2008年という年は、この人にとって驚き続きの1年だった。“羞恥心”としてCDデビューを飾るやいなや、リリースしたシングル3作すべてヒットチャートにランクイン。その一方で“歌うま”(テレビ番組/お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル)の第11回と第14回で優勝。つまり“歌手”という部分で一躍脚光を浴びることになったのだが、それを一番驚いたのは他の誰でもない、当の本人のつるの剛士。
「音楽はずっと好きだったし中学からバンドもやってましたけど、歌に関してはまったくノータッチ。興味のありなし以前の問題として、自分にボーカルなんてできるわけないと思ってたんで」“歌うま”では聴く人の涙を誘った彼だが、意外や意外に「歌より楽器」というのがそれまでの主たるミュージックライフだったらしい。ちなみに初めての楽器はクラシックギター。父親の手ほどきのもと、3歳で弾き始めた。
「も〜ぉイヤイヤやってました。父のご機嫌をとるために(笑)。そもそもうちの父がクラシックギターをやってて、中学高校の音楽部で一緒だった母はリコーダーを吹いてたんです。で、二人でコンビを組んで演奏をしていたらしいんですけど、結婚して僕が生まれたんで父は銀行員になったという。そのあとは趣味で弾きつつ、毎日、僕に練習をつけて。しかも、かなりのスパルタ(笑)。結局それがイヤになって、小学校3年くらいでやめたんです」
その次に手にしたのは管楽器。父のおかげもあってすっかり音感がよくなっていたつるの少年、中学1年の時に音楽の先生にスカウトされて吹奏楽部に入部。見ためのカッコいいトランペットを狙っていたが、先生に「オマエの唇の形はこっち」と、あっさりホルン担当を命じられる。
「楽しかったですねぇ、吹奏楽は。3年間ずっと練習ばっかりやってましたもん。部長だった3年の時は、コンクールで金賞までもらったんです。」
ところで当時はバンドブームまっ盛り。つるの少年も親友に誘われて、ベースでバンドに参加。その親友が詞も曲も作り、最初からオリジナル曲を演奏していたという。そうした流れで高校でもバンド活動をし、聴くものも洋楽ロック中心になっていく。
「オールジャンルなんでも聴きました。吹奏楽をやってたから、ビックバンドのジャズなんかも好きでしたね。でも基本的にノリノリ系好きで、最終的にハマッたのがパンクとメタルだったんですよ。どんだけ音がグルーヴしているか、音圧は?勢いは?みたいな耳で聴いていたんで。ボーカルも楽器のひとつとしてとらえていたし。それもあってJ-POPはどんどん聴かなくなっちゃったんですよね」という“J-POP的浦島太郎&カラオケ嫌い”が“歌うま”で優勝してしまうのだから世の中わからない。
「僕が一番わからないっす(笑)。たま〜にバンドで歌うことがあっても、ガナッてシャウトしてただけですからね。だからホントに歌に関してはここ1年のことですよ。“歌うま”で僕の歌を聴いて泣いてる人を見た時、歌ってスゲーなぁと思って。そこから歌に対しての考え方も変わってきて、今はボーカルに耳がいっちゃうという。昔はバラードなんてありえなかったんだけど、最近はい〜い歌だなぁと思うし(笑)。だって僕、昨日、10年ぶりくらいに邦楽のCDを買いましたもん(笑)
そんなつるの剛士が、この春、ソロデビューを果たすことになった。“歌うま”をきっかけに熱い要望が寄せられた邦楽カバーが初の作品になる予定だ。「自分のなかではめっそうもないこと」「失礼のないようにしっかりカバーしないと」とひたすら恐縮している彼だが、選曲をかねた声合わせの様子を見る限り、意外性も聴き応えもあるアルバムとなること間違えなし。この1年で、さまざまな意味で“歌”に目覚めたつるの剛士のソロ第一作、ただ今着々と進行中である。
Text by 前原雅子 2009/1