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人権の居場所<1>復活 差別論争に一石を投じ 絶版に揺れた童話―連載
20051107付 朝刊掲載

 
 三十年ぶりに開いた絵本に、どきどきした。ぐいぐい進むストーリーの書き出しはこうだ。

 〈あるところに、かわいい くろい おとこの子がいました。なまえを ちびくろ・さんぼと いいました〉

 福岡県飯塚市の主婦渡邉福(さき)(38)に、子どものころ読んだ「ちびくろ・さんぼ」の記憶がよみがえった。真っ黒で縮れ毛、赤く厚い唇の黒人、さんぼはあのときのままだった。

 「題名や容姿が黒人差別を助長する」との指摘で十六年前に出版十一社が絶版にしたが、今年四月に「差別にはあたらない」と瑞雲舎(東京)が復刊した。渡邉は子ども三人と再び世界に入り込む。

 〈さんぼは、なんと 百六十九(枚)も(ホットケーキを)たべました〉。小学四年の大地(9つ)が声を上げた。「すごいなぁ。僕ならせいぜい十枚だ」

 渡邉は絶版騒動については「覚えているけど、あまり気にしなかった」と言った。「だって私が生まれて初めて知った黒人はさんぼだったけれど、大人になって黒人を見てさんぼを思い起こすことはなかった。差別なんてそんな短絡すぎませんか」

    

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 「さんぼ絶版」のきっかけをつくった人物は、大阪府堺市に住んでいた。

 市民団体「黒人差別をなくす会」の副会長で、堺市職員でもある有田利二(58)。一九八八年、都内百貨店に飾られた黒人のマネキン人形を「差別的」と報じた米ワシントン・ポスト紙の記事に目がとまった。

 人権問題に関心が特に強いわけではなかったが、分厚い唇など黒人の身体的特徴を誇大化したその人形に違和感を覚え、玩具、土産物、文学作品など「黒人グッズ」の調査を開始。「さんぼ」はその過程で見つけ、当時九歳の息子と妻(会長)と一緒に出版各社に「黒人を傷つける本はこれ以上つくらないでください」と改善を求める手紙を送った。

 反応は早く四日後には、「サンボは侮蔑(ぶべつ)の意味が含まれており絶版する」などの返答が大手各社から届いた。

 問題の投げかけは、それだけにとどまらなかった。

 黒人がストローで乳酸飲料「カルピス」を飲むところをデザインした商標マークは肌が真っ黒でやはり唇が厚いとして、廃止に。「♪棒が一本あったとさ」で始まる絵描き歌で知られる「コックさん」の挿絵も黒人奴隷を連想させるとして改訂された。

 「差別する意図はなくても、黒人は傷ついている。私たちがそれを代弁したかった」。有田は話す。

    

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 「黒いのが悪いと決め付けること自体が差別心の裏返しだと思う」

 日も暮れた京都市の喫茶店。「ちびくろ―」に差別性はないと、復刊の論陣を張った京都産業大文化学部教授(差別論)の灘本昌久(49)は強調した。復刊させた瑞雲舎社長、井上富雄(56)の「米国の政界でも黒人が活躍する時代。もはや差別の対象とされる社会的状況にはない」という主張を支持した。

 そのうえで、指摘した。「出版社の多くは絶版の理由に口をつぐんだまま読者の前から立ち去った。多くの人は差別本かどうかふに落ちないままだった。それは『差別問題はややこしいから近寄らない方がいい』といわば礼儀正しい差別心を温存し、人々の意識下に潜らせた」

 差別をなくす会の有田を支持する黒人の一人は「ちびくろ―」について「あれは原作者が思い描く黒人。私は私として描いてほしい」と望む。「彼らも私も絶版を望んだわけではない。一緒に考えたかっただけだ」。有田は言う。

 (敬称略)

 

▼絵本「ちびくろ・さんぼ」 インド滞在中だったスコットランド人女性がわが子のために創作した童話で、日本では1953年に刊行し、約120万部を売った岩波書店版が代表的。ジャングルに出たさんぼが虎4頭に追われるが、最後は虎が溶けてバターになる物語。市民団体の指摘で出版各社が89年までに絶版にし、今年4月に復刊された。差別本とする側は(1)「サンボ」は米国では黒人の蔑称(べっしょう)(2)大きく丸い目や分厚い唇の描き方が侮辱的(3)未開で愚かの印象を与えるあらすじ―を挙げる。これに対し、(1)インディオと黒人の混血など「サンボ」には別の語源も考えられる(2)特徴を一般化しても差別ではない(3)物語は黒人を好意的に描く―などの反論がある。題名や絵を差し替えた改作本も出版されている。

人権をめぐる国内外の動き

1922. 3. 3 全国水平社が創立
  47. 5. 3 日本国憲法が施行
  48. 7.17 人権擁護委員制度が発足
  12.10    世界人権宣言を採択
  50. 4. 1 身体障害者福祉法が施行
  66.12.16 国際人権規約を採択
  69. 7.10 同和対策事業特別措置法が施行
  75       国際婦人年
  82. 4. 1 地域改善対策特別措置法が施行
  85. 6.25 女子差別撤廃条約を締結
  86. 4. 1 男女雇用機会均等法が施行
  87. 4. 1 地対財特法が施行
  93       国が同和地区実態把握等調査を実施
  94. 4.22 子どもの権利条約を締結
  95.12.15 人種差別撤廃条約を締結
  97. 3.25 人権擁護施策推進法が施行
        31 改正地対財特法が施行
  99. 6.23 男女共同参画社会基本法が施行
2000.12. 6 人権教育・啓発推進法が施行
  02. 3.31 地対財特法が失効

    


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