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出口を探して 特定失踪者を追う第8部
(8)グレー「父を帰せ」と言いにくい
特定失踪者の稲田裕次郎さん。2002年の失踪時、同じジャンパーを着ていた=2000年3月、岡山市・後楽園 |
会場に拉致被害者の写真が掲げられ、一九八三年に失跡した神戸出身の有本恵子さん=当時(23)=と一緒に、稲田裕次郎さんの顔もあった。
「恐縮した」と、母の智子さん(50)=神戸市東灘区=は振り返る。二〇〇五年五月、拉致問題の解決を訴えて高砂市で開かれた集会。特定失踪(しっそう)者の長男が拉致被害者と同列に扱われ、智子さんは「有本さんたちに失礼ではないか、と感じた」と話す。
稲田さんは、阪神・淡路大震災の影響で父が熊本市に転勤となるまで、神戸に住んでいた。〇二年二月、熊本で失踪。当時二十歳、熊本学園大の学生だった。失踪後、大学を前年五月から欠席していたと分かった。貯金約七十万円を引き出し、失跡の前日にリュックサックを買っていた。
家族は家出と思った。警察も「事件性がない」として捜査しなかった。両親は九州の旅館などを捜し歩いた。同年十月、打つ手がなくなったころ、拉致被害者が北朝鮮から帰国した。智子さんは、拉致も可能性の一つと考えた。
特定失踪者問題調査会に届けた智子さんは、熊本で「救う会」などの支援集会に積極的に参加した。一方で「ただの家出かもしれないのに、拉致の可能性を訴えていいのだろうか」とも思っていた。
〇五年春、夫の転勤で神戸へ戻り、最初に参加したのが高砂の集会だった。写真の扱いを見た後、拉致被害者の支援集会には足を運ばなくなった。智子さんは言う。「私たちは微妙な立場。どう行動していいか分からないんです」
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七四年に父、清崎公正さん=当時(41)=が失踪した織田(おりた)広美さん(46)=加古川市=も拉致問題の集会に参加しなくなった。「北朝鮮に『父を帰せ』とはアピールしにくい」。父は特定失踪者であり、拉致の証拠はない。「行っても悲しくなる」「はがゆい」―。そんな言葉が漏れる。
広美さんは、知人らに「身近に拉致の被害者がいて驚いた。大変やったね」と声をかけられ、戸惑った。
「拉致かどうかは、今もグレーのまま。はっきりしたことを知りたい」。そのためにも拉致問題の解決を願う。
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私たちは特定失踪者を捜して街を歩いた。しばしば「あー、拉致された人ね」と応じる人に出会った。「拉致とは決まっていない」と説明すると、「じゃ、なんで取材するの」とけげんな顔をされた。
はっきりしない。放っておかれるかもしれない。だから特定失踪者の家族はつらい。そのつらさは、拉致被害者の家族の憤りや悲しさと、また違った色合いをしている。
(2008/09/24)
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- 家族にできること 特定失踪者を追う第6部
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- 蒸発の理由 特定失踪者を追う第3部
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- 日本人拉致事件の陰で 特定失踪者を追う第1部
バックナンバー
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