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メープルおさつケーキと七五三のきもの

2008年9月15日

  • 筆者 多田千香子

写真手製のメープルおさつケーキ。ミルクティーによくあう=京都市中京区写真三歳のころ、七五三の着物を着た筆者=岡山県備前市

 どうして道端でその段ボール箱を見つけることができたのか、もう思い出せない。父がなくなって数年後だと思う。四半世紀前になる。私が中学生になるかならないかだろうか。箱はもともと仏壇の隣の押し入れにあった。黒マジックで「父 ユニフォーム」と書かれていた。彼が職場の草野球チームで着ていた空色ユニフォーム一式だった。母は捨てたがっていた。おそらく日曜日の朝、廃品回収かゴミ収集に出した。「お父さんの、どうして捨てるんっ」。泣いて30代の母を責めた。「いつまでもとっておいて何になるん」。現実的な母は父が遺した最大のお荷物ともいえる娘に折れて渋々、箱を引き上げてくれた。ユニフォームはその後、20年ほど押し入れの一角を占領した。「もう、ええじゃろう」。60代になった母に言われた。さすがにうなずくしかなかった。

 「○○処分していい?」近ごろ1行きりのメールで問われることが多くなった。ユニフォームの一件があるせいだろうか。「大学の教科書」「料理の本」「地球の歩き方」…。料理本は取りに行くから置いておいて。「歩き方」の半分は姉のものだと思うけど、どうぞ処分を。「オーブン」との問いには言葉に詰まった。小学5年の私が母にねだって買ってもらった。小さな緑の1台で、初めてシュークリームを焼いた。私が家を離れてからは単なる台所のオブジェになっていた。パリから帰国して実家に居候し、10数年ぶりにスイッチを入れた。ボウルを型がわりにして抹茶シフォンケーキを焼いた。扉を開けて驚いた。あれ、こんなに小さかったんだ。ちゃんと健気に動いたけれど、もう使わないだろう。

 サバサバと老いじたくを急ぐ母は容赦ない。今週は「七五三の着物は?」ときた。ドキッとした。姉は双子の男児を産み育てている。私が女の子を産まない限り、着物としては無用だろう。うーん。「どちらでも」。そっけなく返すのが精いっぱいだった。直前のメールでついでのように「来年から九州(カヨチャンのところ)に住むことになりそうです。一応報告」と珍しく笑顔の顔文字つきで告げられていた。大学の教壇に立ちながら子育てし、大学院にも通う姉に助けを求められたらしい。岡山から一歩も出たことのない母が九州で暮らすなんて。京都には日帰りで遊びにも来ないのに。

 怖くて聞けない。母はひょっとして家まで捨てるつもりだろうか。年に1、2回、戻るだけの薄情娘が言う権利もないか。でも岡山に帰る実家があって母がいる。当たり前だと思っていた。でも孫と住めるのだから喜んで送り出さないと…。なんだか結婚する娘を持つ母みたいな心境かも。

 姉から電話があったので聞いてみた。「いやぁ、家の処分までは考えてないと思うよ。モノを捨てるのはいつものこと」とあっさり言った。そっかぁ。「大きなクリのー木の下でー」。電話の向こうで2歳の甥っ子・リョウが歌っている。かわいいからなぁ、君たち。孫パワーには勝てない。叔母さんはあっさり降参しよう。

 あれこれ思うのはおイモのケーキを作ったからか。メープル味のパウンドケーキにサツマイモの手製ペーストを混ぜ込んだ。食べてくれた埼玉のケイコさんも「おイモのケーキからいろいろ思い出しました」。ケイコさんは失明した母の介護中、食事がノドを通らなかった。朝晩はご飯と漬物ぐらい、あとはおやつに焼きイモだけ。いまは少しずつ食べられるものが増えたが、「命をつないでくれた」おイモは毎日のように食べている。母を失った寂しさと自責の念は消えないが「めそめそしても母は帰ってこない、元気でいなくては」。私のケーキも「メープルの香りが最高」と喜んでくれた。じんとする。

 彼女のメールを読みながら思い直した。やっぱり着物、捨てるのはしのびない。フランスの友人にあげてもいいし、何かにリフォームする手もある。あわててメールを出した。「着物、取りに行くからとっておいて」。「了解」。そっけない2文字がケータイの画面に映る。まったく愛相がないんだから。きっとお互い、似たようなことを思っているんだろうなぁ。

プロフィール

多田 千香子(ただ・ちかこ)

おやつ研究家・食ジャーナリスト。1970年、岡山生まれ。岡山大学法学部卒。朝日新聞記者として12年余、新潟・福山・大阪・福岡で働く。2005年、フリー。パリ製菓留学をへて現在、京都在住。ウェブサイトは「おやつ新報」。

朝日カルチャーセンター大阪京都で食やお菓子に関する講座を担当しています。パリ滞在をつづったエッセー「パリ砂糖漬けの日々」が文藝春秋より発売されました。

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