。しかし、この怪物の話を読んだ時の筆者の印象は昨今噂される「スカイフィッシュ」の類ではないかというものである。棒状のものが回転するという共通項が気になるのである。
                                    出典 「北越奇談」
 
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ゴロゴロの神                    石川県
 白山に江戸末期に妖怪を鎮圧した神様の像がある。それだけの伝承しか判明しておらず、現在となっては、このゴロゴロの神が一体どういうものなのか不明である。池の近くに鎮座されていたという。しかし、ゴロゴロと言う名前から推理するに、雷信仰関連の神ではないだろうか。つまり、ゴロゴロとは雷神の事ではないだろうか。雷神は、基本的には御霊であり、恐ろしい祟り神である。それが妖怪を退治したというのであろうか。これも何やら不自然である。ではどうだろうか。逆に雷の怨霊があまりに暴れるので、「ゴロゴロの神」として祭る事によって鎮めたのであろうか。地元の民俗研究家山口一男氏によると、「ゴロゴロ」とは石がゴロゴロしているという意味であり、「妖怪」とは地滑りという天災ではなかったのであろうか。
  情報提供 民俗研究家山口一男氏    ゴロゴロの神の展示施設・白山ろく民俗資料館
 

目附谷の化け物(めっこだにのばけもん)
 昔白山は女人禁制であった。しかし、ある偏屈な老婆が白山の頂上を目指して登り始めました。それを見た白山の神様が怒り、老婆をつかまえると、草鞋をはぎ取り、半分にちぎって左右それぞれ蛇谷、目附谷に投げ込みました。蛇谷に投げ込まれた半身は蛇たちによってあっという間に食べられてしまいましたが、目附谷に投げ込まれた半身は、片目、片手、片足で鼻も口も半分の化け物となって谷を彷徨うようになりました。そして、誰かが来たら、もう半身を見つけてくっつけてもらおうと徘徊しているのです。ある男がこの化け物にあった時、思わず自分の草鞋を投げつけました。化け物は失った草鞋がもらえて足に結ぼうとしますが、片手ではうまく結べません。男はその隙に逃げ出しました。それ以来、地元の尾添の人は片方を草鞋をぶつけるように容易するようになったそうです。
      情報提供 民俗研究家山口一男氏
           白山の人と自然「人文篇」 石川県白山自然保護センター
 

そうはちぼん                                        石川県
 羽咋市の眉丈山の中腹あたりを東から西に移動していく怪火。別名「ちゅうはちぼん」とも言う。具体的には、羽坂の六所の宮より、一の宮の六万坊へ移動するらしい。そうはちぼんの意味は不明である。
 現在 羽咋市はUFOで町おこしをやっている。現地にはUFO博物館なるものが存在する。その町にかつてUFOを連想させるこのような怪火現象があった事は非常に興味深い。「そうはちぼん」の記述は多大社に残る文献集にも見ることができる。内容は、『成山飛行虚空神力自在而』と記されている。言葉のイメージからUFOを連想するのは必然であろう。
              出典       はた万次郎 UFO・超能力大図鑑
 
 
 
青頭巾の火                                     栃木県
 栃木市、大中寺開祖快安妙慶禅師によって、多くの人を食った食人鬼の青頭巾が成仏した。その時、墓標がわりに立てた杖が根無し藤と呼ばれ境内に、現在も残っている。その藤の木付近には、青頭巾の怨霊が今も時折、出現し、青頭巾の人魂らしき怪火が飛ぶと言われている。以前某TV局の心霊番組が、この「青頭巾の火」撮影に成功している。また鬼のような心霊写真もとられている。
 この大中寺は七不思議があり、青頭巾の「根無し藤」の他にも「油坂」「不断釜」「枕かえし」「東山の二つ拍子木」「開かずの雪隠」「馬首の井戸」などが伝えられている。特に「東山の二つ拍子木」は興味深く、住職に匿ってもらえなかった佐竹小太郎の怨念により拍子木が二つなると本堂が火事になると伝えられている。             
  出典   大中寺七不思議、某TV番組
 

湖坊主                                                茨城県
 明治30年 霞ヶ浦を定期運航していた通運丸の船中出た化け物。乗った形跡がないのに、いつの間にか子供がのっている。船員も不審に思って声などをかけるが、突然いなくなったたりする。そうかと思ったら、急に現れて本をよんでいたりする。職員の部屋に誘ってもこない。時々は一つ目小僧になって脅かしたという。
 霞ヶ浦にはこのような奇談が多く残っている。汽船に追われ仕事を無くした高瀬舟の一家が舟ごと心中したあとには、無数の赤や青の怪火が出たと言われる。これが出ると汽船はこの怪火に引き寄せられ、船員は金縛りにあってまったく抵抗できなくなるという。そのうち無数の怪火が汽船の周りを取り囲むと言われる。ある乗客の老婆が花を海面に落としてやると怪火は消えていったそうである。
         水郷の昔ばなし   中村ときを   筑波書林
 

「一つ目玉の団十郎」。                                茨城県
 茨城県総和町に出る妖怪で12月8日に徘徊すると言われている。履き物を外に出していると履き物に判子を押して歩くという。関東の他の地方でいうとこの「八日ぞ」「みかり婆」の類であろう。履き物に判子を押されたものは足が重くなると言う。この「一つ目玉の団十郎」の害を逃れるには、目のたくさんある籠を竿にさして家の軒先に立てるとよいと言われた。一つ目玉の化け物なので、目が沢山ある籠を見たら逃げ出すと解釈されたのである。
 なお「一つ目玉の団十郎」は何故履き物に判子を押していくのであろうか。どうやら、履き物には霊的な意味合いがあるらしい。今でも行われる下駄を放り投げて晴れ、雨を占う天気予報などもその名残であろうか。
                     続歴史の散歩  古河歴史博物館
 

とぼーん                                             東京都
 昔、高尾に出た妖怪。峠を越える人々に「とぼーん、とぼーん」と奇妙な声をかけて脅かしたという。勇気のあるものが何人も退治に出かけた。しかし、「とぼーん」とつぶやく光る物体に追われ、あまりの恐怖に逃げ出てしまった。ある男が思い切って、その光る物体を風呂敷に包んで帰った。家に帰って中身はなんと小判に変っており、数えると十盆(とぼん)あった。だから「とぼーん」と言っていたのである。
 俗に言う「とっつくひっつく」や「宝化け物」の類の妖怪であるが、真の勇者に富が与えられるという教訓めいた意味合いも含まれている。またこのように声をかける妖怪は多く伝えられている。鳥山石燕は「うわん」という妖怪を絵にしている。これもまた声の妖怪である。
   出典     「はちおうじの昔話」  創価大学民話研究会 1989年 有峰書店
 

 人食い松                         東京渋谷
 人食い松は渋谷の上通り3丁目6番地に昭和初期まであったそうです。(現在の住所標記は神宮通1丁目で、渋谷松竹あたり)昭和6年に神宮通り1−4へと移転、縁起をかえるために、「出世松」と呼称を変更しましたが、祟りはあったそうです。元々自家の整備で邪魔になった長田某がこの松を切ったところ、一家7名が次々死亡し「人食い松」伝説が広がったという。さらに二葉亭というレストランのコックが5名がまたしても次々と病気に倒れてしまった。また鈴木少年は、友人2人と松にいたづら中、枝から3人共落下、全員怪我を負った。そして、松を移転した発起人鈴木某は難病になってしまった。当時の渋谷界隈は大騒ぎとなり、松に弁財天などを祭ったが、今は松も枯れ、弁財天のみがのこるという。これは70年前の昭和初期の出来事です。
 

高厳寺小僧
 下谷車坂、岩倉小学校の跡 高厳寺があり、そこに狸がすんでいた。妖怪「高厳寺小僧」に化けて、人をたぶらかした。そこで寺内に小僧稲荷を祭った。狸なのに稲荷とは不可解であるが、その後移転し巣鴨町2丁目23番地にいったという。
 元々120年前の修業熱心な和尚が、狸に餌を与え、境内に済む事を許した。それ以来、住職がかわる度に狸は姿を現した。また庭や門に、ゴミや小便をするものに対して、化けて脅かした。妖怪「高厳寺小僧」の形態は、三つ目小僧で大きくなったり、小さくなったり、或いは大提灯がついたり消えたりする。終いには寺の横の溝にほおりこまれるという。
 三つ目小僧が伝承妖怪として残っていることは稀である。他には「おいてけ堀」付近に住む狸が三つ目小僧に化けた事例があるぐらいである。
  出典   江戸伝説 佐藤隆三 坂本書店 大正15年5月10日発行
 
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風小僧                                            東京
 青梅での聞き取り調査より判明した妖怪である。60代女性の証言である。毎年秋頃の風にのってくると言われている。山の木々をゆらしながら、ころころと風と一緒に木の梢転がりながら、ふもとの町に降りて来るという。いろいろいたづらをする風の妖怪であるが、宮沢賢治の「風の又三郎」と似ている。
 風に関する妖怪は他にも伝承されている。同じ東京都青梅では「百いらず」という風の魔物が伝えられている。この風にあたると病気になると言われ、例え百文が落ちていても拾わずに逃げるべしと言われた。「風邪」という漢字からも連想できるように、邪な風に当たる事により人は病気になるとされたのである。「夜風は体によくない」と現代でも言うように風に対する畏怖は継続している。
  昭和レトロ商品博物館・妖怪研究家ネットワーク海猿共同による
                       青梅聞き取り調査2002
 

柚木女                                              東京
 標記は柚木女と書き、読み方は「ゆぎおんな」である。青梅市柚木に出る妖怪であり、当時柚木の尋常小学校の先生であったKさんという方が生徒に怪談として語っていたという。Kさん(故人)は本職は住職であり、息子さんが存命でその妖怪をつたえている。
 ストーリーはまったく小泉八雲の雪女と同じである。雪女の亜種妖怪である。八雲の雪女が1904年に発表され、読者をする人々にひろまったのは、それ以降の事である。その証拠に雪女の似た話は各地にあるものの、初出は八雲の1904年をさかのぼってはいない。つまり1904年の八雲本が広がって各地に定着したのだろうか。つまり。雪女をより一層身近に感じさせる為に、地元の地名「柚木」にひっかけ、「ゆぎおんな」と名前を変えて、先生が生徒に語ったアレンジした怪談が伝わったものであろうか。
 昭和レトロ商品博物館・妖怪研究家ネットワーク海猿共同による
                       青梅聞き取り調査2002
 

一本松町の赤子                                    東京
 狸坂は一本松町に界した坂である。現在の麻布はお洒落な町であり、人々の憧れの対象であるが、昭和の最初頃まで寂しい町であり、多くの坂には様々な妖怪が棲んでいたという。麻布七不思議というのが語られており、この「一本松町の赤子」もその七不思議に数えられている。夜、一本松町をとおると赤子が捨てられ、泣いている。気の毒に思い、抱いてかえろうとする。するといつまにか、狸坂にきてしまう。そのうち、赤子は重くなり、どうにもならなくなり、気がつくと地蔵になっているという。
 狸の仕業とも言われているが、この手の赤子が重くなるという話は多い。大概が女と子供がワンセットになっている。「うぶめ」「雪女」「ぬれ女」いづれも人々に子供を抱かせたがる。赤子は魔界と現世を行き来できるものの象徴なのだろうか。
          江戸伝説 佐藤隆三 坂本書店 大正15年5月10日発行
 

大蜘蛛                         東京
 江戸時代、自証院の境内につながる森に、大蜘蛛の妖怪が出たという。この大蜘蛛は、森の下の坂を通る女性を浚っていた。そこで豪傑の渡辺綱が、退治をする事になった。綱はある夜女装して坂を上がって妖怪の出現を待った。まもなく木の上から、一本の綱が下りてきて綱にからみついた。そのまま引き上げられたが、綱は木の上にいた黒い物体に斬りかかった。黒い物体は落下したので、近所の農家から松明を借りてきて見たところ、血が境内に盛り土につながっている。夜朝、塚を掘ると、大蜘蛛の死骸が出てきた。綱が蜘蛛を切った刀は「クモ切り」と呼ばれた。またその後、大蜘蛛の穴から清水が湧き出たので、村人がこの水を飲んだところ悶絶し死亡したと言われ、「蜘蛛の井」と呼ばれ以来飲み水としては使用されていない。
                出典    「東京35区地名辞典」岩垣顕・著
 

のぞき小僧                                           神奈川
 神奈川県の海老名の大谷にある観音堂に住む妖怪である。その姿は、3,4才の坊主頭の子供であり、天井の穴から顔を出すという。この妖怪が頭を覗かせるのは一瞬で、誰かが気がついてみんなに知らせても次の瞬間には頭を引っ込めているそうです。江戸時代末期、摩尼山の観音堂に妙貞尼という年配の尼さんが住んでいましたが、物騒だろうとの事で、隣にあった清眼寺には目あかしの衡平親分と二人の子分が住んでいました。子分の一人はこの妖怪を大層怖がり寝小便をしたそうです。
 「秘密」「猥褻」「興味本位」覗きという行為から生まれた妖怪他にもいます。風呂場をのぞく「しょうけら」、便所をのぞく「がんばり入道」、屏風越しに覗く「屏風のぞき」そして松井文庫の「覗き坊」。妖怪は魔界から人々を覗いているのだ。
                   出典 海老名昔話 第一集 海老名市 えびな伝承文化叢書
 

鼻黒                                                      兵庫県
 兵庫県篠山の郷土歴史家奥田楽々斎の著作である「多紀郷土史」によれば、1900年頃には篠山でも怪談が語られていたという。当事の子供らは真剣に信じ、怖れていたという。篠山の七不思議とでも言っておこう。
 その中に「鼻黒」という妖怪の話がある。梅の小路にある橋から川に添って南へ小川町までの間の事を「川ン丁」と呼ぶ。この怪物はどうやらここに出るらしい。いまいち姿がはっきりしないのであるが、鼻の頭の黒い妖怪であるらしい。出てきて人をおどかすだけの妖怪のようである。
 ちなみに、王地山の開帳などの時に気の利かない者を「砂持せん者鼻黒じゃ」と揶揄して言うのは、この妖怪に起因している。
                                     出典   奥田楽々斎「多紀郷土史」
 
鬼牛
 昔、千束に造り酒屋がありました。ここに久作という働き者がいました。そのころ、鬼牛という顔が鬼で身体が牛という化け物が暴れていました。久作は、この化け物を自分の力で退治するために、鍛冶屋を尋ね化け物を退治する刀の依頼をしました。鍛冶屋は千日間精進して、毎日百打ちずつ鎚を打って刀を仕上げ、久作も千日間、毎日柴を一束ずつ運ぶことを約束しました。そして完成した刀を「千束丸」と名付け、お宮に鬼牛退治を祈願しました。ある朝、枕元においていた刀が、鞘だけになっていました。
 そして、ある日村人から山で鬼牛が血だらけで死んでいるとの知らせを受けました。久作が驚いて山に行ってみると、なくなったはずの千束丸の刀身が化物の心臓に刺さっていました。久作はお礼参りをすませた後、この刀をお宮に奉納しました。
                   出典     三和町史 下巻
 

ぶっつあるべもじな                                 千葉県
 中山某が歩いていると、「ぶっつあるべ」という声が聞こえる。どうやら自分に話しかけているみたいである。この言葉は、千葉の古い方言で「おぶさってくれ」という意味である。そこで、その正体不明のものをおぶさって家に帰った。そして、家に入ると同時にそのおぶさった化け物を土間にたたき落とした。するとその化け物は「死んだ 死んだ」と叫んで逃げようとする。それはムジナであった。中山は人間を誑かす酷い奴だと、そこで撃ち殺し、ムジナ汁にしてしまった。       
 声をかけておぶさってくる妖怪は非常に多い。それは「宝化け物」であったり、「狐狸」の類であったりする。あるいは口減らしされた赤子の怨念や、姥捨て山に捨てられた老人の怨霊なのかもしれない。負われるような弱者は死して妖怪となり復讐するのだ。
千葉の不思議事典  森田保
 

油舐め小僧                                             神奈川県
 江戸末期の万延年間(1860年〜)のころの話でにあった事である。ある寺において常夜灯として庭の石灯に火をともしておく習慣があった。しかし、ある時から本来なら朝までもつ油がもたなくなり、夜半に火がきえる事が多くなった。量は充分なのに不可解である。よくよく注意して観察していると、夜半に黒い影が忍び寄っては石塔の油をなめ、次々と消していくのがわかった。そこでその怪物を「油舐め小僧」と呼んでいた。ある者がその妖怪を退治しようと思い、石灯にふれると崩れるようにしくんでみた。当然「油舐め小僧」が油を舐めにくると石灯の下敷きになってしまうのだ。ある夜の事、もの凄い音がしたので、皆で駆けつけて見ると、石灯の下で古狐が死んでいたという。この狐が妖怪「油舐め小僧」の正体だと噂になった。
出典 海老名昔話 第四集 海老名市 えびな伝承文化叢書
 
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怪火・かりやたろう                                         愛知県
 知多半島の野間海岸の磯にでる怪火の事である。「かりやたろう」と声をかけと、沖合から近くに飛んで来て頭の上をぐるぐる廻るという。この怪火は段々大きくなり、風呂桶のような大きさになるという。なお不思議な事に、海上を飛行するが、波打ち際までしか飛んで来ない。だから、この怪火の難を逃れるには磯を離れ、陸上までいくと良いという。
またもし逃げ遅れても頭に草履乗せて這いつくばると良いとされている。
 ある時、若者たちはこう考えた。怪火が波打ち際までしか、飛んで来ないのは、畑の肥が嫌いなのだと思ったのだ。若者達は連れだって怪火退治と称し、肥桶を準備し、「怪火・かりやたろう」を呼び寄せた。それチャンスとばかりに肥をぶっかけてみたが、まったく効果がなく、自らくそだらけになったという。
      吉田弘先生資料 知多の昔話
 

おちよまの火                                         岐阜県
 美濃国竹鼻東小畑の池のほとりに出る。古老の話によると、かつておちよまという女性が池のほとりで非業の最後をとげてから出るようになった。ある時気の強い女が呼ぶと
近くまで飛んできたという。
 このように、非業の最期を遂げた人物が怪火になる事は多い。「姥ケ火」「油坊」「サスケ火」など不幸にしてなくなった人の亡魂は怪火になる事が多いようである。いや言い替えれば、人魂は火のように見えるのかもしれない。最近では怪火の目撃事例は減ってきておるようですが、現代もし目撃されてもUFOを認識されるでしょう。人は意味不明な飛行物体をみると不安になるものである。それをUFO、怪火と名前をつけて、自分に言い聞かせる事で安心するのである。
           出典  説話大百科事典 小関貴久 名著普及会
 

狼の送り火                                          岐阜県
 美濃の長良川に出た怪火である。具体的な場所は下流の堤防からでると言われており、鬼火の一種という。この怪火は、家まで送ってくれると言われている。しかし、家に帰る途中で道で石につまづき倒れたり、火を怖れる気持ちが生じると、のしかかり食われてしまうという。
 この通常であれば家まで送ってくれるが、「倒れたり」「怖れたり」すると食われてしまうという性質は「送り狼」とまったく同じである。これは「送り狼」という表現が、伝承されるうちに、「送り火」と混合して「狼の送り火」と変化したのであろうか。それとも「狼の魂」が火となって、死後も「送り狼」のなすべき行為を繰り返しているのであろうか。非常に貴重なサンプルである。
          出典  説話大百科事典 小関貴久 名著普及会
 

あきゅらせつ                 日本アルプス
 立山の一の谷を見おろすところに獅子ヶ鼻(ししがはな)という場所がある。成分は凝灰岩から構成されており、岩はまるで獅子が吠えるような形状でそり立っている。その形状から獅子ヶ鼻という名称がついたものであろう。
 昔ここに「アキュラセツ」という化け物がいた。その化け物は、悪さをして登山者を困らせた。そこで、化け物を退治するために、弘法大師が七日七夜護摩を焚き祈願した。そして、ついに「アキュラセツ」は弘法大使によって降参させられた。それ以来、登山者の安全は確保されたという。しかし、「アキュラセツ」とはどういう名前であろうか。これは私の推論であるが、「悪羅刹(あくらせつ)」がなまって「アキュラセツ」へと変化したのではないだろうか。
                                    立山のむかし
 
八幡(やつはた)のオタヨ火
 大平町八幡にオタヨと名前の老婆が住んでいた。この老婆は夫に先立たれ一人で生活してきたが、寄る年波に勝てず、八幡に所有していた土地を売ることになった。しかし、老婆はその土地に固執し、「やつはた、やつはた」と叫びながら死んでいった。老婆の死後、その老婆の執念が怪火になったのであろうか。不気味な怪火が八幡界隈を飛ぶようになった。ある若者が、この怪火の正体を見極めようと、藁を束ねたスズミの影に隠れて様子を伺っていた。 すると、火は目前まで近づくと、パッと消えてしまった。しかし、若者が通り過ぎると、また、ぽっと火が灯った。その時、まるでぶつぶつ呟くような声が聞こえたと言われている。電気が開通する前は、里の夜は明かりが少なく真っ暗であり、オタヨ火は大平並木からもよく見えたそうである。
                                    HP「大平町周辺の昔ばなし」
 

ガオーさん石                  滋賀県
 池庄の墓地の六地蔵さんの真中に「ガオーさん」と呼ばれる石が建っている。高さ75cm、幅40cmの大きさであり、何やら文字が刻まれている。しかし、長年の風雨により判読できない状態になっている。この石は一体どういうものであろうか、妖怪が化けた石であろうか。それとも妖怪を封印した石であろうか。現地の滋賀県では、妖怪の総称を幼児語で「ガオー」と呼ぶ。これは単に「ガオー」と吠える威嚇の声を、妖怪・お化けの総称にあてたものであるという説と、「蒙古来襲」の恐怖心が「もうこ→がもう→がおう」と変化していったものであるという説がある。
 よく子どもをおどかすのに両親指を口にくわえ、両人差し指で、あかんべーのような格好をして「ガオー」といっておどかす事がある。これもまた「お化け」なのである。
       情報提供   太郎坊天狗さん    出典        湖東町の伝承と伝説より
 

しゃんこま                   滋賀県
 遠い昔の事である。小さな里があり、その里の中ほどに森があり、大きな楠の木が生えていた。その木のてっぺんには、いつからか恐ろしい化け物が住みついていた。子どもを捕らえては、食う化け物であり、人々は「しゃんこま」と呼んで大層怖れていたという。目は皿のように丸く大きく、鏡みたいに光っていたという。また体に真っ黒な体毛がいっぱい生えている。その化け物の動きは素速く、まるでムササビのように空を飛行したという。化け物は夜行性で、日が暮れると起き出して活動したという。最初は犬や猫を食っていたが、ある時、赤ん坊を食ってから、人間の味を覚え子供を襲うようになったそうである。残っている歌にこのようなものがある。、「鐘がなったら、家へともどろ。こわい‘しゃんこま‘に食われんうちに」
      情報提供   太郎坊天狗さん     出典     草津のふるさと文化
 

すなほりばばあ
 昔.追分には多くの竹藪・笹薮があった。そこには狐狸やてんなどが住んでいたが、ある一角には老婆が住むとも言われた。その藪は昼間でも不気味で、村人は老婆に察知されないようにそーっと通ったと言われている。しかし、何故か老婆にはわかるらしく、砂を投げつけてくるという。その砂は細く,笹にあたるとサラサラと乾いた音がするという。
村人はあまりに恐ろしくなるべくその付近を通らなくなったと言われている。そのうち、その老婆のことを「砂ほりばばあ」と呼ぶようになった。「このやぶ通ったら、砂かけられる.砂ほりばばあがおるわいなぁ」と歌いながら、藪がの笹をちぎって投げ合う遊び歌も残っている。柳田国男は「砂かけ婆」として「妖怪談義」に記載しているが、「砂をほおる婆(砂をなげる婆)」という関西弁になっている点が興味深い。
    調査協力   太郎坊天狗さん     出典     草津のふるさと文化
 

ダダボシ
 大昔、天をつくような大男がいた。その男は「ダダボシ」と呼ばれていた。この男、何故かお日様にあたると、体が解けてしまうもので、夜しか動き回る事ができなかったという。毎夜毎夜、近江の真中をくわで掘ったり、その土を天秤棒でかついで、駿河の国まで運んで、土を盛ったりしたと言われている。
 この「ダダボシ」という巨人伝説は他地方における「ダイダラボッチ」系統の話であろう。近県に「ダダホウシ」という巨人の伝承がある。この「ダダボシ」とも関連あるのであろう。なお日に当たると体が溶けるというのが興味深い特徴である。とかく巨人伝説は土木工事や、山や川、湖などと絡めて語られる場合が多く、土木技術への高度技術に対する畏怖が巨人伝説成立に寄与した可能性もあるのではないだろうか。
   調査協力 太郎坊天狗さん            出典  近江の昔ものがたりより
 
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右手の怪                                              滋賀県
 滋賀県八日市に出た化け物である。あえう人が壁の塗り土に墓場の安い土を使用した。すると、壁から「右手のだけの化け物」が現れて動き回ったという。この化け物は、指先でテクテクと歩いてくると言われている。
 天井から足や手が出るのと同じ類であろうか。どちらにしろ、片腕だけの形状の化け物とは珍しい。語り部も大学の講師をされておった方で楽しく語られていたのが興味深い。墓場の土を利用したので祟りで化け物が出たのであろうが、ちょうど遺体の右手が、土に還った部分が壁土に含まれているのであろうか。昔「てっちゃん」という手だけのキャラクターが活躍する少年漫画があったが、まさに「てっちゃん」そのものである。人の心を捕らえるキャラクターの造型とはいつの時代も同じなのかもしれない。
      出典 八日市ほない会・妖怪研究家ネットワーク「海猿」合同聞き取り調査
 

砂かけ
 川の中から川を投げつける妖怪である。川を渡る者に水中から砂を投げつけると言われている。よく川を渡る馬喰などが、この化け物に砂を投げつけられたと言われている。この化け物の砂に当てられると、足がたたなくなったり、具合が悪くなるとされた。
 砂をかける妖怪は多く確認されている。しかし、通常は陸上での怪異であることが多い。木の上からとか、竹藪とかで頭上から砂をかけるパターンが主流である。水中から川砂を投げつけるという特徴は珍しい。この砂をかける行為は一体何を意味しているのだろうか。奈良県の広瀬神社では砂かけ祭という神事を行っている。つまり、砂を雨に見立て雨乞いを行っているのだ。また同県には砂をかけ「砂かけ婆だ」とはやたてる祭りをおこなっている地域もあり、このような遊技や神事が「砂かけ」系妖怪になったのかもしれない。
      出典 八日市ほない会・妖怪研究家ネットワーク「海猿」合同聞き取り調査
 

よないぼ
 Tさんの家にのみでる妖怪である。現在の時点では他の家では伝承が確認されていない。Tさんが親の言う事を聞かなかったり、夜遅くまで起きて寝なかったりする時に、祖母に
「よないぼがくるよ」と言われた。「よないぼ」とはどんな奴だと聞いても「よないぼはよばいぼ」としか答えなかったと言われている。
 この「よないぼ」とは「よない坊」が単縮したものであろうか。古語で訳すると「よない」とは「寝小便」である。敢えて解釈すると、悪い子供に寝小便をさせる妖怪であろうか。どちらにしろ、「教訓妖怪」である。それにしても、このTさん宅にしか伝承されていない妖怪とはおもしろい。このような事例は「あぶらなせ」や「くそとり」が挙げられるが、かつては「一家に一妖怪」のような事があったのかもしれない。
      出典 八日市ほない会聞き取り調査
 

福岩                         京都府
 舞鶴の奇岩である。その奇岩はこの岩のそばを通ると鶏の声が聞こえ、それを聞くと幸運が舞い込むと言われている。世に様々な怪石があるが、鶏の声色を出す岩は珍しい。確かにしゃべる石や音を出す石・岩は多い。「こそこそ岩」「ぱたぱた」「よばわり石」など多くの事例が挙げられる。
 鶏の声というのが気になる。得てして鶏とは死への誘いを表現していると言われている。
鳥とは様々な象徴に利用されるのである。神武東征の案内役をかってでて、神武を守護し敵軍をけちらした「ヤタガラス」、また関東を制覇し新皇と称した将門の死を予言した「三本足の鳥」など、夜明けを告げる鳥は、様々な事象の前触れとなる場合が多いようである。鳥とは兆しの動物なのだろうか。
 出典 石丸まく人氏(妖怪研究家ネットワーク「海猿」)証言
 

おちょぼ                                               兵庫県
 女の子の妖怪である。土手裏(現在の篠山川西線あたり)に出るという。暗い闇夜などに現れて人をおどかすという。夜道に歩いていると目の前に
                                      出典   奥田楽々斎「多紀郷土史」
 

酒買い小僧
「番所橋は西町の妙福寺の東を南北に流れる川に橋があり、ここに旧藩時代番所があったためこの名がある。時は秋の終わり頃で雨のショボショボ降る晩である。3尺足らず(約90センチ)の小僧がしかも跣足(裸足で走る)ビチャビチャと徳利を下げて通る。これに出会うと何となく身内がゾクゾクして恐ろしくなってくる。おまけに顔でも見れば顔の真ん中に丸い目が一つピカピカと光っている。武士といえどもこれには驚いたものだ。」
               出典   奥田楽々斎「多紀郷土史」
 

山小屋の怪異                                             奈良県
 上湯川とウチコシ(分水嶺の直ぐ向こう側)の日高郡の小又川奥へヒヨウ(日傭)が多勢仕事に入っていた時、カシキ(炊事係)が飯を小屋の山の神に供える度に、お経を知らぬので「般若心経」とだけ唱えて拝んでいた。
ある晩ヒヨウ共が寝ようかというとき、小屋の外から「ハンニャシンギョウ出てこい」とオメク(喚く)者がある。皆が怖がってそのカシキを外へ押し出した。
               出典         1994村勢要覧十津川村
 

袖引き岩                                 兵庫県
酒井伯は、すなわち姫路藩十五万石、酒井雅楽頭の裔で、旧幕時代の上屋敷は大手町にあり、ここは下屋敷として元和二年に賜り、巣鴨ともいい、大塚村とも称した。邸内の名園に七不思議の伝説がある。温室から庭園に入らんとする小径のかたわらに、袖曳き石と称する、沓形の自然石が横たわっているのは、七不思議の随一で、いつとか判かぬその昔、どうやらした拍子に、この自然石が手を出して、道行く人の袖を曳いたとある。爾来、丑三つ頃になると、この石がさまざまの不思議を演じて、人騒がせをするので、酒井邸の下屋敷にかぎり、時の鐘を撞かなかった。するとこの袖曳き石は、上野の鐘が聞こえないとみえて、丑三つ時になっても活動しなかった ――というから、たぶん耳の遠い化け物であったものらしい。
 

めぬり                 和歌山県
紀州と大和の国の境に、両国橋っていう橋がかかってあります。その両国橋がまだらんかん(橋やえんがわのふちに作ったてすりのこと)がなく、がんぼくの橋げた(橋ぐいの上に横において、板をささえている材木)の上に木を並べただけの橋であった昔のことです。このあたりは谷が深いところで、さびしいところだったそうです。この両国橋に゛めぬり゛っていう正体のわかららない怪物がいて、夜になると時々あらわれるといっておそれられていました。
 あるとき、富貴村に住んでいたひゃくしょうが、大和へ買い物に行って帰りが遅くなってしまいました。そして、両国橋まできました。そしたら、急にきりがふわってかかったと思ったら、全然前が見えないようになってしまいました。そして、自分の足元まで見えなくなってしまいました。何かに見取られて、めかくしされたような感じです。ところが上を見たら、空の星さんは見えます。ひゃくしょうは、「これがめぬりか」と思って、恐ろしくて仕方がなかった。その時、村の年寄りが、
「めぬりに出会ったら、帰ったら油揚げを三枚与えます」
そして、ひゃくしょうは
「油揚げ三枚、帰ったら食べさすから」
と言ったそうです。そしたら、きりが晴れて、不思議なことに、目が見えるようになったんで、急いで家に帰りました。
何かに、目をぬられているようになるので、゛めぬり゛と言うそうですでも、それが何であるかは分からないと言う話です。めぬりは両国橋だけでなく、富貴のドングリが丘なんかにも出るといって、村の人たちにおそれられていたそうです
 
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スイトン         岡山県
岡山と鳥取の境目にある蒜山にはスイトンという恐ろしい化け物がいて、山に入ってきた人間を、引きさいて食べてしまうらしい。何故スイトンなどという奇妙な名前がついたのだろうか。スイーと飛んで来て、トンと一歩足で立つからだという。
                                          出典        週刊朝日「わたしの博物誌」
 
ようじ岩          島根県
益田市「扇原の関」 益田市の市街地に「ようじ岩」と呼ばれる岩がある。その昔、このあたりに化け物が出現。あるサムライが化け物を切り倒したところ、そこには2つに切り裂かれた大きな岩があった。そのときの刀も残っていたが
 

蚊帳の怪                        島根県
明治2年 浜田藩(島根県)の淀十郎が、中古の蚊帳をかって寝たところ、枕元に「サボテンのような柄の着物」を着た妙齢の女性が団扇を持ってすわっていたという。特に何をするわけもない、只座っているだけであるという。友人が借りて寝てみたが、やはり女が出るという。仕方ないので購入もとに返しにいくと、いつもこの蚊帳は4〜5日でかえってくるという。
*どうですか?マイナーな話ですが、「へっつい」の話の類話ですよね。へっついの場合はお金をへっついにぬりこんだ為に坊主の霊が未練ででるという理由づけまでストーリーに入ってますが この蚊帳の話では欠落?してますね。
どうして女は出たのでしょうか。
 
 
 
:目無し小僧                 愛媛県
名取と二名津の間には、大谷越えという峠があって、そこを越えたところを大谷口といます。そこには今でも小さい橋がありますが、昔は石の橋だったそうです。そして、その橋を通っていると「のっぺらぼう」とか、「目なし小僧」がでてきたということです
 

空飛ぶ汽船
地元の人が,夜,空を飛ぶ汽船を見た,というもので,円了は蜃気楼だと解釈していました。その話と,元禄時代に書かれた軍記物にも「南の山より船の如き物出で来たり」という記述がある件や,’75年頃川之江でUFO騒ぎがあった件などもからめて書きました。
 その怪奇事件の日時が不明なのは残念でしたが,目撃者の宇摩郡金生村の星川宇四郎という人が実在した事は,掲載後の調査で確認できました。
                                        井上円了 「お化けの正体」
 

小女郎狸                                            愛媛県
小女郎たぬきは京都・奈良・大阪に出てバケ狸の武者修行をしたいので、慈眼寺の和尚に化けました。化け上手の彼女である故、まんまとふねに潜り込んだ。しかし船底に魚をたべまくり、ついつい満腹で寝込んでしまった。 大阪について発見され、船頭らは、「たぬき汁にしてやれ。」と、いためつけました。  そこへ、偶然本物の慈眼寺の和尚が、別船に乗り合わせて助けてくれました。その後、小女郎は気持ちを入れ替え、寿座で文福茶釜の芸をしました。美人で、芸達者で、大入満員で大もうけで、魚代も支払い、寺社へ寄付し罪滅ぼしをしました。  その後の彼女は、多くの善行をしたと伝えられています
         出典「新居浜のむかしばなし」編集委員会編 新居浜市教育委員会
 

足代の赤しゃぐま                                         徳島県
 三好町の足代には、赤しゃぐまの伝説がある。
夜がふけて人が寝静まると、赤い髪の毛を振り乱した子どもがどこからともなく座敷に現れて、家人の一人ひとりをくすぐる。家の者は寝不足で皆へとへとになってしまう。身の丈が3メートルあまりの赤しゃぐまの大きな人が立っているので、気絶してしまうという。赤しゃぐまは赤い髪をふり乱した妖怪のことである。
赤しゃぐまは足代の部落では山に近い家や寺などによく出たという。伝説というよりは妖怪談に近いものである。
 

おっぱしょの穴                   徳島県
おっぱしょ石の裏側には「おっぱしょの穴」と呼ばれるおっぱしょが
生息している穴があり、おっぱしょの左には「しわぶき婆さん」の祠があり
ます。この婆さんは咳止めの神様として信仰されたものです。
 
 
 
黒かわらの小坊主                                        徳島県
さて、黒かわらというのは、足代から吉野川にそそぐ小さい流れのそばにある草原である。昔、村の者が馬をこの草原で放し飼いにしていたところ、ある日のこと、水中から小坊主が出て来て、馬の前脚と後脚をがんじがらめにしてしまった。
馬の異常な鳴き声を聞いて主人がかけつけて縄を解いてやったが、馬はまもなく死んでしまったという。これは黒磧(くろかわら)に出た小坊主の話しであるが、いわゆる河童の一つであろう。 
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袖取神
そこに高麗橋があって、その上でころぶと着物の袖を切って川中に投げ入れねばならぬ。もしそうしないと災難があるというのである。
 ここをとくに袖取川という。 可須と国分の袖取川を探しましたが
今はその名前は忘れられてしまったようです
 芦辺町那賀郷国分にも袖取川がある。源はけくじから出て仏淵に入り、およそ520メートル。この川の辺であやまって転んだら必ず袖をとって川伯(かっぱ)に上げねばならぬ。  だから袖取神といい袖取川と呼ぶ。袖とき川というところもある。
   西海の伝説 山口麻太郎編 第一法規出版 
 

七股大蛇                      福岡県
南郷の朝町には、七股に岐れた大きな堤がある。 周囲が4キロほどもあって、いつも満々と碧い水がみなぎっており、鬱蒼とした樹林に覆われて昼でも暗く、言い知れぬ不気味さが漂っている。 昔、途方もない日照りが続いた時のこと、この辺一帯の百姓は大切な田植もできないで大変困りきってしまい、とうとうこの池の栓を抜くことにした。「誰が池の中に入るのかなあ」「大工の吉さんだそうだ」「吉五郎なら若いうえ、大工だから抜かりはあるめえ」「これだけの水がありゃ、田植えには事欠くまい」「とはいえ、昔から干あがったことない池ちゅうだろう。 干してしまって大事ないかなあ」「古い池には龍神がいるとよくいうが、崇りでもあると大変だぞ」 準備が万端できると、大工の吉五郎が手伝いの若者五人と一緒に、ざぶんと池の中にもぐった。 1分、2分、3分、5分ほど待っても六人の姿は浮かんでこなかった。「なにか起こったのかも知れん」「なに、息の長い若い奴らのことだ。 心配あるめえ」 村の人たちが不吉な予感に襲われていたとき、ものすごい大蛇が赤い舌を伸ばして悠々と浮かぴあがっていた。 よく見ると頭は一つだが、尾が七つに岐れている。 女子供が悲鳴をあげながら、真っ青になって逃げだした。 元気な若者が棍棒や石ころを拾って投げつけようとするのを組頭が、「池の精だ。 めったなことはするな。 崇りが恐ろしいぞ」と、声をからして制止した。 そうしているうちに池の中にもぐっていた吉五郎たちは命からがら這いあがってきたが、その顔から血の気はなくなっており、土色になってがたがたと震えていた。 しばらくすると大蛇は池の中に姿を消したが、ついに村の人たちは堤の栓を抜くのをやめることにしたという。 その後この溜め池は七つの股の形ができて、人呼んで七股堤というようになった。 そしてその後も一度も干あがったことがないそうだ。
                           2002年2月宗像聞き取り調査
 

「豆腐娘」!                                          長崎県
長崎県、かつて五島列島では娘が15才になると3年間武家に奉公に出るのが
習慣であった。ある娘が奉公先で、配膳中に敷居を踏んでしまい、音が出たの
を主人に放屁と間違えられ、それを苦に自殺してしまいました。主人はそれを
気の毒に思い祭ったのです。それ以来そこを通るものは「豆腐」をそなえない
と海から「豆腐娘」が出てきて海中に引き吊り込むという伝承が残っています。
何故「豆腐」なのか、原話の文献にはふれてませんが、かなり無気味な話です。
かて私は「豆腐小僧」は豆腐百珍のベストセラー化からきた豆腐グルメブーム
が生んだキャラクター妖怪であると推論しましたが、今回の話の件でひょっと
したら豆腐に纏わる伝承があったのかもしれませんね。
 
 
 
海鹿
竹島付近に出た妖怪。西洋の海馬のような姿をしている。漁師に襲いかかり
食い殺すという。屋久島の漁師は竹島付近での漁の場合。この妖怪をおそれて
いたという。泳ぐ早さも早く、船に追いつくと、甲板に乗り上がってくるとい
う。
 

魚竜  
1834年、豊後国佐伯藩の藩士間七郎右衛門は鉄砲の心得があった。雲止
山に友人数名と登ったところ、海中から天に昇るものがあった。炎をきらめか
すそのモノを鉄砲で撃ってみた。後日、老海獺が海岸に漂着した。その傷口か
ら間の弾が出たので、殿様は間にその化け物を褒美としてやった。間君は仲間
とその肉を食ったという。魚が竜になるのを魚竜という。昔の人って豪快?!)
                                  出典                利根川図誌〜赤松宗旦
 
 
 
野茶坊                                        奄美大島
島唄の「野茶坊節」でも知られるヤチャ坊とは、奄美大島の伝説上の人物で、木の皮のふんどしをしめ、昼は山で過ごし、夜になると里へきてわるさをしたという。 「ヤチャ」は方言でカワハギのことで、漁師の獲ったこの魚を盗んで以来ついたあだ名がそのまま名前になったそうだ。 単なる野人、いたずら者というだけではなく、子供に握り飯を与えたり、一晩で南北二十一里も駆け巡ったりといった優しく、超人的な一面も持っていた。 ヤチャ坊は、すみようのこの岩屋をねぐらとしていたという。
                       出典               奄美大島 島唄「野茶坊節」
 

シルピージャー                              沖縄県
むかし、古宇利島の中組(なはばーい)に、冒険好きな青年タルーがいた。タルーは勇気があり、女性にもてる人気者でしたが、ちょっと変わった事をしては他人をびっくりさせたりしていました。 そのころ、部落では夜になると、山羊の化け物、しるぴーじゃーの話でもちきっていました。タルーはその話を聞いて、「よし、そんな化け物がいるのなら、いっそのことさばなー(さめを釣るのに使う太い釣り縄)でしばって部落の見せ物にしてやろう」と決心しました。そして親友のマチューと計って、さばなーを用意して張り込みにかかりました。
 しかし、化け物はなかなか現われません。張り込みを始めてから五日は過ぎたでしょうか。昨夜、しるぴーじゃーがA地点に現われたという話が出ました。タルーとマチューは昨夜はB地点に張り込んだのでした。
 「よし、今夜はA地点にねらいを定めよう」とA地点に張り込みました。しかし、しるぴーじゃーはB地点に現われたというのです。タルーとマチューは化け物の現われる場所をしぼることができません。
 あちら、こちらと出没する場所が変わったので計画を練り直して、タルーはAコースの「なはぬ屋」の東側の角の木蔭に、マチューはBコースの「なはぬ屋」の西側の角に待ち伏せしました。
 張り込んでから二時間は経ったでしょうか。タルーが退屈して眠くなったその時、タルーのすぐ前三メートルぐらいの暗い闇の中で白い物が上に、下にと揺れ動く物に気づきました。タルーは目をこすり息をころして自分の目を疑いましたが、確かに白いヤギが首を高くあげたり、さげたり、自分のところをうかがっている様子を確かめました。いよいよタルーの胸はドキドキしました。
 「これはしめた」と思いながらも不安になり、鳥膚がたち、声を出してマチューに知らせようかとも思ったが、声を出せば獲物は逃げてしまうと思い、勇気をふりしぼって白い物にとびかかりました。死に物狂いで両手に抱え込み、大声でマチューを呼びました。そして準備してきたさばなーで山羊の首をくくり、山羊であることを確かめました。それからタルーの山羊小屋に連れて行き、他の山羊と一緒にくくりつけておきました。
 二人は見事に計略を果たし得た喜びに、夜の明けるのが楽しみでしようがありませんでした。「夜が明けたら友だちや近くの人を呼び寄せて山羊の化け物をみせてやろう」と二人で誇らしげに語り続けました。マチューは夜が明けるまで待ちきれず、まだ薄暗いというのに友だちを呼び寄せにいきました。
 奇怪な話を聞いた友だちは、「嘘・・・本当・・・。まさか・・・」と異口同音に言いながら集まってきました。そして山羊小屋に近づき、おそるおそる山羊小屋を覗きました。ところが、どうなったことでしょう。さばなーで括られているのは、みしげー(杓文字)だったのです。
 みんなはあっけにとられて黙り込んでしまいました。しばらくすると、さばなーで括られているみしげーを見てささやき始めました。
 或る友だちは、「ひょっとして、しばらくするとみしげーがしるぴーじゃーに変わるのではないか」とか、「しばりつけてあるさばなーを解くとみしげーが消えるのではないか」といろいろな意見が出ましたが、おしまいには、「これはタルーが仕込んだ話ではないか」となって、今度はタルーとマチューがこれまでの経過を説明するのに躍起になりましたが、結局は、未解決のまま「みしげーに変わったしるぴーじゃー」という話で伝えられています。                                (「くいぬ島 むかし語り」玉城信男
 

「チリモヌ」
奄美博物館に保管されている「南島雑話」に記載された謎の生物。作者である
名越左源太は、こう記している。「チリモヌ」は「チリモス」や「ザヒモン」
とも呼ばれている。色は薄黒く、尾は短い。そして身体は縦縞のまだら模様を
している。さらに「チリモヌは不浄の獣なり。邂逅(かいこう)人のみること
あり。その獣は人の死せるとき、鋪(しき)しムシロなどにやどり居るという。
道行人の股(また)をくゞれば、たちまちその人病て死すという。豚の子のご
とく猫に似たりと。大きさは猫のごときものなり。名ありて形なしという」、
また別の項に「この獣、常に死人の汚れたる衣類、雑具、川などへ捨てたるも
のゝ中にやどりおり」と記録している。
*西表ヤマネコのようなものが、奄美大島にもかつてはいたのであろうか?
                            出典  南島雑話
 

一角仙人
これは創作妖怪一角大王のモデルであろうか?今昔物語にその名が見える
額に角があり、雨をふらし、竜を封じ込めたという。
天竺に住み、自由に飛び回っていたが、美女500人の歌声に霊力を無く
してしまったという。このあたりは久米仙人の話との関連が伺える。
それにしても歌声でこれほどの怪人から霊力を奪うとは、マクロスを思い
出したのは私だけであるまい。
 
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現代妖怪(学校の妖怪・都市伝説妖怪)
ロッカーばばあ                                            山梨県
ロッカーに潜む妖怪、時々でてきては子供にしがみつく。凄く重いらしい。素速く動き 小柄の体で教室中はねまわる。顔はつぶれている。山梨の中学生の投稿
                            KKベストセラーズ トイレの花子さん4
 
花男、小花子、ブキミちゃん
彼女は性格が残忍、血が好き、太っていて口から泡をふく、頭のない人形をもつ、人に憑依する。という悪の限りだそうです。
                                KKベストセラーズ トイレの花子さん4
 
アンサー
近頃、アンサーという怪人の話を聞きました。
携帯を10個用意して、1個目の携帯から2個目の携帯に、2個目の携帯から3個目に、・・・と、続けて10個目の携帯から1個目に、と、グルグルと輪になるように携帯を同時にかけます。
すると、話中にならずに、アンサーという怪人に繋がるそうです。
アンサーは、9人の質問にはそれがどんなものであろうとも、答えてくれるそうですが、一人にだけ、逆に質問をしてくるそうです。
そしt、え質問に答えられないと、液晶から手を出して、体の一部を持っていってしまうそうです。
アンサーは、頭だけで生まれてきた奇形児で、そうやって体の一部を集めて、完全な人間の姿になろうとしているそうです。
この噂、他の情報を知っているかた、いますか?
                    出典 サイト妖怪王 サイト現代特殊民話
 
2m30cmのおっさん、白い服のおばちゃん
小学校6年生のとき、修学旅行先で、夜グル−プごとに部屋に別れて寝ていると、突然『2m30cmのおっさんや----』と友人が叫び、みんながわぁあああと驚くと言った遊びだかなんだか、そういうことがありました。それを何度も繰り返すのです。騒いでいるのは同じ地区に住んでいる連中だけで、他の者は何の事かさっぱりわからず聞いても教えてくれないので未だになんだったのかわかりません。
あと、白い服着たおばちゃんというのもありました。子供に言って聞かせるものですが、『夜中に白い服着たおばちゃんが2階の窓から覗きに来るよ』というようなものです。
                                 出典 サイト妖怪王 ま”氏証言
 
首無し暴走族
福岡で集団の妖怪が暴れまわる。
照美さん提供、九州福岡県の英彦山付近に現代妖怪「首無し暴走族」が出る
という。「首無しライダー」はよく聞くが、暴走族とは?!しかも集団とは
かつての首無し亡霊が行列した話があったが、その進化形か?!
                                  出典 メルマガ妖怪王 ここぷり女史より聞き取り
 
首無し三平
僧侶の本山高野山には「首無し三平」という現代妖怪が出る!!
首なしで、羽織・袴でゲタ履き、霧の夜にゲタを鳴らし走りまわるという。
日本物怪観光さん提供。                         出典 日本物怪観光
 

汚水で蘇った河童
私が通っていた高校(富山県)のすぐ近くに大きな工場がありました。何を造っていたのか定かではないのですが、隣接している池がとても汚かったのをよく覚えています。
肝心の噂というのは、ここに由来するのです。この池には昔河童(あるいは河童に近い生き物)の死体が沈められていたそうでして、工場から流れ出る水によって最近息を吹き返して夜になると歩き回るそうです。
とても恐ろしい存在のようで、犬を放し飼いにしていると食べられてしまうといった話まであったと思います。                 出典 現代特殊民話
 

布団男                                             新潟県
今日はに登場する
現代妖怪である。新潟に出たとある。投稿者の体験のようである。
布団を上半身に被ったスーツ姿の男の妖怪で、その布団で子供をつつみこんで
殺すという。投稿者は布団男が布団で子供を捕らえている場面を見たという。
伝承妖怪「布団かぶせ」と何か関連があるのであろうか。
このシリーズは文字通り不思議で不条理な話が多い。
                       「奇妙にこわい話」光文社・阿刀田高・選のシリーズ第三弾
 

肉を食べると突如成長する子供
岩手県にある焼肉屋の話です。もう二十年近く前の話だということですが、
そこの焼肉屋へいくと親父一人に子供二人の家族が肉をくらっているそうです。
子供は小学生にはいるかはいらないかぐらいの年齢。
ところがその兄弟、焼肉を食っているとどんどん体が大きくなってきて店をで
る頃には小学六年生か中学生ぐらいまでに成長するということです。
                                            出典 現代特殊民話
 
まあーたん
小学生の時、まぁーたんという妖怪が出るという話がひろまりました。
頭のない小学生の妖怪(?)で、通学路に現れては「僕の頭をさがして」と声をかけてくるのです。
もし一緒に探してあげなければ、頭部をもぎとられる、みたいな話だったと思います。
この話はもとみやさんの話を聞いて思い出したものなのですが、この「まぁーたん」という名前、ちょっと語順を崩してみると、「あたま」ということになります。
可愛らしい名前ですが。                        出典 現代特殊民話
 
 
 
とんとんお化け 
ドアも窓も閉め切っている部屋に尋ねてくるそうです。
とんとんって窓をたたくのよ。風もないのに・・・。
間違ってもあけてしまうと、とりつかれるか死ぬだか
ってききました・・・。(うるおぼえ)そしてこの話を聞くと
とんとんお化けがくるってきいたわ・・・。来なかったけど
うーんって感じよ!                             出典 現代特殊民話
 

牛の首
「昔 牛の首という題名の恐ろしい話があった。あまりにも恐ろしく聞いたものは自殺したり、発狂するので話を知っているものは誰もいない。あるいは怖くてとても話せない」
                                              出典 現代特殊民話
 

徳島のターボ婆                                   徳島
徳島県にもいるそうです。
徳島のターボ婆はすごく香水くさく、消臭剤をまくと逃げテイクそうです。
ところでなぜ「婆」というのが多いのでしょうか?
 

半魚人
江戸川から半魚人があがってくるという都市伝説がある。深夜、河から上が
ってきては江戸川区を徘徊するという。たちの悪いジョークか、無責任な噂
であろうか。なかなかユニークな話である。なおこのネタは某スポーツ新聞
にも掲載されたという。                      出典 メルマガ妖怪王
 
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目撃妖怪談・体験妖怪談
壁おやじ                  
毎晩同じ道を深夜に帰宅するYさんはOLでした。彼女はいつもある高架下に
くると必ず男の霊を見たそうです。いつもその男は高架下の壁にはりついて
おり、ぴくりとも動かなかったそうです。
でも、Yさんはある時、奇妙な事に気づきました。その男の霊はちょっとづ
つ毎日降りてきていたのです。そう毎日5cm程度、、。
Yさんはいつか男が地上に降り立つのではないかと不安でした。でもその道
を通らないと20分も遠回りになります。疲労した体にとっての20分は大
きいのです。毎晩、男は下におりてきます。Yさんの恐怖がピークに達した
時、男は姿を消したそうです。Yさんはほっと安心しました。しかし、その
瞬間、男の声が聞こえたのです。Yさんの背後から
「今度はおまえの背中にはりついてやる」、、。
Yさんはその後、怪奇現象に悩まされ、某所でお払いをしてもらい助かった
そうです。これは神奈川県の某所で90年代の初頭におこった実際の怪談です。
地元住民にも何名か犠牲者がいて その男は「壁おやじ」と呼ばれていたそう
です。                                出典 美影四郎氏体験談
 
ベコニアの妖精
庭のきれいなところ、水の奇麗なところには妖精が住んでいるという。ベコニアを育てていると2〜3cmの大きさの透明な妖精が飛ぶ。虫のように飛ぶのではなくて流れるように曲線でひゅーんと飛ぶ。顔は人間で羽根がはえているという。
ほたるの精
肉ちゃんの専門学校の先生の目撃談 ホタルのみえる某所にいった。夜ホタルをみていると奇麗だった。そこに「中性的な奇麗な背の高い人」が出てきて、両方の手のひらを広げる。するとそこにホタルが集まるそうである。集まっては、ほわっとはなれる。
先生は「ほたる使い」の人だと思ったそうである。宿に帰り友達に男の人の話をしたが男はいなかったという。つまり、先生にしか見えてなかったのだ。後日ある人から「それはホタルの精」ではと言われた。             出典 肉球マニア女史聞き取り調査
 

昭和に目撃された竜                                      山形県
山形県西川町岩根沢1976年5月21日に発生した事件「龍神沼」という沼がある。この上空を飛翔する不気味な物体が目撃された。渡辺久仁雄さん、妻のたまえさん、古沢清さん、妻の光子さんの二組の夫婦がタバコ畑で目撃したのだ。距離は300m〜500m、長さ4m 太さ30〜40cmの物体が水平に飛んだり、上昇、急降下をくりかえした。
 

小人(ちんちんこばかま?)
昭和30年代 大阪府  げこげこさん 
5,6才の頃の本人の実体験、夜父母と一緒に寝ていたら小人が畳のへりを
壁沿いにあるいてきた。一匹ではなく数匹が一列になって歩いてくる。小人
は「丹前」というか「どてら」のような物を身につけている。小人たちは、
畳のふちにそって壁際で直角に曲がって、寝ている自分の方に歩いてきた。
 恐怖感はなく、気持ち悪いといった感覚もなかった。
その後、小学生の時に1回、中学生の時に1回あった。夢だと自分に思いこま
せていたが、これは実体験です。
 
 
 
メロンから出た発光体
小学生の頃の話です。ある夜、デザートにメロンを食べていた時のこと。
食べ終わって、台所の流し台に持っていったら そこには先に弟が食べ終わった 
メロンの皮と、皿が放置してありました。
私が弟の皿の上に、自分が使い終わったスプーンを置くと「チン!!」と、
皿が割れんばかりの予想外に大きな音が響き、置いてあった弟のメロンの皮から、
1センチほどの青白い光の玉が ひゅるひゅると20センチほど飛びあがり、
私の目の高さチョイ上くらいで 一瞬ぱぁっと弾けるように光り、そして消えたのです。
丁度 花火のような、照明弾のような。マグネシウム系の光でした。
目の前で、フラッシュでも焚かれたような、チカチカした残像が目に残り、
あっけにとられておりました・・。
我が家では あれを「メロンの精」とか「メロンを食べに来た妖精」などと
呼んでおりまが、正体はナゾのままです。
(正体不明なので厳密には妖精話とは違うかもしれませんが)
私の友人にも、小学生の頃、とんぼのような羽をはやした半透明の妖精らしきものを
何度も目撃していたという子がいました。
ごく日常的に何度も見ていたので、誰にでも見えているもんだと思っていたそうです。
残念なことに、彼女は去年、20代の若さで癌で永眠してしまいました。
                                             出典 あーりん女史体験談
 
平成のびろ〜ん
ののと言います。昭島の住民です。信じてもらえないと思いますが、私は「びろーん」を目撃したことがあります。あれは今から10年前1991年まだバブルの余韻があった頃です。新宿で深酒をした私は何を思ったか立川で降りてしまい、道端で寝てしまいました。
当時、大学に入ったばかりだったので、はめをはずしたのでしょう。
すると何時間かして寒くて目が覚めました。そして、よ〜く見ると目の前に、あの佐藤
有文先生の本に出てきた「びろーん」がいるのです。あのてのものが目の前にあるとは
私は逆の意味で怖くなりました。自分が発狂したと思ったからです。
でも、どんなに冷静になってもやはり「びろ〜ん」はいるのです。私の周辺にいた何人かが、ぎょっとして早足で去っていきました。私も怖くて駅の方へ走って逃げ出しました。
するとびろーんの横をすれ違うときに奴は言ったのです。
                                      出典 のの目撃談
 
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海外の妖怪談義
青い目 赤い目                                   中国
「上海から車で5時間の場所に実家がある。そこで4才〜17才まで過ごした。
 父が死んだので帰ったが、昔の幽霊目撃談を思い出した。
 寝付かれないで夜中までおきていた。上半身だけの幽霊がでてきた。目玉が青い幽霊  だ。引き続きもう一匹でてきた 目玉が青い幽霊だ。どんどんでてきた。十数匹がふわ はわしている。目玉が青か赤で点滅している。怖かった」
 
どうでしょうか。かなりぶっとんだ内容ですが、目玉が青く赤く点滅するのが興味深いです。菊と良い霊の目は普通で 悪霊は青か赤だそうです。
生の中国怪談です。感想をどうぞ!
 

中国の巨大な猿                                   中国
「中国の山奥には「毛だらけの巨大な猿」がいる。ゴリラみたいに大きい奴だ。
 そいつはメスが多く、オスが不足している。だから猟師やきこりをさらって
 子供をつくる。逃げようとすると殺される。死ぬまで種付けをやらされるのだ
 ある人間の男が逃げようとすると、猿はおこって人間の間にできた子供のまた
 をひきさいて殺した。余計に男はびびり、どうにか逃げだした」
 

バナナの精                    マレーシア
 
 
 
魔術師の生首                                      マレーシア
 

バロン山の獣人               インドネシア・ボルネオ島
インドネシアのボルネオ島のバロン山に棲息すると言われている。獣人の住処は、
虎など猛獣の多い原生林のため、現地住民はほとんどいかないという。身長3mと
いう巨大な獣人で、特徴的な部分は、左右の目が獣のように頭部の横側についてい
るという。全身は毛で覆われているという。また二足歩行だが、何故かジグザグに
歩くという。同じインドネシアのスマトラ島に棲息すると言われているオラン・ペ
ンデクとの関連にも注目したい。
 

顔をひっかくUFO
インドのウッタルプラデシュ州で最近「UFOに顔を引っかかれた」という
被害が続出、住民が寝ずの番をする騒ぎになっている。
英字紙エイシアン・エイジによると、被害者は既に約50人。ある目撃者は
「親類の家のテラスで夕食を取っていると、突然大きなクッションのような
ものが飛んで来た。気が付くと、おばさんが顔を血だらけにして倒れていた」
と話している。
「ネコだ」「テロリストが恐怖を広めようとしている」などと解釈もさまざま。
不安に駆られた一部住民が道路を閉鎖したり、対応の遅い警察官に投石するな
どの騒ぎも起きているという。      情報投稿記者 佐野豊房
 

吸血猿                        ブラジル
アマゾンの奥地に吸血猿がいるという話を聞いたことがあります。群れで生息していて、人が訪れると一斉に飛び掛ってきて血をすうのだそうです。
 
 
 
化け犬
ミズーリの話ばかりになってしまいますが、今回は「巨大な化け犬」の話をご紹介致します。 他の州でもそういう話があるかどうか、まだ分っておりませんが、ミズーリには少なくとも幾つかの地域で目撃の話があるようです。
 『ミズーリのマクドナルド郡(McDonald county:勿論 例の「ポテトいかかですか」のお店とは無関係です)で、ある住人が子供の頃、体に斑のある、牝牛以上の大きさもあろうかという巨大な犬に出遭った。 自分の立っていた場所からたった2フィート(およそ60cm)ばかりの、すぐ近くの雪中に残して行った足跡も巨大なものだったが、当時まだ幼く、そんなとんでもない大きさの犬というものは本来いないということを知らなかったため、いくらか成長してからはじめて驚いたそうである。
 大抵の人々からは、作り話だろうと一笑に付されてしまったらしいが、その男の友人が、男の身内の者達に聞いてみたところ、幼い時から折に触れては繰り返すその話の内容は、少しも変わらないということであった。』
 まあ、事の真偽をとことん追及しようという人々なら「そんなの証拠にならない」と一蹴する所だと思いますが、こういうお話がありますよ、ということで良いのではと思っている私としては、なかなか楽しい話だと感じています。
 同じく巨大な化け犬の話でも、もう少し恐ろしげな話もあるようで、次の例は、かなり古いお話のようですが、別例としてここに挙げることに致します。
 『ミズーリ州バンカー(Bunker)周辺で、J.ゴードン(J.Gordon)という医師が、巨大な犬の姿を見た。 バンカーから少し離れた所にあるベイ共同墓地(Bay Cemetery)の傍の小川を、深夜、馬に乗って通ると、水上を物音も立てずに歩いている巨大な犬がいるのを見かけた。 彼は以前にも数回、中には月夜の明るい晩にさえ、それを見たことがあった。 ある時は、そのものに後ろから馬に跳び付かれた事があり、放そうとしないので、持っていたデリンジャーで二回撃ったが、弾はそのまま透けるようにして飛んで行ってしまった。 銃を握ったままの手で打ち払ったが、やはり何の手ごたえもなく、やがて消えたという。』
 

米国の化け狐
『ミズーリ州ぺヴァリー(Pevely)付近の農夫達や、近辺のハイウェイ61号線を車で通る人々の間には、白い化け狐の話が語られており、最も新しい確かな目撃談としては1932年の話がある。 単に白子としての狐ならば、たまにはありうる事として認識している人々も、この狐はただものではないと見ている。
 それは、人間の姿を恐れることなく、至近距離で撃っても決して倒れない。 狐狩専門に仕込んだ猟犬達さえ、この白狐の存在は分っているらしくとも、絶対に追おうとはしない。 目撃者の内の何人かは、この白狐がスカンクの姿に変化するのを見たといい、また別のグループは、この白狐が目の前で、「白黒斑の短毛で 尾の短い犬」に化けるのを目撃したという』
 

墓場の光
『オーザック(Ozark)の通称で知られた地域の一つ、ミズーリ州のテ
イニー郡(Taney county)を通るハイウェイ123号線沿い
にある、小さな墓地では、昔から”foxfire lights”(狐
火)、又は”graveyard lights”(墓場の光)と呼ばれ
る怪火の話が語られている。
 夜、その墓場では、青白い火が、丁度大人の男の頭の高さ位の宙に浮く。
 始めは墓石の間から現れて、その高さのまま、ゆっくりと道を横切るが、
その速度は人が普通に歩く程度の早さである。』
 
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食にまつわる怪
(未発表)
                                                            山口敏太郎
豆腐娘
長崎県の妖怪である。かつて長崎の島の娘は武家屋敷に奉公に出る事が多かったという。ある娘がとある武家屋敷に奉公に出たが、主人の部屋に入る時、娘が敷居を踏んでしまい音が鳴ってしまった。しかし主人は娘の放屁と勘違いし、娘を冷やかしてしまった。そのため、娘はその事を苦にして海に身投げをする。それ以来、娘の身投げした場所をとおる時は豆腐を供えたと言われる。何故豆腐なのかは不明だが、豆腐を供えないと海中から娘が出てきて海底にひきづり込むのだ。
 
どうかんし
長野県に伝えられている怪。かつて真田信之が家来の鈴木右近を連れて金井池で網を打った時に薬缶のようなものがかかった。右近が自宅に持ち帰ったところ、毎夜酒樽の酒がなくなってしまう。不審に思った右近が深夜見張っていると、ゴロゴロとものが転がる音がする。更に「チューチュー」と飲む音がするのだ。なんとあの薬缶のようなものが転がってきて、酒を飲んでいる。早速主君に報告すると「どうかんし」と名付けられた。右近はその「どうかんし」を鎮守と共に祭ったという。
 
かぶきり小僧
千葉県に伝えられる童子の形をした妖怪である。狢が化けたものと言われるが、夜に道を徘徊すると伝えられる。「水飲め、茶飲め」と言って歩く妖怪である。おかっぱ頭の姿をしている。何故、水や茶を飲むように言うのか不明である。
 
白徳利
徳島県板野郡の妖怪である。化け狸の一種である。白い徳利に化けて転がるという。人間がその白い徳利を拾おうと押さえつけても転がって逃げてしまうという。同県にはこの手の話が多く、そのまま追いかけると首を吊られるバージョンもある。
 
豆腐の怪
千葉県の妖怪である。かつて豆腐は非常に大切なものとされた。庶民にとって貴重なタンパク源であったのだ。ある男が深夜豆腐を縄で縛り、肩から下げて帰宅する途中、豆腐が無くなっている事に気がついた。振り返ると鷺が飛んでいる。男は豆腐が鷺に化けたのだと思い諦めて帰ったという。豆腐は鳥に化ける事もあったのだろうか。
 
なますの怪
北陸の某所でなますが好きな武士がいた。江戸期のなますとは、今で言うところの「刺身」に近い食べ物であった。ある時、仲間と数人でとりたての魚を「なます料理」にして浜辺で食べていたところ、突如「なます料理」が人の形の化け物となって襲いかかってきた。武士は応戦してその化け物を倒したが、なます(刺身)が化ける事もあるらしい。
 
豆腐小僧
江戸期に盛んに絵草紙に登場したメジャー妖怪である。童子の形をしており、傘を被り豆腐を盆に載せて徘徊するという。豆腐を人にすすめ、人が食べると全身がカビだらけになるというエピソードは昭和以降につけられたものらしい。一つ目小僧の亜種であるとか、豆腐屋のキャラクターであったという説のふたつがある。
 
明かりなし蕎麦
本所七不思議に数えられるメジャーな怪異。江戸っ子を震え上がらした怪現象である。深夜道を歩いていると、無人の蕎麦屋の屋台が出ている。しかも行灯の灯りが消えている。不審に思って親切な人が行灯に灯を入れるが、どうしたわけか消えてしまう。その人が諦めて自宅に帰ると凶事がおこっていると言われる。
 
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妖魔夜話         
(未発表)
                                 山口敏太郎
1,はまぐり女房
ハマグリは時折女に化けて男の女房となるという。なんてうちの女房は味噌汁が美味いんだと感動した夫が女房の料理姿を覗いて愕然とする。汁の入った鍋にまたがって…。なんてもんを食わせたんだ。夫が激怒すると、ハマグリの精だった女房はハマグリのダシを入れていたのだ。よく女性器はハマグリや赤貝に表現される。確かに一度手を挟まれると逃げられない事が多い。「その手は桑名の焼きハマグリ」とは巧く言ったもんである。でも注意しないとこんな言葉もある「くされハマグリ口が開かぬ」。古女房殿をいかすのも、腐らすのも、貴君!男の甲斐性ではなかろうか。
 
2,一つ目小僧
「一つ目小僧は神への生け贄」という説を唱えたのは柳田国男翁であったであろうか。谷川健一氏はそれに対して「タタラ技術者が職業的に片目を痛めやすかった事」から生まれた妖怪とした。一つ目小僧は最もシンプルで、最も深い妖怪なのかもしれない。諸君はご自身のせがれをつまんでみる際に、真上からしげしげと見た事はあるだろうか。かわいらしい亀頭に尿道があいている。そうである。そこに「一つ目小僧」がいるのである。つまり「一つ目小僧」とは、少年の思春期における「性への目覚め」が妖怪となっている可能性もあるのではないだろうか。
 
3,河童
河童はかむろ頭である。だから「かむろ頭」は「おかっぱ」と今も呼んでいる。ビートルズのマッシュルームカットなど「西洋おかっぱ」ではないだろうか。「日本酒」に「スナック菓子」に河童も今も人気のキャラクターである。河童とは江戸期の隠語で「陰間」の事をそう呼んだ。「陰間」とは今で言うゲイボーイである。「陰間」は成人男子の象徴である「髷」を結わなかった。つまり、「おかっぱ」は性の未分化を意味している。そう言えば河童は肛門が好きである。「尻こ玉」を河童は常食としているのだ。エッチな漫才師が「エロ河童」と呼ばれた時代も今は昔だ。
 
4,あかなめ
「あかなめ」は風呂の垢をなめにくる妖怪である。関西では「あかねぶり」と呼ばれた。「なめる」という動詞が「ねぶる」という関西弁になっている。このように妖怪名が関西弁に変換する事例は他にもある。例えば「砂かけ婆」が滋賀県では「砂ほおり婆」となっていた。本来「かける」より「ほおる」ほうが関西らしい。「あかなめ」とは一体何を意味するのか。「あかなめ」とは湯女の意味もあるそうだ。当然、江戸期の湯女とは垢を流すのと同時に性欲の処理もしてくれる。つまり今で言うところのソープ嬢である。「あかなめが出た時代」は「湯女が禁止された時代」と合致するのだ。
 
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妖魔夜話           100妖魔リストアップ
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はまぐり女房
一つ目小僧
ぬらりひょん
河童
波切りの怪女
天狗
飛縁魔
のっぺらぼう
あかなめ
屏風のぞき
トイポクンオヤジ
ろくろ首
なめ女
麻桶の毛
がんばり入道
牡丹灯籠
千葉の全裸女幽霊
パウチ
夢魔
山神
北海道のちんぽこ
隠れ里
うぶめ
酒天童子
横浜の老女メリーさん
紫女
幽霊とのセックス
女郎蜘蛛
口さけ女
夜道怪
お歯黒べったり
狼男
喧嘩の悪魔
思い子
たん壺婆
女の逆さ首
かむろの幽霊
送り狼
濡れ女
たんころりん
インターネットの貞子
麻布のガマ
九尾の狐
ぼろぼろ布団
花子
橋姫
蛸入道
しっけんけん
文車妖妃
携帯婆
一本足
渋谷七人みさき
生き霊
二口女
皿屋敷のお菊
紫婆

イエチィ(雪男)とのセックス
開き女
細手長手
人魚
噛む悪魔
いやや
豆助
ドラキュラ
なかず子
掛け軸の女
ろくろまら
鬼子母神
鬼がつくった女
やまらのおろち
血すい
すじかむろ
透明人間
アザラシ女
ちんぽふり
宇宙人とのセックス
清姫
布団男
はらだし
蟹娘
くそとり
びろ〜ん
石妖
人面犬
山女
金玉ひろげ
注射男
ストーカーする幽霊
雪女
豆狸
座敷わらし
ねぶとり
悪魔
尻なで
道祖神
ミイラとのセックス
牛刻参り
通り悪魔
化け猫遊女
 
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水木しげると少年時代
                       サイト妖怪王〜山口敏太郎
 
  僕らが少年だった頃、日本はもっと元気だった。モーレツ社員だった父さんはバリバリ働き、母さんは時たま恐怖の教育ママゴンに変身したものだ。人々はその時代を、希望を込めて「高度経済成長時代」と呼んだ。昭和30年代から40年代にかけて、終戦の痛手から立ち直った日本の復興は恐るべきスピードで進行した。そして、経済発展は文化と連動し、時代は少年漫画全盛期へと突入する。
 当時の子供たちは、ゲームもなければ、インターネットもなかった。只ひたすらに、肉体と知恵を駆使して遊ぶしかなかったのだ。空き地で巨人軍の長嶋を気取って野球をやり、山では「ヒーローごっこ」をやったもんである。僕らは本気で空を飛べると思ったのだ。
 そして子供心をくすぐったのは野山に作った「秘密基地」である。当時の子供達は、自然の木や石、土管、板などを組みあわせ、子供だけの空間を創造した。みんなで遊んでいる途中で、雨が突然降ってきた日など、ガキ大将の号令のもと秘密基地に避難し、駄菓子を頬張りながら、マンガをみんなで読んだものである。そして、そんな本の中には必ず「水木しげるの漫画」があったのだ。
 奇妙な絵柄に、奇怪なキャラクターの数々、そして少年の心は無限の可能性を持った「妖怪たち」にときめいた。なんて素晴らしき、なんて強烈なセンスなんだろう。時には不気味で、時にはシニカルな水木ワールドを僕らは堪能した。水木しげるの漫画には「哲学」があり、「社会風刺」があり、「人生観」があった。ある意味、水木しげるの漫画は、少年から大人へと成長する通過儀礼のようであったのかもしれない。
 「おい、この漫画はおもしろいぞ」水木漫画は「妖怪を体感した子供」から「妖怪未開発の子供」へと伝播された漫画のひとつであった。まるで伝説が親から子へ伝わるように、都市伝説が町を駆けめぐるように水木漫画は広がっていった。いやひょっとすると、水木漫画そのものが昭和の伝承説話であったのかもしれない。
 当時、僕は水木しげるの熱狂的なファンで仲間の中でも「妖怪博士」と呼ばれていた。水木しげるの漫画と妖怪図鑑を持ち歩き、数多くの妖怪の名前と性質を頭に詰め込み、山や河で妖怪の気配を感じて遊び回ったものである。
 そして、よく学校帰りなどに、皆と妖怪探検をしたものである。「あそこの空き地には人面犬がいる」「あそこの学校には赤マントがいる」僕らは子ンテナに引っかかってきたミステリーの情報を交換し、放課後の作戦会議を練ったものであった。只その場所に具体的に水木しげる的な怪奇があったわけじゃなく、只単に少年達の「おばけを信じる心」があっただけであった。そうだ。その心さえあれば、お化けは僕たちの目に見えたのである。
 しかし、僕らはいつから嫌な大人になってしまったのだろうか。科学で割り切れないものはない。などと吐き捨てるつまらない大人になったのであろうか。いつ、どこであの少年の日の思い出を打ち捨ててしまったのであろうか。仕事もいいが、たまには頭ごとふやけてみようじゃないか。空想頭を過去に飛ばすのだ。夢というドアキーは少年という懐かしき扉を開けるのだ。
 
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日本怪談史・百年怪談
(未発表)               
                                                      山口敏太郎
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近代怪談(幕末・明治〜昭和前半)
 

1)深夜の葬列                             江戸
 
鶴ヶ丘城百間堀付近を庄内藩の武士が歩いている。
お馬廻り二百石とりの大場宗平である。
友人の婚礼の帰りとあってしたたかに酔っており、足取りも軽かった。
終いには謡曲を気分よく歌いながら歩く始末。
 
すると、城の方から一群の行列がやってくる。
大勢のわりには、声もなく音もなく、咳ひとつも、、たてない。
 
−よく見ると葬式の列である。
 
はて…? 
こんな夜に葬式とは、いや、まったくもって奇妙だな。
いぶかしんだ大場は、葬列の男に声をかけてみた。
「この、葬列はどなたの葬列かな?」
男は表情ひとつ変えずに答えた。
「はい、お馬周りの大場殿の葬列でございます」
「……」
大場は一瞬にして酔いがさめ、血の気が引いた。
俺の葬列だと…。ばっ馬鹿な。
葬列は音もなく去っていく。
大場は葬列の最後尾を目を見開いて凝視している。
葬列はしばらく歩くと…
一斉に大場の方に振り向いた。
 
…化け物か。
 
そう言えばこの辺りは生首や大入道の噂のある場所である。
いっいかん、早く帰ろう。
恐怖に打ち震えた大場は転がるように自宅にたどり着いた。
玄関を見ると、なんと葬列の送り火の跡がある。
慌てた大場は妻に問いただした。
「こっ今夜 うちから葬列が出てないか」
どうにも舌がまわらない。
「あらっ何をご冗談ばかり」
「でも、送り火の跡があるぞ」
「何の間違いでしょう」
妻は何もしらないようである。
これは不審だ。
 
翌朝、大場は小者を城下の寺という寺に走らせた。
昨夜葬式がなかったかと確認にいかせたのであるが。
だが、どの寺も葬式など一件もないという。
これはいかなる事であろうか。
大場はこの夜以来 具合が悪くなり寝込んてしまった。
化け物にあてられたのであろうか。
そして、数日後、強盗に入られ命を落としてしまった。
 
葬列の兆しは、的中した。
 
この話を聞いた者たちは、自宅の稲荷が凶事を知らせたのであろうと噂した。
 
深夜の葬列は凶事の前触れである。庄内の伝説     畠山 弘      歴史図書社
 

2)沈む沈む       江戸
 
江戸末期の事である。
古河藩内に、近在でも評判の豪農がいた。
ある時の事である。
その豪農のいる村落を、不審な男達が彷徨いていた。
 
あやつ…、
ひょっとして押し込み泥棒であろうか。
 
身の危険を感じた豪農は妻子を他に逃がし、使用人とその夜、見張っていた。
来たら捕まえてやる。
 
すると先程の怪しい男達が入ってきた。
一名は入口で張り込み、残りの一名が家の中に侵入してきたようだ。
それっ縛り上げろ!
即座に主人と使用人で取り押さえると、古駕籠に押し込んで紐で絞めあげた。
「どうだ、これで懲りたか」
入口で張り込んでいた男は事態を察し、逃走した。
 
夜が明けて豪農は使用人に命じた。
「古駕籠をそのまま御所池の底に沈めてしまえ!」
使用人に投げ捨てられた古駕籠は、泥棒を入れたまま池の底に沈んでいった。
 
その後、使用人は同家の女中と結婚した。
しかし、奇妙な事が起こり始める。
使用人の男は、じゅんさい採りの際に死亡してしまうのだ。
船を運ぶ竿を水底にとられ、まるで逆さまに水底にひきこまれていったそうである。
そう…あの古駕籠を沈めた池であった。
 
その後 使用人の女房も気が触れてしまった。
「水が冷たい、息ができない、沈む、沈むよ〜」
と口走るようになった。
自分の主人の事を言っているのであろうと言われたが、そのうちに首を吊ってしまった。
 
また豪農の家は息子の代になっていたが、ここでも奇怪な事が起こっていた。
昼間の熱気が深夜になっても去らない事が多かった。
じっとり汗ばんだ空気が支配する屋敷。
何かある。
豪農の息子は得体の知れない恐怖に悩み続けた。
 
また、ある夜、深夜に目を覚ました息子の目に奇妙な光景が入ってきた。
蚊帳がゆらゆらとゆれている。
−おや、誰か熱くて窓を開けたのか。
息子はおもむろに起きあがり、窓をみたが…、
閉まっている!?
また毎晩のように、蚊帳の裾が濡れている
こっこれは一体?何者の祟りであろうか。
 
息子は隣村の祈祷師に占ってもらった。
すると祈祷師に強盗の霊が憑依し、こう訴えたのだ。
「水だ!水だ!古駕籠に水が入ってくる。沈む、沈む。俺は何も盗ってない。そっそれをどうして…。くそ〜っ、七代祟ってやる」
息子は、全てを悟った。
この事により先代の主人と使用人の罪を知り、強盗を厚く供養したという。
 
古河市史資料第6集  古河市史編纂委員会
 
3)狐の舌                  江戸
横浜の戸部町の近隣、今で言う○丁目に酒屋があったという。
その酒屋に一人の小僧が勤めていた。
大層勤勉な小僧であり、ある時、主人の御用で余所に使いに行った。
その帰りの出来事である。
道すがら、ふと見ると一匹の母狐が子狐に乳を与えている。
しかもうまいぐあいに油断している。
いたづら心を起こした小僧は石を投げてみた。
すると石は母狐に当たり、怪我をして逃げてしまった。
あとは幼気な子狐のみ残される形になった。
すかさず小僧は子狐を捕まえると 店に持ち帰った。
店では、小僧のとんだ土産物に驚いたが、
「これはおいしいそうだ」
とそのまま、皆で子狐を狐汁にして食ってしまったという。
なおこの調理の際、狐の舌は「福の神」なのでそのまま切り取り、干物にしたのだと言われている。
それからしばらくして、酒屋の商売は突如として廃れ、酒屋の主人も死んでしまった。
これは如何なることであろうと、法華の行者に祈祷を依頼した。
すると行者は
「子狐の祟りである」
と言い出す始末。
恐ろしくなった酒屋の一家は狐の舌を岩亀横町の鬼子母神内に稲荷として祭った。
それ以来 祟りはないと聞いている。
横浜の伝説と口碑 中区磯子区
 

4)本所七不思議 足洗屋敷      江戸
寛永の末頃、○○左膳という勘定奉行が錦糸堀からおいてけ堀付近のある屋敷にうつってきた。妻およね。息子膳一の3人家族であった。
元々先祖は甲州流軍学の家柄で武田家の家来であったが現在は徳川につかえていた。
そんな時。妻が死んだ。
左膳はさみしさのあまり、妾のおさわを家に招き入れた。
妻の命日の事 左膳は三つ目付近を通りがかった。
よくみると近所の若者によっておいてけ堀の狸がつかまって打ち据えられている。
左膳は妻の命日という事もあり、いくらかにぎらせ狸を助けてやった。
その晩のこと、枕元に怪しい女が座った。
ややっ妖怪と左膳が退治しようとするとなんと昼間の狸だという。
しかも
「そばによくない者がいるので気をつけた方が良いという。私も力添えする」
というのだ。左膳は一笑に付した。
実は妾おさわと配下の星合鍋五郎の弟「良之助」と深い仲にありお家乗っ取りを計っていたのである。
そして花見帰りの夜、左膳は良之助とその仲間に闇討ちにされ、どうにか囲みを敗って逃げ出すが、ついに絶命してしまう。
息子の膳一はいつか姿の見えぬ敵を討つため武芸にはげむ。ある時、狸が庭に現れ
「おさわと良之助の陰謀や、膳一の毒殺を書いた手紙」
の断片をおいていった。
この手紙により敵を知った善一は敵を討つ決心をする。
ある日、道場から帰ると、おさわと良之助が一緒にねている。
これぞ機会とばかりに切り込んだが 所詮子供の剣法。逆に良之助に追い込まれてしまう。
そこに突如、天井をやぶり毛だらけの大きな足が突き出てきた。そして良之助 おさわを踏みつぶし引っ込んでいったという。
それ以来のその部屋でねると足が出るという。
これが世に言う足洗屋敷の始まりである。
 

5)伊豆の妖獣騒動                          江戸
伊豆豊川村 牧野大学成史の領地である。
家臣の渡辺某が事務方として現地に駐在していた。
正徳4年渡辺の妻の元に毎夜怪物がくるようになった。
「あなたどうにかしてください」
怪物の出現に、渡辺の妻は大層おびえていた。
しかし渡辺は何も対策をしなかった。
所詮女子供の言う怪物話だと思ったのである。
とうとう悲劇が起こった。
渡辺の妻が怪物に面皮をはがされて死亡してしまったのである。
怪物め、ゆるすわけにはいかない。
渡辺は怪物の再度の侵入を予定し張り込みを続けた。
4〜5日後曲者が侵入、渡辺が刀で斬りつけ、翌朝見ると血だらけで、血のあとは4里先の栗山村の山奥の洞窟に続いていた。
広さ4〜5間の洞窟から牛のほえるような声が聞こえた。
渡辺は主家の牧野家に申し出て家士8人 足軽50人で取り囲み、鉄砲を撃ちかけ、飛び出したところを槍で仕留めた。
大きさは7尺8寸 形は熊、面は人、足・腕はワシのようになっている、頭髪赤く、全身は黄色であった。
上記の「伊豆の妖獣」は説話大百科事典1 名著普及会 
 

6)目附谷の化け物(めっこだにのばけもん)    江戸
昔白山は女人禁制であった。
ある偏屈な老婆がいました。
その老婆はどうしても白山に登りたくてたまりませんでした。
どうしても白山に登ってやる。
老婆は白山の頂上を目指して登り始めました。
それを見た白山の神様が怒りました。
老婆をむんずとつかまえると、草鞋をはぎ取ました。
更に身体を半分にちぎって左右それぞれ蛇谷、目附谷に投げ込みました。
蛇谷に投げ込まれた半身は蛇たちによってあっという間に食べられてしまいました。
しかし、目附谷に投げ込まれた半身は、片目、片手、片足の状態で生き続けました。
意識を持った半体の化け物となったのです。
鼻も口も半分の化け物は、ふらふらと谷を彷徨うようになりました。
そして、誰かが来たら、もう半身を見つけてくっつけてもらおうと嘆願したのです。
ある男がこの化け物にあった時の事です。
恐怖のあまり思わず自分の草鞋を投げつけました。
化け物は失った草鞋がもらえて嬉しそうです。
足に結ぼうとしますが、片手ではうまく結べません。
男はその隙に逃げ出しました。
それ以来、地元の尾添の人は片方を草鞋をぶつけるように容易するようになったそうです。
      情報提供 民俗研究家山口一男氏
      白山の人と自然「人文篇」 石川県白山自然保護センター
 

7)隅田川ののっぺらぼう  江戸
慶応4年 官軍と彰義隊の対決が迫ろうとしている時の事。
上野寛永寺は焼失が強奪を恐れ、寺の御用金を寺侍とある僧正にもたせ逃がした。
二人は浅草の材木町まで逃げてきた。
ここまでくれば戦火に巻き込まれる事はないだろうと、一店の茶屋に入った。
折しも雨が強くなり、雨宿りもかねていたのだ。
二人は御用金の隠し場所を検討していた。
ちょうどこの茶屋の夫婦は愛想もよく、信頼できそうだ。
二人は事情を説明し、御用金を預かってもらうことした。
2日後、上野戦争も終わり、くだんの僧正が茶屋を訪ねた。
「あのお金を返してください」
一体なんのことかね。茶屋の夫婦は知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
それでも僧正は食い下がった。
茶屋の夫婦は使用人を使い僧正を袋叩きにすると外にほおりなげた。
茶屋の夫婦は御用金を横領する気らしい。
落胆した僧正は寛永寺にも帰れず、隅田川に身投げしてしまった。
まんまと御用金を頂いた茶屋の夫婦は吾妻橋のふもとに酒屋を開いた。
するとその日の夜から毎晩、毎晩。
隅田川から身投げした僧正が、幽霊となってはいあがってきては酒屋の戸を叩いた。
そしてこういうのだ。
「金を〜かえせ〜」
またその幽霊の容姿が凄まじい。飛び込むときに顔をつぶしたのであろうか。
僧正の幽霊は顔のない「のっぺらぼう」の容姿であった。
毎夜のっぺらぼうの坊主の怨霊が、隅田川から這い出してはずぶぬれの姿でふらふらと歩いては、酒屋を訪れたのである。
そして戸を叩き絶叫を繰り返したのだ。
のっぺらぼうの幽霊は瞬く間に近在の評判となった。
時にはのっぺらぼうの幽霊が吾妻橋をゆらす事もあったという。
「ゆら〜り、ゆら〜り」
と吾妻橋を揺らしては
「金を〜かえせ〜」
と絶叫したのだ。
この噂が人情に厚い下町っ子に広まり、酒屋は「幽霊酒屋」と陰口をたたかれた。
明治の末までこの酒屋はあったが、最後はつぶれてしまった。
酒屋がつぶれたあと、のっぺらぼうは出なくなったという。
なお明治18年〜20年の吾妻橋の修理は「幽霊が橋をゆらした」ために橋がゆるんだと江戸っ子は真顔でいうのだそうだ。
出典     上野・浅草むかし話 末武芳一   三誠社 
 

8)黒狐              江戸  
 松前町西館町の玄狐稲荷に祭られた狐の事である。
非常に珍しい狐であり、全身が黒い。
その為、黒狐と呼ばれた。
尻内山に住み、松前家十三世道広は家臣に命じてこれを捕らえようとした。
厚谷半蔵という家臣が黒狐を撃とうとすると、幻術を使うらしく周囲が真っ暗になって、見えず撃てなかったという。
そこで
「主君の命により撃つもので、例え術で一度は逃れてもいづれ撃たれる
ものである」
と厚谷が言ったところ、狐の姿が見え撃つ事ができたという。
道広は大いに喜び、皮をはぎ、肉は中津源兵衛に与えた。
ところが中津も厚谷も変死してしまった。
また、はぎ取ったその毛皮を家臣に命じて干していると、返せと一匹の狐が枕元に立ったという。そのうち毛皮は何者かに裂かれてしまった。
また、この黒狐の祟りでニシンがとれなくなったという。
            出典  北海道の伝説    須藤隆仙  さんおん文学会
 

9)化け猫談義                   江戸
博打打ちの勘七はどうしようもない男であった。
しかし病弱な妻およしと、愛猫は本当に大切に慈しんでいた。
ある時 ひょんな事からおよしが亡くなってしまった。
しかし、およしが亡くなった時に勘七がいなかった事を良いことに 
愛猫が妻およしに化けて、勘七の面倒を見ていた。
愛猫としては妻に死なれ 主人勘七が気落ちするのを見たくなかったのであ
ろう。
あるいは妻およしの恩に報いたかったのであろうか。
しかし、化け猫の本性は垣間見れるものである。
ある時、およしに化けた愛猫が 子猫を踊らしている姿を勘七の子分常次郎
に目撃されてしまう。
常次郎に告げ口された勘七はおよしを呼んで問いつめた。
「わたしはおかみさんへのご恩返しのつもりで、おかみさんに化けてつくして
きました。しかし、ばれてしまった以上仕方ありません。ここを去らせて頂き
ます。しかし、憎いのは常次郎だ。七日のうちのこの恨みはらしてくれよう」
そう言うとおよしに化けた愛猫は姿を隠した。
常次郎は警戒したが、7日の夜中喉を噛み切られ絶命している姿で発見された。
傍らには自ら舌を噛み命を絶った愛猫の姿があったという。
勘七はその猫の遺体を塚に埋め 勘七猫塚と称した。
武蔵むかし話      東京新聞浦和支局編   東京新聞出版局
 

10)鎧武者の亡霊        江戸〜昭和
徳島市内の○小学校には鎧武者の亡霊がよく出たという。
昭和に入ってからも、職員の宿直室に亡霊が出たり、廊下を鎧武者がずしりずしりと練り歩いた事もあった。
そんな事で○小学校の宿直は誰しも怖がったのである。
一説には○小学校が古戦場の跡だと噂された。
ある夜の事、教師の某が泊まっていると老婆が訊ねてきた。
随分と薄汚れた老婆である。
「すいませんが、ここに泊まらせてもらえませんか」
枯れた声で老婆は哀願した。
「ここは関係者以外は泊まれませんよ」
教師は老婆を追い返そうとしたが、老婆の一言で踏みとどまった。
「私の父は○学校の設立者です」
○学校とはこの○小学校の全身であった。
このことから老婆はその夜H小学校に泊まる事になった。
そして、老婆の口から鎧武者に関する意外な話が聞けたのである。
江戸末期 吉野川上流である商人が木を伐採する事になった。
木を伐採されると災害が起こってしまう。
近隣土佐領の5ケ村の名主が集まり、徳島市内のその商人に直談判にやってきた。
しかし、商人は譲らない。
落胆した名主たちは土佐に帰ろうとした。
しかし、ひとりの名主はそのまま引き返し、徳島市内の金比羅様にお参りした。
そして、荷物から鎧を一式取り出すと、それを身につけ身投げ自殺をしたのである。
それ以来、金比羅から商人宅まで鎧武者が徘徊するようになったという。
商人はおそれおののき、僧を3名雇い庵を立てて鎧武者の成仏を願った。
その庵がのちに○学校となり、さらに○小学校となったのである。
鎧武者は武士ではなく、鎧を着た名主の亡霊であったのだ。
霊はみかけによらない。
阿波の伝説    横山春陽   徳島新聞出版
 

11)高厳寺小僧                   江戸〜明治
下谷車坂の岩倉小学校の跡。
かつてそこに高厳寺という寺があった。
そこに狸がすんでいた。
この狸が妖怪に化けて人をたぶらかした。
一名「高厳寺小僧」と人は呼んだ。
あまりにいたづらがひどいので、寺内に小僧稲荷を祭った。
狸なのに稲荷とは?不可解ですね。
昔の人は委細を問わないようです(笑)
その後移転し巣鴨町にいったという。
江戸中期の修業熱心な和尚が、門前の狸に餌を与え、境内に住む事を許した。
それ以来、住職がかわる度に狸は姿を現した。
また庭や門に、ゴミや小便をするものに対して、化けて脅かした。
妖怪「高厳寺小僧」の形態は、三つ目小僧で現れるとされた。
そして、大きくなったり、小さくなったりして脅かした。
或いは、突如空中に大提灯が現れて、ついたり消えたりする。
終いには寺の横の溝にほおりこまれるという
 

12)八幡(やつはた)のオタヨ火            江戸〜明治
大平町八幡にオタヨと名前の老婆が住んでいた。
この老婆は夫に先立たれ一人で生活してきた。
しかし、寄る年波に勝てず、八幡に所有していた土地を売ることになった。
しかし、老婆はその土地に固執し、
「やつはた、やつはた」
と叫びながら死んでいった。
老婆の死後、その老婆の執念が怪火になったのであろうか。
不気味な怪火が八幡界隈を飛ぶようになった。
ある若者が、この怪火の正体を見極めようした。
藁を束ねたスズミの影に隠れて様子を伺っていた。
すると、火は目前まで近づくと、パッと消えてしまった。
しかし、若者が通り過ぎると、また、ぽっと火が灯った。
その時、まるでぶつぶつ呟くような声が聞こえたと言われている。
電気が開通する前は、里の夜は明かりが少なく真っ暗であり、オタヨ火は大平並木からもよく見えたそうである。
                                    HP「大平町周辺の昔ばなし」
 

13)ずいどう                          江戸〜明治
飯高村にあった飯高壇林の学寮竜眼庵に瑞童という学生がいた。
夜になると外から「ずいどうずいどう」と聞こえる。
どうやら魔物が外から呼んでいるらしい。
あまりに呼ぶので仲間と一緒につかまえて見ると古狸であった。
反省し逃がしてやった。
時代は変わり、竜眼庵の跡に小学校が建った。
その小学校に鎌形さんという職員の人が泊まった時の事。
「カマガタ カマガタ」
と魔物が呼びかけた。
時代が変わっても、人が変わっても 魔物のいたづらは変わらないものである。
八日市場の伝説の伝説とむかし話    千葉日報
 

14)地蔵山の怪                  江戸〜明治
某県に地蔵山という山があります。
山と言っても塚のようなもので 本当に小さいものです。
その山にはいやな伝承がありまして、
かつて江戸時代の初期に豪農が 金の力に物言わせて
黄金の地蔵をつくり、塚に埋めたという黄金伝説があるのです。
しかし、この地蔵を掘り起こした者には豪農の祟りがあり、
ことごとく死んでしまうと言います。
その埋めた場所を暗号で記した古文書がありまして、
明治時代に地元の若者5人組が地蔵の発掘にいどんで
3人が発狂 1人が自殺、1人が行方不明なったこともあったそうです。
大正時代にも発掘をした人がいて、この人も原因不明の病気
でうなされ「地蔵がくる。地蔵がくる」
とうわごとと言いながら、亡くなっていきました。
そして昭和の頃、またまた成金がこの地蔵の発掘に
挑みました。今度の成金は強引で、この山ごと崩してしまったのです。
しかし、地蔵は出で来なかったのです。
おさまらない成金のおやじはその土地に大型マンションを建設しはじめ
ました。地元では祟りがあるからやめろという声があったのですが、
工事は押し進められました。
しかし悲劇はおこったのです。現場の視察にきた成金親父はコンクリートの
打設工事を見学していました。
しかし、柱のコンクリート打設面をおさえていた型枠がはずれ、成金親父は
コンクリートの下敷きになってしまったのです。
5分後、救出された親父は既に窒息死していました。
そしてその体はコンクリートが全身につき、まるで「地蔵」のようになっていたそうです。
 

15)兜塚と鞍流れ                        江戸〜明治
武具には怪異がつきものである。
使用する武将の怨念が武具には憑依するのだろうか。
西多摩にはこんな話がある。
西多摩の某所にかぶと塚というものがある。
黒松の植わった立派な塚であるが、この塚には奇妙な話があった。
元々この塚は合戦で討ち死にした武将の兜が埋められていると言われていた。
江戸期に長兵衛という物持ちが欲心よりこの塚を掘り出した。
何か宝物でも出るだろう。
長兵衛はそう目論んでいたのだ。
しかし、塚を掘っても翌朝に掘った部分が埋まっている。
何度繰り返してもそうである。
気持ちが悪くなった長兵衛は塚をほる事をやめ塚の上に兜塚明神を祭った。
 
また浅川が多摩川に流れ込む部分に時々鞍が流れてくる事がある。
これを「鞍流れ」と呼んだ。
このこの「鞍流れ」を見た人は即座に念仏供養をすると吉事に恵まれる
と言われている。
鞍にこもった武将の怨念が「念仏供養」により 吉事に変じるのだ。
牛次郎という欲張りな男がいた。
その男は川に張り込み 無理矢理「鞍流れ」を見て吉事にありつこうとした。
しかし、牛次郎は不幸に見まわれたという。
無理に「鞍流れ」をみようとしてはいけないのだ。
吉事は偶然によってもたらさられるものである。
出典 とんとんむかし十二か月   菊地正   東京新聞出版局
 
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16)雄蛇が池                             江戸〜昭和
雄蛇が池は元々は鬼蛇が池と書くのが正しいという説がある。
この池のほとりに昔両親と息子が暮らしていた。
そこに嫁が嫁いだ事から事件ははじまる。
ある時、日照りが続き、姑はそれが嫁のせいだと責めた。
それでも嫁は懸命に働き、日照り祈祷に捧げる布をおった。
しかし、そんなものなど何の役にも立たぬと姑は引き裂いてしまったという。
悲しんだ嫁は雄蛇が池に身投げをし、その魂魄は大蛇となった。
それ以来 池を7周半廻ると 池の中から旗をおる音が聞こえるようになった
のだという。
またこんな話もある。
ある男が池の周りがどのくらい距離があるのか周りを回ってみた事があったそ
うだ。弁当を腰に下げ、竹藪や藤蔓をナタで切りながら進んだ。
すると山から鬼が出てきた。
同時に池の中から大蛇が出てきた。
男は恐怖で身をすくめていたが、鬼と大蛇がつかみあいをし始めた。
「俺の獲物だ」
と言いあっている。どうやらこの隙に逃げれるぞ。
男はどうにか這うように逃げ出した。
現代でも雄蛇が池は心霊スポットとして有名であるが、
いつの時代も魔所は魔所なのだ。
 

17)おかね塚                                   幕末〜昭和
これは私自身が経験した奇妙な話である。
「行徳の昔話」という本を行徳昔話の会が出版している。
この中で奇妙な話が話されている。
千葉県の行徳におかね塚というものがある。この付近に娘の幽霊が出るというのだ。
海神下から二俣の間にかけて葛飾田んぼという長い道があった。
この道を夜通るとかわいい娘が前になり後になりついてくる。
その時、娘につられてついうしろを振り返ると海までつれていかれるという。
船橋にあった遊郭帰りの着流しの人がよくこの怪異に会うと言われた。
何故その娘が出たのか、何を訴えたいのか、何故遊郭帰りが狙われるのか、一切その本の話者は知らないようであった。
この話を読んで私は現地に調査に行ったのだが、確かに行徳四丁目におかね塚は存在した。そこに、お参りに来ていた老人に聞いたところ、悲しい怪談があきらかになった。
かつて吉原におかねという遊女がいた。
その遊女はある若い船頭と恋仲になり、奉公の年季が明けたら、夫婦になろうと二人は固く約束した。
年季明けの日 おかねは船頭を待っていた。
しかし等々船頭は姿を見せず、おかねはそのまま病床についてしまった。
そして最後まで恋人が迎えに来る事を信じて死んでいったという。
このおかねの純情に心を打たれた吉原の遊女100人がお金を出し合って作ったのが今ものこるおかね塚である。
いかがであろうか。先述の本で指摘されたおかね塚に付近に出る娘の霊とは「おかね」の幽霊ではないのだろうか。
このように前半が欠落した伝説が他の情報源から補填される事はたまにある。
今回は背中に冷や水をかけられたような感覚を受けたのは事実である。
ちなみにおかね塚の幽霊が着流しの男を狙ったのは昔の恋人を思いだしたのかもしれない。
 

18)七人坊主の祟り                       江戸〜平成
幕末から現在まで続く、怪談というものはないだろうか。
この考えた時に八丈島の七人坊主は外す事ができない。
その恐るべき七人坊主について説明しよう。
昔、上方(大阪)から出航した船が難破した。
七人の坊主は漂流し八丈島の藍ヶ江浜に漂着した。
飢えた坊主達は、中之郷村にたどり着いた。
しかし飢饉で自分らの食べ物のなかった村民は坊主たちに食料を与えなかった。
いや与えたくとも与えられなかったのだ。
また彼らは天然痘に感染しておりやむえず山に追い返したのである。
なお異説には、坊主たちが呪術によって木の実などをとる姿を目撃し、呪術師として怖れたためであるとも言われた。
なお幕末から明治にかけての八丈島の文化人近藤富蔵にも7人の因縁はつきまとう。
「八丈実記」69巻の著者であり、徳川譜代の旗本で、著名な北辺の探検家でもあった近藤重蔵守重の息子であった。
父とは勘当中の間柄ではあったが、父が別荘地の問題で塚越半之助という元博徒ともめているのを聞き、親孝行と調停にいった。
しかし、トラブルとなり塚越一家7人を殺してしまったという。
在島年数は56年で、明治13年2月26日に赦免になっているが、島の発展に寄与し父の菩提を供養する真摯な人生であった。
このように島の偉人にも7人の因縁はつきまとうのだ
昭和27年の事件であるが、坊主が最後に絶命した場所で、林道の工事をしていた。
島民や、島外の人も含め10数人の作業員が労働に従事していた。
そのうち島外の作業員が島民の止めるのも聞かず、七人坊主の話をしだした。
そして最後にははやし言葉言い始めたそうである。
「やれ坊さん それ坊さん」
すると突如土砂崩れが起きて、8人が生き埋めとなり7人が死亡したのだ。
1995年8月、七人坊主を彷彿させる事件が起こった。
島での火葬場の骨の消却炉の中から、身元不明の古い一度焼却された7つ遺骨体が発見された。
四日間の休日中に骨は搬入されたと思われるが、火葬場には厳重に鍵がかけられていた。どうやって犯人は火葬場に侵入したのか、またこの骨の放置は、何かの儀式の残骸であろうか。
改葬という一度葬られた骨を埋葬しなおす事も考えられたが、改葬予定の墓は島内にはないのだ。
現場では現在も七人坊主の目撃談もある。
彼らは緑色の衣を身につけていたという。
或いは子供を連れているとも言われる。
子供とは坊主達が使った護法童子ではないだろうか。
2001年2月1日には7人坊主を彷彿させる遭難事件も怒っている。
大分県津久見市保戸島漁協所属のマグロはえなわ漁船「第二鵬正(ほうせい)丸」=19・96トン(船長(56)ら7人乗り組み)八丈島の東沖で遭難し、行方不明となっている。
 

19)トミはいらんかね             明治〜昭和  
青梅では 近年までトミを売るものがいたと伝えられている
人々はトミを売る者の名を「大崎(おおさき)」と呼んだ。
これは名字でも、名前でもない。只単に「大崎」と呼ぶのだ。
この「大崎」は財産を何倍にも殖やしてくれるそうだ。
当時、ある家はトミという女中を使っていた。
その家の主人がある時、沢を越えた機屋に出かけた。
そしてその場所で、かの「大崎」にあったという。
「大崎」は小さな箱を背負った爺であった。
「あんた トミはいらんかね」
大崎はそう主人に呼びかけた。
主人はこれは怪しいと思い、女中のトミにひっかけ話をはぐらかした。
「うちでは トミは、まにあっている(笑)」
大崎は表情一つ変えずに、背負っていた箱を差し出すとこう続けた。
「このトミを買うと、財産がふえるんですよ」
主人は強くいった。
「とにかく トミなどいらない」
その後、「大崎」は別の人にトミを売ったらしい。
トミを買った人の家には深夜、怪しい火がともると言われる。
山の麓から、トミを買った家まで怪しい火が点々とつながるのだ。
その火は美しく、狐の嫁入りとも言われた。
ある人が主人にこう言った。
「あんたは トミを買わないで賢明であった」
「どうしてですか」
「トミを買ったある機屋は最初は儲かったが、次第にトミが繁殖し、行き場の
ないトミが女中などについて困ったそうだよ」
その機屋では金持ちになったが、身内や使用人に突如錯乱するものや、憑き物
がつくものなどが頻発したと言われる。
                  資料 青梅市の民俗 青梅市教育委員会
 

20)人喰い松                明治〜昭和初期
それに触れる人を不幸にする呪われた木がありました。
それは「人喰い松」と呼ばれました・
「人食い松」の正確な場所は渋谷の上通りに昭和初期まであったそうです。
昭和6年に神宮通りと移転しました。
なお、悪い縁起をかえるために、「出世松」と呼称を変更しました。
しかし、相変わらず祟りはあったそうです。
この松がらみで厭な話がいくつ語られています。
まずひとつめは、N一族の話です。
元々 自家の整備で邪魔になった長田某がこの松を切りました。
すると、一家7名が次々死亡し、瞬く間に一家皆殺しになってしまいました。
この事件により「人食い松」伝説が巷に広がったと言われています。
さらにH亭というレストランのコックが5名の絡んだ事件も起こりました。
人食い松にコックがいたづらしたところ、仲間5名のコックが次々と病気に倒れてしまったというものです。
また「人食い松事件」の犠牲者は子供にまで及びました。
近隣に住むS少年は、友人2人と松にいたづらをしていました。
すると枝から3人共全員落下し、全員怪我を負ったのです。
そして、松を移転した発発起人鈴木某は難病になってしまったといいます。
当時の渋谷界隈は大騒ぎとなり、松に弁財天などを祭ったが、今は松も枯れ、弁財天のみが残っているそうです。
 

21)火を消すおろち            明治
明治23年2月に新聞紙上で報道された事件である。
長野・松本においては何故か明治19年、21年、23年と2年おきに火事が発生する。特に23年は大火事で、住宅60戸焼いてようやく鎮火した。
多くの家が焼け出された。
しかし、奇妙な事に馬喰町の○○という豪商の家の近くまできたら、何故か火事はいつも消えてしまう。
兎に角、理由はわからないが、いつも消えてしまうのだ。
これは不思議だ。
周囲の人々はこう噂した。
この家の古い倉庫に数百年を経たおろちがいる。
そのおろちが神通力で火事を消してしまうのだと語り合った。
さらに噂に尾鰭がついた。
この商家では、おろちを養うのに大変な食事を与えている。
毎日数升の米をささげているというのだ。
また見せ物小屋から数百円でゆずってくれと言われた。
しかし、当主がうちのまもり神だし、このおろちはどんな火事でも消せるからと断ったというもっともらしい話も流れた。
蛇は先祖の霊であるとか、屋敷神であるとか言われるが、鎮火の神と言われるのは珍しい。
現代で言うワイドショー的視点であろうか。
出典「爆笑・三面記事 びっくりニュースの玉手箱」
   河出書房びっくりデータ情報部編 
 

22)池田の怪物                              大正
 大正13年静岡市の池田という場所で実際にあった事件である。
ある夜の事、「ごおーごおー」というもの凄く大きな声が聞こえてきた。
まるで怪物のような泣き声が、某水辺から聞こえてくる。
怪物の正体を見極めようと近在の者が声の近くに忍びよったところ
泣き声が一層大きくなった。
「ほう〜ら出た」
と一同大騒ぎとなり、這々の体で逃げ出した。
翌日、村中で怪物退治と息巻いて張り込んだが、一向に怪物は泣かない。
拍子抜けして、一人帰り二人帰りして、人数が少なくなった時に
「ごおーごおー」
と鳴き始めた。
どうやら怪物は人が多いと出ないらしい。
それからというもの怪物の声を聞きたいとばかりに、毎夜黒山の人だかりとなってしまった。中には見物人の乗ってきた自転車を預かる「自転車
預かり所」や、見物客目当ての露店が建ち並ぶ騒ぎとなった。
のちに怪物の正体は判明するのであるが、それは外国産のカエルであった。
獣医師が旧家に分け与え、旧家の池で飼われていたものが逃げ出したもの
であるという事がわかったのである。
              都市空間の怪異 宮田登 角川選書
 

23)祈り釘の女                           大正
これは大正の頃の話である。
某町の茶屋の倉橋の常さんが友人と釣りに出かけた。
さて友人と話しながら、○○様というお宮の椎の木にきたときの事である。
前方から女性がやってくる。
しかも、尋常ではない雰囲気である。
よく観察すると頭に蝋燭、口に剃刀をくわえている。
これは祈り釘と言って相手を呪い殺す儀式の扮装である。
当時は、○○さんの境内で深夜に密かに行われていた。
今で言う呪いの藁人形である。
しかも、他人にみつかった場合は効果がなくなると言われている。
もし儀式の途中や道の途中で出会ったものは、呪いを成就するために、剃刀で喉を引き裂き殺されてしまうと言われている。
これはいけない。
このままでは殺されてしまう。
震え上がった常さんと友人は、隠れ場所を探したが見あたらない。
ええい、こうなったらままよ。
急いで椎の木の横にある池に飛び込んだ。
夜なので水中は異常に寒く、二人はガタガタ震えていた。
そして ようやく女が近くまでやってきた。
女の方でも二人をみとがめたらしく、探し始めた。
女は口に剃刀をくわえたままで、周囲をきょろきょろと探している。
その表情は狂気のあまり鬼のような形相であった。
二人は生きた心地がしなかったが、命がけに池の中に目だけだしてもぐっていた。
しばらくすると、女は諦めたのであろうか。
しずしずと、○○さんのお宮の方に歩いていった。
それでも二人は怖くて明け方になるまで池の外まで出れなかった。
人を呪う人は魔物よりも恐ろしいものである。
                出典   古河市史資料第6集 古河市史編纂委員会 昭和53年
 

24)からから                    大正〜昭和
古河野木町の4号線を入ったところにとある神社がある。
この神社には「からから」或いは「からら」と呼ばれる怪物が出たと言われる。
一の鳥居から三の鳥居まで続くのだが、二の鳥居から三の鳥居には時折大蛇も
出たと言われる。
それでは「からから」の話に入ろう。
昭和初期の話である。
母親と8才の娘が一緒に歩いていた。
古河の親子連れで野木村で用事を済ませて帰る途中である。
ちょうど二人は神社の並木道を歩いていた。
ちょうど半分まできた時の事 二人の頭上に火の玉が現れた。
からからと音を立てて 二人に迫ってくる。
二人がかわすと そのからから音をたてる火の玉は野木っ原に飛び去った。
その形状は竹で編んだ丸い籠のようなもので、いくつも穴が空いており
中から赤い火、黄色の火が出ていうたという。
他の目撃者も多いおり、二の鳥居付近から飛び出す事が多いと言われた。
古河市史資料 第6集  古河市史編纂委員会 昭和53年
 

25)半魚人のミイラ     昭和初期〜昭和末期
最近 聞いた話。
ある男が高知市にいたそうです。
10年ほど前まで存命だったらしいのです。
当時70過ぎのおじいちゃんで元々軍人さんだったそうです。
南方で勇敢に戦ったらしく、右腕、右足、右目がなかったそうです。
戦争後、帰国し高知の山奥の自宅にはかえらず、市内で暮らしていたそうです。
戦争の年金がでるらしく、生活にこまった様子はなかったのですが、異形で周りからは白い目で見られてました。
私の友人も近所に住んでいたそうですが、近所でもつまはじきだったようです。
また噂では随分お金を貯えているとも噂されてました。
あと妙に海が嫌いで海と話題になるだけでもおびえた様子を見せたそうです。
ある春の日 友人が車椅子のおじいちゃんが自販機でジュースが買えずこまっていた
ので買ってあげ、自宅までおくってあげました。
すると、気分が良かったのか、おじいちゃんは自宅にあがれといいます。
好奇心もあって自宅にあがってみると 豪華な品々があり、優雅が生活がしのばれた
そうです。
何故こんな老人が金をもっているのだろうか。
友人が不思議に思って聞くとそのおじいちゃんは奇妙な話をしたのです。
戦争中、仲間とはぐれ 敵から逃げる為に海に飛び込んだおじいちゃんは必死に泳ぎました。そのうち失神してしまいました。
ふと気がつくと浜辺に打ち寄せられています。
さあどっか安全な場所に逃げようと思った刹那 黒いものが飛び掛かってきました。
50cmぐらいの動物が海からざざっと飛び出して飛びついたのです。
おじいちゃんは必死に戦いました。
しかし、鋭い牙で腕で足、右目を深くかみ切られてしまいました。
でもその後、どうにか怪物を打ち殺し、そのまま気を失ったそうです。
その後原住民の部落でかくまってもらいました。
その時充分が医療がうけれず手足が切断されたようです。
目玉も怪物との格闘の際、つぶれてしまったそうです。
そして手許には、奇妙な半魚人のような怪物の遺体の干からびたものが残ったそうです。
原住民がおじいちゃんの獲物だと思って保管してくれたようです。
しばらく原住民の助けで生活し、終戦後帰国しました。
そしてこっそり怪物のミイラを持ち帰りました。
それ以来、おじいちゃんはツキまくりで、全てが成功したといいます。
株、競馬、不動産などで当たりまくりで、莫大な財産を気付いたそうです。
その理由はその半魚人だそうです。
その半魚人のミイラはお守りで幸運を運んでくれると原住民は言っていたそうです。
しかし、幸せな時間はいつまでも続きませんでした。
その後、その老人は変死をしたそうです。
残った左手、左足がもがれ、左目がつぶされていたそうです。
海岸の崖で落下したため、自殺とされてますが…。
死後、友人はそのミイラについて葬式に来ていた親族らしい人に聞いたらしいのですが、半魚人のミイラなど知らないという事でした。
あの半魚人はどこにいったのでしょうか。
僕は怪物の呪いで殺されたのだと思うのです。
 

26)幽霊船                           昭和初期
海に出る魔物は多い。
幽霊船も伝説ではなく、昭和に入ってからも目撃されているのだ。
夜漁をやっていると音もなく近づいてくる漁船がある。
「おや仲間の舟か」
と思ってよく見るが誰も乗っていない。
「おーい」
と声をかけても誰も返事をしない。
気味が悪いので少し離れるとついてくる。
何度逃げてもついてくる。
無人のはずなのに…。
怖くなって高スピードで逃げる無人の漁船がもの凄いスピードで追って来るという。
もう少しで追いつかれてしまいそうになった時に、漁港にどうにか逃げ込んだ。
すると、さっきまで後にいた「無人の漁船」の姿がかき消すように消えているのだそうだ。ある勇敢な漁師がこの無人の漁船に乗り込んで調査をしようとした。
しかし、乗り込むやいなや突如沖合にめがけて動き始めてしまった。
大騒ぎしているうちに漁師をのせた舟は姿を消してしまった。
乗り込んだ漁師は行方不明であるという。
 

27)重い〜重い〜                  昭和初期
駅の南側の鉄道管理局の庭の片隅に千葉機関区の碑がある。
第二次大戦中、昭和20年の話である。
ちょうど千葉大空襲の時の事。
千葉機関区の機関庫で勤労奉仕中の小学生・中学生が多数死亡した。
当時でも話題に登った悲劇であった。
戦後だいぶ経ってから、この悲劇の記憶も薄れた頃。
機関庫の跡地付近に家を建てようとした人がいた。
そして住宅建築の工事が始まった。
しかし、その工事現場で奇怪な事が頻発した。
まず基礎となる土台の石を置くと、何故か翌日になると石が移動している。
何故だか理由はわからない。
元に戻しても、次の日も元に戻したはずの石がまた移動しているのである。
これはいたづらではない。
不審に思った人が、ふとその石を持ち上げてみた。
すると、土の中から声が聞こえてきた。
「重い〜重い〜」
何やら苦しそうである。
これは何かの祟りではないだろうか。
そこで機関庫で働いている人たちに確認した。
すると、そこはかつての大空襲の際、小学生が頭に爆撃の直撃をくらって、首を吹き飛ばされた場所らしい。
つまり、少年の霊がそこに眠っているというのだ。
それが石の移動、地中の声の原因ではないだろうかとの事であった。
早速坊主を呼んで供養したところ無事工事は完了した。
戦争の傷跡は余りにも深い。
 

28)ワニのような怪物                      昭和初期
昭和の話である。
ある夜 漁船が数隻出航した。
しばらく、それぞれの船で操業していた。
するとある。漁船は船端を叩いている。
耳を澄ますと
「助けてくれ」
と大声をあげている。
これは大変だと助けに行かないといけない。
沖合の2,3隻の舟がいってみた。
一人の漁師がのった漁船が大きな怪物に襲われている。
その怪物はまるでワニのようである。
ワニのような怪物が海中から船上の猟師を狙っているのだ。
船のおもて(舟先)にその漁師がいくと 怪物もそちらに周りこむ。
船のとも(船尾)に漁師が逃げると怪物も回り込む。
どうやら猟師をひと飲みにしようとしているようである。
助けにきた漁船の一人が機転を効かせた。
竹竿の先に包丁をつけて、怪物の大きな口の中に放り込んだのだ。
すると、怪物はいづこかに姿を隠した。
出典 江頭源次ノート 柳田国男未採択昔話聚稿  野村純一 瑞木書房
 

29)身代わり人形                  昭和中期
これは私が仕事上で知り合ったAさんから聞いた話です。
東北のある霊能者が作ってくれた身代わり人形というものがあります。
これはよく相談にくる常連にしかつくってくれないもので
和紙でヒトガタに切られたものです。
顔が書かれており 一見子供の切り抜きのようにも見えます。
しかし、その効果は凄まじく多くの人が命を救われたといいます。
Aさんの祖母はその霊能者の熱心な信者であり、孫にも3体の
身代わり人形をもらってきてくれたそうです。
Aさんは一切霊など信じない主義で、この人形なども笑って押し入れに
しまいこんでいました。
半年ぐらいたった頃でしょうか。
ある夜の事です。Aさんは仕事でくたくたにつかれ
帰宅早々に寝込んでしまいました。
「わさわさ」
とまるで紙がゆらぐような音が聞こえます。
凄まじい眠気の中でうっすらと目を開けたAさんの視界にあるものが
飛び込んできたのです。
押入が音もなくすーっと開くと、その隙間からひらひらと
あの紙人形が空中を漂いながら Aさんの寝ているベットに飛んできたのです。
(これは幻覚だろう。いや絶対幻覚だ)
Aさんは自分に言い聞かせるように心の中で繰り返しました。
そのうち 3体の紙人形はAさんの枕元にすくっと立つと歌い始めたのです。
何やら奇妙な歌で意味がわかりません。
リズムも変で普通の歌ではないようです。
ですが、なんとなく意味は伝わってくるのです。
(明日会社は休まないといけない)
Aさんはそう思ったのです。
そしてそのまま深い眠りに落ちていったのです。
翌朝Aさんは風邪を理由に会社を休みました。
すると会社では仕事がらみの刃傷沙汰が起ったのです。
乱入してきたに刃物男に事務所にいた社員二人が刺されたのです。
幸い浅い傷でしたが、もしあの場に自分がいたらと思うとAさんは
ぞっとしたそうです。
こんな事が3年〜5年に1回ぐらい続き Aさんはもう3度も
人形たちに命を助けてもらっています。
それ以来 世の中には不思議なものがあると彼は信じるように
なったといいます。
こんな事があるのでしょうか。
 

30)ご飯                           昭和中期
これは四国の某海岸で聞いた話です。
毎年お盆になると海で死んだ人のために陰膳というものをするそうです。
供養のために離れとか、仏間においておくそうです。
時々そのご飯が少しだけなくなっているとか
当然、猫とか誰かのいたづらなんでしょうが。
僕の友人の家でも、なくなったおじいちゃんあてにお膳を仏間に
毎年置いてあったそうです。
ある年の夜、
「くちゃくちゃ」
という音で目さめた友人は音の
するほうにいきました。すると仏間から聞こえてきます。
思わず、戸の隙間からあけて見ると、黒い影がしきりご飯を食べて
いるそうです。長い舌でご飯をくちゃくちゃとなめまわしているそうです。
怖くなった友人は思わず誰だって叫んだら、その影がふりむきました。
するとその顔は生きているはずの父でした。
恐怖とおどろいたので気が遠くなった友人は朝まで失神しました。
翌朝目がさめてみると誰もいません、仏間のご飯もそのままです。
彼の父親も普通どおりでした。
あれは真夏の夢だったんだと思い、学校にいったそうです。
そして彼が学校から帰ってくるやいなや、突然彼の父が職場でなくなった
という電話が入りました。
彼は今でも思うのです。あれは死神が見せてくれた予言だったのでしょうか。
 

31)ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む        昭和末期
友人N君が筆者に語った怪談である。
これは、私(N君)が、学生の頃沖縄出身のYくんから聞いた話なのです。
とても短い話です。
そしてとても悲しい話です。
昭和50年頃、Yくんは奇妙な体験しました。
当時小学生だったのですが、いろいろあって下校するのが遅くなってしまいました。
早く帰られねば、Yくんは精神的に焦ってました。
薄暗くなった小学校から帰ろうとした時の事です。
何故だか校庭の方が気になります。
何気なく見ますと、校庭の隅にある木の周りが異様なムードになっています。
よ〜く目をこらしてその木を見てみると
防空頭巾をかぶった女の子の生首が飛んでいます。
そして、悲しげな声で歌を歌っているのです。
「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む、ぎんぎんぎらぎら日が沈む」
と歌いながらくるくると生首が空中を回っていたそうです。
当のYくんは、怖くて慌てて逃げたそうです。
そこの木では、そういった心霊現象(どれも太平洋戦争がらみ)がよく出たそうでお払いなどもしたそうです
 

32)東京駅地下街の怪物              昭和末期
文明の象徴地下鉄に化け物が出ると聞いて貴方は信じるだろうか。
昭和50年2月〜3月に東京駅の地下街に怪獣がでると騒ぎになった。
事件の発端は昭和50年2月10日に始まる。
当時立正大の4年生某氏が地下街を歩行していた。
すると突如天井の板がはずれた。
同時に猿のような怪物がぶらさがった。
「…ん?」
仰天する某氏を尻目に、怪物すぐ天井に引っ込んだ。
確かに目撃したがあの猿のようなモノは一体なんだったんだろう。
某氏は混乱しながらも当時のマスコミに答えている。
また怪物の存在を裏付ける証言はこれだけではない。
同じ東京駅地下街のコーヒーショップ「A」の店長も証言しているのだ。
ここ2ケ月の奇妙な泣き声が聞こえていたという。
事件の報告を受けた東京駅が捜索したがみつからず、取りあえず猿のような怪物は、ゴミ袋がぶら下がったという結論になった。
しかし、ひとりでに引っ込むゴミ袋などあるのであろうか。
また奇妙な声とは一体なんであったのであろうか。
怪物は東京駅の地下に消えてしまった。
 
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現代怪談(昭和後期〜現在)
 
1)人骨
これはある某建設会社に務める友人Yから聞いた話です。
建設中によく骨や遺跡などが出てくる事があるそうですが
大概は面倒なので埋めてしまうそうです。
骨などは重機ですりつぶし、遺跡のぐちゃぐちゃにして
完全に跡形をなくして隠蔽することが多いようです。
ある時、都内古い御屋敷を解体し、地盤改良の上、お洒落な
マンションを建設することになりました。
工期が短く 予算もない現場でY君はかなりあせってこの現場に
取り組んでいたそうです。
ある日、とうとう古井戸が出てきました。古井戸はかなり昔に封印された
ようでしっくいらしいもので口がふさがっています。
古御屋敷なんで何か出るとは思ったものの、まずいと思ったY君
は古井戸の解体を命じました。古井戸の場合、いろいろ昔の骨董品が出土
するらしいのです。
こんな事を地元の教育委員会などに嗅ぎ付けられたら、調査の為工事がさらに
おくれてしまいます。
Y君はあせって古井戸を解体させました。すると中から骨がでてきたのです。
湿っていたためでしょうか。頭髪も一部残っています。
「まずいな」
Y君は悪い事と知りつつもその骨をくだくと残土にまぜて処分してしまった
のです。
その日、以来奇妙な事が続きました。クレーンと職員の作業をつなぐ無線に
奇妙な声が入るのです。
「つぶさないで、つぶさないで」
これでは作業になりません。またY君は毎夜毎夜大量の土砂に押しつぶされる
夢にうなされたのです。
これはあのすりつぶして、残土と一緒に捨てたあの骨の祟りではないかという
事となり、供養をしました。するとそれ以来祟りはなくなったそうです。
 

2)干し柿
これは15年以上前の話です。
都内の某私大に通う私の幼なじみFは僻地探検が趣味でした。
廃村とか、廃虚にいっては写真をとってきたり、スケッチ
をしてくるのが大好きだったのです。
ある時 Fは仲間数名と富士の樹海の探検を思い立ちました。
そしてその探検当日彼は、重装備で樹海探検にでかけました。
コンパスなど役に立たない場所です。
地元出身の友人の力を借りながら樹海のあちこちを探検して
まわりました。そして昼食となった時、Fは木々の合間に揺れる
干柿のようなものをみつけました。
風になびいてゆらゆらゆれています。こんなところにあんな大きな
柿がなるのはおかしい。しかも干柿などは−。
不信に思った彼はその柿を手にとってみました。こぶしよりも大きい
干柿です。よくみると枝になっているのではなく、ワイヤーにぶらさがって
います。「ん?っ?」
Fはよくその柿を観察しました。
それは「人の首」でした。
ワイヤーで首をつったので首から下が腐って下に落ち、残った首は乾燥し
干柿のようになっていたのです。
 

3)敵討ち
友人Dが中学生だった頃ですから20年以上前の話です。
Dが小学校から一緒だった親友が死にました。
トラックに轢かれたのです。
その体は内臓がはみ出し血だらけで悲惨な状態であったそうです。
ちょうどその日は、Dがその亡くなった親友と草野球をしようと誘った日でした。
自転車にグローブを積み 頭に野球帽をかぶり待ち合わせのグランドに行く途中にその悲劇に
あったのです。
急を聞いて現場にかけついたDと野球仲間の4名はDの悲惨に死に怒りを覚えました。
一番頭にきたのは 轢いた犯人がそのまま逃げてしまったという事です。
絶対につかまえてやる。
Dと仲間は心に誓いました。
そして、犯人に後悔させるために野球帽、自転車、グローブという扮装で事故現場で立ち続けた
のです。仲間は7人集まりましたので、交代で立ち続けたそうです。
すると段々噂となり、ついに後悔の念に達した犯人が自首したそうです。
後日、刑事さんがDの自宅にきてこう言ったそうです。
「よくやったな−迫真の演技だったらしいな」
「いやーそうでもないです」
「おかげで犯人の奴はノイローゼ気味だよ」
「はあ−」
「よく血のりまでつかってやったな」
「血のり?」
「全身血だらけのかっこうで立ってたんだろう」
「いえ血のりまでは−」
「おかしいな−犯人は血だらけで立つ野球帽の少年を見て、怖くなって自首したらしいのだが」
 

4)霊がいるアパート
これは私が学生時代バイト先の友人から体験した話として聞いたものです。
長野から出てきたばかりの友人は横浜で一人暮らしをしていました。
なかなかなれない横浜暮らしですが初めての1人暮らしに夢をもっていた
みたいです。
バイトをしながら大学に通っていた私と同じく友人も夜働き昼間学校という
生活でした。深夜のレンタルビデオ屋でのアルバイト中に彼が語ってくれた
話です。
彼の住むアパートはオンボロアパートという言葉がぴったりの建物で30年近く
たったものでした。その6畳一間に彼は住んでいたのです。
コンビニからも遠く、駅から自転車で10分もかかる条件でした。
それでも彼はそのアパートが好きだったそうです。
そのボロさに何か暖かいものを感じたようでした。そして、それ以上に嬉しかったのは
隣の部屋に住む女子大生が美人でとても親切だったからでした。
顔合わせると挨拶してくれるし、コインランドリーや定食屋などいろいろ教えてくれた
のです。でもその女子大生にもいやなところがひとつだけありました。
それはは彼女が幽霊の話をよくする点でした。
「このアパートは霊がいる」「1階で霊の祟りで死んだ人がいる」「昨日金縛りにあった」
とか、廊下や階段での立ち話でも必ずこういう話をするそうです。
元来臆病な彼は、そういう話を聞くのもだめで、そればかりは閉口していたそうです。
ある夜の事、彼が寝ていると、何者かが布団かぶさりました。そして体重をかけ首をしめ
つけてきたそうです。恐怖の中で、彼がそいつを手を引き離し、体をはねのけると電気をつけました。
すると 部屋の中は誰もいません。
乱れた布団のみがあるのです。これはいったいなんだ。俺の幻覚なのか。彼女が霊の話をするので
ついに本物の霊が出たのか。
不信に思った彼は大家さんのところに行きました。
話を聞いて大家さんはこういうのです。
「あのアパートは今、あなたしか住んでませんよ」
それ以来、彼は女子大生の姿を見ないそうです。
しかし、彼は思うそうです。
霊になったことを気付いてない霊っているんだなと−。
 

5)死人の群れ
山の男は山で死ぬ事が多い。
当然多くの仲間を山でなくしている。
中には親友を山で失い、救えなかった事をくやんでいる者も多い。
30代のYさんもそんな山の男であった。
彼は大学時代から山に登り、某大の山岳部でエース扱いであった。
そんなYさんも2年生の頃、雪崩に巻き込まれ自分の目の前で親友
を失っていた。
おもちゃのようにころころと斜面を転がり、雪崩に飲み込まれた親友
の姿が目に焼き付いてはなれないという。
そんなYさんが死んだ親友と一度だけ山で再会した事があるという。
それはOB会の連中で登った時の事、卒業し10年経ってもYさんの
腕前は衰えず仲間たちはYさんを慕ったそうだ。
そして下山する時、突如山を大雨が襲った。
前もはっきりしない雨であったが、麓に近いのとスケジュール的にき
つい社会人のチームとしては一気に下山を慣行した。
もう少しで麓に町というところで、下から山に登っていく集団と行き
合った。全員が顔を隠し、異様な雰囲気が漂っている。
「振り向くな」
一番ベテランの先輩がYさんも含めみんなに目で合図した。
死人のパーティーなのだ。つまり山で死んだ霊魂は山中を集団で徘徊
する事があるという。そういう連中と会った時は振り向いてはいけな
いと言われている。
Yさんも実際に幽霊とすれ違うのは始めてであった。横を音もなくす
れ違っていく連中の中にYさんはかつての親友らしき姿を見つけた。
「あいつだ」
Yさんは思わずふりかえって名前を呼んでしまった。
すると死人たちは一斉に振り向いたのである。
だが一人がこう言ったのだ。
「おまえはまだくるな」
親友の声であった。確かに奴の声であったそうだ。
Yさんは前に向き直るとがむしゃらに山をくだったという。
Yさんは時々思うそうである。Yは今も山を登ったり下ったりしている
のであろうか。
 

6)つぶつぶ入りオレンジジュース
これはキャンプ好きのC君の話です。
ボーイスカウト活動で仲の良かった彼はよく仲間と共に
困難な場所でのキャンプをおこないました。
木の枝の上に足場を作って野営をしたり、
斜面でテントを貼って寝たりとか、なかなかハードな日々
を過ごしていました。
ある年の事、春になってある山に友人とキャンプにいった
時の事。山の渓谷のような場所でキャンプをしたそうです。
雪解けの水がつめたく、大変おいしい水だったそうです。
あまりおいしいので同行した女性が水でわってつくる濃縮のオレンジジュース
を沢の水でわってくれて、仲間で飲んだそうです。
その場所で、その夜はキャンプする事になったのですが、深夜の
事、テントの周りを歩く音がします。
「ぱさ ぱさ ぱさ」
枝をふみ 歩きまわる音が聞えます。
誰だこんな深夜に登山はないだろう。Cはゆっくりと起き上がると
仲間を起こしました。確かに足音は聞えます。
泥棒か。怖くなったCたちはそっとテントのふちを持ち上げました。
するとそこには、全身にうじ虫が湧いた腐乱死体のような男があるいて
いたのです。
「うわーっ」
全員が飛び上がり、絶叫すると男はすーっと消えていったのです。
翌日、cたちは渓谷の100mほどの上流で腐乱死体を見付け警察に届け出た
そうです。冬山で遭難し、雪に埋もれていた遺体が雪解けと共に渓谷に押し流されて
きたものだったそうです。
春になり雪も解け 一気に腐敗しうじが湧いた状態で発見されたそうです。
Cはそのあと付け加えました。
「あの遺体発見の前夜、うかつにも下流で水で割ったオレンジジュースを飲んだだろう。
おれだけつぶつぶが入っていたんで、濃縮ジュースでつぶつぶなんてあるんだって同行
した女の子に聞いたら、いや普通のオレンジだっていうんだ。おれのカップには確かに
つぶつぶが3、4粒入ってたんだよね。今思うとちょっと動いた気がするけど」
 

7)心霊スポット
私の友人Aから聞いた話です。
都内のおぼっちゃま大学を卒業し、そのまま大学院の院生に
なったAは、親の金で外車を乗り回し学校もろくにいかず遊びまわって
いました。当然そんなAには、同じようなボンボンの遊び人の
友人が数名取り巻きでおり、27歳であった当時でも相変わらず
遊びまわっていたのです。
そんな彼が私に心霊スポットを教えてくれと言ってきたのです。
霊などを一切信じない奴が珍しいとは思ったものの、心霊を
科学的に究明したいからいくつかポイントを教えて欲しいと言って
きたのです。奴の真面目な態度に好感を持った私は首都圏の心霊
スポットをいくつか教えてやりました。
当然くれぐれも馬鹿にしたような気分で乗り込まない事と付け加えて
たのですが〜
その夜、彼は悪友2名を連れてそのスポットに肝試しと称して乗り込んだのです。
科学的に解明と言っても遊び気分でいった心霊スポットです。
そこは「出てこい」と叫ぶと「は−い」と霊が返事をする心霊スポットだったのですが、
彼らは散々「霊でてこい。勝負しろー」「霊なんかいない。くやしかったらでてこい」
と酒を飲みながらの大騒ぎをしたそうです。
その時は何も返事はなかったそうです。でもそれではおもしろくありません。
Aはいたづら気分で悪友2名に霊のふりをして電話したみたいです。
「はーい、返事おくれてごめんね。いまからいくから」
声色を使ったなかなかの演技だったそうで、悪友二人もすっかり怯えてしまったそうです。
それから1週間後の深夜、Aは悪友二人に、いたずらの謝罪をしながら自分のマンションで3人で
飲んでいたそうです。
悪友二人に「そりゃないぜ」と責められながら、Aは「わりいわりい」と謝りながら飲んでいました。
するとそこに電話が鳴りました。
こんな時間一体誰だ。
Aが受話器をとると
「はーい お返事遅くなってごめんね」
そう電話が言ったそうです。Aの家はその後経営していた会社倒産。彼は田舎で地味に高校の教師
をしています。
 
8)呪いの絵 
今から15年程前の話です。私がまだ大学生だった頃の話です。私は当時横浜市の某町に住んでいました。学生が多い町でしたが、古い町並みもあり、不思議な感じのする町でした。ある日、私は大学に行く途中、怪しげな骨董品屋に目をとめました。おやこんなところにこんな店があったのだろうか?いぶかしげに思った私は店内に入って見渡してみました。すると妙に心がひかれる絵があったのです。
 奇妙な図柄が描かれています。ひとつは家の屋根から人が落ちて怪我をする絵、ふたつめは車がクラッシュし、のっている人が怪我をする絵、三つめは、オートバイが車にはじとばされ、ドライバーが転倒している絵、そして最後は、小さな人形が人間をおそっている絵でした。大変気味の悪い絵ですが、前衛芸術に見えない事もありません。当時アートぶっていた私はそれを3000円で購入しました。それから私はその絵を自分の下宿の部屋に飾ったのです。
 奇怪な現象が起きたのはその日からでした。その夜、友人のIが真っ青な顔をして下宿を訪ねてきたのです。「俺、大学やめなきゃいけなくなりそうだ」「どうして」「大工やってる父ちゃんが屋根から落ちたんだ」「なんだって」私は唖然としました。こんな不幸な事があるでしょうか?その夜私は友人と思い出を語り合いました。
 それから更に1週間ほど過ぎたでしょうか、バイトを一緒にやっている親友のOの身に大変な事が起きたのです。その日バイトのシフトだったのにOは姿を見せませんでした。結局、彼が姿を現したのはバイト先のレンタルビデオ店が閉店する頃でした。あちこち包帯をまいてます。彼の話によると3日前に友人が運転する車で事故に巻き込まれ今日まで病院にいたというのです。よく命があったというぐらいの大事故だったそうです。私は何そして、3つ目の不幸は私の下宿の近くで起きました。ある夜、私の下宿の前でクラッシュ音が聞こえました。バイクと車が接触事故をおこしたようです。現場に駆けつけた私はびっくりしました。なんと幼なじみの友人Eが倒れていたのです。どうやら私の下宿に遊びに来た途中で事故にあったようです。幸い怪我は軽かったようですが、これはもはや尋常ではありません。明らかにあの絵が呪っているのです。こんな奇妙な偶然が何度も続くはずない。友人を病院に送り届けると私は部屋にかけてある「あの絵」の前にいきました。この絵のとおり不幸がおきている。転落事故、自動車事故、バイク事故。この絵は死に神なんだ。この絵のとおり不幸がおきている。いやひょっとしたらこの絵が不幸を呼んでいるんだ。私は夢中になってその絵を壁から、はぎとるとかかえて下宿を飛び出していきました。そして夜のゴミ捨て場にその絵を投げ捨てると私は下宿にもどりました。
 そして、その夜私は、胸に異様な重さを感じ目を覚ましました。よく見ると布団の上に小さな影が乗っています。一体何者だ。私がそう思った瞬間、その影がすすっーっと私の首もとまで近寄ってきて首をぐいぐい締め始めたのです。くそーっやめろ。私は無我夢中で払いのけると下宿の部屋を飛び出しました。そしてその小さな化け物から逃げ出しました。異様な気配が後方でします。奴は追ってきてるのでしょう。このままでは追いつかれてしまう。そう思った時です。ぽつんぽつんと雨がふってきたのです。
 そしていつしか大降りの雨になったのです。私は雨に打たれながら、小さな影が消滅した事を感じました。もはや異様な霊気が追って来ることもありません。私は理解しました。そうです。この雨であの呪いの絵が雨水で流れてしまったのでしょう。絵が消えた事で呪いも消えたのかもしれません。私はようやく心の平穏を取り戻しました。
 それから、幾日かたったある日、私はまたあの骨董品店の前をとおりかかりました。するとまた今度は別の絵が飾られていました。この絵を買う人は誰でしょうか?もう既にあなたの自宅の壁にかかっているかもしれません。
 

9)死んじまえ
最近 廻りにこわいはなしを聞きまくり、怪しまれています(笑)
さて、これもなかなか怪談としてはいやな話です。
「ある時 Rさんは近所の山にキャンプに行った。
子供会の主催だったので同年代の仲間も多く大変楽しかったという。
キャンプ場の近くに寂れた墓場があったので肝試しにいくことになった。
Rさんは友人と組んで一番最後にチャレンジした。
朽ち果てた墓場は気味悪く、Rさんは友人と一緒にびびりながら歩いた。
ふと背後が気になって振りかえると、男がそこにいる。
全身地だらけの男である。
Rさんと友人は騒然となり、転がるようにキャンプ場に帰った。
翌朝 あれは多分同行した大学生のいたづらだという事になり
一応落ち着いたが何やらふざけたいたづらにRさんは大変立腹したという。
そして1年が過ぎた。
また子供会の主催で同じキャンプ場に行った。
そして例によって恒例の肝試しをやることになった。
そしてRさんはまた友人と組んで最後になった。
また今年もいたづらしてくるかな。
変な期待を持ってRさんは歩いていた。
また異様な生臭い気配を感じた。背後になにかいる。
あの大学生だな。
Rさんと友人は振り向いた。
そこには去年と同じように血だらけの男がうつむき加減
でたっている。
また去年と同じ手である。
「もう子供じゃないんだから、去年みたいにだまされないわよ」
「……」
「なんとか言ったらどうなの? 最低よ。あんたなんか死ねばいいのに」
「…もう死んでます…」
そういうと男は顔をあげてゆっくりと消えていった。
その顔は同行の大学生とは全然違うものであった。
 

10)高速道路を走る分身
今年50代に突入するSさんは、もう30年も運転手をしている
ベテランのトラックドライバーです。
東京〜大阪間の路線を3日に1回往復し続ける生活を続けています。
自分の腕だけで生きてきた人だけあって幽霊などは一切信じていません。
幽霊タクシーや100キロ婆の話などもうおかしくてたまらなかった
そです。何故なら自動車という科学の結晶にまさるものなどこの世の中
にないと思っていたのです。
まだ昭和と言われたいた時の事、Sさんは東京を夜に出発しました。
いつもより積み込みに時間がかかり、その日は1時間遅れの出発
となってしまいました。
(このままじゃ 明日の朝にまにあわない)
Sさんはかなりあせってました。
当然車はぐんぐんスピードをあげ、大型トラックとは思えない
スピードで高速道路を走っていきました。
どんどん追い抜いていきます。
(おれはまだまだ誰にも負けない)
負けず嫌いのSさんは得意になってハンドルをさばいていきます。
Sさんはある車に気付きました。
途中何度も追い抜くのだが、すぐ抜き返されてしまう車があるのです。
Sさんと同じトラックです。
塗装に社名、そしてボデイにいたづらで貼ったステッカーも一緒です。
(あんな車、うちの会社にもう一台あったのか)
不審に思いながらSさんhじゃ追い越しました。
しかしまた5分もたたないうちに追い越されてしまうのです。
そんないたちごっこを2時間ほど繰り返した時、Sさんは
追い抜きざまに相手のナンバーを確認しました。
なんと自分のナンバーと一緒です。
(ばっばかな 偽造ナンバーか)
Sさんは混乱しました。
そして相手の車が追い抜こうとSさんのとなりに並んだ時に
相手のドライバーの顔を見ました。
なんとその顔はSさんの顔だったのです。
しかも、頭部がざっくりと割れ、血と脳みそがあふれ出して
いるのです。
おれがもう一人いるなんて…。
唖然とするSさんを後目にそのもう一台のトラックとSさんの分身
はゆっくりと半透明になると夜の闇に消えていきました。
消滅してしまったのです。
(あれは事故で死ぬ自分への警告だったのだろうか)
Sさんはそう反省すると、安全運転を第一に心がけるドライバーへと
変わったそうです。
 

11)山をいくもの
四国には山林業の人がいまもいる。
ある人に話を伺えたのでここに記す。
山の仕事が忙しいときに時々山の宿舎で
同僚数名と過ごす事がよくあった。
昼間の激務のため、みな夕食後ぐっくりと眠るのが
常であった。
でも時々 夜中に妙な音で目が醒めることがあった。
「ひょーひょー」と叫びながら何者かが歩いて
いっている。こんな山奥でのことである。
しかも夜間である。
だれがなんのために叫びながら歩いていくのか
不思議に思ったその人は何度かめに声の方に宿舎
を出て歩いていった。
すると、山中を白装束を頭からすっぽりかぶった
集団がうねうねと歩いている。手にはランタンを
もち 中のうちの一人が「ひょーひょー」と叫んでいる。
そのうち、彼が覗いているのに気がついたのか。一斉に
彼の方を見た。そしてそのうちの数名が彼をおってきたのだ。
彼は急いで宿舎に逃げ込んだ。
翌朝、おきて宿舎を出てみると、宿舎の入り口に獣の足跡
と毛がたくさんのこっていたという。
 
15)現代三大河童事件
遠野河童騒動について
10/23発売の東京スポーツ(日付10/24号)の河童の記事について
東京スポーツに遠野市民によって撮影されたという「河童の写真」が郵送さ
れてきた。写真は遠野市の「土渕小学校裏の小鳥瀬川」で撮影されたものだ
という。確かに緑色の妙な生物?らしきものが写っている。
小学生のコメントだと月曜、水曜の午後4時に現れるとか、
野球のバットをもって川にいった子供もいるとか、
また遠野テレビが賞金1000万をかけたらしい。結局はテレビ番組のやらせであった。
対馬河童騒動
1985年8月 1日深夜 長崎の対馬の南部厳原町久田でイカ釣りからの帰宅中
の城崎竜作氏が河童らしき生物と遭遇。身長1mザンバラ髪で口が尖っていた
という。城崎さんに気づいたその河童らしき生物は、道からはずれ川へ「ボチ
ャン」と飛び込んだという。翌朝、近所の人を誘って現場に行ってみると、路
上には長さ最大22センチ、幅最大12センチほどの三角形の足跡が残されてい
た。歩幅の間隔は50cmであった。警察によって足跡から分泌物が採取され
たが、分析されることなく廃棄処分となってしまった。
宮崎河童騒動
また、1991年6月 宮崎県西都市に住む松本貢氏の留守宅に、謎の生物が侵入。
居間の畳、廊下に三角形の足跡が残されていたが、3〜5本指であり、長さ
12センチ、幅10センチだった。僅かに残った黄色い液体を分析したところ、
わき水にみられる鉄分をふくんだものである事が判明。裏山から流れ込む排水
溝が庭に通じており、生物はそこから侵入したらしい。足跡の写真を見たフェ
ニックス自然動物園の竹下完副園長もどの動物のものか判断に苦慮したという。
なお松本氏の住宅付近には河童伝説があり、今回も河童の仕業ではとの指摘が
あがっている。また12〜13年前にも近所でコンクリートの流した跡に謎の
足音がついたという事件があった。
 

16)転がってくるもの                                 妖怪王聞取調査
 袖ヶ浦姉崎線の横側にある急斜面の林がある。しょっちゅう大雨になると土砂崩れが起こる危険な場所である。今から20年近く前に台風によって起こった土砂崩れで女性のバラバラ遺体が発見された。
しかし、全身のパーツがくまなく発見されたが、何故かどうしても左の手首だけがみつからなかった。
警察の捜査の結果、被害者は女性で恋愛のもつれでの事件ではないかという事であった。
 そして遺体発見から数ヶ月後の雨がしとしと降る深夜、ある会社員が会社帰りにこの辺りを走行していると、くだんの斜面から肌色円筒形のものがコロコロと転がって落ちてくる。危ないと思って急ブレーキが踏んだが、結局間にわなかった。
「グシャッ」
という妙な音と共に止まった。
会社員が一体何を踏んだのだろうかと思っていると、突如、びしょぬれ女性が現れ、車の窓を「どんどん」と叩く。
そして、会社員が「なんですか」と窓を開けると、女はびしゃぬれの右手で会社員の襟首をつかみこう言うそうだ。
「私の左手を返して」
ふと女の左手を見ると左の手首がないそうである。
 
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世界の怪物たち
解説)インターネット、高速旅客機によって益々世界は狭くなり、怪異が世界単位で語られるようになった。怪物たちはもはや一地域の専有物ではなく世界的な規模で怖れられるようになったのだ。世界を近年驚愕させた怪物たちを紹介しょう。
 

1)ムノチュワ
今年の夏頃からインドの各地にムノチュワと呼ばれる怪物が出没している。
髪が長く目をぎらつかせ長い爪で人を襲うと言われた。
女のような怪物に見えるとも、男のような怪物に見えるとも言われる。
この怪物のために人々は野外で寝る事をやめているらしい。
一説には機械のような、ロボットのような怪物とも言われ、怪人の体から赤と緑の光が発せられるのを見た目撃者もいる。
ウッタルプラデシュ州で多くの犠牲者が出ているという。
インドでは昨年から「モンキーマン」「ベアーマン」今年に入っても「ひっかくUFO」
など怪物事件が頻発しており、今回の怪物騒動とも関連が指摘されている。
ムノチュワの正体についてはインド政府は変質者と判断している。 
 

2)ピット湖の大サンショウウオ
本年8月28日、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州ピット湖でオオサンショウオのような怪物が目撃された。
湖畔でロッジを経営する Danny Gerak氏が、約体長3フィートの黒い爬虫類のような怪物を目撃した。
氏の証言によると、その怪物はカワウソでも、ほかのなんの動物でもなかった。
まったく未知の怪物であったらしい。
後に、カヌー遊びに興じていた家族づれも、ボートの前方の水面を泳ぐ似たの怪物を見たと Gerak氏は言いっている。
湖は以前から怪物の噂があり、怪物の標本も一部では存在すると言われている。
 

3)タイの火の玉
11月の満月の夜、つまりタイ仏教のオックパンサー(雨安居明け)の晩、チャオプラヤ河の川面から無数の火の玉が空中に浮かび、夜の空に消えていくのが目撃された。
場所はノーンカーイ県ポンピサイ郡である。
1990年頃から地元の人たちが「あれは、なんだろう」と言い出し、やがて全国的に
有名になった。
最初は「ロケット花火でもやっているのでは?」と言われたが、火の玉はふわふわと飛び、ロケット花火とは似ても似つかない。また対岸のラオスからも目撃されるらしい。
科学者は川底に火山があって、ガスが発生するのではないかと言っているが、この周辺に
火山はない。ガスが発生してもどうやって水中で引火するのだろうか。
結局、多くのタイ人は「これはナーガの仕業だ」と結論づけている。
ナーガは水中に棲む伝説の龍の一種で、仏教徒の信仰の対象となっている怪物である。
                   日/タイ新聞 スーマイタイムス誌
 

4)ストーウェオーユーエ
スウェーデンの湖である「グレート湖」に棲む巨大水棲怪物である。
「ストーウェオーユーエ」という現地では呼ばれている。
1998年に怪物を科学的に捜索した。
しかし、最新の水中カメラや、魚影を捕らえる音波探知器を駆使したが、怪物は、発見できなかったという。
日本のマスコミでは「グレッシー」とされている。
これは日本での独自なネーミングである。
 

5)モスマン
米国ウエストヴァージニア州に出た怪物で、赤く輝く目を持ち、翼を広げると3mも有り、体は1.8mぐらいであった。頭部がほとんどなく肩幅が広い。くちばしなどがあったかどうか不明。翼は折り畳むことができる。
1966〜67年に米国を震撼させた。TV局の人間によって「バットマン」にちなんで名付けられた。1966年11月17日に2組の新婚カップルによって目撃されている。第二次世界大戦中の軍事品貯蔵庫、製造場所の廃墟であるTNTエリアをドライブ中、廃発電所の後からモスマンが出現。車で逃走したがカーブをまがったら、先回りしたモスマンがいたという。160キロで車を走らせたがモスマンは追跡してきたという。体色は茶褐色で人間で言うと頭部はほとんどなく、鎖骨の辺りに赤くてデカい目がある。
また11月25日靴販売店トニー・ユーリー氏はポイント・プレザント北で道路から数百mの林からヘリコプターみたいなものが上昇したのを見た。それが巨大な鳥とわかると、ユーリー氏は追跡をおそれ112キロで逃走、1.6キロ走ったところでモスマンは諦めたという。
 

6)バッツカッチ
アメリカ、ワシントン州カスケード山に出た怪物。7mの人間に似た筋肉質の体を持ち、頭部が大きく、目が赤い、耳が尖っている。灰色の毛が全身を覆い、翼で飛行する。怪物、狼のような顔で鳥のような足をしている。足には鋭いかぎ爪がある。コウモリ(バット)に似た翼を持つため、サスカッチをとたして割り、バッツカッチと呼ばれる。ジャージーデビルと容姿が酷似している。この怪物が現れると電気系統や車のエンジンに異常がきますので、UFOとの関連、UFOが連れてきたエイリアンアニマルという説も強い。体に電磁波を帯びている説がある。
1994年4月17日の午後9時30分すぎ、カスケード山脈レイニア山の麓に住むブライアン・キャンフィールド氏この怪物を目撃している。彼が自分の車で帰宅中、車のエンジンに異常が起こった。氏は車をおりてエンジンを確認しようとしたが前方9m先に翼のはえた怪物が舞い降りた。氏と怪物は2〜3分にらみあっていたが、怪物はレイニア山の方へ飛び去ったという。一部の研究家はプテラノドンのヒューマイノド化した恐竜人?ではと言われている。
 

7)コンウオールの怪物
イギリス南西部 コーンウオール沖合に巨大な生物が現れ、ビデオ撮影された。
ジョンホルムズ氏が妻の水泳中に 生物を発見し撮影した。
BBCラジオのインタビューによると沖合250mに妙な波がたち、へびような鎌首をもちあげた巨大な生物が泳ぎだしたので撮影したという。
現場のゲランズ湾にほど近いファルマス湾では「モーゴウル」というUMAが目撃されており関連が指摘されている。
                                  western moring news 6/30 の記事
 

8)怪物「サリサリ」
南米ベネズエラの秘境のギアナ高地にそびえ立つテーブルマウンテンがある。
そこには悪魔が住むと言われている。
山の悪魔は度々麓の里にやってきて人をさらうといいます。
そして「サリサリ」と音を立てて喰うという言い伝えられています。
当然植物や昆虫などは特殊な生態系を持っているらしいのです。
植物や昆虫が特殊な場所では悪魔も特殊のようです。
 

9)グオイ・ルン
ベトネム戦争中にゲリラ兵 米国兵両方から目撃されている毛だらけ野人。
1〜1.8mの身長で、毛の色は赤、灰、黒、茶などがある。人を襲ってころす場合もあるという。洞窟に持ってかえる人間を食べるとも言う。1万年前まではベトナムにはオラン・ウータンがいたらしく関連があるのかもしれない。
ちなみにグオイ・ルンとは「森の人」という意味である。ベトナムの動物学者ダオ・ヴァン・ティエン氏によると、1995年雑誌のインタビューで北ベトナム側の兵士から1960年頃、高地の飛行場で類人猿の遺体がヘリコプターが持ち去られるのを目撃したという。これは俗にミネソタのアイスマンと呼ばれるものであろうか。1990年代にプークアン牛が発見されており、大型の未発見のほ乳類がいまだにいる可能性がある。只その生物がいるとされている地域は旧北ベトナムと南ベトナムとの国境付近で枯れ葉剤の散布を受けた地域でもある。そのためであろうか。1970年代以降目撃談無いという。戦争の影響で全滅してしまった。正体については3万年前にに絶滅したと言われているネアンデルタール人の生き残りではと言われている。
 

10)顔をひっかくUFO?円盤生物?
インドのウッタルプラデシュ州で最近「UFOに顔を引っかかれた」という
被害が続出、住民が寝ずの番をする騒ぎになっている。
英字紙エイシアン・エイジによると、被害者は既に約50人。ある目撃者は
「親類の家のテラスで夕食を取っていると、突然大きなクッションのような
ものが飛んで来た。気が付くと、おばさんが顔を血だらけにして倒れていた」
と話している。
「ネコだ」「テロリストが恐怖を広めようとしている」などと解釈もさまざま。
不安に駆られた一部住民が道路を閉鎖したり、対応の遅い警察官に投石するな
どの騒ぎも起きているという。
                              情報投稿記者 佐野豊房
 

11)飛虎
1965年の人民中国に飛ぶ虎という記事がある。
広西のトン族の自治区の山岳地帯に住むUMA。
通常の虎より小さく翼がある。
体重5kg前後だという。
体はキツネ色の毛で覆われ、10mぐらい飛行する。
主食はウサギなどを捕獲し食べるらしい。
一説には飛虎とはももんがと言われている。
 

12)バロン山の獣人
インドネシアのボルネオ島のバロン山に棲息すると言われている。
獣人の住処は、虎など猛獣の多い原生林のため、現地住民はほとんどいかないという。
身長3mという巨大な獣人である。
特徴的な部分は、左右の目が獣のように頭部の横側についているという。
全身は毛で覆われているという。
また二足歩行だが、何故かジグザグに歩くという。
同じインドネシアのスマトラ島に棲息すると言われているオラン・ペンデクとの関連にも注目したい。
 
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都市伝説・学校怪談の妖怪たち
解説)現代において唯一のコミニティの場と言える学校。そこにはまだ集団の人間が創り出す魔物を産み出す境界という空間があった。受験戦争、いじめ、そしてインターネットによって歪んだ子供たちの心は新たな怪物を創り出している。
 

1)妖怪「杖つきじじい」・「鞠つきじじい」
杖を突きながらハイスピードで車を追いかける妖怪である。鞠をつきながらおいかけてくるバージョンも有り、こちらは「鞠つきじじい」という名で呼ばれる。まるでドリブルのようではあるが…。なお土佐の伝承妖怪「杖突き」を連想させるが、「杖突き」のような趣は感じられない。兎角 現在の老人妖怪はハイスピードで有ることが多い。老人の虐待や、高齢化社会のアンチテーゼであろうか。
 

2)妖怪「手まり小僧」
校庭や公園で手まりをついているという。その手まりは「人の魂」であるとか、「火の玉」であるとか言われている。ずっと手まり小僧の手まりを見つめるとそのまま異界につれていかれてしまうと言われています。似た妖怪に「まりつき爺」がいる。手のひらに火の玉をのせている妖怪の記録はいくつかみられる。高知に出た妖怪は手のひらに火の玉をのせて走っていたという。
 

3)妖怪「三つ目のウイリー」
埼玉・東京・千葉で15年近く前に小学生に流行った妖怪。この妖怪の名前には呪いがかかっており、その名前を口にすると、三日後にウイリーが迎えにきて、ウイリーの世界に連れていかれると言います。ウイリーの名前を口にした人は「みつめのウイリーみつめるな」という呪文を言わないと呪いがとけないと言われている。三つ目の妖怪は記録は伝承妖怪でも珍しい。
 

4)都市伝説・七廻り塚              
千葉市に円墳がある。それは別名「姫塚」と呼ばれている。この塚は一部の人々から怖れられている。何故なら、その塚には悲劇に見舞われた高貴な女性が埋葬されているという伝説があるのだ。そして、七廻り塚という奇妙な名称とも関連するのだが、片足跳びで塚の周囲を七回廻ると塚の中から機織りの音が、微かに聞こえてくるというものである。そこから、機織り姫にちなみ「姫塚」という名で呼ばれるようにもなったという説もある。
 

5)学校の妖怪「いずみちゃん」
千葉県富浦の某小学校の寮にでる妖怪である。60年前から出ているという。毎年5月に小学校の生徒が泊まりにくるが、10時過ぎに出るという。
トイレで泣いていたり、壁から赤い血が出たり、鏡に少女の顔が写るといわれる。
実は60年前にある少女が海水浴中に沖に出て行方不明になった。当時の噂では竜王に見初められたと噂された。時々魂のみが帰ってくるのではないかと言われている。
    富浦の昔話 生稲謹爾   2000年1月 富浦町
 

6)妖怪「ベロ出しばばあ」
東京の下町に出た妖怪。夕方原色の着物を着て草履履きで追い掛けてくる。異常なスピードで走ってくるという。大声で奇声を発しながら追い掛けてくるが、長い舌を伸ばしながら追ってくる。一説にはその長い舌でなめられる事もあるという。伝承妖怪の「舌長婆」「こんにゃく婆」という舌の長い老婆の妖怪の現代版とも言われるが 60年代に噂された珍種妖怪である。
 

7)心霊スポット「ダルマ神社」
船橋市の某神社の別名である。拝殿には古いダルマが2つ祭られており、呪術を行う者が出入りしていると言われている。奧には古井戸があり、この井戸にも心霊談が囁かれているようだ。腕が出るとか言われているが真偽は定かでない。生首が浮游しているという噂や目撃談もある。これに関してはかつてこの辺りが、首切り場であったという歴史的事実が符合しており気味が悪い。
 

8)怪人「やかんおばさん」
千葉県の某所には「やかんおばさん」という怪人物が出るという。依頼を受けて拝み屋をやっており、某大物政治家の依頼で人を呪うこともあったという。普段は山中に住み、仙人のように暮らしている。若い頃は美人だったらしいが詳しい年令などは誰も知らないらしい。飲み水の確保のためにやかんをさげて道を徘徊することがあり「やかんおばさん」という名前がついたという。ここ10年ぐらい目撃されておらず死亡説もある。
 

9)怪人「アンサー」
携帯を10個用意して、1個目の携帯から2個目の携帯に、2個目の携帯から3個目にと、グルグルと輪になるように携帯を同時にかけます。すると、話中にならずに、アンサーという怪人に繋がるそうです。アンサーは、9人の質問にはそれがどんなものであろうとも、答えてくれるそうですが、一人にだけ、逆に質問をしてくるそうです。答えられないと、液晶から手を出して、体の一部を持っていってしまうそうです。
 

10)口われ女
愛媛県ではかつて昭和50年代、口裂け女の事を「くちわれ女」と呼んだとい
う。これは愛媛特有の呼称のようである。また関西と四国の一部では「口裂け
女」の事を「口裂き女」と呼ぶ場合もある事が判明した。現在「口われ女」「
口裂き女」「口裂け女」という呼称パターンがある事が判明しました。
 

11)学校わらし
学校に出る座敷わらしである。いろいろいたづらをするという。昔の服装
をしているらしい。
 

12)妖怪まりちゃん像
宝塚市の仁川の少女像は「まりちゃん」と呼ばれ市民に親しまれています。
しかし、この像には事故で亡くなった少女の怨念が込められていると言われおり、深夜、しくしくと泣くとか、動き出すとか言われています。やはりこの妖怪は器物妖怪ですか、それとも死霊なんでしょうか。
 

13)ロッカー婆
学校の怪談系妖怪です。ロッカーに棲む妖怪で小柄で飛び跳ねるという妖怪。
しがみつくとか言われている。まさに現代版「納戸婆」であろうか。
 

14)ぴょんぴょん婆・トランペット少年
ぴょんぴょん婆の出る愛知県の入鹿池には他の妖怪もでるようだ。その名も「トランペット少年」。この妖怪は池の真ん中辺りの水面に立ち、トランペットをふき続けるという。
 

15)「ゴリラの幽霊」
愛知県の某テーマパーク付近にでるゴリラの霊体。道に突如現れるという。車などを追い掛けてくるらしい。幽霊でなくともゴリラが道の真ん中にいるだけで充分に怖いと思うのだが。
 

16)妖怪「トロのお婆さん」「しまっちゃうおじさん」
トロの婆さんは子供の教育に使用された教訓妖怪である。親の言うこと聞かない子供や、夜遅くまで寝ない子供に対し親が「トロのお婆さんが来るよ」と言われた。この「トロのお婆さん」は伝承妖怪「コトロ」が現代風に進化したものと思われる。なお他にも「しまっちゃうおじさん」という妖怪がいる。この妖怪は漫画「ぼのぼの」から広まったと思える。悪い子供をサライ、山の某所にしまってしまうおじさんだという。
 

17)花子一族「ブキミちゃん」「花男」「小花子」
花子さんの本部は群馬の小学校で全国から親戚が年に一度あつまる。そこで今後の方針を決めるという。まるで出雲の神様のようですね。しかも、花男、小花子などが親戚にいるらしいのです。安易なネーミングセンスが凄い。さらに花子さんの妹には「ブキミちゃん」がいる。彼女は性格が残忍、血が好き、太っていて口から泡をふく、頭のない人形をもつ、人に憑依する。という悪の限りだそうです。
 
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 三田先生インタビュー
m三田氏 hはざま氏こと山口敏太郎            インタビューの一部のみ公開
                         山口敏太郎
 
m「昔話というのは全部は教訓があるんですよ」
h「はい」
m「教訓のないものいは昔話ではないだよね、それからに伝説には必ず、例えば鎧橋とか、○塚とか、モノがある」
h「具体的な地名とか入る」
m「そう地名とモノとか」
m「それと、妖怪物語というのは、小泉八雲も書いているけどね。これは小説じゃないと書いてるんだよ。僕がたくさん持ってた。異境異聞録というのがあるんだけど。この本にね。雪女、小豆洗いとかこの当たりの妖怪は全部のっている
武州青梅の…」
h「先生はこれをどこから収集されたんですか?
m」「かくさん、おじいさんです」
h「生まれが幕末」
m「そう 60違い。僕が10才の時に70才だったから」
h「角さんだけじゃないですね。」
よ「もうすごい迫力ですよ」
m「昭和17年に兵隊に私が出たんだが、友田が空襲がはげしくなってお袋がこれは鶴吉の大事なものだからって防空壕に入れて 防空壕に水がたまってね。くさった。」
h「小泉八雲の話も全て、みんな因果物語」
h「その原話みたいなものが残ってる?」
m「うん」
m「勝太郎物語なんかね。お参りしている時に言い出す
h「ああ
m「あれは元々高幡不動の話なんだよ。
h「お不動さん」
m「お不動さん」
 
でもの小泉八雲は高幡不動の縁起の事は全然書かなかった
h「カットしちゃった」
m「そうカットしたの」
h「勝五郎の原話もこのあたり?」
m「そうです」
h「すごいや」
m「縁起話の中に」
h「今も高幡不動では語られている?」
m「今はわかんないけど。うちの花屋で高幡不動に花を納めて50年になりますが、
  その当時丈夫だった和尚さんはその話どこから聞いたなんて言ってたけど、今はどうか?」
h「勝五郎は記憶を取り戻して前の親ともあったんですよね」
m「そうですね」
h「そのあと勝五郎はどうなったんですか?普通の人になったんですか」
m「そうです」
m「武州青梅村にか衛門が段々大きくなりしゃべれなくなり、口が鵜のようになったと書いてある。このことは日向の国安国寺からわざわざ行って調べたって事が書いてある。」
h「くちばし
m「 江戸の深川でウナギや土壌をとって生活したのも同じように」
h「ウナギぽっく魚っぽくなるわけですか」
m「そう、このあたりでは初めて因果を知り漁をyまえた」
h「この人は鵜を使って漁をしてたら」
m「子供がね」
h「江戸時代に平田あつたねが取材に来て可能性が」
m「うん」
m「こういうのものを写したんだよね。大体こういうのが10冊はあったかな?私も友田の生まれですから、青梅線が長くなるのを反対署名したものなんかもありました。それお腐っちゃた」
h「貴重な話が自随分」
m「17才で兵隊にいきました。それまでは随分貴重な話を聞きました」
h「雪女の原話はどんなものですか
m「八雲まったく同じ」
h「同じ?ですか」
m「あっあときこりはいない、そま、こまびと、八雲もそういうの知らないから樵にしちゃった」
h「外人さんだから、そのあたり一緒くたになった?」
m「あと五里も行って木はきらない」
h「…」
m「最近の妖怪話だと調布橋だな、あそこを通ると飛び込みたくなる」
h「哀しいはなしですね」
m「哀しいです」
 
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 「いやしを求める現代人と尊厳ある戦士の休息」    
(某医療雑誌に発表予定が雑誌が休刊)             
                                山口敏太郎
 人間は自分の意志によって生まれてくるものではない。他人の希望、意志、援助によって誕生させられるのが現実である。更に、悲しみべきことに人間は、死に望んだ際の生死の選択の権利さえも現状の我が国では許されていないのだ。最悪の場合、激痛の中で只横たわっている物体と化したままで、半分医学の実験体となりながら無駄な時間延長のみを繰り返す事になる。このシナリオだけは絶対にさけたいものだ。
 そもそも人間の死というものはなんであろうか?これは人によって基準が違うものではないかと思える。自らの意志で身動きがとれなくなり、苦痛に身をまかすしかなくなった時点で死と認識するもの。或いはどんなに苦痛にもだえても最後まで闘いたいと切に思う者などそれは様々であろう。
 しかしながら、その自由が確保されないのは何故であろうか?それは多分に一分でも長く生きる事が素晴らしい事であるという勘違いと、延命合戦に終始した現代日本医学の現実問題に原因があると思えるのだ。これではまったく患者の尊厳というものが無視されているではないか?少しでも長く生かす医療が美徳とされていたのは昔の話である。今や患者やその家族の意識も変わってきているのだ。苦しく、そして無惨に長く生きるよりは、安らかなな最後をむかえたいと思ってきているのが社会の風潮となりつつある。これからの医療は患者の意志を尊重し、安らかに死なせてくれる医療もあってもいいのではなかろうか?単に長く生かす医療は医者のエゴではないだろうか?
 21世紀に入り私たちは益々便利な社会生活を送れるようになった。物質的には充分、満たされた生活を送っているのだ。それに相反する動きとして、今後私たち人類は精神面でも充実を図るべく生きていく事となるだろう。その証拠に現代人は今、「いやし」を求めているのだ。情報の洪水と電化製品に囲まれた毎日、凄いスピードで進化していくこのネット社会、現代人はまさに過去の日本人に比べ何倍ものエネルギーで何倍もの人生を過ごしているのだ。
 このような現代人にとって死とはいかなるものであろうか?ある意味、本当の意味での休息ではないだろうか?そんな現代戦士の休息が死であるとしたら、そこに尊厳と個人の自由を与えてしかるべきである。散々激しい人生を送り、機械と先端技術に囲まれた日々を長年過ごしておきながら、死に臨んでまでも、機械とチューブに囲まれ先端技術に生かされる始末である。最後の数週間だけ自然に生きたい。機械に頼らず自力で死んでいきたいと思うのは当然の事である。
  自分の希望としては、身の回りを整理し、人間としてしっかりした意志をもって自然に囲まれた状態で死んでいきたいものである。せめて「死」に望んでいる時ぐらい「いやし」をもめたいものである。追いまくられた戦士の休息が「苦痛」をともなったものではいけない。せめて最後の「尊厳」をもった永遠の休息にしたいものである。
 
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