1920年ごろ、ロシア革命後の内戦などでロシアから逃れ、日本船「ヨウメイ丸」に救出された子供の子孫が、「一言お礼を」と同船のカヤハラ船長の行方と子孫を捜していたが、27日までに船長の名前と、眠る墓が分かった。この船は途中、室蘭港にも寄港、子供同士交流の場が持たれている。救出劇から約90年という月日が過ぎていたが、関係者の熱い思いが朗報につながり、人道的な歴史の一部が明らかになった。
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捜索劇の発端は一昨年、金沢市在住の篆刻(てんこく)家・書家の北室南苑(きたむろなんえん)さん(64)がサンクトペテルブルクの図書館で「ロシア絵本と篆刻の融合」と題する作品展を開催。その時出会ったロシア女性、オルガ・モルキナさん(57)が話し掛けてきたのがきっかけだ。
この女性はヨウメイ丸に救助されのちに結婚した子供の孫で、「命を助けてくれたヨウメイ丸のカヤハラ船長の子孫にお礼を言いたい」と協力を求めてきた。約90年という月日がたっており、北室さんはいったんは断ったものの、「神様が与えた使命」と感じ、帰国し調査を開始した。
初めは90年という壁に阻まれ難航したが、「ヨウメイ丸」は神戸の勝田汽船(勝田銀次郎社長)の「陽明丸」ということが判明。「勝田という人は相当な額を寄付し、人道的な立場でロシアの子供たちを救う手助けをした」(北室さん)ことが分かった。
さらに調査を進め今年7月カヤハラ船長が「茅原基治(かやはらもとじ)」であることが判明した。詳しいことはこれからだが、茅原船長には子供がいなかったようで、岡山県に住む70代の親戚の女性が墓を守っていることが分かった。茅原船長はおおらかな人で船中で子供たちの教育にも当たっている。
この件で1991年にロシアの男性と情報交換した経緯のある久末進一さん(68)=当時室蘭市民俗資料館館長・学芸員、現在は札幌在住=は「ロシア革命という大事件と室蘭とがつながった史実に驚くが、いろんな人が関わって救出劇につながった。ヒューマニズムの原点に触れる思い。よく判明したもの」と感慨深げに語っている。
北室さんはアメリカ、ロシアの資料をいろいろ調べているが、勝田社長、茅原船長の功績が正しく伝えられていないことから、判明後ただちに「人道の船陽明丸顕彰会」(代表・北室さん)を立ち上げた。歴史の事実を正しく伝えようと、今回のてんまつや陽明丸が果たした役割、関係者の努力など、手記をまとめ始めた。
「いろんな人の協力でここまで来られたが、これからがスタート」と北室さん。9月18日には岡山県に出掛け茅原船長の墓参りも済ませた。「他の船員の名前も分かりそうなので、さらに資料や情報が得られるかもしれない」と調査を継続していく考えだ。
(野崎己代治)
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