Webマガジン 早稲田@日本橋
WASEDA@NIHOMBASHI

○ ファイナンス・プロフェッショナルが受けたい講義 No.01
近代工業社会の終焉と知価社会の創造
堺屋太一 早稲田大学教授 日本橋キャンパス・インテンダント (※肩書きは講義時のものです)

プロフェッショナルが第一線に立ち続けるためには、たゆまない努力は不可欠だが、それだけでは足りない。必要なのは、将来への「ビジョン」だ。その視点は歴史から培われ、的確な判断を生み出す。
その、まさにプロフェッショナルの頂点とも言える、堺屋太一教授の最終講義が2006年3月4日に行われた。講義の一部であるが、ぜひ読者の皆さんにも味わって頂きたい。

はじめに

ただいまご紹介に預かりました堺屋太一です。今日は私の最終講義ですので、今までの授業にこだわることなく、私のライフワークである「知価社会」の分析と研究についてお話ししたいと思います。私は生涯いろいろなことをやって参りましたが、これは少し前の近代工業社会では「恥ずべきこと」で、一芸一門に徹するのがいいといわれていました。そういう時代に万国博のプロデューサー、未来小説の開発、経済小説、そして歴史の調査、おまけに役人も経験したのは、自慢できることではなかったのかもしれません。

そのなかで、私が1960年に現在の経済産業省、当時の通商産業省に入りましてからずっとおこなってきたものに、社会文化の変遷があります。その結果、1985年に発見したのが「知価社会」、知恵の値打ちの社会の予測と構造の研究があります。現在世界の経済社会学のなかで、新古典主義学派というものがあります。今日の社会は近代工業社会であり、ケインズ、サミュエルソンらの理論で分析でき、理解できるというものでした。これは米国は過半数、日本では圧倒的に主流です。それに対して、第2の学派としてニューエコノミストが生まれました。

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情報産業や、ソフト産業の発展で、世の中は大きく変わったから、古典主義を修正しなくてはならない、という主張です。この主張は1990年代後半、クリントン大統領の時代に長期安定成長が続いたことから、説得力を得ました。特に実務家や産業界の研究者の間で広がった。第3はニューパラダイム派です。いまや近代工業社会は終焉し、新しい歴史的発展段階にはいっているので、従来の古典的な経済学では考えられないことがたくさん起きる。従来の理論がことごとく破壊される、新しい構想が必要であろうという派です。

私は1985年に「知価革命」(the knowledge value revolution)という本を書きましたが、私の本は、このニューパラダイム派のリーダーとして、日本人の書いた書物としては類例がないほど引用されるようになりました。部数も多く売れまして、8カ国語にまで翻訳されるようになりました。合計1,000万部というから、原稿料もちょっと(笑い)入りました。

近代工業社会とは何者か

2000年になってから日本を含めて劇的な経済の変化が起こっています。それは近代工業社会ははるか遠くに過ぎ去ったというものです。過ぎし近代工業社会とは、物財を重視する社会です。まず第1に「物財が豊富なことは幸せである」という人生観です。だからより多くの所得を得て、より多くの物財やサービスを買い取れる、ということが幸せだという人生観です。第2に人間は物財の多さを追求するホモエコノミストであるという人生観です。第3には物財の供給を増大させることが正義であるという倫理観です。第4に歴史は物財の生産技術とそれを配分する階級闘争によって進歩して来たとする唯物史観が通っていました。つまり、物財によって世の中が動く、物財を作る技術、資源の供給などが世の中を変えていくというものです。

この近代工業社会が第2次大戦後に大発展をします。まさに頂点に達するわけです。

そのために、物財が多くなることは進歩である。だから、近代は以前の社会よりも進歩しているというものです。そして日々進歩し続けている進歩史観が出てきます。第2には物財の価値は客観的だから、近代工業社会での価値は客観的・科学的・普遍的であるということです。

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第3に物財の生産を拡大するための大量化・大型化・高速化の技術が大変に進んだということです。

こうした考え方の頂点に立ったのは1970年代で、この時代にすべての大量化・大型化・高速化の頂点をわれわれは極めます。たとえば石油タンカー。約20年ほどの間に、25倍の規模になったのです。航空機も同様で、1904年ライト兄弟がとんだときは百数十メートル飛んだのですが、22年後のリンドバーグは大西洋を無着陸横断し、それから22年後にはジェットの旅客機が出てきた。ところが1970年にジャンボジェット機が就航してから、今日まで35年経ちますが、これを上回るものはまだ就航していません。速度の面でも、70年代に就航いたしましたコンコルドを上回るものはできませんでした。

あらゆるものが70年度を境に大量化・大型化・高速化のピークを迎えました。これは生産技術でも同様です。100万キロワット以上の発電施設もほとんど作られていませんし、5000立米以上の溶鉱炉もほとんど作られていません。それに変わりまして出てきましたのは「情報化・多様化・省資源化」です。明らかに技術の方向が変わったのです。

 
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