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『幸村誠先生』 その1

宇宙進出後の人類を描いたSFまんがの傑作『プラネテス』で、文字通り彗星のようにデビューした幸村誠先生がまんがのチカラに登場です!! 中学時代から自分の将来について悩み始め、その苦悩の果てでまんが家になることを決意した先生が、今も作品に込め続けているという"想い"とは果たして何なのか。それが今、明らかになります!!

『幸村誠先生』 その2>>

初めて描いたまんがで週刊誌デビュー!

――さっそくですが、まずは先生とまんがの出会いについて教えてください。

幸村:まんがとの出会いの瞬間についてはあまり覚えていないんですよ。いつの間にか、当たり前のようにまんがを読むようになっていました。小学校の友達同士の話題もまんがやアニメのことばかりでしたね。

――その当時、一番、お好きだったまんがはなんですか?

幸村:やはりジャンプ、特に『北斗の拳』ですね。「強くて正義」ってのが大好きだったんですよ。ただ、そこを純粋に面白がっていればいいものを、「この作者はたった1人で、たった1週間でこんなに描けるんだ」とか、変なところに感心したりしていました。

幼稚園のころから絵を描くことが好きだったので、あのクオリティであの量を描けるということがとても信じられなかったんですよ。もう、おったまげちゃって。それで、自分もそんなふうになれたら良いなぁ、って思ったのが、まんが家になることを意識した「最初」かもしれません。

――そこから、実際に「プロ」になろうと考えたのはいつごろですか?

幸村:中学3年のとき、初めて"進路"ってことを突きつけられて、「僕にも進路があるんだな」「僕にも"これから"っていうものがあるんだな」ってことを、初めて考えました。それで、チラッと「まんが家になりたいなぁ」って思ったんですが、その時は「もう子供じゃないんだから、夢みたいなこと言ってちゃダメだ!!」って、即座に否定しちゃいましたね。

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でも、それで高校へ進んだのはいいんですが、友達はぜんぜんできないし、勉強の成績も最悪だし、何をやってもダメなんです。そもそも高校自体、いくつか受験した中で最初に結果が出たから「ここに決めちゃえばもうあとの試験にも行かなくていい」っていう後ろ向きな理由で決めた学校だったりで......。

そんなある日、これははっきり覚えているんですが、16歳の秋に、学校からの帰り道を歩きながら「ああ、僕はこのまま、何一つ身が入らないまま、好きなものもなく、何もなしとげることなく、望みもしない方に行ってしまうんだろうな......」ってすごく落ち込んだんです。

でも、そう考えたとき、「まんがだったら、熱心に、真剣に、一生懸命やれるんじゃないか?」とも思ったんですね。

――好きなまんがだったらやっていけるし、自信も持てるんじゃないかと。

幸村:そうです。好きなことだったら苦労も乗り越えられるんじゃないかって考えました。

そこでまず、アシスタントになろうと考えました。どなたかのお手伝いをさせていただく中で、まんがについて勉強させていただこうと。

――でも、当時はまだ16歳ですよね? アシスタントになるのは難しかったんじゃないでしょうか? 徹夜も多い仕事ですし、募集年齢もだいたい18歳以上とかですよね。

幸村:そうですね。だから、応募する前に「高校くらいは卒業しなさい」って、両親に止められました。それからは、卒業までの日数を「あと800日」とかカウントしながら過ごす日々でしたね。

――その間、例えば、絵の練習を自分なりにしたりとか、自分なりにコマを割ったりとかはされてたんですか?

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幸村:いや、これがなんにも(苦笑)。どういうわけか、デビュー作を描くまで、一切、自分のまんがというものを描いていないんですよ。正確には8ページだけ何かに描いた覚えがありますけど、それっきりですね。

落書きをちょこちょこ描いたりはしていましたが、まんがを描き上げることはありませんでした。というか、自分の描きたいものをきちんとまとめて、鉛筆を持つ段階にすら行きませんでした。

――それはかなり意外です。でも、高校を卒業した後は、すぐにアシスタントになったんですよね?

幸村:いや、そこでなぜか進学を選んで美大に(笑)。しかもあっという間にやめちゃいました。

――大学に入ってみたら、考えていたものと違ったということですか?

幸村:いや、大学は何も悪くなかったと思います。大学は僕に素晴らしいことをたくさん教えてくれるはずの場所でした。ただ、あのころの僕は、なんだかとても焦っていて......。だって、真面目に通って卒業したら22歳になっちゃうじゃないですか?

22歳からまんが家を目指しても遅いような気がしていたんですよ。でも、だったら何で大学に進学したんだって話なんですけど......言動不一致ですね(笑)。

――うーん、否定しきれません(笑)。

幸村:そんなある日、モーニングで、かわぐちかいじ先生(『沈黙の艦隊』『ジパング』など)がアシスタントを募集していて、「これだ!」と思って応募したんです。そうしたら編集部から「守村大(『考える犬』など)先生のアシスタントをやらないか?」って電話がありまして。

「あれっ?」って思ったんですけど、結局、守村先生のところで2年間ご厄介になりました。今にして思うと、素晴らしい巡り合わせでしたね。

――守村先生のところでは、どういうことを学ばれましたか?

幸村:もう何もかも、一からですね。ペンで線を引くことから学ばせていただきました。それまでも見よう見まねでやってはいましたし、一応、アカデミックな絵画教育を受けてもいましたが、基本的には素人でしたから。

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ところが、当時の僕はかなり調子に乗ってまして、アシスタントなんてすぐにできるようになるとか思っていたんですよ。今でも思い出すだけで恥ずかしいんですが、アシスタント初日に「何でもできます」みたいなことを口走った記憶があります(苦笑)。

もちろん、すぐに現実を思い知らされました。初日に「あれっ?」って思ってから、2日、3日、一週間、一ヶ月が経って、最初のお給料をいただく頃には、鼻っ柱が折れるどころか陥没してましたよ。毎日、「役に立てなくて、すいませんでした!」って泣きながらバイクで帰ってましたから。

本当にプロの仕事場にはたまげました。心構えからテクニック、経験まで何もかも歯が立たない。

――そこで、またくじけたりはしなかったんですか?

幸村:僕はそれまで、学校から何から、たくさんの辛い嫌なことから、逃げて、逃げて、逃げてきました。ここで、まんがまで投げてしまったら、もう本当にダメになってしまう。だから、こてんぱんにされても、けちょんけちょんになっても、絶対に投げ出さずに頑張ろう、その時は、その気持ちで頑張りました。

――自分でなんとなく給料分働けたんじゃないかなって思えるようになったのはどれぐらいのころですか。

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幸村:......謙遜でも何でもなく、1度もなかったと思っています。2年間、いっぺんだっていただいた分以上の働きをしたことはなかったですね。守村先生の『考える犬』でクオリティの低い背景があったら、それは僕のです(苦笑)。

今、僕は、僕を含めて5人がかりで月刊誌をひーこらやっていますが、守村先生は奥様と右腕とも言えるベテランアシスタントさん、それに僕の4人で週刊連載を回していました。奥様は家事もありましたし、僕は役立たずでしたから、実質2人ですよね。それがいまでも信じられません。

幸村誠プロフィール

幸村誠(ゆきむらまこと) 1976年、神奈川県生まれ

1999年、週刊モーニングに掲載された読み切り作品『プラネテス』でデビュー。『プラネテス』は好評を受けて不定期連載化し、2002年に星雲賞コミック部門を受賞、2003年にアニメ化されるなど、一般読者からコアなSFファンまで幅広く支持された。2005年からはバイキングをモチーフとした『ヴィンランド・サガ』を連載開始。現在も月刊アフタヌーン誌上にて好評連載中。


「まんがのチカラ」次回予告
次回(2008年1月15日頃掲載予定)は、初めて描いたまんががデビュー作であるという幸村先生が、そのデビュー作について語ってくださいます。作品への予想外の反響から感じたことや、作品に込めた切実なメッセージについて、そして、そのデビュー作がなんと「あの作品」であるという驚きの事実など、盛りだくさんの内容でお届けします。お楽しみに!

2008年01月07日