坂本九〜心のふるさと笠間〜

世界的ヒット曲『上を向いて歩こう』で国民的スターとなった坂本九さんは、笠間をこよなく愛していた。笠間市笠間は、母親いく江さんの故郷。太平洋戦争の終わりごろ、川崎市に住んでいた坂本さん一家は笠間に疎開していた。2歳からの約4年間暮らした赤いトタン屋根の家は、今も残る。
 後に、坂本さんは16歳で歌手デビュー。20歳ごろには大スターになっていたが、笠間とのつながりは途切れることがなかった。毎年、節分にはいく江さんとともに笠間稲荷を訪れ、年男として豆まきをした。笠間高校の講堂でコンサートをしたこともある。昭和46年、女優の柏木由紀子さんとの結婚式も笠間稲荷で行われ、参道は全国から詰めかけたファンやマスコミで埋め尽くされたという。
 笠間には、叔父の大島憲さんや疎開時代ともに遊んだ友人など、素顔のままの坂本さんを知る人が多い。市内には、坂本さんの横顔が刻まれた歌碑が立ち、市立笠間幼稚園に寄贈したピアノは今もメロディーを奏で、スポーツカーミュージアム日動には愛車が展示されている。笠間を愛し、笠間の人々に愛された坂本さんの思い出は、今もまちのあちらこちらに息づいている。

 

エピソード 〜素顔の足あと〜

 

泣き虫のガキ大将
 騎馬戦のときはいつも上。川面から6メートルの橋にぶらさがり、川に落ちたことも。他にもガキ大将ぶりを伝える逸話は多い。その一方で涙もろい面もあり、飼っていた小鳥やうさぎが死ぬたびに葬ってやり、庭中が墓だらけになった。
茨城なまり
 デビュー当初は、しばしば茨城弁を注意されたという。作曲家の中村八大さんも「九ちゃんの歌い方はしり上がりで独特。あれは茨城弁のリズムなんじゃないかな」と。
果たせなかった約束
 年に一度は、市内に住む陶芸家荒田耕二さんの工房を訪れ、黙々とろくろを回した。こつこつと腕を上げる坂本さんに「二人展を」と誘うと、「ぜひお願いします」と喜んで答えた。また、笠間市民合唱団を主催する医師の池内博さんには「一緒にコンサートをやりましょう」と声をかけ、設立5年目の演奏会で実施することを約束。しかし、坂本さんは昭和60年の日航機事故で急逝。約束は果たされないまま、演奏会は追悼コンサートへと姿を変えた。

【坂本九プロフィール】
本名・大島九(ひさし)、昭和16年川崎市生まれ。昭和36年に出した『上を向いて歩こう』(永六輔作詞、中村八大作曲)は、『スキヤキ』の英題で海外でも大ヒット。昭和39年には米国のゴールデンレコード賞を受賞。現在までに世界約70カ国で発売され、計約1,300万枚のセールスを記録。他のヒット曲は、「見上げてごらん夜の星を」「レット・キス(ジェンカ)」「幸せなら手をたたこう」など。

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