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【ベテラン記者のデイリーコラム・「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】ナイン搭乗機が墜落、6連敗で首位陥落…号泣の日本一の背景
阪神に強くなってほしい一心で、ドラフト戦略から育成についての問題点をほじくり返し?ましたが、少し休憩します(つまり続編があるということです)。ここからは、30年に及ぶ取材歴の中で強く印象に残る事件、日々を振り返ります。あれは1985(昭和60)年、球団史で唯一、日本一に輝いたシーズンでした。8月12日の午後7時過ぎ、NHKが衝撃的なニュースを流しました…。
これから数々ある阪神取材歴の中での、色々な出来事、事件などを振り返ります。私が阪神担当になったのは1984(昭和59)年の晩夏。当時は安藤統男監督が成績不振にもかかわらず、留任が一度は発表され、その後、不可解な辞任発表があったまさにその時でした。
次期監督を巡る関西のスポーツ紙の報道は過熱する一方でした。村山か? 吉田か? 歴史的に振り返るとそんなムードだったと思うでしょう。でも、当時は違いました。筆頭候補だった西本幸雄さん(=阪急や近鉄を鍛え、優勝させた監督)が監督要請を辞退し、いつ村山さんに監督要請が来るのか? 注目はその一点でした。だから、当時、勤めていた夕刊紙では村山番を命じられ、芦屋・精道町にある自宅に張り付く日々でした。その時のドタバタ劇はいずれ書きます。
犠牲520人…運命の「8.12」
時計の針を進めます。翌1985(昭和60)年、結果として2度目の監督に返り咲いた吉田義男監督の下、阪神は開幕ダッシュに成功しました。波に乗ったのは4月16日から本拠地・甲子園球場で行われた巨人3連戦でした。第1戦、佐野の打ち上げた中堅前の打球を巨人・河埜が落球し、そこから怒涛(どとう)の攻撃で10-2の大勝。そして、続く17日、今や伝説になったバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発。翌18日の試合にも勝ち、巨人戦に3連勝して、世の中に猛虎フィーバーが巻き起こりました。
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