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【コラム】

IT資本論

40 8つのパラドクス - IT資本のパラドクス(2) 知的資本の再検討

2004/08/16

近勝彦

    知識が重要なことはいまさら言うまでもない。経営学の中でも「ラーニング・オーガニゼーション」(P. センゲ)や「知識創造型企業」(野中郁次郎)を代表として、あらゆるところで論じられ続けてきた。そこで、ここではIT資本との関係性を中心として、付加価値を創造するための今後の知的資本とは何かを考えてみよう。

    この世の中のすべての財は、大きく分けると物質的要素と知識的要素の2つからなっている。モノ財であっても、さまざまな情報や知識などが入っている(創意と工夫という言葉がこれを指すことが多い)。そのモノ財のうちでも、ハイテク商品や感性商品のほとんどは、有体物であっても価値的要素の過半は情報や知識である。そして、情報財や知識財は、媒体としては有体物(CDやビデオテープなど)であるが、その価値のほとんどはそのコンテンツにある。

    以上は消費財としての議論であるが、生産財としての議論では、知的資本(知的資産)という言葉を使う。この知的資本(intellectual capital)の狭義の定義は、企業の保有する特許権や商標権や意匠権などの工業所有権と著作権が中心であろう。しかし、企業はこの他にも多くの知的資本を保有している。そこで、もっと広義な定義が普通である。それによると、上記のほかに、さまざまな知識やノウハウやナレッジ・ワーカーが獲得した情報や知識が入ろう。しかし、ナレッジ・ワーカーが業務と関係のない形で得た情報や知識は、一般に企業の知的資本とは見なされないであろう。さらには、ナレッジ・ワーカーに保有されている情報や知識は、人的資本ともいえる。もちろん、この概念も広義の知的資本に入れることもできるが、ここではそれは別のものと考えることとしよう。むしろ、これまで当該企業に所属していた労働者の行った業務活動や一定の行動様式の傾向、より具体的に言えば、企業文化・風土なども知的資本のなかに入ろう。また、当該企業の名前やロゴマークなどのブランド要素もこの大きな要素である。それゆえ、ある学者によれば、知的資本の価値は「市場価格から帳簿価格を差し引いた額である」という見方もある。ただ、これは一般的にはその企業価値を示していたり、企業のブランド価値と見られていることが多い。

    図表 物質系と情報系の推移の模式図

    次に図表を使って、知識がどのように重要となったのかを論じてみたい。まず、工業社会とは、やはりモノ作りが中心の経済社会であったといえよう。エネルギー革命によって、安価なエネルギーを安定的に供給し、それを他のエネルギーに変えることによって、モノを大量に生産し、それを大量に輸送し、分配する仕組みであるといえよう。そのときの創造原理は、物質の特性原理の究明と職人による技能の融合であった。それに対して情報社会は、モノ財の生産に情報や知識を投入して、これまで以上に効率的・合理的にモノ財を生産することであった。その一方で、さまざまなメディアや情報通信システムが開発され、情報や知識自体が財化していったのである。供給サイドでは、益々企業同士がネットワークで結ばれていき、消費サイドへの接近のためのネットワークも作られつつある。さらに進むと、モノ財を自国では作らないという方向も強まってくる。もちろん、ハイテク財や最先端のモノ財は生産するが、次第に物質的要素の強い基礎資材や日常雑貨などはむしろ新興工業国で作り、それを輸入する方向に移行しつつあるといえよう。ただし、それを極限まで推し進める米国型と、かなりのものは内国に残すほうがよいとする日本型に分かれているが、日本も緩やかではあるが、より安い海外製品への代替化が進みつつあるといえよう。

    さらにこれが進むと、次は知識社会ということになろう。情報社会との差異は必ずしも明らかではないが、ここでのメルクマールとしては、上記図表のように、モノ財よりも情報財や知識財が過半を占めるようになったときであると考える。さらには、縦軸の議論であるが、情報や知識の内容やレベルが基礎的・一般的なものから、より普遍的知識に依存し、さらには、高度な芸術性などが重視されるようになった場合であると考えられる。ただし、知識社会はこの面でも大きなパラドクスを抱えている。というのは、知識社会では、高度な科学技術や経営理論などを駆使して企業経営を遂行していくのであるが、その生み出す商品やサービス自体は、むしろ精神性や感性的なものが望まれるという点である。または、徹底したハイテク技術を駆使した製品群と、極限的に磨かれた感性的製品群が混交した経済になると考えられる。

    さらには、高度ITと人間の経験やノウハウなどが融合したものも考えられる。これをデータベース管理システム(DBMS)の発展形から考えてみよう。企業は究極的には、自由にモノや人やお金などの経営資源が入手できると考えるのならば、企業にとって固有のものは、その企業独自の知的資本(知的資産)であるともいえよう。情報と知識から眺めると、企業とは、情報・知識を入手し、それから付加価値を生み出すためにそれらを資源として処理・蓄積し、さらには外部に出力するシステムといえよう。その中核にあるのは、顕示的であれ暗黙的であれ、企業固有の知識である。この視点からデータベースを考え見ると、実は、5つの階層があることが分かる。

    その第1には、データベースの基本をなすソフトウェア体系(ハードウェアも含めて)が必要である。第2には、そこの中に、さまざまな企業データや商品データ、購買履歴などが入る。さらに広義のデータベースには、企業の業務知識や業務ノウハウや経験知などが蓄積されていよう。さらに第3としては、データマイニングや人工知能をもって行う解析のプロセスがある。第4には、これらを中心として、新たなビジネスモデルシステム(データベースモデル)が構築されるかもしれない。最後に、このようなデータベースをそこにいるナレッジ・ワーカーが自在に使いこなしながら、企業の総コストを極限的に低下させながら、最大の付加価値を上げることが考えられるのである。

    そのためには、当該企業の中で、まずは自社の知的資本がどのくらいあるのかを測定する必要があろう。さらには、知的資本の自社なりの定義が必要である。日本の企業の中で、この定義を持つ企業がどれだけあるだろうか。そして、知的資本は、毎年毎年測定され、課題は改善されなければならないであろう。知識経済が次世代の経済であるとすれば、企業も知識指向型企業でなければならないであろう。

    「ハードウェア」は元来、金物という意味であった。それと対になるものとして「ソフトウェア」という言葉が生まれたのであるが、どちらもウェア(ware)の言葉がつくことから、硬軟の差はあっても「器」であることは間違いがない。それに対して、情報や知識や多様なコンテンツはいわば、その器に盛られる食べ物に相当する。器の制作原理と、器に載るものの創作原理は異なろう。この面からも、IT経済はむしろ前者で、知識経済は後者であることが分かる。知的資本の大半は後者に属するのである。知的資本がもっとも重要な経営資源のひとつである理由はまさにここにあるといえるのである。

    (大阪市立大学 近勝彦)


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