テクノ音楽の第一人者 「電気グルーヴ」の石野卓球さん(1/ 9 15:00)

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イベント「JAKATA Presents slipout」でDJプレーを披露する石野卓球さん=2011年12月23日、静岡市の「Gaest.」

6畳一間で創造力育む
 ここ数年、年末は故郷・静岡市でDJを行うのが通例だ。昨年12月23日深夜、石野卓球さん(44)は葵区呉服町で行われたイベントで約400人を踊らせた。「今も一定の緊張感がある。昔は勢いだけでやっていたけどね」
 1991年にバンド「電気グルーヴ」でメジャーデビュー。DJとしても世界的知名度を誇り、98年にはドイツ・ベルリンで150万人を前にプレーした。99年から始めた日本最大の屋内テクノイベント「WIRE(ワイアー)」は、夏の風物詩として定着している。文字通り、テクノ音楽の第一人者だ。

 静岡市駿河区生まれ。小学5年生で、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に出会い、音楽に開眼した。
 高松中に進むと、青葉公園近くの輸入レコード店「洋盤屋」に毎日通った。6畳の自室は音楽仲間の「たまり場」に。ラジカセを持ち寄り、オルガン、鍵盤ハーモニカ、キーボードを使ってYMOの曲などを多重録音するようになった。「今聞くと、異様に前衛的。同じメロディーを奏でてはいるけれど、まったく別の曲になっている」。音楽をつくる楽しさを知った。
 静岡学園高時代は「音楽9割、学業1割」。多重録音の実験はエスカレートし、鉄パイプや一斗缶、チェーンソーなども持ちこまれた。隣部屋の実妹は兄の“音楽”のやかましさをつづった詩を書き、コンテストで入賞を果たした。

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「人生」で活動していたころ。自転車の車輪は楽器として使っていた。「ステージでも使おうとしたけれど、頭の上に固定できなかった」=静岡市の自宅(石野さん提供)

 高校1年時に2人組「メリーノイズ」を結成。その後「見ている人にショックを与えたい」という思いから、一人で「人生」を始める。最初のライブではろうそくをともした舞台で片眉をそり落としたが、あまりに暗すぎて観客からはよく見えなかった。
 メンバー構成は流動的で、多いときは10人に達した。現・電気グルーヴのピエール瀧も、当時の仲間の一人だ。「ステージで流す音を自室で一人で仕込む。それだけで全体の半分ぐらいのカタルシスは得られていた」。人を食ったような扮装[ふんそう]とパフォーマンス、ポップな音楽性で、高校生バンドとしては異例の人気を誇った。

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1984年、「メリーノイズ」のラストステージ。デペッシュ・モードのカバーなど20曲以上を披露した=静岡市のライブハウス「サーカスタウン」(石野さん提供)





 「人生」最後のライブはケラ(劇作家、音楽家のケラリーノ・サンドロヴィッチ)率いる「有頂天」との共演だった。高校卒業直前。バンドは東京に拠点を移すことが決まっていた。ポスターカラーで白塗りの「メーク」を施した顔の裏側には、複雑な心境が秘められていた。「新しいステップへの期待と同時に、故郷を離れる寂しさが募った」。センチメンタルな感情はおくびにも出さず、いつものように歌い踊って出番を終えた。

 

 静岡を離れて25年。その足跡は、国内のテクノ音楽の広がりと一致する。音楽への飢餓感を抱えた「静岡時代」は、創造力を磨いた日々でもあった。「東京と比較して足りないことが多かった分だけ、“妄想する力”が鍛えられた。何をやっても怖くなかったし、一人の時間もたっぷりあった。音楽がすべての受け皿になってくれた」

 タブーなしで音と戯れた6畳間。実家は昨年取り壊したが、録音したカセットテープは今もなお、手元に残している。

(文・橋爪充/写真・坂本豊)


■メモ

 テクノ音楽が普及したのは、1970年代後期のヨーロッパ。「ブラック・マシン・ミュージック」などの著書がある、音楽サイト「ele−king(エレキング)」主宰の野田努さん=静岡市出身=は「シンセサイザーなど電子機材の価格が下がり、若い世代に広がったのがきっかけ」と説明する。「今ではパソコン1台で楽曲がつくれる。ダンス、アンビエントなど音楽性の多様化が進んでいる」(野田さん)

■私のこの1枚=「コンピューター・ワールド」 クラフトワーク―石野卓球さん
 2000年ハノーバー万博のテーマ曲を手掛けたことでも知られる、ドイツの国民的バンドです。
 初めて聞いたのは中学生の時。YMO以上にクールで「テクノ」な印象でした。一つ一つの音は機械的。でもそれが集まるとフィジカル(肉感的)でファンキーに聞こえます。ヒップホップのルーツともいわれています。
 30年前に発表された作品ですが、ここで描かれた「コンピューター社会」が現実になっていますね。彼らの先見性に感心します。
 今も2カ月に1回はレコードに針を落として聞きます。もう何千回聞いたか分かりませんが、いまだに新しい発見があります。







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