東日本大震災から半年が過ぎた。福島第一原発から約20キロにあるサッカー練習施設「Jヴィレッジ」は今、どうなっているのか。11面の天然芝とスタジアム、近代的なトレーニングルームを持ち、1997年に建設されて以降、日本代表から少年団に至るまで、約100万人が施設を利用し、約56万7千人が合宿を行ってきた。東京電力が原発増設の「見返り」として130億円をかけて建設し、地域振興事業の一環として福島県に寄付された経緯はあるが、日本サッカーの発展に寄与してきたことは間違いない。その役割を取り戻せるのか。高田豊治副社長が語った現状と展望を、2回にわたってお届けする。
日本サッカー協会、東電、福島県が株主に名を連ねるJヴィレッジの歴代社長は福島県知事。旧日本リーグのマツダで選手として活躍し、Jリーグ・サンフレッチェ広島では育成部長やGMなどを歴任した高田副社長は1996年から2003年までの間と、2009年から現在まで、Jヴィレッジの運営に当たってきた。現在は東京都内の建設会社の一室を借り、臨時事務所としている。
「現在は福島原発復旧作業の『拠点』というより、『中継基地』。震災直後は自衛隊、東電社員、作業員ら700人〜1000人が寝泊まりしましたが、今、ホテル棟に滞在しているのは自衛隊の数十人と、作業員が使う防護服やマスクのメンテナンスを担当する東電社員の約200人。作業員は主にいわき市に宿泊していて、1日当たり、多い時は約3000人、少ない時は約1300人がJヴィレッジで防護服に着替えて原発に向かいます。作業が終わると、Jヴィレッジに戻って放射能汚染の有無をチェック。必要なら除染をし、車を洗って宿泊先に戻っていきます」
芝生のグラウンドが残っているのは2面だけ。ただ、管理ができず、草は伸び放題になっている。それ以外のフィールドは駐車場や資材の積み下ろし拠点となり、ヘリポートにもなる。また、除染場所となっている北側の天然芝グラウンド5面は廃水も回収しなければならないため、芝生の上にアスファルトが敷かれている。原発に上空から散水したヘリコプターもここで除染されたという。
震災前、Jヴィレッジには正規職員17人と、委託先の契約職員100人以上が働いていた。食事を提供する厨房(ちゅうぼう)と芝生管理を担当する契約職員は委託先の判断で3月末に解雇せざるを得なかったが、総務、営業、フィットネススタッフ、サッカースクール(JSC)コーチを担当していた正規職員は13人が残っている。「本業の継続が難しい中、解雇も検討しましたが、彼らも被災者。地震、津波、放射能の三重苦に、失業の四重苦を背負わせるわけにはいかない。給与の高い者ほど減給率を多くしながら、雇用を継続しています」
問題は具体的な仕事がないことだった。「そこで、使命の根本に立ち返りました。サッカーによるスポーツ振興に加え、地元双葉郡と外との交流人口の拡大による地域振興も、Jヴィレッジが持つ役割でもあった。だから、今は地域の復旧に何らかの形で貢献することも、Jヴィレッジとしての使命だと考えました」。高田副社長が福島県内の避難所に通い、町長らに聞いたところ、避難所に張り付く役場職員の絶対数が足りないことに気づいた。そこで、Jヴィレッジの職員たちも避難所のボランティアに協力してきた。今も、郡山市、いわき市、会津市の対策本部に詰める毎日だ。
JSCのコーチ3人は、いわき市で活動を再開している。震災直後、委託先の職員らと避難所で炊き出しをしていた時にブログを立ち上げると、スクールメンバーの中学生たちから「またボールを蹴(け)ろう」「東北代表になろう」と次々と書き込みが入った。メンバーの保護者がいわき市でフットサル場を借り、「コーチに来て欲しい」と持ちかけてきた。4月はボランティアでコーチをしていたが、5月からは会費を集める形に復活。今は高校のグラウンドを借りている。家を流された子も、自宅が20キロ圏内にある子もいるが、スクールの中学生は68人のうち、35人が残った。15歳以下(U15)の日本クラブユース選手権の福島県予選を勝ち上がった。東北大会は惜しくも1次リーグで敗退だった。
「Jヴィレッジの灯を消さない」。それが高田副社長の思いである。だから、原発の収束が見えなくても、職員を解雇することなく、模索を続けてきた。そして今、「再開」へ、一筋の光明が見えてきているという。(続く、中小路徹)