「柳野塾」を主宰する柳野隆生氏 |
次世代育成に乗り出した元祖起業家たち
前回の「草の根企業を植える人――『坂の上の雲』を再び」(10)では、若者や女性の起業を手助けをして歩く市民運動家、片岡勝氏の活躍を書いた。右肩上がりの時代には権威と戦い続け「日本を変えよう」とした片岡氏。いま、彼の目標が「若者を育てる」ことに比重が移ったのは、彼の倒すべき「日本のエスタブリッシュメント」が変化に対応できずに自壊し始めたからだろう。彼は、主要敵の「崩壊」の後で、日本を立て直す人材の育成に動く。
片岡氏の周辺に集まる「大人」も志は同じだ。片岡氏の起業塾を描いた「若者よ、問題解決で起業せよ!」(中本千晶著、明石書店)には元祖ベンチャーの一人、菊池三郎氏の話が出てくる。石油卸業で成功を収めた菊池氏は、引退し70歳を超えた今、同塾で若者への起業アドバイザーを務める。
「菊池さんの現在の一番の課題は、この『片岡起業塾』で蓄積された仕組みと知恵を、片岡氏の個人的な業績に終わらせず、次にどう受け継いでいくかということだ。そのために、自ら勉強会を主催するなど、意欲的に行動している」(同書から)。
「坂の上の雲」を再び(9)で登場した田辺孝二氏もそうだ。彼は経済産業省のキャリアを退官するやいなや天下りせず、島根県で起業する若者を育てるべく県民ファンドを手弁当で立ち上げた。
「日本の活力」を次世代に植え込む
片岡氏の周辺に集まる人々だけではない。ごく普通の中小企業の経営者の間でも、「次世代育成」が始まった。厳密には「再開」と呼んだ方がいい。
実は、「坂の上の雲」を再び(3)で登場した湯川晃弘・プロトニクス研究所代表取締役は若手経営者道場の先生でもある。“校長先生”は柳野国際特許事務所(大阪市)の柳野隆生所長。柳野氏は80年代初頭に「新大阪VBクラブ」を立ち上げ、いち早く大阪のベンチャー育成の旗振り役を務めた異能の弁理士だが、再び若手経営者の道場、「柳野塾」に力を入れる。
彼の思いもまた「低迷する日本を救うには、“高度成長期の日本人の活力”を次世代の経営者に植え込んでいくしかない」だ。
バブル経済に突入するまで、日本には「次世代の経営者を育てる」集まりが数多く存在した。だが、バブルはバランスシートだけではなく、人の向上心までむしばんだ。多くの“先生”も“生徒”もいかに派手な外車に乗り、いかに大きな別荘をハワイに買うかを競った。当然、ほとんどの“若者道場”は眠りについた。それが今、日本全国で再び起きあがった。
沈む大企業で「ひそかに次世代を育てる」
「次世代を育てる」のに心を砕く人の多くは、自らが起業に成功し、自由に行動できるオーナー経営者だ。だが、大組織病にかかって衰退しつつある大企業の中でも、思いを同じくする人もいる。
ある大手企業の中堅ビジネスマンは明かす。
「見所のある若者をひとりでも多く中国に送ることで、日本の人材を温存・育成している。日本では、特に官僚主義のはびこる日本の大企業では、本当に優秀な若手は育たないからだ。彼らが我が社に戻ることは期待していない。日本がどん底に至った時、彼らがどこかで日本の役に立てばいい」。
――あなたは改革に動かないのか?
「江戸時代末期に優秀な若手を西欧に密航させた長州藩などの家老と同じ心境だ。西欧で学んだ若者は幕藩体制が崩壊した後、新生日本の立役者となった。自分は改革に立ち上がれない“保守的な家老”に過ぎない。せめて、新生日本のタネをまいておく義務は果たすべきだと思うのだ」。
「日本の衰退」は今、日本人の共通認識になった。2000年ごろまでは「ちょっとした景気の後退」と考えられがちだったが、「台頭する中国」を鏡にして「国際環境の変化への不適応」や、「向上心の喪失」という日本の構造的な下り坂を、ようやく日本人は思い知った。日本全国で生まれ、復活する若者道場は、衰退への認識が広がった結果、働き始めた「下からの再生バネ」なのだろう。
もちろん、再生への動きは草の根からだけではない。分権化など政治的な改革や大企業の事業構造改革など、既存の組織の仕組みを変えようとする動きも起きている。
ただ、片岡氏は言うのだ。「上からの改革だけではすぐにダメになる。ヒトが変わらないと(改革には)生命力がつかないからだ」。
※柳野国際特許事務所のホームページはhttp://www.yanagino.com