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井伊直弼を撃った短銃? 幕末の複製和銃見つかる

2010年1月17日12時3分

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写真:幕末の日本製短銃を持つ沢田さん=茨城県庁幕末の日本製短銃を持つ沢田さん=茨城県庁

写真:コルト社製を模したと見られる和製短銃コルト社製を模したと見られる和製短銃

 ペリーが日本に贈った短銃を複製したとみられる幕末・日本製の精巧な6連発短銃が見つかった。幕末の精巧な和製短銃は現存しておらず、手に入れた大阪市の古式銃研究家、沢田平さん(74)は「日本の工作技術の高さを証明する貴重な資料」と話す。沢田さんは水戸藩で作られたと推測、「桜田門外の変で井伊直弼を撃った短銃の可能性が高い」とも話している。

 米・コルト社製の複製で、全長35.4センチ。銃身内に七条の施条線が刻まれるなど高度な技術が使われていた。グリップは中国から輸入された高級紫檀(したん)。全身に桜の花が彫られ、一部には純銀も使われている。安政年間(1854〜1860)に活躍した彫工「鎌田壽次」の名が彫られている。

 ペリーは1854年の2度目の来日の際、将軍家や江戸幕府の閣僚などに最新式のコルト社製短銃を贈ったとされる。当時、その銃に接することができるのは大老や国防関係の閣僚に限られていた。

 茨城大の磯田道史准教授によると、このレベルの短銃を生産する能力を持っていたのは幕府や海防参与だった徳川斉昭の水戸藩、薩摩藩など。同准教授は「ペリーの銃が国内で複製されていただけで驚きだ。大名の持ち物であった可能性は高い。現物が残っているのは奇跡に近い」。

 沢田さんによると、この短銃は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、米国に渡っていた。1987年に日本の収集家に買い取られ、十数年前に沢田さんが入手したという。

 斉昭が好きな桜の花をあしらっていることなどから、沢田さんはこの短銃が水戸藩で作られ、1860年に大老の井伊直弼を水戸藩の脱藩浪士らが暗殺した桜田門外の変で使われた可能性が高いとみている。井伊直弼の致命傷は短銃で撃たれた傷だった。(北崎礼子)

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