知ってほしいドーピングの知識(その1):
(財)日本テニス協会発行「JTA NEWS」Vol.52,1998.3.1より

 
日本テニス協会ドーピングコントロール委員会
  横浜国立大学教授
蝶間林 利男
  聖マリアンナ医科大学教授
別府 諸兄
  助川クリニック院長
助川 卓行

 これまでのJTAニュースでも、たびたび取り上げていましたが、ドーピング違反をする選手やコーチがいることは残念なことです。このドーピングの問題は、なにも外国の話題だけでは済まなくなっています。1994年に国内で開催された広島アジア大会で起こった、中国の競泳選手による大量ドーピング事件は記憶に新しいところです。国内では、競泳、陸上競技、スキー、自転車、ラグビー、柔道などの各競技団体が、独自のドーピングテストを行っています。テニスだけがドーピングとは無関係というわけにはいきません。実際に伊達選手や沢松選手などが海外の大会で検査を受けさせられています。アンチ・ドーピングは、内外問わずスポーツ界全体のルールの一つになっており、スポーツを行うものとして当然知っていなければならない問題です。たとえ意図的でなく不注意によるものであっても、知らなかったでは済まされません。もし、ドーピングの反応が陽性に出ればその選手は、長い間積み重ねてきた努力が無になり、選手生命が絶たれる可能性もあります。それだけに選手にとっては重大な問題なのです。そこで、アンチ・ドーピングについてこれだけは知っていてほしい知識について2回に分けて話を進めたいと思います。

●ドーピングとは?

 国際オリンピック委員会(IOC)は、競技者の競技能力を強化したり、強化する効果をもたせることを目的とする物質や方法の使用を禁止する規定を作成しました。医学的倫理に反するこのような行為が一般にドーピングと呼ばれています。要するに、薬などを使用して不正に競技能力を高めることなのです。1988年のソウル・オリンピックの時、ベン・ジョンソン選手が金メダルや世界新記録を取り消され、ドーピングが話題になったり追放が叫ばれてもいっこうになくなる気配はありません。監視の目をすり抜けて現れる新種の薬物と、最新の技術を駆使して見つけ出す検査機関のイタチごっこなのです。

●ドーピングがいけない理由

(1)スポーツマンシップに反する。
(2)薬物の副作用により健康を害する。
(3)薬物汚染(麻薬など)として社会問題である。
 いろいろ理由はあるかも知れませんが本来スポーッは、自分の身体を鍛えて能力を競うフェアプレー精神のもとに行われますが薬の力を借りて競技能力を高めることは、フェアではないからです。

●ドーピングの語源

 ドーピングの"dope"という言葉が初めて英語の辞書にのったのは、1889年のことです。当時は、競争馬に与えられるアヘンと麻薬の混合物をあらわしていました。もともとは、南アフリカ東南部ケーフ洲の原住民カフィール族の言葉でした。祭礼の時に飲む強い酒をdopeと呼んでいました。後にこの言葉が広く興奮性飲料を指すようになりました。

●ドーピングの歴史


 人間の歴史はじまって以来"ヒト"は、闘いの時に体力を維持したり勇気を鼓舞するために、さまざまな工夫や努力をしてきました。また、祭礼の際に、精神を高めたり陶酔状態に陥ったり、はたまた疲れを知らずに踊り続けられる有効な物質を経験的に知っていました。今でも中南米やアフリカの原住民たちは、cocaの葉(コカイン)の麻薬作用、colaの実(カフェイン)の興奮作用、ある種のきのこの幻覚作用があることを知り、かつまた利用しています。スポーツ競技では、古代ローマの時代に盛んであった二輪馬車競技の馬に、蜜と水を混ぜて発酵(アルコールが生成)させた蜂蜜液を与えていました。近代の19世紀後半になると、競走馬に使用されていたヘロイン、モルヒネ、コカイン、カフェインなどの薬物が、しだいに『勝つための一手段』としてスポーツ界の競技者にも広まってきました。
 1865年アムステルダム運河水泳競技大会で、選手が"ドープ"を使用しました。スポーツ競技会でヒトが薬物を使用したという最初の記録が残っています。
 1879年6日間自転車レースで、フランスの選手がカフェインを、ベルギーの選手がエーテルを用いました。
 1886年ボルドーとパリ間の自転車レースで、イギリスの選手が過量のトリメチルを服用して死亡しました。これがドーピングによる死亡例の最初の報告です。
 1900〜1950年スポーツ界におけるドープの広がりは、自転車のみならず、サッカー、ボクシングなどのプロ選手のいる競技種目から、陸上、重量挙げなど、ほとんどすべてのアマチュアスポーツ種目へ広がりました。
 1960年代になると、スポーツ競技における勝利至上主義が強まるにつれ『薬物』の横行が目立つようになり、1960年ローマ・オリンピック大会では、ついにオリンピック大会として初の死者が出る騒ぎになりました。この事件は、デンマークの自転車選手が100km団体レースで、アンフェタミン(興奮剤)を乱用したために、レース後1名が死亡し、2名が入院するというものでした。
 その後、IOC(国際オリンピック委員会)は、ドープ対策に乗り出しました。
 1968年グルノーブル(冬季)、メキシコ(夏季)オリンピック大会からようやく『ドーピング検査』を行うことになりました。
 1976年モントリオール・オリンピック大会から、アナボリック・ステロイドが禁止薬物に追加されました。アナボリック・ステロイドは新しい薬物で、それを発見する方法はそれまで見つからなかったからでした。
 1988年ソウル・オリンピック大会で、前に述べたように100mの優勝者ベン・ジョンソン選手が、ドーピング検査で陽性(アナボリック・ステロイド)に出たことにより、スポーツ界のみならず一般の人々のドーピングに対する関心は高まりました。
 テニス界では、1997年、当時男子世界ランキング127位のイグナシオ・トルヨル選手(スペイン)が、ドーピング検査で禁止薬物のアナボリック・ステロイドと興奮剤が検出され、1年間の出場停止処分を受けました。(毎日新聞1997年1月16日)
 また、1995年フレンチ・オープン大会のドーピング検査で、違反の容疑があったマッツ・ビランデルとカレン・ノバチェク選手の違反が確定し、共に3か月出場停止処分と獲得した賞金およびランキング・ポイントの没収が明らかになりました。(JTAニュース・前号)
 このような問題、すなわち勝利のためには手段を選ばないということは、スポーツの本質をも見失っています。また、選手やコーチを取り巻く社会環境の問題も大事です。世界が注視する大きな大会に優勝すれば有名になり、コマーシャルなどのイメージキャラクターとして、ますます物質的・金銭的な利益を受けることになるのです。現在のこのような状況では、命を縮めても薬物に手を出し、『確信犯』として実行する選手やコーチがいても不思議ではありません。ドーピング検査は、この『確信犯』を摘発するのが目的というより、むしろ薬を使っていない普通のクリーンな選手の擁護とフェアな競技が大切なのだという観点で行われなければなりません。
 
 次回は、ドーピングに関するクスリ、ドリンク剤、ドーピング・コントロール(検査)の実施について話をしたいと思っています。

next→