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特集 近藤房之助

■インタビュー/文:内本順一 ■制作:Astrograph 掲載日:2010.7.15

 ソロの1stアルバムを出した年から数えて、今年で20年。バンド作や共演作ではなく、近藤房之助が近藤房之助として久々に発表したニュー・アルバム『1968』が本当に素晴らしい。B.B.キング、オーティス・ラッシュ、ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズといったブルーズの巨人たちのよく知られた楽曲群をカヴァーした正真正銘のブルーズ・アルバムだが、しかしそこにはタイトル通り、自身がブルーズにのめり込んでいった1968年当時の心象風景が生々しく封じ込められ、それが匂いや色味を伴って聴く者にも伝わってくるのだ。ヴォーカル、演奏、アレンジ、空気感、音の間……そういった全てから現在59歳の日本のブルーズマンのエキスと矜持が沁み出ている傑作。そこには「Why I Sing The Blues」という問いかけと、その答えに近いものも、ある。それが何であるのかに迫ってみた。

--新作『1968』。これ、素晴らしいです! 音にも声にも空気感にも“近藤さんのブルーズ”のうま味が凝縮されて表れている感じで。

 ありがとうございます。もうなんか、カラダに染みついてるようなものだからじゃないですかね?

--そうなんでしょうね。いや、ホントにこれは傑作だなと。

 ただまあ、自分としてはもう気持ちが次に行っちゃってるところもあるんですけど。トラックダウンのときに何度も聴いちゃうんで、出る頃にはもう飽きちゃってるんだよね(笑) 飽き性なんで。

--いつぐらいに作業を終えられたんですか?

 えーと、今年の始めくらいですかね。あるところまでやったら自分で見切りつけないと、どんどん力が入ってっちゃうんで。まだまだもっと、っていうふうにどうしてもなっちゃうんでね。

--その見切りのつけどきって、難しそうですよね。

 うん。やりすぎてもダメなんですよね。ちょっとやりすぎちゃったかなって曲も、正直に言うとあるんですよ(苦笑) バラしちゃうと、「You’re Breaking My Heart」なんて曲は、もうちょっと1テイクに近いところで済ませればよかったかなと今になって思ってます。煮詰めていくほど最初の新鮮な感じから遠ざかってっちゃったりする場合もあるんですよね。

--とりわけブルーズはそこの見切り時が一番難しそうですね。

 そもそもお手本となるブルーズが、その時の気分でやってるようなものだからね。気分でやってることが僕らのお手本になっちゃってるわけですから。だから、なるべく気分に正直になって見切りをつけないとヘンな具合になってっちゃうんですよ。

--でも、気分に正直になるのが一番ってことになると、ライヴ盤を超えられないってことにもなっちゃいますよね。

 そうですねぇ。そのへんがなかなか(笑)

--ただ、聴かせていただいて、気分とか衝動に正直な部分と、作り込みすぎになる一歩手前まで丁寧にやる部分のバランスが、今回は最良の形で出てるんじゃないかなと感じました。

近藤房之助 そうなってくれてたら幸いですけど。あのね、前にロンドンで一緒にやったフィル・ブラウンっていうエンジニアがいて、ストーンズの『ベガーズ・バンケット』なんかをやってた人なんだけど、その人はトラックダウンに時間をかけるべきだっていう主義の人でね。前に、レッド・ツェッペリンの1stアルバムの元の音を彼が持ってて、聴かせてもらったんですよ。そしたらメチャクチャなの、演奏が。で、まったく同じその音源を半年以上かけて彼がミックスダウンして、それでああいうふうに仕上げてて。凄いなって思ってね。なんか、そういうことを今回勉強したかったんですよ。音の整理の仕方というか。その勉強のつもりで今回のアルバムをやってたところもあったんです。だからギターなんかはほとんど1テイクなんだけど、それをバランスによってうまく聴かせるってことができたかなと。その方法を勉強したかったの。

--そういう気持ちになったのはどうしてなんですか?

 うーん、そもそも僕は一発録りの“一発太郎”ですから(笑) ライヴでずーっとやってきた男なので。スタジオでもいつも大体、一発なんですよ。だけど、どっかで時間かけていい音に作っていく勉強をしたいとは前々から思ってて。93年くらいだったかにフィル・ブラウンのミッスクダウンのやり方をそばで見てて、「お~っ、こうやってやるんだぁ」ってビックリしたのが大きかったのかな。ああいう感覚で作りたいってずっと思ってたんですよ。で、やっとできたわけです。

--今まで近藤さんはずっとバンドという形に拘ってやってきたわけですよね。もちろんこれからもそうだと思うんですが……。

 うん。バンドでやりたい。そこは変わんない。仲良しバンドをやっていたいんだよね。ツアーをずっとやって、1日オフがあっても集まって一緒に飯食って、っていう。そういうバンドしか作ったことがないんで。

--ですよね。それがまさしく基本姿勢としてあり、近藤さんの音楽表現の根幹を成すところだと思うんですが、今回はソロ名義で、演奏もアレンジもプロデュースも全てご自身でやられてます。そうしたくなった気持ちというのは?

 今回はね、タイトルにもしたように、1968年当時の悶々としたイメージがまずあったんです。それを表現したかった。で、それはバンドではできないんですよ。バンドを組んだら僕はできるだけメンバーの自由にさせたいんで。その人らしいプレイじゃないと嫌なのね。人間の数だけ音楽があると僕は思ってますから。でも今回やってもらうとしたら、その人らしさよりも僕のイメージを押しつけちゃうことになる。そういう内容なんでね。だからコンピュータと僕だけで始めたんですよ。ドラムも僕が叩いているのがあって。まあドラムは自分で叩けるなと思ったんで、それとコンピュータのビートを重ねてってね。非常に地味な作業でした(苦笑)

--そういうやり方をしたのは今回が……。

 初めてです。

--そういうやり方をしてでも表現したい世界観がハッキリ見えていたってことですね。

 はい。1968年のあの頃の悶々とした感じに正直にやりたかったんでね。だからベーシックの部分に関しては、できるだけ人間を増やしたくなかったわけです。ただ、先日亡くなったんだけど、(ピアノの)宮原透さんとはずっとやりたかったので、宮原さんには自由に弾いてもらって。何しろ少ない人数で作りたかった。そもそも僕はスタジオが似合わない男なんですけどね。どさまわりの男なんで。だけど、それこそフィル・ブラウンとやったロンドンのレコーディングのときみたいに、スタジオに籠って作るっていうことを今回はやってみようと思ったわけなんです。

--ほとんどの作業を自分でやりながら。

 うん。自分の出来る限界みたいなものを知りたかったっていうのもあったし。そりゃあ、人任せにできないですよね。なんか申し訳ないし。だから自分でやろうと思ったの。ただ、ピアノは弾けないからね。ラッパも吹けないし。だからそれは頼んだけど。

--本当にピアノとホーン以外のほとんどのことをやられてますよね。プログラミングも。

 プログラミングに関してはマニピュレーターがひとりいますけどね。僕、遅いから。

--そうやって骨格から自分で組み立てて。

 うん。頭に鳴ってる音をまず全部取り込んだら、今度はいらないものを取り除いて、また足りないものを加えて。家を一軒建てるみたいな感覚でしたね。

--それは楽しい作業だったんですか?

 基本的には楽しくないのよ(笑) やっぱりバンドでどっしゃーんってやったほうが楽しいに決まってる。でも、今回はこれをやらなきゃって思ったの。

--自分にとことん向き合う作業ですもんね。

 だから、しんどいっすよ、やっぱり。テープレコーダーで聴く自分の声って嫌じゃない? あれにフシをつけて歌って音をつけてんだもん。拷問みたいだよ。

--アハハハ。まだご自分の声が好きじゃないんですか?

 好きじゃないよぉ。

--それでも今回は向き合うことをしよう、と。

 うん。しなきゃいけないって思ったんだね。

--どうしてそれが今だったんですかね?

 うーん、そういうお年頃なのかも(笑) わかんないけど。まあ、バンドでやるよさに関してはよく知ってるし。だから違ったアプローチでやりたくなったってことですかね。

--最近そう思ったんですか?

 いや、ずっと思ってました。やんなきゃいけないなって。勉強しなきゃなって。

--それは今だと。

 うん。せっかくのチャンスなので。

--やってみて、いろんな発見があったり、見えてきたことがあったりしたんじゃないですか?

 それはありますね。それがまた今度バンドで動くときの糧にもなるんじゃないかなぁ。なんかね、妙な充実感みたいなものが自分のなかにすごくありました。

--今まで出した近藤さんのアルバムは、ライヴ盤がかなり多かったですよね。スタジオ・ライヴ盤も含めて。

 そうですね。スタジオ・レコーディングをじっくりやったのは2枚くらいしかない。ほとんどバンドでどっしゃーんだもんね(笑)

--ライヴでどっしゃーんだからこそのよさが間違いなくあるのはわかるんですが、今作のようにある程度作り込んだアルバムも聴きたかったっていうファンは少なくなかったと思うんですよ。なんで今までこれをやってくれなかったのかなっていう。

近藤房之助 ああ、そうだよねぇ。うん。自分でもずっと、やんなきゃなって思ってたしね。なんか……いつも僕は思うんだけど、ブルーズっていうのが僕は大好きで、素晴らしい音楽だと思うんだけど、でも僕が作った音楽ではない。っていう思いがいつもあって。で、コアなブルーズ・ファンの人たちによく、“ブルーズやってりゃいいじゃん”“ずっとブルーズやれてていいじゃん”って言われるんだけど、でも、自分がひとりの音楽屋であるとするならば、そういったカタルシスに陥りたくはないんですよね。“ブルーズやってりゃいいじゃん”みたいなのは、どうも好きになれないの。だって、それだったら、ブルーズと出会う前のオレはどこに置けばいいの? っていう。そんな気持ちがあるもんでね。まあ、今回は思いきってちゃんとブルーズをやったんで、次はそういうところも含めて思いっきり曲を書きたいですね。そういう気持ちになってる。やっぱり前に進むと、次の何かが見えてくるもんなんだね。

--まずは自分にとってのブルーズを今回つきつめたかった。

 そうだね。自分にとっての節目節目は、やっぱりブルーズなんだろうね。

--間違いなく節目だったわけですね。

 はい。

--そこで取り上げるブルーズは何がいいのかってことは、けっこう悩んだりしました?

 うん。本当は僕、B面男なんですよ。ビートルズだろうがなんだろうが、シングルのA面よりもB面の曲が好きなの。A面ってのは歌舞く感じがあって、本当のその人らしさはB面に表れるって僕は思ってて。だから大抵A面よりもB面が大好きなんですよ。おかげでB面人生になっちゃったけど(笑) サッカーで言うならアシスト体質。エースにはなれないんですよね。だから実はサイド・ギターが一番好き。本当はサイド・ギターを弾いていたいっていう。まあそういう人間なので、A面になりそうな有名な曲よりも、B面っぽい知る人ぞ知るみたいな曲をどーんと並べたいと思ったんだけど、周囲から猛反対にあっちゃってさ。本当はね、コアでマイナー・ヒットのブルーズのほうがやりやすいんですよ。有名な曲は出来がいいだけにいろんな人がやってるから、やる側としては怖いわけです。でも結局、こうして有名な曲ばかりやることになっちゃいました(笑)

--じゃあ、やりやすい曲を選んだわけではなく、挑戦しがいのある曲を選んだ感じなんですか?

 そうですね。これだけ有名な曲を集めると大変だなぁって思いつつ、やってみました。結局、なんか、ここにきちゃいましたね。僕はもともと音楽を始める以前にディスク・マニアで、コレクターみたいなことをやってたんで、それこそコレクター特有の、SP盤なんかの珍しい曲を選んでもよかったんだけど、それもちょっといやらしいかなと思ってね。それよりも、こういう有名な曲を聴いてブルーズ・ファンが増えるんだったら、そっちのほうがいいじゃないかと。そういう感覚にやっとなれましたね。

--ひとつの境地ですね。

 はい。そこはもうしょうがないやって思って。

--選んだ曲のなかで、これは自分の意志で絶対にやりたかった!っていう曲は?

 (リトル・ミルトンの)「Walkung The Back Streets And Crying」はどうしてもやりたかったね。この曲は僕らしくできるかなって感覚がありました。

--これ、僕は一番好きかもしれないです。ピアノの絡み方とか最高ですよね。

 うん。宮原さんのピアノが本当に素晴らしいからね。

--1968年……ブルーズをやり始めたその頃の自分に比べて、今の自分ならこうできるんだって自信の持てる曲を選んでるところもありましたか?

 うーん、まあ、今ならできるかなっていう曲ですよね。でも、やっちゃいけないような曲もやってるんですけど。そこはもう、背伸びです。

--ブルーズって、そういうものなのかもしれないですね。背伸び感もどっかにないと。

 うん。どうしても神経症にならざるをえないというかね。仮に僕がシカゴみたいなところに住みついてやったとしても、入りきれないものがまだ絶対にあると思う。音楽である以前に、文化みたいなところがあるから。

--生まれ育ちというか、出自がまず違う。

 そう。でも逆にニューヨークやロンドンでやってみると、昔は自分の嫌いだった日本人くささがかえって自分の武器になったりもするし。そういう経験もしたんでね。さっきも言ったけど、人間の数だけ音楽があると僕は思ってて、それを証明するのは自分の努力しかないなって。そういう感覚をちゃんと持ってブルーズをやりたかったんです。

--ブルーズの本質に近づきたいけど、近づいたと思ったらまた余計に距離が見えちゃうというようなところもあるんでしょうね。

 そうだね。こんな僕でもオーティス・ラッシュのバックをやったり、B.B.キングと一緒にステージ立ったり、ボビー・ブランドのバッキング・ギタリストになったりして近づいてるはずなんだけど、やっぱりどうにも近づいてこないんですよ。ずっとそういう感覚がある。これがロックンロールだったらもう少し悩まずに済んだかもしれないね。ブルーズはしんどいですよ。

--今作ではアレンジもご自身でやられてますが、アレンジに関して意識したところは?

 ええっと、ブルーズって実は定型を持ってるんだけど不明瞭なところがかっこいいわけですよ。例えば12小節じゃなくて13小節だったりとか平気でするんでね。それを逆算してやりたかったんです。

--逆算?

 バディ・ガイなんかがよく4小節のところを5小節にひっぱってから入るようなことをやるんだけど、その感じを出したかったというか。きっちりやるところはやるんだけど、そうやって自由に持っていくのも楽しいんでね。

--そのキッチリいくところとラフにくずしてやるところのバランスが今作は絶妙なのかもしれないですね。

 そこはバランスとってやってかないと、ムチャクチャになってくるんでね(笑)

--それとあと、ルーツィーな雰囲気が出てたりする一方、すごくモダンだったりもしますね。

 ああ、うん。やっぱり今が問われるわけだからね。68年に憧れて作ってるわけではないから。むしろ誰にも会わずに部屋に籠ってブルーズをガンガン聴いてたあのモヤモヤ感を持ったまま、今を表現できたらなって感じですね。

--モヤモヤ感は残しておきたかった。

 うん。そのモヤモヤ感っていうのは、たぶん僕が一生つきあわなきゃいけない感覚だと思うんですよ。

--そのモヤモヤ感を言葉にはできますか?

 いや、そもそも音楽っていうのは筆舌に尽くし難いわけで。モヤモヤ感としか言いようがないね。

--1968年のモヤモヤ感。

 うん。あの感覚ですねぇ。70年安保もあって。あの独特のエネルギーだけを持って今を表現したかったというか。そんな感じですかね。

--68年はおいくつだったんですか?

 17歳。高1か高2。ブルーズしか聴いてなかったですからね、もう。で、当時は油絵にのめり込んでて。大学も油絵の学校に行ったんですけどね。当時はディスク・マニアで、レアなレコードを仕入れて、1枚は自分のものにして、あとは色付けて売ったり。バンドをやりだすのはもっと全然遅くて、最初がブレイクダウンに入ったときです。それまでは名古屋のオープン・ハウスっていうブルーズ喫茶の雇われマスターをやってたから。なんでも好きなレコードをかけられるところだったんだけど、自分がブルーズを聴きたかったから「ブルーズ一本にしましょうよ」なんて言って、「じゃあ、1日3万円の売り上げにしたらブルーズ一本にしてもいいよ」って言われたから、頑張って3万円の売り上げが出るように、あんまり言えないけど色々なことやったよね(笑)

--そういうのを全部ひっくるめてのモヤモヤ感なんですね。

 そうだね。70年安保と油絵とブルーズと日活ロマンポルノ。そんな感じかなぁ。

--そうした時代の色と近藤さんの暮らしや精神的なところでの色が混ざった感じ。

 そうそう。それがグシャっと一緒になってるみたいな感じだね。マディ・ウォーターズと谷ナオミ、みたいな(笑) 近くの映画館の兄ちゃんがよくオープン・ハウスにコーヒー飲みに来て、タダ券くれるもんだから、よく行ってたんだよ。平和会館っていうポルノ専門の映画館なんだけど、そこ行くとクーラーがかかってて夏は涼しいから、そこで寝たりして。寝るために行くんだけど、根がスケベだからついつい観入っちゃってね(笑)

--その映画館の温度とか湿度とか匂いとか色合いとか、全部が記憶として残ってるんでしょうね。

 そうなんだよね。ブルーズを聴いたのと同じ感覚でそういう色とか温度とかが混然一体となって焼きついてる。それが自分にとってのブルーズなんだろうと思うし。だからマディ・ウォーターズをマディ・ウォーターズのようにやるのではなく……やろうとしてもできないですけど、そういうところで、自分の色とかスタイルが出ればいいかとは思ってます。だからこのレコーディングに入ってからは、CDプレイヤーも取っ払っちゃった。あると、元のを聴いちゃって意識しちゃうから。たまに*STOMP(ストンプ)なんかに行って聴いちゃうんだけど、そうすると、これじゃ似すぎだと思って弾き方を変えたりしてさ。

--なるべく原曲の影響を受けないようにしたかった。

 そうなんですよ。

--ところでこのアルバム、最後がB.B.キングの「Why I Sing The Blues」ですけど、最後の最後にこういうアップものの曲で終わるっていうところがかっこいいですね!

 始めはこれ、1曲目にするつもりだったんだけど、打ち込みでいきなり始まるのもヘンかなと思って、結局最後に入れたんだけどね。

--これで終わるところが肝だと思いました。ここからまた力強く旅を続けて行くんだといったような決意が表明されているようで。

 あぁ、よかった。また歌詞がね、しびれるんだよ、これ。なんかおかしくて哀しい歌詞でね。

--このタイトルじゃないですけど、近藤さんも「Why I Sing The Blues」ってずっと問い続けてる感じなんですかね?

 うーん、そうだねぇ。それが糧みたいなものなんだろうね、モノを表現するときの。そう思いながらも、力がグッと湧くしね。久しぶりにマディ・ウォーターズなんか聴くと、「よーし!」って気になるもんね。で、だいぶ近づけたかなって思ったり、全然ダメだな、まだまだだなって思ったり。

--見えてきたような気がしたかと思うと、余計に遠ざかっちゃうというような、その繰り返しみたいな。

 そうだね。だから完全にわかることなんかないんだろうし、決着なんかつくわけじゃないんだよ。実は生きてる間に決着なんかつかないってことをみんな知っていて、僕もわかっていて、でもそれでも前に進まなきゃいけないんだよね、生きてる間は。

--まさしく旅ですね。

 うん。

--1968年から2010年まで、約40年が過ぎたわけですけど、ご自身では変わったと思いますか?

 孫ができて、おじいちゃんになったっていうところぐらいの差かなぁ。まあ、いろんな苔は生えたんだろうけど、基本的には変わってないかな。変われないのかもしれない。1968年からずっと繋がってる感覚がありますよね。

--これからまた、バンドでライヴを。

 うん。このスタジオ盤を上回るライヴを目指します。やっぱり僕なんかはライヴがよくてなんぼのものですから。

*STOMP:近藤房之助が経営をしている東京、下北沢にあるスナック。

FUNKASTiC CDジャケットのこだわりポイントについて

近藤房之助

1951. 5月、愛知県生まれ。

1968. ブルースに本格的にのめり込む。

1976. ブルースバンドBREAK DOWN 結成参加。京都を中心に1986 年迄の10 年間に、毎年100 本を超えるライヴを行う。

1990. ライヴレコーディングアルバム『Heart Of Stone』でソロデビュー。以後4 作連続でライブアルバムをリリース。
B.B クィーンズに参加、「おどるポンポコリン」が日本レコード大賞受賞。

1992. 日本テレビ「24時間テレビ」のロケーションで戦時下のカンボジアを取材。
単身ニューヨーク・ロンドンに渡り地元のミュージシャンとライヴ活動。

1993. 2 度目のカンボジアへ。
日本全国津々浦々をライヴ行脚するバンド近藤房之助 & The Deepest Pocket 結成。

1994. 初のスタジオアルバム『A LOW DOWN DIRTY SHAME』リリース。
ロンドンへ渡り多国籍・ジャンルレスバンドFusa and THE GRUB STREET BAND 結成。THE GRUB STREET BAND JAPAN TOUR。
(このバンドでアルバム『23A Benwell Road』『gravel road』の2作品をリリース)。

1995. STUFF のゴードン・エドワーズを迎えライヴツアー。(ライブアルバム『rough mixed ~Live at SHINJUKU LIQUID Room~』としてリリース)。

1997. 時代劇映画「SAMURAI FICTION」出演。
近藤房之助 & The Deepest Pocket による初の全曲日本語詞のアルバム『in a deeper pocket』リリース。

1998. 大阪ザ・シンフォニーホールでクラシックとの共演。
ファンクブルースバンドFusanosuke & His B&O 結成。

2000. Fusanosuke & His B&O『 I’ m on my way up again』( ライブアルバム) リリース。

2001. 全曲日本語詞アルバム『Mo’ Deeper Pocket』リリース。
また、自らの原点であるBLUES のカバーアルバム『TAKE ME BACK TO THE BLUES』リリース。

2002. 外務省の国交樹立・周年記念事業でバングラデシュ・インド・パキスタン3カ国の南アジアツアー。

2003. 村上“ポンタ” 秀一とのコラボレートアルバム『A BIG TRAIN COMING』リリース。

2004. 自身初のライヴDVD と93年発売のファーストビデオのDVD 化同時リリース。

2005. 村上“ポンタ” 秀一とのコラボレートアルバム第二弾『HERE WE GO AGAIN』リリース。
大阪・hills パン工場でのLIVE を収録したLIVE DVD『 A BANDMAN STANDING』を6/15 にリリース。

2006. Fusanosuke & His B&O のベーシスト青木智仁急逝(享年49歳)によりバンド解散。

2007. 木村充揮との昭和歌謡のカバーアルバム『男唄~昭和讚歩~』を木村充揮×近藤房之助名義でリリース。
このユニットでフジロックフェスティバルに出演。全国各地ツアーをする。

2008. 木村充揮とのライブDVD『男唄~ THE 歌謡 SHOW ~』リリース。
木村充揮とのクレイジーキャッツのカバーシングル『クレイジー節~昭和讚歩~』リリース。

2009. 木村充揮とのユニットをクレイジードッグスとしてオリジナルアルバム『クレイジードッグス』リリース。

海外ミュージシャンでは、B.B キング、ロバート・クレイ、オーティス・ラッシュ、ボビー・ブランド、スタッフ等 多数のミュージシャンと共演する傍ら、日本に於いてもその音楽活動は、数多くのミュージシャンに影響をあたえている。

オフィシャルサイト:
http://www.fusanosuke.net