私達がふだんなにげなく通っている道や河川、そして身近にある大小さまざまな史跡など、それが全国に名の知れたものであっても、地域だけにヒッソリと根ざしたものであっても、それらはまさに私達人間の心のふるさとであります。

 この人々の生活の知恵と、沢山の人々の汗から生まれ、蓄積されてきた数々の文化遺産も、時が経つにつれ色あせたり崩壊したり、はては人々の記憶からさえ消え去ったものもあります。

   このようななか、各地では文化財保護協会や歴史研究家の方々を中心に、文化遺産の保存や修復、そして失われた遺産の復元を行なっております。 また、今展開中の伊能ウォークの全国行脚や、江戸時代後期に晩年を秋田で過ごし、県内の地誌編纂に精魂を傾け、各地の貴重な歴史や民俗文化のスケッチや紀行文を多数残した
菅江真澄の足跡を辿ったり、色々なかたちで、貴重な文化遺産を後世に伝えるべく、懸命な努力がなされていま す。

  此の度、私達もこのような活動に呼応して、秋田県内を縦断していた羽州街道を取 り上げることによって、生活に深く関わった道や河川、そしていろいろな文化遺産について、少しでも多くの人達に知っていただきたいと考え、ホームページ「羽州街道」を作成することに致しました。
   これにより、人々の共通の財産、文化遺産を、後世に伝えることの役割を果たすことが、少しでも出来ればと思っています。







羽州街道とは

秋田県の地図

秋田県内の街道地図はこちら

  慶長八年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開設したことによって、国内の交通路はすべて江戸を中心とするものになりました。

  最も重視された主要街道は、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道で、その他の街道は五街道に通じる脇街道で、羽州街道もその一つとなっていました。

   羽州街道は、江戸から森岡(現盛岡)を通り油川(青森)に至る奥州街道の途中、桑折(現福島県桑折町)から始まり、山中七ケ宿通り(現宮城県七ケ宿町)から上ノ山藩(山形県)に入り、山形藩、新庄藩の領内を通り、藩境の院内峠(現雄勝峠)から秋田藩に入り、そして秋田領内を北上し、津軽藩との藩境矢立峠を経て津軽藩に至っておりました。

  羽州街道の道筋の大半は、ほぼ現在の国道13号線と7号線の原型をなしています。




 ビックコンテンツ羽州街道が1年半を経てついに完成しました。
矢立峠〜院内峠まで約63里、今、歴史が甦ります。




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