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  •  明治天皇が出した最初の詔書「東京奠都の詔」の作成過程を示す草案が書かれている部分(手前)。左は佐々木克・奈良大教授=16日午後、広島県廿日市市(「海の見える杜美術館」所蔵)

    明治天皇の詔書の草稿発見 「東京奠都」、衆議で決定

     明治天皇が政務に携わって最初に出した詔書「東京奠都の詔」の作成過程を示す史料が、広島県内の美術館に保管されていることが16日、分かった。天皇自らが親裁を宣言し、江戸を東の都(東京)と定めた重要な詔が、位階を超えた新政府首脳の衆議で作られたことを示す内容。調査した佐々木克・奈良大教授は「詔がどのようにつくられたかが初めて分かる一級史料だ」と話している。

     この詔は1868(明治元)年に宣布。天皇が政務にあたることを述べると同時に、江戸は今後「東京」と称し、その地に自らが臨んで統治するとした。東京に奠都(新たに都を定める)して、京都との二都制とし、東京遷都の端緒となった。

     佐々木教授は、広島県廿日市市の「海の見える杜美術館」所蔵の岩倉具視関連文書を調査。後年に文書類を表装した巻物から「東京奠都の詔」の草案と、新政府閣僚に同案への意見を求める回覧文書を見つけた。公家や藩主から選ばれた議定だけでなく、後藤象二郎ら藩士出身の参与の名も回覧先となっており、作成過程で意見を出す機会があったことが判明した。

      【共同通信】