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●小野妹子 おののいもこ

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 生没年不詳 6世紀初頭の推古朝に遣隋使として活躍。姓(かばね)は臣(おみ)。『日本書紀』によると607年(推古天皇15),大礼(冠位十二階の第五位)であった妹子は隋に遣わされた。このとき持参した国書が著名な〈日出づる処の天子・・・〉(『隋書』)である。翌年隋使斐世清を伴って帰国。隋では蘇因高と呼ばれていた。帰国の際,隋皇帝からの返書を百済で奪われたと申したて,一時は流刑に処せられようとしたが天皇の命により許され,再び斐世清らを送って渡海。このとき,高向玄理南淵請安らの留学生を伴った。翌609年帰国。冠位はのちに大徳(十二階の第一)に昇進した。天武朝の刑部大卿小野毛人は妹子の子。孫は元明朝の中納言小野毛野。一族には外交にかかわる者が多く,また平安時代の小野道風小野小町らはその後裔。小野氏は『古事記』によると孝昭天皇皇子,天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)を祖とし,古代豪族和珥(わに)氏と同族であったらしい。