生きる力としての映画力を育む、日本で唯一の映画の単科大学。

歴史と沿革

日本映画学校から日本映画大学へ

横浜放送映画専門学院パンフ

横浜放送映画専門学院パンフ


新宿映画祭

新宿映画祭


しんゆり映画祭

しんゆり映画祭


第50回 カンヌ国際映画祭

第50回 カンヌ国際映画祭

1975年(昭和50年)4月 映画監督・今村昌平が「既設のレールを走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者たちよ集まれ」と呼びかけ、『横浜放送映画専門学院』を横浜駅前に開校。学院長 今村昌平。
1975年(昭和50年)5月 今村昌平の理念の根幹となる「農村実習」が、福島県玉川村で開始。翌年から磐梯町・猪苗代町に移し、以後、30年間行われた。
1975年(昭和50年)6月 マンツーマン指導による長編脚本(200枚脚本)実習開始、現在まで続く。
1979年(昭和54年)12月 長編脚本「十四番目の椅子」が、「第5回城戸賞」を受賞。以来多くの在学生のシナリオが各賞を受賞。
1980年(昭和55年)4月 今村昌平の「役者の発するセリフは、常にアドリブでなければならない」の持論により、演劇科で漫才授業が始まる。
1983年(昭和58年)5月 今村昌平監督作品「楢山節考」第36回 カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。
1984年(昭和59年)4月 留学生募集開始。アジアを始め、諸外国から映画を学ぶ学生を受け入れる。
1985年(昭和60年)11月 学校法人神奈川映像学園が設立され、3年制の専門学校とし、名称を『日本映画学校』に改める。神奈川県より設置認可。
1986年(昭和61年)4月 川崎市、小田急電鉄、映画会社等の協力により、川崎市の新百合ヶ丘駅前に新校舎が完成。今村昌平 理事長・学校長に就任。
1986年(昭和61年)4月 日本映画学校開校記念 日本映画学校・ATG共同作品「君は裸足の神を見たか」一般公開。
1988年(昭和63年)10月 東京・新宿「テアトル新宿」にて、第1回新宿映画祭主催、以後第8回まで続く。
1989年(平成元年)4月 日本映画学校・日本ヘラルド映画共同作品「バナナシュート裁判」一般公開。
1992年(平成4年)4月 石堂淑朗 学校長に就任。
1992年(平成4年)8月 日本映画学校・日本ヘラルド映画共同作品「福本耕平かく走りき」一般公開。
1995年(平成7年)3月 卒業制作映画外部劇場上映会始まる。
1995年(平成7年)10月 「第1回しんゆり映画祭」 開催。日本映画学校全面協力のもと小田急線新百合ヶ丘駅周辺地域で毎年秋に行われる。
1996年(平成8年)4月 佐藤忠男 学校長に就任。
1997年(平成9年)5月 今村昌平監督作品「うなぎ」第50回 カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。
1999年(平成11年)1月 映像機関誌「日本映画学校だ」創刊。
2004年(平成16年)11月 佐藤忠男 理事長・学校長に就任。
2007年(平成19年)10月 佐々木史朗 理事長に就任。
2009年(平成21年)3月 横浜市開港150周年記念映画「3つの港の物語」を北京電影学院、韓国フィルムアカデミーと共同制作。
2011年(平成23年)4月 日本映画大学開学。