WEB国語教室

特別記事

教育の基本は言葉を交わすこと

「調べて書く」実地教育のすすめ

立花隆

なぜインタビューが大切なのか。「調べて書く」活動がもつ力とは――
ジャーナリストとして豊富な取材経験をもち、また、東大のゼミ「調べて書く」(1996~1998)の中でインタビュー集『二十歳のころ』をまとめるなどユニークな教育活動にも取り組んできた立花隆先生に、お話をうかがいました。

●聞き手=中井浩一(国語専門塾「鶏鳴学園」代表)
●写真・構成=編集部

書けない大学生――「調べて書く」の背景

――立花ゼミでは、始まって以来一貫して「調べて書く」というテーマを中心に置かれていますね。当時の大学の教育で最も欠けているものとして立花さんが「調べて書く」ということを考えたのには、どういう背景があったんですか。

立花:僕は文春の社員でいた時期があって、そこでいろんな仕事をやったわけですよ。あそこは社員全員に書かせることを基本的な理念にしている会社ですから、そもそも入社試験で作文がダメなやつは必ず落ちるんです(笑)。編集者でもちゃんと書ける人が必ずポジションを上げていく、そういう伝統がある会社なんですね。だから週刊誌の記事なんていうのも社員が書くわけです。ただ、一年目の人の中には、ろくでもないものを書くやつがいる。要するに使いものにならんというね。でもそれじゃ雑誌が出ませんから、使いものにならないものを使いものにするための教育が必要なんだよね。まあ、教育軍曹役ですね。そういうことをやったわけです。

――立花さんが新人教育をやっていた?

立花:やってたんです。締め切り日に行って、上がってきた原稿を見ては「ダメ!」って言って書き直させる。まったくダメなときは自分で書き直しちゃったり、見本を与えたり。そういうことをある程度やったんです。

――立花さんの本の中に、東大の学生に書かせたレポートのあまりのひどさに愕然としたという話も出てきますね。

立花:そう、それはありますが、学生以前に、最初はまず卒業生っていうかね、今日の大学を出て出版社に入るという人間はそれなりに文章が書けるはずなんだけれども、そういうやつでも全然ダメという、そういう現実を見ていたと。そこからです。

取材、インタビュー、対話がもつ力

――立花さんは、大学教育でも特に一、二年は、知識よりも生の現実、多様な人間にぶつかって現実の経験を積むことが一番重要だとおっしゃっています。これは立花さんご自身の経験でもありますよね。

立花:そうですね。僕は特にそれを職業としてましたから。人の話を聞く、インタビューしてまとめるということをずっとやってきてますからね。

――94年に東大教養部のテキスト『知の技法』が出て話題になりましたね。あの中では、「調べて書く」ということをやるべきだと主張し、論文の書き方は一応書いてあります。しかし、「調べる」ということに関しては、文献調査のことしか書いてない。立花さんが最も大事だと思っている、人への取材についてはほとんど何も書いてないんですよね。

立花:そこはつまり実践でしかわからないから。実践的な教育というのはOJTですよね、オン・ザ・ジョブ・トレーニング。実際にやらせてみて、そばで見てて「それはやり方がまずい」とか、文章で言えば添削にあたる作業になるわけです。だからそれは論文にも何にもなるはずがない作業なんですよ。学者たちにとっては、ものすごく消耗するだけで、自分にとっては何の業績にもならない仕事なわけですよね。今の大学教育では、いろんな側面から実践的な教育を通じて学生を育てるということを一所懸命やっている先生は、必ずしも学問的な業績が上がらない。だから、すごくいい先生はいるんだけれども、世間一般には必ずしも評価されない。そういうのってすごくありますよね。

――OJTこそ教育の基本だと思うんですが、やはり一番重要なのは「調べて書く」こと、「調べる」ことの中でも重要なのは文献調査ではなく、人へのインタビューだと。

立花:それと、最近はネットでしょう。ネットでどうやっていい情報をスクリーニングして集めるか。そういうことの実地教育が必要だと思うんですね。大人が見れば「こんなのガセだよ、おまえ」って、それは見分けがつくじゃないですか。でも学生は見分けがつかない。だから2ちゃんねる的な世界にどんどんいっちゃうんですよ。そうとう質が低い情報に振り回されている若い人たちが多くて、そういうものに社会全体が毒されてますよね。

――昔は徒弟制度的な形で実地に教育していくということがありましたよね。今はそういうところがごそっと抜けてしまっている。立花さんがおっしゃるように、やはり大学の一、二年から徹底的にやっていかないと……。

立花:僕はね、そこが一、二年のことなのかどうかということがわからない。本当は、今の教育制度全体がそもそもおかしいと思っているんです。旧制の教育体制が新制に替わる時期に、実はいくつかのすごくユニークなプランがあったんですよ。しかし、あの時は時間に追われすぎてそれが全部消えちゃった。だから、旧制の中学高校でわりといい教育をやっていた部分もあったのにそれが残らなかったということがあります。だから、今からでも遅くないからそれをやるのがいいんじゃないかという感じはします。

――本来は高校で、こういう「調べて書く」指導を入れていかないと、大学に入ってからじゃもう間に合わない?

立花:そうです。それはもうおっしゃるとおりです。だから今、中高一貫教育で、しかも全寮制で、ある程度金もとるけど教育もすごくちゃんとやる、そういう学校がいくつか生まれてますよね。もうちょっと時間はかかるんでしょうけど、そういうところからいい方向に変わっていく可能性というのは、ある程度あると思ってます。

――立花さんは日本の教育の根本の問題として「インプットばかりでアウトプットが全然求められていない」という問題提起をされています。アウトプット、言い方を少し変えると、誰かが立てた問いの答えを探すのではなく、自分で問いを立てていくというトレーニング。それを考えると、やはりインタビューというのはものすごい力をもつんじゃないかと思うんですが。

立花:どういう形の教育にしろ、基本はやっぱり言葉を交わすことですよね。言葉を交わすというのは、自ずから弁証法になるわけです。やっぱり知のすべての過程というのは、ディアレクティケというかね、要するに弁証法的な展開ですよね。それは実地でやらないとダメで。そういうことは、例えばフランスの教育では行われているわけです。リセ、フランスの高等学校のカリキュラムの中に入っている。だから、そういう知的な教育訓練を受ける受けないというのが、ヨーロッパの知識人と日本の知識人の圧倒的な差につながっているわけですよね。

徹底的なOJT――『二十歳のころ』の方法論

――『二十歳のころ』ですごいのは、事前指導がきちんと行われていることだと思うんです。授業の場で、作家の大江健三郎さんを招いて「二十歳のころ」についてのインタビューを実際にやってみせたり、まずは両親へのインタビューで練習することや、アポどりのしかたまで説明していますね。

立花:そうです。相当な時間をかけてやってます。まず電話をかけるところから始めるからね。実際の電話はないけど、電話がつながったと思ってやってみろと。やっぱりすべて実地にやらせました。

――徹底的なOJTですね。添削も立花さんがされたんですか。

立花:やるほかないじゃないですか。ひたすらやったんですよ。いやもう、それはすさまじい時間がかかる。あれはほんと嫌になりますよね。嫌になるけど、しょうがないからね。いちばん最初のときは本当に直しちゃう。そのあとは時間によるんだけど、いくつかの符号にして、これはバツとか、クエスチョンマークを付けるとか、線を引っ張るとかね。そういうところの指摘だけでも違いますよね。いろんな経験を経ていちばん効き目があると思うのは、書画カメラというのがありましてね、要するに学生が書いたものをカメラで撮って映しちゃうんです。そのスクリーンを通してみんなも読む。ここはダメ、ここはダメと、そこで言うんです。それをいくつかやると、一挙に変わりますね。要するにみんな何がダメで何がいいのかがわからないからダメなんですよ。だからそのことを言う必要があるんです。このあたりはいいとか、このあたりは全然ダメとか。もっと初歩的なことで、誤字、脱字。分かち書きがちゃんとできていないとか、小見出しを入れていないとか。要するにダメな例、いい例をどんどん出すんです。怒るやつはものすごく怒るけどね。

――みんなの前で恥かかされたと。

立花:でもまあ、それは最初から言うんです。「この授業ではこういうやり方をするから」と。だから、公開処刑だって(笑)。でも、実社会だともっとすごいですよ。週刊文春なんかで下手な取材原稿を書いてきたら目の前で破られますからね。ゴミ箱にパッと捨てて「ダメだお前、書き直し」って。最初の二、三枚を見ただけで「これダメ」って言って全部捨てたりね。そういうのと比べれば甘いやり方だけど、やっぱりダメなものはダメって言わないとね。

とにかくトライすること――高校の先生へ

――『二十歳のころ』では題材もけっこう社会問題に踏み込んでいるものが多いですね。しかも学生と取材対象がこれだけの数になってくると、いろんな苦情とかも来たでしょうし、実際かなり度胸がないとできないところもありますよね。

立花:それは意外に大丈夫なもんですよ。礼儀さえ守っていれば。本当に何か問題になりそうな人は、向こうが最初から断ってくるからね。取材を受けるってことはやる気があるってことですから。題材も、やっぱり学生自身が関心があるものじゃないと。本当のインタビューというのは、自分が聞きたいことを聞くという形じゃないととてもできないですからね。

――立花さんとしては、こういう活動が中学・高校で広がっていくことは大賛成?

立花:賛成です。

――これから「調べて書く」指導を取り入れていこうという高校の先生方に、何かアドバイスなどがありますか。

立花:それはもうトライすることですよ。OJTだから。あまり心配することはないですよ。ただ、やっぱり礼儀とかね。特にそこが大事ですよね。職業生活においては、そこはものすごく大事ですから。僕は週刊誌の仕事をずいぶんやってますけど、そこがきちんとしてないと、取れる話も取れませんから。今の子供たちって、何が正しい礼儀なのか知らないでしょ。自分が何でもないと思っていることが、実は何でもないんじゃないんだよということは、やっぱりちゃんと教えなきゃいけないですよね。

(2011年8月29日 立花隆事務所)
『国語教室』第94号(2011年11月)より転載

著者プロフィール

立花 隆 (たちばな たかし)

1940年、長崎県生まれ。東京大学仏文科を卒業後、文藝春秋に入社。同社退社後、東京大学哲学科に再入学。在学中から執筆活動に入り、評論家、ジャーナリストとして幅広く活動を展開する。著書に『田中角栄研究全記録』『宇宙からの帰還』『脳死』『天皇と東大』『がん 生と死の謎に挑む』など多数。

『二十歳のころ』

立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ「調べて書く」の共同製作。ゼミ生による、70名にもおよぶ各界の著名人へのインタビューがまとめられている。 本書に収められている、取材時の具体的な注意点やノウハウをまとめた「立花ゼミ秘伝・取材の極意」は実践的で非常に役に立つ。
1998年、新潮社より刊行。現在はランダムハウス講談社文庫から刊行されている。2011年、続編ともいえる『二十歳の君へ』が文藝春秋より刊行された。

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