Juxtaposition

写真作品をつくり始めたきっかけがあれば教えてください。

写真に限らず美術作品ということで言えば、もともと絵を見るのが好きでした。主に近代絵画の名品とされるような著名な画家たちの作品です。むしろ写真作品は、ほとんど見たことがありませんでした。その後、家から近い場所にあった佐賀町のギャラリー(注:佐賀町食糧ビル。2002年に取り壊されるまで、小山登美夫ギャラリーも入っていた)に通って、現代美術を見るようになりました。そうした現代の表現にふれることで、自分も何かをつくってみたいと思うようになりました。そんななか、出会ったのが写真でした。
写真を始めたきっかけは、一眼レフのデジタルカメラを購入したことです。それまでは、ほとんど写真を撮ったことがありませんでした。写真を撮るには特殊な技能が必要だという先入観がありましたが、デジタルカメラは、シャッターさえ押せばそれなりに撮れてしまうというシンプルさが魅力でした。カメラを手に入れて、撮る、見る、考える、というサイクルを日々繰り返すうちに、写真で表現する、写真で作品をつくるということに興味が向かっていきました。

思い立ってデジタルカメラを購入されるに至ったのは、どういった経緯でしょう?

ふだんは編集者として雑誌をつくる仕事をしていることもあって、もう少し写真についての実践的な知識があったほうがいいのかな、という思いが以前からありました。フィルムカメラは少し敷居が高そうでしたが、デジタルカメラの性能が上がって、値段もだんだん安くなってきていた時期だったので、購入に踏み切りました。
実際に撮ってみると、思ったよりも写るんですね。もちろん初心者ならではの思いこみや勘違いもあるんですが、思わずその気になってしまうぐらい撮れてしまうんです。一眼レフを買っていろいろ試しているうちに、作家になろうとまではいかないまでも、「これは面白いな」「本格的にやってみようかな」という気持ちになってしまって。それに、もともと何事にもハマりやすいという自分の性格もあって、どんどんのめり込んでいきました。
その後、金村修という作家の存在を知り、金村さんの作品集や写真について書かれた文章を読んで、「金村修ワークショップ」に参加しようと決めました。ワークショップは、撮った写真を持ち寄って講評してもらうというスタイルでした。金村さんのワークショップに参加した当初から、すでに夜の写真を撮っていました。

Juxtaposition-02, 2008Juxtaposition-04, 2008Juxtaposition-10, 2008

L to R: "Juxtaposition-02", 2008、"Juxtaposition-04", 2008 "、Juxtaposition-07", 2008
pigment print mounted on plexiglass / 48.0 x 72.0 cm © Nobuhiro Fukui

夜の風景のモチーフを主体にしていこうと思われたのには、何か理由はありますか。

以前から散歩が好きで、知らない駅で降りて知らない街を散策するのが秘かな楽しみでした。学生時代には、電車を使わず学校やバイト先から家まで、てくてく道草しながら歩いて帰ったり、自転車で通学したりすることもよくありました。写真を始める前から、よく夜の街を歩いていたんです。そもそもそういう習慣があったので、カメラを持ち歩くようになったことで、自然と、昼と同じように夜にも写真を撮るようになりました。
また、「金村修ワークショップ」に参加する少し前から、部分を切り取るように単体のモノを撮ることよりも、もう少し広がりのある風景を撮ることに興味がシフトしてきていたことも関係しています。当初から、「夜の風景を撮ろう」という強い動機があったわけではありませんが、自分の撮った写真を見つめ直すことで、再度写真について思考し、また写真を撮る、という繰り返しのなかで、夜の風景をモチーフにするという意志が生まれていきました。写真に導かれているうちに、今のようなスタイルになっていったという感じです。

撮影する場所を選ぶ基準は。また、具体的にどのようにして撮影をされているのですか。

写真を撮る時間帯は、基本的に午前0時〜3時です。なるべく、曇りの夜を選んで撮影しています。なぜなら空を覆う雲が街の灯りを反射するレフ板の役目を果たしてくれて、明るい夜になるからです。雨になる少し前のような曇天で、かつ空気の澄んだ風のない日がベスト・コンディションです。
移動には、自転車を使っています。ロケハン(注:ロケーション・ハンティング)は行いません。その日に行った場所、出会った場所で撮るようにしています。スナップ的な感覚を大事にしたいからです。4の5の大判カメラ(注:4×5インチのフィルムを使う大型カメラ)だと、なかなかこうはいきません。こうした撮影手法の微妙な差がじつは重要なポイントで、少なからず写真の違いになって現れてくると思っています。
場所を選ぶ基準は、逆光になっていないこと、光がそこに集まっていて明るく見えること、地名表示板や看板など記号的な要素が邪魔にならないことなどです。向こうから光がきているのではなく、三脚を立てた自分の横や背後から光がきている場所で撮っています。また、撮影する対象によって三脚の高さを調整しないようにしています。

Juxtaposition-09, 2008Juxtaposition-10, 2008Juxtaposition-12, 2008

L to R: "Juxtaposition-09", 2008、"Juxtaposition-10", 2008 "、Juxtaposition-12", 2008
pigment print mounted on plexiglass / 48.0 x 72.0 cm © Nobuhiro Fukui

いい光がある場所へと自然に目が止まって撮るというのは、即物的な感覚なのでしょうか。

撮影自体は即物的に淡々とこなしていますが、こういった場所はじつは案外少ないんです。なぜ、こういうふうに見えるのか? なぜ、こういうふうに撮れるのか? というと、東京をはじめとして日本の都市には非常に明かりが多いということがあります。しかし同時に、明かりが多すぎるせいで見えていない事物や場所、空間がとても多いんですね。何かを見ようとすると逆光になってしまう状況が多いからです。
これは皮肉な事態だと思います。24時間絶えず動いている現代の都市では、夜に活動している人も多く、そのために街を明るくしようとしているんだけれども、そのことでかえって、ものが見えないという状況、言ってみればそれもまた闇ですね、そういう闇が増えてしまっているんです。その状況をこういうふうに撮ってみせることで「見えてない」ということが明らかになってきます。
私の写真を見て、夜の風景だと思ってもらえないこともありますが、これこそリアルな夜の街だ、と言ってくれる人もいます。そういう人は、夜に散歩してたり、ジョギングしてたりする人が多かったりしますね。たとえば試しに、太陽がまぶしいときに手をかざすように、夜の街でも、手をかざして余計な光が目に入らないようにして風景を見てみてください。目が慣れて暗順応してくれば、なお良しですが、きっと今までとは違った風景が見えてくるはずですよ。

露光時間はどれくらいですか?

露光時間はまちまちですが、たいていは1分〜1分半ぐらいです。一般的にフィルムカメラよりもデジタルカメラの方が実効感度がいいので、露光時間は短くて済みます。それに露光中にフィルムが動いてしまったり、たわんでしまったりといったトラブルもありません。また、色かぶりや相反則不軌(注:長時間露光によってフィルムの感度が低下し、かつ、カラーバランスが崩れる現象)を気にせずに撮ることができます。
デジタルカメラはフィルムカメラよりも、夜間撮影には有利なんですね。撮った後に画像も確認できますし。ただ、それで撮影後に一点ずつ見直して考えすぎてしまうと、それはそれでまた良くないのですが。とにかく、今使っている機材で出来ることを突き詰めたい、と思って撮り続けているうちに、こういう手法・表現になってきました。

installation view at Tomio Koyama Gallery, 2008

installation view at TKG Contemporary ; Tomio Koyama Gallery, 2008

『Juxtaposition』は「並列」という意味ですが、展示作品の順番についてはどのように考えられましたか。展示される順番は撮っている最中から決めず、出来上がったものを組み合わされるのでしょうか。

実際展示するにあたって写真の並べ方や構成を考え始めます。撮影するときにロケハンをしないのと同じで、あらかじめ「こうしよう」というゴールがあって、そこに当てはめるように撮っていくと、どうしても予定調和のものになってしまいがちだからです。
今回の展示では、並べたときの違和感があまりなく、しかし落差がある感じにしています。また、隣り合う2点で見てもいいし、3点で見てもいいし、離れている写真を比較しても面白いのかもしれない、というふうになるよう心掛けました。写真の距離感や光の条件が揃ったものを並べて額に入れて展示すれば、それだけで何か「作品」ができてしまうかのような考え方もありますが、『Juxtaposition』では、あえて距離が近かったり遠かったりする写真も一緒に展示しています。
たとえば、ドイツのベッヒャー夫妻に代表されるタイポロジーという方法があります。しかし現在、この手法は、ただ単にそのスタイルだけが模倣され、ほぼ無批判に反復されてしまっているという一面もあると思います。私の解釈では、本来タイポロジーは、共通の対象を相互に関係づけて比較対照することで何が見えてくるか、という性格の方法だったはずです。つまり、その対象をよりよく見ることで、その形象なり概念なりを考えるというような。
しかし、この方法を貫く思想に何も学ぶことなく、スタイルのみ模倣している作品というのは、集める事だけが自己目的化しています。そうなってくると、写真に写されている対象を一点一点見るということでなく、集まっているかどうかを確かめるということだけになってしまいます。そういう作品は、共通の対象ではなく、共通の名詞をテーマにしているにすぎません。単に同じ名前のものを集めているだけに留まっています。だから、その形象や概念に対する人々の意識に揺さぶりをかけることができません。結局は、かえって事物や空間を見ないことになってしまいます。そうなると趣旨自体が違ってきます。ものを見るための方法が、ものを見ないことに奉仕してしまっては意味がありません。
私は、見ているようで見過ごされているもの、目にはしているんだけれど、きちんと記憶されていないようなものをもっと見てほしいと思っています。タイポロジーとは違ったやり方で、その対象をよりよく見ること、その形象や構造、概念を考えることを実現するために、『Multiplies』では上下にずらして、『Juxtaposition』では真横に並べて展示しました。

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