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認知的不協和・・・世界を理解するためのキーワード

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2008年8月24日

認知的不協和・・・

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世界を理解するためのキーワード

みなさん、こんにちは。

「認知的不協和」などというと小難しく感じるだろうし、知識人だけが理解する専門語のぼんやりした世界の産物だと思われるかもしれない。しかし、実はとても簡単なことなのだ。基本的には、相矛盾する二つの「思考」を同時に抱えることを意味する。

多くの場合、何か信じていることが、経験・情報・行動によって裏切られるという形をとる。認知(知識、自覚)の不協和(不一致)とは、円を四角にすることで矛盾を解消しようとする心の乱れから来る精神的/感情的な状態である。

多くの場合、これは自分自身に嘘をつくことによってなされる。あるいは、自己欺瞞と言ってもよいだろう。

つまり、「認知的不協和」は、信じていることと、行動や目の前の事実が、合致しないことから発生する内面のストレス状態である。この短い一文の中に、私は人類についての大部分と何故世界はこのような現状のままなのかという理由を語り尽くしている。人間は、慢性的な認知的不協和状態にあり、我々をコントロールしたいと思っている者は無情なまでにこれを利用している。

「もう聞きたくないから黙れ!」というのは、認知的不協和の一表現であり、認知的不協和を避けるための努力である。凝り固まった信念が自らの現実と矛盾する情報に直面したときに、何度も耳にする言葉である。

こうした言葉は、信じていることや理解していることが脅かされたときに、心の中で起きていることを表している。それはあまり良い気分ではなく、この不協和音こそが「認知的不協和」と言われるものである。この不協和とストレスを取り除くために、普通の人は、(1)それ以上調べることはやめて、矛盾する情報は間違っていることにして払いのけるか、(2)行動や信念を別の方法で正当化することになる。

認知的不協和の一般的な定義は次のような感じである。

「同時に保有している二つの認知に一貫性がないとき、認知的不協和の状態が発生することになる。不一致な経験をすることは不愉快なものであるので、人は自分の信念を変えることで(または、その信念を正当化する理由を変えることによって)不愉快さを減衰させるよう努める」

「認知的不協和は、信じていることや当然と思っていることが間違っていることを示す証拠を提示されたときに人々が経験する精神的葛藤である」

「同時に保有している二つの認知や心構えに一貫性がないとき、または、信念と表の行動に矛盾があるときに、形成される感情の状態である。この葛藤の解決は、態度に変化をもたらす根拠として役立つものと考えられる。思考様式が行動と合致する方向に徐々に修正されていくのである」

私としては、ここが一番重要なところである。「思考様式が行動と合致する方向に徐々に修正されていく」

別の言葉にすれば、自己正当化である。これから理由を述べるが、この問題を理解する上で極めて重要である。

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信念と行動が、矛盾する情報と直面したときの、認知的不協和の例
タバコが健康に悪いと気付いたとき禁煙しますか?
(認知的不協和は、新しい知識を受けて行動を変えるきっかけとなる)
それとも、「健康に悪いという証拠は納得しがたい」として、
現在の行動を続けるための逃げ道を探しますか?
(認知的不協和は現在の行動を正当化する新しい方法のきっかけとなる)

「認知的不協和」という言葉を考えたのは、ユダヤ系アメリカ人の社会心理学者レオン・フェスティンガー(1989年没)のようである。フェスティンガーと認知的不協和を理解するためには、もっと広い文脈で考えることが大事である。彼は、「社会心理学」の創始者として有名なドイツ生まれのユダヤ人心理学者クルト・レヴィンと密接に連携しながら研究をしたことを強調しておきたい。むしろ、社会心理学というよりは、「社会工学」もしくは大衆心理操作と言うべきだろう。レヴィンはフェスティンガーの指南役であった。

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クルト・レヴィン

レヴィンは、ロンドンのタビストック人間関係研究所に主要な貢献をした人物である。この研究所は、地球上で最も高度な個人心理・大衆心理操作の研究・開発活動を行っており、その「哲学」は、オーストリアのユダヤ人ジークムント・フロイトの業績に多大に拠っている。

タビストック研究所は公式には1947年に設立されたが、その研究は実際には他の名目でもっと昔から行われていた。この設立資金はロックフェラー基金によって提供された。その設立メンバーには、イギリス陸軍の心理戦争局の司令官ジョン・ローリングス‐リースがいた。優れた心理操作術を持ち、過去50年で最も活躍したイルミナティのエージェントであるヘンリー・キッシンジャーは、ローリングス‐リースの弟子である。

タビストックは私が過去20年にわたって著作の中で光を当ててきた円卓会議ネットワークの心理操作部隊である。最近のニューズレターでもシャーミ・シャクラバティのような人物との関連で取り上げたところである。シャクラバティは市民的自由のための全国協議会「自由(Liberty)」の総裁であり、イギリスの市民権の公式な守護者である。彼女は円卓会議とタビストック研究所の両方とつながっているディッチリー基金の役員も勤めている。

シャクラバティが「共通の目的」という組織に貢献していることを今週知ったが、私には驚くほどのことではなかった。この組織は、政府機関、産業、「教育」、法の執行機関などの「リーダー」を養成している。その手法は、典型的なタビストック方式である。

タビストックは大衆心理操作組織であり、地球規模の「社会工学」の中心的存在である。その蜘蛛の巣は巨大であり、スタンフォード研究所、マサチューセッツ工科大学(MIT)、国際応用行動科学研究所、ハドソン研究所、ヘリテージ財団、戦略国際問題研究所、ランド研究所といったアメリカの研究機関ともつながっている。

現在では非常に発展しているが、この計画には、エリートの代理で社会を運営する役に立つバカを洗脳して育てる「研修と多様性」の組織の大規模ネットワークを構築する目的がある。「共通の目的」と同様に、政府機関、産業、「教育」、法の執行機関などに関係する人を養成するのである。

この計画のもう一つの目的に大衆に対する「社会工学」(心理操作)がある。両方の目的に共通なのは、認知的不協和の知見が、個人および集団心理的に常に利用されていることである。

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レオン・フェスティンガー

認知的不協和原理の公式な創始者であるレオン・フェスティンガーが、地球規模の社会心理技師であるクルト・レヴィンと親密であったことは驚くに値しない。フェスティンガーは、レヴィンの下で研究し、レヴィンが1947年に死去した2年前に設立されたマサチューセッツ工科大学(MIT)の集団力学研究センターで助教授になった。

師である当時最新鋭の社会工学者クルト・レヴィンとの緊密で重要な経験によって、レオン・フェスティンガーは心理操作の原理について十分に理解していたはずであり、後に彼が公式な発見者として有名になる認知的不協和のこともずっと前から理解していたはずである。

次の話は1954年にフェスティンガーと二人の同僚があるグループ(カルト集団と呼ばれていた)に潜入した後に起きたことである。このグループは、シカゴのマリオン・キーチという女性を信奉していた。彼女は「宇宙人」と接触していたと言われており、宇宙人は、1954年12月21日の夜明け前に大洪水が発生して世界は終末を迎えると彼女に伝えたという。

彼女を信じる人々は、大惨事が起きる予定の数時間前である12月20日の深夜に宇宙船が救出に来てくれることを信じ、仕事や学校を辞めて、家族を離れ、お金も財産も寄付した。

フェスティンガーと二人の同僚は、洪水と宇宙船が実現しなければ、認知的不協和の絶好の事例になると考えて、そのグループに潜入したのである。そして、実際にその通りとなり、その経験と発見を1956年のWhen Prophecy Fails: A Social and Psychological Study of A Modern Group that Predicted the Destruction of the World.[邦訳『予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』勁草書房(1995/12)]という本に詳細に記した。

12月21日、いつも通りに夜が明けたとき、グループを去ったメンバーもいたが、なんとも奇怪なことに、預言が実現しなかったという極めて明白な事実にもかかわらず、ほとんどのメンバーはそのまま留まり、以前よりも熱心な信者になった。

宇宙人も洪水も現れなかったことにより、宇宙人と洪水を信じていた思考は、両方とも発生しなかったという事実と激しく感情的に衝突したため、不愉快で重苦しい認知的不協和(認識の不一致)をもたらした。

この内的な不調和は、騙されたことを認める(ことにより信念と経験を統合する)か、もともと信じていたことを維持できるように事実を説明する方法を見つけるか、のいずれかによって解決されることになる。最初の道を選んだものもいたが、大半は後者を選択した。

大半の人々は、その夜、彼らの小さなグループが光明を流布したことにより、神が世界を破滅から救ってくれたので洪水は起きなかったのだと言うことにより、信念と行動との関係を再構築した。

私はこれと似た多くのグループやニューエイジの異端の信仰システムから同じようなことを何度も聞いたことがある。

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認知的不協和

レオン・フェスティンガーは、以下のような場合には、相反する明らかな証拠や経験をしたとしても、信念は維持されるものであるという。

  • 強い信念であり、その信念がその人の行動に影響を与えてきた。
  • その信念に基づいて、取り返しのつかないような行動が取られた(財産を全て放棄し、家族との絆も断ち切るというような)。一般的に言えば、取った行動が極端であるほど、その行動を促した信念にしがみつくことになる。
  • その信念が間違っていることを本人に示す明白で取り消せない証拠が発生する。これは信念と体験の間に認知的不協和を生み出す。
  • 個人としては信念と体験の矛盾があまりにも明らかであり、言い逃れできない状態にある。そのような境遇の人が他にもいることにより、お互いの自己欺瞞を助長するので、どのような体験をしたとしても、信念は維持されることになる。

『When Prophecy Fails(予言がはずれるとき)』にはこう書いてある。

「信念を維持するには組織的な支えが必要である。孤立した信者が、我々が言及したような矛盾した証拠に耐え抜くことはあまりない。お互いに支えあうことができるグループの中で確信している場合には、信念は維持されるものと考えられる。そして、信者たちは、その信念が正しいものとして、組織外の人々を説得し、改宗させようとする」

これが群集心理の仕組みであり、「合意形成」と呼ばれるような、個人を集団の信念に従わせる圧力である。そして、皆の意見に疑問を持ち変わろうとする人が標的にされ、無視され、または、消される(タビストックの得意技だ)理由でもある。集団的な思い込みのシャボン玉に穴を開け、人々に矛盾を気付かせることで認知的不協和を煽る可能性があるそのような人々は「危険人物」である。

認知的不協和の発生に対してこのような精神的/感情的な再調整が常に働くことが、あらゆる宗教、政治、社会的信条の存続を確かなものにしている。旧来の信念を解体するようなものに遭遇しても、人々は信念が無傷で残るような矛盾を説明する方法を見つけるだけである。

例えば、エホバの証人を見るがよい。世界の終末の日を設定していたのだが、実際に起きなかったので新しい日付に設定し直しただけだ。世界は変わることなく、空にイエスが出現することもなく、その日が過ぎたとき、認知的不協和は信念と事実の矛盾を引き起こしたが、信念を正当化するための新しい説明によって片付けられた。この例では世界滅亡の日が延期された。

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我々は生涯の中で誰しもこの罠に引っかかるものであり、それは自己欺瞞という形で露骨に現れる。自分のことを親切で、愛情深く、人の面倒見がよいと自覚している人の中に、例外なくあるものだ。誰一人として四六時中そのように生きていられるわけがないのであるから、間違いなくインチキである。一人の例外もなく、である。

しかし、もしそう信じているならば、親切で、愛情深く、人の面倒見がよいというのが自分であることの証であるならば、その自己認識と行動が一致しないときに認知的不協和が訪れる。

片や、親切で、愛情深く、人の面倒見がよい自分というものがあり、もう一方で、それとは完全に食い違う《不親切、冷酷、薄情》といった行動をとる。あなたの中で認知的不協和が生じ《信念と経験による振る舞い》から相矛盾する「二つの思考」「二つの現実」が沸き起こりとても不快に感じる。

自分が信じていたような自分ではないと認める人はほとんどいないだろう。いつも親切で、愛情深く、人の面倒見がよいわけではなく、実際には気分次第ではわがまま放題なろくでなしになることもある。こういう自己認識は健全である。自分の特徴を受け入れることは、それを変えるためのパワーを持つことを意味するからである。

しかしながら、たいていの人は、今まで信じていたことの範囲内で自分の行動を説明する方法を見つけることで、今までの自己認識を維持しようとし、認知的不協和を処理する。「私はそのように振る舞わなかったのは、不親切で、冷酷で、思いやりがなかったからだ」―しかし、何か他の理由のせいである。そして他の理由とはいつも誰か他の人のせいである。

その常套句に「私をそうさせたのは、あなたのせいよ」「当然の報いだ」などがある。

いままで人と接してきて何度もこのような経験をしてきたし、本当に予測通りのことをする。私が発見したのは、もしも誰かの不親切を指摘したならば、一瞬は受け入れて非を認めるかもしれないが、しばらくすると(ほんの数分後のこともあるが)、私が「自己同一性フィルター」と呼ぶものに支配されることになる。

このフィルターは自己同一性が確保されるように現実をふるいにかけるもので、付随して発生する認知的不協和を、不親切は、自分の過失や責任によるものではないと合理化するための話を作り上げることで処理する。

手短に言えば、なんとしてでも自己同一性を守ろうとする。これでは一切変わることができないし、自己欺瞞を永遠に抱えることになるので、良いことではない。友人のマイク・ランバートは、精神分析医として5年間働き、毎日、認知的不協和を観察している。それは心理学の中で独自に発展中の分野である。認知的不協和がいかに精神的・感情的な癒しのプロセスを妨げるものであるかをマイクは見てきた。彼はそうした人々のことを「自らの頭の中でストーリーが出来上がっていて、何ものもそれを変えることはできない」と言う。

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頑固な自己認識によって自分で自分を監獄に入れる。自己認識と行動が矛盾すると、
たいていの人は自分に嘘をついて自己認識を維持しようとする。

世界で起きる事件や地球社会の行く末が、わずかな数のエリート家系によって操られ、指揮されていることや、戦争や9/11のような驚愕すべき事件がその家系の計略に合致するよう世界を変えるために工作されているという事実を、直視したくない人々に前述の傾向がよく見受けられる。

国を守り、国の利益になると思って軍人として戦争などに全生涯を捧げた人がいるとしよう。彼は自分のことを、家族や国や、そして世界のために良いことをしてきた良い人間だと認識している。いわばヒーローである。

あるとき突然、彼は自分が全く理解していなかった唯のゲームの駒であったと訴えるべき証拠に直面する。時々、自己犠牲をはらってなした彼のすべての努力は、実は、彼が守ろうとしていた人々を収監してコントロールするためのアジェンダを推進することに利用されていたのである。

そこで、自己認識(信念)と陰謀論が矛盾することで認知的不協和が争い始め、とても落ち着かない気分になる。自分が騙されたことを知り、何かをやっていこうとする人もいるが、多くの人は自己認識を守るために陰謀論をバカバカしいと(調べることもなく)否定・却下する。

このような認知的不協和とうまくやっていくために多くの人は「まったくバカバカしい」と言う。まったくバカバカしい=私は正しい=脅かされていた私の信念は守られた。やれやれ…

ある退役軍人は私の7時間の講演を見て納得したのだが、後で認知的不協和が効いてきて、全生涯の信念と自己認識を破壊する私の情報を拒絶するようになった。彼のことを理解できないわけではないが、世界を理解し、その知識に基づいて行動するつもりであれば、我々はこれを乗り越えないといけない。

これはジャーナリストについても言える。彼らはその職業人生を通じ、陰謀に都合が良いように物事を報道している。従って、陰謀の証拠を、そして彼ら自身が知らず知らずのうちに陰謀に貢献していることを理解するためには、自分と自分がしていることの認識を劇的に変革させなければならない。ましてや彼らが理解したと思っている世界認識を変える必要があること言うまでもない。

地球規模の陰謀の証拠に直面すると、ジャーナリストたちは認知的不協和に陥り、それが生み出すストレスを抱えることになる。何人かは、ごく僅かであるが、世界は思っていたようなものではなかったと気付くかもしれない。しかし、ほとんどは「キチガイ陰謀論者」とか「狂人アイク」という言葉とともに防衛ボタンを押し下げる。彼らは内心、「頼むから、アイクは狂人であってほしい、どうか彼が正しくありませんように」と言っているのである。

誰かが陰謀について話しをするとよく怒る人がいるが、その理由も認知的不協和である。内心の居心地の悪さが、外側で話す人に向かって怒りとなって爆発するのである。「正しいかもしれないから、聞きたくない」

典型的な認知的不協和の別の例として、環境保護主義者や緑の党の代表たちが気候変動は人工的な公害によるものではなく、太陽の変化によるものであるという証拠に直面するときがある。そのような情報によって彼らの信念は危機に瀕することになるため、猛烈に反応する。彼らの信念と、明らかになる証拠の矛盾は、認知的不協和または認知の不一致によるストレスの多い状態を生み出す。

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一般の人々も同様に、自分自身を操作するように操作されている。「自由の大地」「ジョン・ウェイン」のアメリカという信念をもつ人が、大量虐殺と他国を軍事征服する政府に直面したとき、彼は信念と行動の矛盾を抱えることになり、認知的不協和に陥る。

そこで彼は「逃走車」を探し始める。「自由の大地」「ジョン・ウェイン」のアメリカという信念を維持しながら矛盾を説明する方法を見つけようとする。そして政府は、人々を殺人鬼独裁者から守るために人殺しをしているだけだ、平和をもたらすために戦争するだけだと言って、猛スピードの車を用意してくれる。

こうした「説明」は明らかにバカげているが、ここに重要な点がある。認知的不協和の状態において、人が矛盾する情報と行動から自分の信念を守ろうとしているときには、いかに古臭いゴミのような内容であっても、受け入れてしまうのである。どんなに荒唐無稽でもそれが真実であってほしいと願うからである。

認知的不協和を感じていて、信念に反する経験や知識から信念を守りたいのであれば、既に網の中にいて陸揚げされるのを待っている魚である。自分の信念体系が無傷でありさえすれば、どんな狂気でも真実として受け入れる決意を固めているようなものである。この現象について、マイク・ランバートに何か治療法を尋ねたところ、以下の文章を送ってくれた。

「たいへん知識のある人が、観測された真実が正しいか間違っているかについて頑なに同意しないのはどうしてかを理解するために、認知的不協和を理解することは極めて重要である。これは、自分の利益のために間違った事実や信念を維持したいと思う自我や欲望などの利害があるときは一層激しくなる。

医学はマイナスの認知的不協和による理論でボロボロになっている。そのため、新しくて望ましくない情報(特に予期しないもの)を処理することに関心を寄せず、またその能力もない。

もしも患者が代替医療によって治癒するならば、正統派医学はこのように反応する。最初から間違った診断がなされていたに違いない、または、患者に少し前に(たとえ二年前だとしても)行った正統派医学の療法が効いているに違いない。あるいは、患者は自然に病気が治まっている最中だったのだ、などと、とにかく「いかさま医者」の治療が効いたという事実は存在してはならないのである。

これは物質的な、または、金融的なレベルだけに限られたものではない。認知的不協和がもたらす遮断効果によって、他の人には見えていることを本当に見ることができない人はあちこちにいる。スペインの船が到着したときに原住民にふりかかった現象は周知の通りである。彼らの信念とあまりに食い違っていたために、彼らにはスペインの船が見えなかった。

認知的不協和は、あらゆる既成権威の科学、教育、医療、そしてもちろん、宗教界にも浸透している。確立され望まれたた信念と相反する証明可能な事実に直面したならば、観察者(よくあるのは医師、政治家、ジャーナリスト、学者、聖職者など)の思考は認知的不協和状態に陥り、望ましくない事実や現象を遮断する。

気をつけなければならないことだが、これは普通の人々の日常にも当てはまることである。自分の信念や計画が狂わされたときに、どのような反応をするか自分自身を観察することである。特にそれによって損失を被るような場合にはである」

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「私はライオンだ(愛情深く、面倒見が良く親切だ)。
猫用トイレ砂とミルク皿があることは簡単に説明できる…」

しかし、少なくとも、通常版の認知的不協和は、ジョージ・オーウェルの「二重思考」よりも少しマシである。オーウェルは彼の著作『1984年』でこう書いている。

「彼の思考は二重思考の迷宮に滑り込んでいった。知っていながら知らない、完全に真実を知っていながら慎重に組み立てられた嘘をつく、互いに矛盾する二つの意見を同時に持つ、矛盾していると知っていながら両方とも信じる、論理に反する論理を使う、道徳を拒否しながら道徳者を自称する、民主主義は不可能だと信じていながら政党は民主主義の守護者であるとも信じる、忘れた方が良いときは忘れて必要なときには記憶から呼び戻し、また即座に忘れる。そして何よりも、行為自体に対して同じ行為を適用する。これは究極の詐術である。意識的に無意識を引き起こし、その上で再度、今行ったばかりの催眠行為に対して無意識になる。『二重思考』という言葉を理解することにさえも二重思考を用いることになる」

洗脳用語の中で、「二重思考」は認知的不協和を表す最も極端な言葉である。二つの矛盾する信念が同時に保持され、両方とも真実であると信じられることを意味するからである。意識的に矛盾を気付くことなく、認知的不協和は潜在意識のレベルで機能する。したがって、意識的に矛盾を説明する必要すらないのである。そもそも矛盾はないのだから。

フェスティンガーの洪水と宇宙人のグループの例で言えば、少なくとも彼らは預言と結果の矛盾を意識的に気付いていたので、彼らの信念を守るためにストーリーを変更する必要があった。

深く洗脳されていて二重思考に屈服した人であれば、洪水と宇宙人は来なかった、そして、それを預言した女性は正しかった、と両方を信じることになるだろう。

こじつけだと? いくらなんでもそんなバカはいないだろうと? それでは自由を守るために我々の自由は犠牲にされないといけないと信じる人々はどうなる? これが二重思考でなくて何だろうか。本当に大量の人々が明らかな矛盾を真実だと信じているのだ。

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二重思考

つまり、認知的不協和の反応がある内は、まだまだその人には自由な思考をする潜在能力が残っているということであり、その先の道をずっと進んで行けば、そして引き返さなければ、二重思考が待っているということである。

このような精神的・感情的な状態を理解することは、そして、それがどのように悪用されうるのかを理解することは、いかにして少数が多数をコントロールするのかを知ることに大いにつながる。それは組織だった対個人、対集団マインドコントロールを通じてなされており、これは一般人だけに向けられたものではなく、「リーダー」や人々を管理する側の人間に対してもなされている。

目の見えない人々を導く盲人である。

これは「リーダーたち」と民衆にシステムを信じるように操ることによってなされ、それ故に、システムを暴露しようとしている者からシステムを守ることになる。私はよくこう言われる。「だけども、世の中が今のようではないとしたら、どんな世の中になるのかね?」私はいつもこんな風に答えている。

「少数の者の利益のために少数者が多数の人間を支配する世界の代わりに、どんな世界があるのかという質問ですね? 何十億もの人々が毎朝起きては面白くもない、情熱もない、嫌な仕事に、生活のためだけに行く世界のことだね? 毎日のように請求書に追われて、生きるというより、生き延びるためにあくせくしなければならない世界のことだね? 裕福な世界の中で何百万人もが飢え死にし、仕組まれた戦争で死ぬ世界のことだよね? 驚くほど多くの人が一日一ドル以下の生活をしているのに、億万長者がもっと儲かるような仕組みで動いている世界のことだよね? しかるべき治療手段が抑圧されていなければ助かるはずの人が病気に苦しみ死んでいく世界のことだよね? 生まれたときからシステムに奉仕するように条件付けられ、そのシステムに全生涯をコントロールされる世界のことだよね?

それに代わる世界は何かって? 私には分からない、参ったよ」

しかし、本当に多くの人がこのような明らかに嫌悪を感じるものに対して代替策を見出せないという事実は、いかに深く洗脳が根付いているかを示すものである。認知的不協和が「代替策は?」と質問させ、「何もない(だから寝ることにしよう)」と答えさせる。そして二重思考の場合は、そもそも質問する必要がない。全て問題ない(そして問題あり!)。いずれにしても、代替策はないし、代替策の必要もないと自分で納得してくれる大量の人々に支えられ、システムは大量の人々の思考を支配している。

レオン・フェスティンガーが書いたように、「多くの人々が信条体系が正しいと思い込み始めると、その内に、それは明らかに正しいものでなければならなくなってくる」

一言で言えば群衆心理である。

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さあ一緒に、「みんなそれを知っている……」

しかし、これに釣られる必要はない。人間の言葉は「メーメー」である必要はない。我々は自分自身で考えることができるし、考えるかどうかも決めることができる。

二重思考を回避するためには、矛盾した事実、発言、体験などに遭遇したときは、必ずもっと詳しい説明を要する何かがあるということを、常に意識しておく必要がある。同じ観点から見るだけでは何も真実ではありえない。では真実とは何か?

そのように物事を濾過するプロセスを取れば、「我々の自由を守るために我々は自由を捨てなければならない」という主張は、論理的ではなくキチガイということになるし、オーウェル的な布告である「戦争は平和、自由は隷従、無知は力」についても同様である。矛盾を無視して受け入れることがないなら、二重思考することもない。

認知的不協和のマイナス効果を克服するために、たった一言お伝えしたい。「完全」でなくても大丈夫、間違っていても大丈夫。

そもそも我々は、我々をとことんまで感情的・道義的に追い込む世界に住んでおり、我々はこの現実を、常時稼動し、終わることのない行動プログラムに従って動く、肉体コンピュータを通じて経験している。もちろん我々は、目覚めている間はいつも機嫌が良いわけではなく、そうありたいと思っている通りであるわけでもなく、そうであると自分を納得させている(自己同一性)。

その事実を受け入れれば、そして「小さな完全さん」として自己認識しなければ、我々は、そうでなければならないと思っている自分ではなく、そのままの自分を受け入れることができる。あるがままの自分を受け入れることができれば、何か変わらないといけないことがあることを自覚することができるので、今の自分を変えることができる。

自分に対して正直になろう、そうすれば、決して変わらない回転する輪のように、終りも始まりもなく回り続け、経験によって動じない信念であり、確信を維持しているなら「小さな完全さん」の自己イメージを守ろうとしてコロコロと変わる話をでっちあげるよう要求する認知的不協和もなくなる。

また、人は操られていることを恥ずかしいと感じるものだが、そんなことは決してない。誰しも操られているのである。我々は一つ残らず事実をチェックすることはできないし、すべての人間をチェックすることもできない。まして大規模な操作になれば、我々は生まれた日から、両親や教師、仲間や世界のマスコミによって同じ話を聞かされているのである。

もちろん、人々は、これらのいろいろな情報源から刻一刻と売り込まれている人生観や世界観を信じるようになる。そのような認識が破裂したときに、それを恥ずかしいと感じるよりも、無知から抜け出して自由になったことを祝福すべきである。

そのように現実認識を変えたとき、常に自分は正しい、騙されたことなどないという自己認識を維持したり、恥をかかないように新たな情報を拒否したり言い逃れすることによって信条体系を維持しようとするのではなく、我々はむしろ認知的不協和を知力に昇進させることができる。

なんといっても誰でも騙された経験があるはずだ。それこそが経験である。経験や新しい知識によって信念を変えるようにすれば、我々は常に新しい発見や覚醒に向けて前進し続けることになる。

そうしなければ、我々は一点に膠着状態となり、どんどん疲れてストレスを抱え、自己欺瞞によって正当化しようのないことを正当化するようになってしまう。

この認知的不協和という観点からは、マイク・ランバートが言うように、自らの経験や行動によって自らの信念や自己認識が脅かされたときに、認知的不協和の観点から自分自身や他人を観察してみる価値がある。それで何が起きるのかを見るのは非常に興味深い。本当に予測通りになるものだ。

(翻訳◇ひつじ)

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

【監修者註: ここでアイクが問題にしているテーマは、R・D・ウィリング著『マネー;十二番目の究極の宗教』の中で詳しく述べられている。】

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