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ふるさと歴史探検隊
人魚伝説  歴史探検隊江戸中期の鳴門に記録   2010/1/18 14:25
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人魚伝説 上半身(じょうはんしん)は絶世(ぜっせい)の美女(びじょ)で、下半身は魚。みなさんが人魚(にんぎょ)を想像(そうぞう)するとしたら、童話(どうわ)「人魚姫(ひめ)」に登場(とうじょう)したこんなイメージが浮かぶことでしょう。そんな人魚が昔、鳴門の海にいたという伝説(でんせつ)が残っています。本当でしょうか?

 日本で人魚の存在(そんざい)が初めて記録されたのは、今から1400年も前の619年のことです。時代でいえば飛鳥(あすか)時代。日本書紀に大阪の漁師(りょうし)が網(あみ)で捕(つか)まえたと書かれています。聖徳太子(しょうとくたいし)も滋賀(しが)で人魚と出会っているそうです。太子は人間が悪い行いを繰り返したため、人魚に姿を変えられたと聞いて手厚く供(く)養(よう)してあげたと伝えられています。

 このころの人魚は人間に似た顔を持つ魚と考えられていました。いわゆる人面魚のようなものですね。ところが、江戸時代になるとヨーロッパから人魚伝説が伝わったためか、今の人魚の姿が伝説になるようになりました。

 江戸時代の富山では、角(つの)を持った人魚を鉄砲(てっぽう)で退治したといわれています。福井や高知では、人魚の肉を食べた娘が不老不死となり、10代の美しさを保ったまま、何百年も生きたという八百比丘尼(やおびくに)伝説が残っています。

 鳴門の人魚伝説は江戸時代中ごろの古文書に登場します。1734年に発行されたその書物には、阿波の海産物として鳴門の海で捕(と)れた人魚が入っているそうです。ただ、人魚の絵が載(の)った部分は現存していないため、どんな姿をしていたのかは想像するしかありません。

 また、具体的な話は残っていないのですが、鳴門海峡に人魚がいたという話があるそうです。

 明治時代初めに発行された徳島新聞の前身・普通新聞は、1885年11月6日付で今の鳴門沖で人魚を捕らえたものの、すぐに死んでしまったと書いています。見てきた人の話なので、うそではないと強調していますが、真実はどうだったのでしょうか?

 人魚は一般に海にすむ大型動物を人間に似た姿に見間違えたため生まれたとされています。沖縄(おきなわ)にいる哺乳類(ほにゅうるい)のジュゴン、海坊主(うみぼうず)のような姿をしたイルカの仲間・スナメリなどです。ジュゴンが江戸時代の鳴門にいたかどうかはわかりませんが、スナメリは紀伊水道(きいすいどう)や大阪湾でたくさん見られました。

 そのころの鳴門には、今は絶滅(ぜつめつ)したアシカの一種・ニホンアシカがたくさんいたようです。江戸時代の日本は今より寒かったので、北の冷たい海からアザラシがやってきていたのかもしれません。これらの動物が海面から首を出しているところを遠くから眺(なが)めたら、人魚に見えても不思議(ふしぎ)ではないでしょう。

 最近、人魚を見かけたという報告は、鳴門の海から上がってきていません。人魚が実在しない想像上だけの生き物であることが広く知られたことも理由の一つでしょうが、ニホンアシカをはじめとするたくさんの海の生き物が消えていったことが最大の原因といえるでしょう。とても寂(さび)しいことですね。
【写真説明】【上】人魚の正体ともいわれるジュゴン(三重県・鳥羽水族館提供)【下】スナメリ(学研・原色ワイド図鑑から)

徳島新聞社
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