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姉 妹 サ イ ト 禁断の昭和初期ガリ版ポルノ

創刊〜第1期/菊一文字時代

少女アリスというのはアリス出版の看板雑誌だが、設立当初からあったわけではなく、1979年の6月頃に創刊されている。それまでは「劇画アリス」とその編集長・亀和田氏ががアリス出版の看板だったが、1979年春には亀和田氏退社、1978年にはKUKIがギャル出版の名でSISTERを看板雑誌にして頑張っていたので、その対抗上からも写真系の雑誌で看板となるような存在が求められる。

エロ本というのは難しい物で、法律の範囲内でハードで過激なら良いのかというとそういうものでもない。むしろ表紙はソフトな方が、販売ルートが広がって売りやすい。特に自販機はてきめんにその傾向が強くて、中島氏の東京雑誌グループが全国で7000台の自販機を持っていたといっても、そのどれもでB5版64ページのグラフ誌を売れたわけではないのだ。その点ではSISTERのような大人しい表紙は好都合なのだが、セーラー物だとまた、PTAとかの問題が出てくる。そこで「少女アリス」はセーラー物ではない少女物を目指して創刊された。

創刊スタッフは社長であったK氏(菊一文字)と、その友人で社外スタッフであったデザイナー(花一文目)の二人だ。一貫して表紙は菊一文字の特写だが、中は社カメだったり流用だったり。デザイナーが独特のアングラ路線でうまくまとめている。発刊は月イチの定期刊行だ。

第二期/川本耕次時代

1979年の11月からスタッフが一新される。他でもない、おいら、川本耕次が編集長兼カメラマンとして登場する。おいらは1979年の春にアリス出版に入社していたのだが、当初はGIRL&GIRLというレズ雑誌をメインにして外注カメラマンを使ったりしながら仕事を覚えていた。それまでは漫画誌の編集者だったので、写真は一から勉強だったのだ。

とりあえず1979年の11月あたりに出たのが増刊少女アリス(ZS-3)。アリス出版はその前の1979年9月頃に白井ビルというところに引っ越していて、急速に膨張する組織を支えるのに社長が忙しかったという理由もあるのだろう。増刊号ではおいら、表紙と巻頭の一本しか撮ってないが、まだロクに機材も揃ってなくて、他人のカメラを借りて撮っていた。次の通巻7号(12月発売)では巻頭と表4が社カメの知久氏。ちょうどこの頃、ボーナスでハッセルなどの機材を揃える。

次の通巻8号(1980年1月発売)でやっと、おいらの写真を中心に組めるようになる。とはいえまだ、流用ネタが多い。大型ストロボを持ってなかったので、撮影が限定されるのだ。次の通巻9号(2月発売)でILLUSIONAL PHOTOGRAPHYというシリーズが始まる。モデルは中野幸子。豊島園にヌイグルミを持って行って普通の着衣ポートレートだけ撮るなんて事をやっている。これはおいらの撮影スタイルを決定づけた記念すべき第一作だ。

通巻11号(4月発売)からは、角背だった製本が丸綴じになる。撮影場所はおいらの自宅か神泉のOZというのが定番になってくる。この時期、ソフトフォーカス風のカットが目立つが、実は鼻の脂をフィルターに塗ってコントラストを下げただけのデュートといわれる手法だ。レフ板を持ってくれるアシスタントなど使わずモデルと二人きりで仕事をしていたので、そんな工夫をしていたのだ。

通巻14号(1980年7月発売)では篠塚ひろ美登場。ILLUSIONAL PHOTOGRAPHYは「ロリータ眼鏡の女の子」というタイトルでミノルタCMの真似などしている。またワンカットだけ小川恵子も登場、表3では次の号に登場する寺山久美もワンカットだけ登場と、この号は今にして思えば信じられないような豪華版だ。通巻15号(8月発売)で、おいらの作る少女アリスは最終号を迎える。表紙と巻頭が小川恵子、中カラーが寺山久美と、これも豪華版。素人モデルの全盛期だった。

おいらの作った時期の少女アリスは、吾妻ひでおの漫画が掲載されているというのが売り物で、夜な夜な少女アリスを求めて自販機から自販機へと彷徨う読者などが出没した物だが、他にも少女スナップの名手、望月博明やイラストではさべあのま、青葉伊賀丸の小説なんぞも掲載されている。自販機本のもっとも良かった時代で、通巻15号では51000部を発行していた。基本的に返品というものが存在しない自販機本としてはとんでもなく多い数字だ。しかも自分で撮っていたので制作費がべらぼうに安い。吾妻センセの漫画載せて撮影二本入れて30万そこそこだった覚えがある。もっともこれには裏があって、毎月10本も撮影していた中から、もっとも出来の良いのを二本、少女アリスに廻していたのだ。

第三期/その後/

1980年の8月にアリス出版が分裂したのちも、少女アリスは看板雑誌として存在し続ける。編集は女性の編集者がやっていた。カメラマンは菊一文字、花一文目の初期メンバーが復帰したり、自販機ポルノ業界のエース石垣章が登場したりと、なかなか豪勢なメンバーである。社カメとしては今村竹男、中村精作など。おいらの撮った写真も数多く掲載されているのだが、こちらはみんな古いポジの再使用だ。

この第3期少女アリスは1981年の6月に出た通巻25号で終焉を迎える。自分がかかわっていた事もあって、少女アリスだけは、おいら全巻持っている。増刊は計二冊だと思うが、まだあるかも知れない。

おいらとともに少女アリスのコンセプトを作ったデザイナーはアリス出版に残って引き続き少女アリスを担当していたので、全体的なイメージはあまり変わってないが、吾妻ひでおの漫画がなくなったり、細かいところでいろいろと変化がある。また、おいらは表紙だけでも二回ほどセーラー服やっているのだが、分裂後の少女アリスでは一度もセーラー物をやってないというのも特徴的ではある。セーラー服というのはエロ本屋にとって特別な意味を持っているのだ。

付録・女子高生[淫花]

そんなこんなの理由からなのか、女子高生[淫花]というのが平行して出される。これはアリス出版名義ではなく「DUMMY XO」という版元名になっているが、実体は不明。たぶん1980年の8月か9月あたりの創刊だろう。もしかするとアリス出版からどこか外注に出された物かも知れない。というのも作りが「らしくない」からだ。1980年の8月というと明石賢生系スタッフの大量脱退があって社員編集者も足りなかった筈だし、残ったメンバーの中でコレを作るスタッフがいたとも思えない。もっとも中の自社広告がアリス出版の刊行物ばかりなので、これもまたアリス系であるのは間違いない。

女子高生[淫花]は、デザインの感じや撮影手法とかはKUKIのSISTERやサン出版の美少女シリーズに似ている。カメラワークもイエローキャブっぽい感じだ。気になるのはカメラマンの名前やスタッフの名前がどこにも出て来ないところで、小説なども掲載されているのだが知らない作家だ。基本的に撮影は制服で、巻頭と巻末と二本が特写。モノクログラビアとか二色ページとかは過去のセーラー物の使い回しだが、もちろんアリス出版の物。おいらの撮った写真も使われている。おいら、アリスを退社する時にポジは置いてきてしまったので、知らないところでやたら使われている。

このシリーズがいつまで出ていたのかは不明だが、とりあえず通巻12号が確認されているので1981年の8月あたりまでは出ていたと思われる。
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