2010年3月11日14時42分
「日本人」の起源に人骨や遺伝子などの分析から迫った研究プロジェクトの成果がまとまった。日本列島の人類史の第一ページを人類学の見地から描き出そうと、国立科学博物館(科博)が中心となり5年にわたって取り組んだ試みだ。通説に見直しを迫り、日本人の形成をめぐる新たな仮説が浮かび上がった。
考古学で「旧石器発見」の捏造(ねつぞう)が発覚して10年。「60万年前の石器」までが登場した背景には、研究者が「世界各地で原人が旧人→新人と進化した」という多地域進化説に立っていた事情があった。
これに対し人類学では1990年代から、アフリカ単一起源説が有力だった。アフリカで20万〜10万年ぐらい前に現代人と同じホモ・サピエンスに進化して、世界に拡散、それ以前の古い人類は姿を消した、という考えだ。遺伝子の分析に基づいていた。
今回の研究班は、その仮説をもとに、アフリカを出た人類がどのように日本列島にたどりついたかを探り、日本人がどのように形成されたかを解明することを狙った。
30年ほど前に沖縄で発見され、縄文人の祖先と考えられてきた「港川人」。旧石器時代の終わりごろ、約2万年前の人骨で、科博の海部陽介研究主幹らは今回、下あごを中心に再検証した。その結果、縄文人とは異なる特徴が複数見つかった。顔立ちや体つきは、現在の東北〜東南アジアの集団よりも、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いこともわかった。
港川人をもとに「縄文人のルーツは南にある」との考えが強かったが、「慎重に見直すことが必要だ」と海部さんは指摘する。「港川人のような集団が東南アジアに広く分布していたが、その後、農耕民の広がりに押されてオーストラリアなどに限定された」という図式が描けるのではないかと海部さんは考える。