旭硝子ヒストリー

旭硝子伝説・・・創業者 岩崎俊彌

創業者 岩崎俊彌

岩崎俊彌は、明治14年1月28日、岩崎弥之助の次男として生まれた。父弥之助は、三菱財閥の創始者兄弥太郎を助け、その遺した事業を継ぎ、堅実な発展を遂げさせ、その後は日本銀行総裁に推されている。母の早苗子は、維新の元勲後藤象二郎の長女。長男小弥太は後の三菱本社社長である。

明治36年、岩崎俊彌はロンドン大学において応用化学を修め帰国した。当時の明治40年前後の日本は、日露戦争の勝利を刺激剤として、企業勃興機運が盛り上がっていた。このような時機、自己のなすべき将来の事業について思いをこらしていた岩崎俊彌は、他の事業に比べて化学工業が特に幼稚であることに思いをはせ、なかでも明治維新以前からひとつとして成功例のない窓ガラス製造工業の現状を深く遺憾とした。国営・民営を問わず多くの先覚者がその国産化を試みたが、旭硝子の創立までに生産されたのは、わずか60平方センチメートルの板ガラス1枚のみ。いずれも事業としては失敗に帰していた。

いつまでも海外からの輸入にまつことは、国家経済上の不利はもちろん、間接にはわが国実業家の無気力を物語るものである。岩崎俊彌の胸中には、「自己目前の利害損失は関するところではない。困苦もとより覚悟の前である。是非ともこの窓ガラス工業を立派に独立したわが国の産業としたい。」という決意が固まった。齢26歳の時である。

創業の精神
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