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第36回 最終回 井上陽水さん

テキトーなんで

米山要撮影

 3年間にわたってお届けした松任谷由実さんの対談企画「yumiyoriな話」。今回で最終回を迎えることになりました。最後のゲスト・井上陽水さんは、ユーミンさんいわく、「音楽界で唯一、同じ飛行空域にいる」方。弾んで響き合う、まさに音楽のような対談が繰り広げられました。(構成・清川仁)

 松任谷(以下M) 今回、最終回なんだけど、陽水さんとの対談は、ラジオなどで話が来ても温存してるところがあったの。

 井上(以下I) 切り札として? 光栄に思います。

  まさにね。私のデビュー直後の頃、五木寛之さんと対談されていて、カッコいいなあと思いました。認めたくなかったところもあるんだけどね。私「女陽水」とか「女拓郎」とか、お二人がどういう音楽なのかも知らないのに、レッテルを貼られてたから。ただ、文化人的なにおいを放ってる陽水さんのたたずまいは、かぎとってましたよ。

  小説家とか漫画家の方、映画関係、ジャーナリズムの方々には、興味ありましたね。

  色川武大さんのところにマージャンを打ちに行かれてたことも聞いてました。すごい月謝を払っていらしたけれど、それ以上の何かを得てくるんだろうなって。


井上陽水さん
 いのうえ・ようすい 1948年、福岡県出身。69年にアンドレ・カンドレとしてデビュー。72年に井上陽水として再デビューし、「夢の中へ」「少年時代」「リバーサイドホテル」など歌い継がれる数々の名曲を生み出す。アルバム「氷の世界」(73年)が、日本初のミリオンセラーに。近作は「魔力」(フォーライフ)。

  その通りでね。非常に興味深いようなことにたくさん出くわしたり、皆さんのたたずまいもとても面白かったですね。黒鉄(ヒロシ)さんがいたり、伊集院(静)がいたり。

  そこで歌にしようとか、何かにしようと思って行ってるわけではなく。

  なんとなく面白いからいるわけで、それがある時、形になったりならなかったりするんですけどね。

  同じね。私の場合は電車に乗ったり、ファミレスに行ったりして、普通の人の変なところが心に響く。

  最近読んだ橋本忍という脚本家の本を思い出すね。彼は、黒沢明監督が求める人物描写のために、山手線でずっとある人を見定めて、どういう人なのかを自分なりに思い描いて、駅に着いたら一緒に改札口まで行って、また引き返してくるという努力を日頃していたというんですね。

  ただ、陽水さんもそうでしょうけど、天才だから、詞を書いてる時には、人が深読みするほどは……。

  テキトーなんですよね。どこかいい加減なだけなんで。その点、ユーミンの長年多くの人たちを魅了し続けてこられた秘訣をお伺いしたいですね。

  自分だって。

  僕は平気で長期間休んだり、「信じらんない」みたいなヒドイ作品もたくさんありますから。ユーミンの場合、全部クオリティーがそろっていて。

  何回かライブを見て、「夜の歌ばかりだな、この人は」と思うの。黒光りしてるような、ぬれてるような魅力。声からかな。

  バランスが欠けててね。ちゃんと持ってらっしゃる方のお話をぜひ。


  逆なんです。いい加減だから、枠組みをきちっとしてないとどこかに行っちゃいそうで。自分の作品が寄宿舎のようなものなの。

  僕は「すごいじゃない」なんてこと、コンスタントになかったですから。

  だけど、パイロットランプは絶えず消えず。不気味な深海魚のようだよ。

  私が馬車馬のように働いていたバブル後期頃、プライベートな場で、「あなたも終戦工作が大変ね」って言ったの覚えている?

  そんな生意気言いましたかね。

  「終戦工作なんてしないよ。競走馬のように玉砕するんだから」と、返した覚えがあって。その終戦工作って、どういう状態を指すのか聞きたかった。

  やっかみもあって、まあ、「とてもステキですね」なんて言いながら、ちょっと意地悪を言いたくなったんでしょうね。

  自分でそう言っちゃうことが、逆に大人の余裕を感じるね。まさしくご自身で終戦工作したかったり、したかのような局面があったのかなと思ったの。期せずして今日は、初めて100万枚という壁を破った陽水さんと、何年後か200万枚の壁を破った私。時代の体感温度でいうと、その100万、200万と、宇多田ヒカルさんの800万とは同じ衝撃だったりする。

  そうでしょうね。CDだよね、200万。いいねえユーミンは現代人で。僕、レコードだったから。

  だから、手に入れる手間暇を考えると、100万の重みがより増します。そして、この配信の時代。

  もう、誰も音楽にお金なんか払わないですよ。連想するのはね、ブラジルで、欧米で作ったエイズの薬を使うには特許料を払わなきゃいけないんだけど、ブラジル政府は「目の前の貧しい人を助けるほうが先でしょう」と、特許を認めなかった話ね。確かに著作権なんて、西洋のある種の文化ですよね。絶対というわけでもない。

  音楽にお金を払うこと自体が間違ってたのかもしれない。19世紀の頭頃に出版社ができ、楽譜というものを売り始めてね。

  もちろん、ある種の発展というのはあったんでしょうけど、「発展ってどうなの?」っていう時代に来てますからね。

お声 そのままで

  たくさんの対談をしていらっしゃるけど、印象深い思い出は?

  18年ほど前かな、吉行淳之介さんとの時は、緊張しましてね。スープが入っているように見えた小さい器のものを飲んだら、どうもお肉のタレみたいだったんです。吉行さんを見たら、偶然なのか、はたまた僕の失敗を見ないようにしてくれたのか、編集者の人と話していてね。恥ずかしかった思い出です。

  私は、森光子さんの言うことが深くて印象的でした。このページは本当に楽しかったですね。

  今日、珍しくユーミンの曲を作る時の話を聞きながら、そういう会話って誰かとしたことないなと思ってね。ユーミンにはね、これからもずっと、エポックメーキングというかリーダーっぽく、それから、ある種のオカルティックなものも含めて、多くの人が「ステキね」という形でね、そういう時間がどんどんどんどん続くといいなと願ってます。それは、僕にとっても「すごいなあ」と感じられるエンターテインメントになってるんです。

  私にとっては、大人といったら井上陽水。だから存在していてほしい。そして、お声がそのままでいてくださることが、すなわち活動しているということですから。

 「松任谷由実コンサートツアー2011 Road Show」で、東日本大震災の影響で中止になっていた宮城・福島両県での代替公演が決定しました。会津風雅堂(11月5日)、仙台サンプラザホール(同10、11日)の3日間です。問い合わせはキョードー東北((電)022・217・7788)。


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2011年8月12日  読売新聞)
プロフィル
松任谷由実  (まつとうや・ゆみ)
シンガー・ソングライター。1972年デビュー。
「卒業写真」など、長年愛され続ける曲を世に送り出す。90年のアルバム「天国のドア」は、日本人初の200万枚超えの売り上げを記録した。
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