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タイトル 日本ニュース 第24号
公開日 1940年(昭和15年)11月20日 日本ニュースについて

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チャプター

[1] チャプター1 天皇皇后両陛下 明治神宮御直拝  01:24
[2] チャプター2 南進邦人待望の南洋神社鎮座祭  01:23
[3] チャプター3 東京市奉祝会<紀元二千六百年前線銃後の奉祝>   01:23
[4] チャプター4 名古屋市音楽大行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝>   00:43
[5] チャプター5 上海の行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝>   01:28
[6] チャプター6 南京の奉祝<紀元二千六百年前線銃後の奉祝>   00:21
[7] チャプター7 北京の分列行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝>   00:40
[8] チャプター8 広東の祝賀会<紀元二千六百年前線銃後の奉祝>   00:38
[9] チャプター9 海鷲翼を連ね勇躍江南急襲  02:47

再生テキスト

天皇・皇后両陛下には、紀元2600年のよき年に迎えた明治神宮鎮座20周年に際し、明治天皇ならびに昭憲皇太后の御神霊に親しく御拝礼の御為、秋深き11月15日、御同列の略式自動車鹵簿(ろぼ)にて宮城を御出門。御道筋に堵列(とれつ)する市民の奉拝を受けさせられつつ、晩秋の季濃き代々木の森に鎮座まします明治神宮に行幸啓あそばされ、天皇陛下には百武侍従長より奉る御玉串を御手にとらせ賜い、恭しく御拝あらせられ、皇后陛下にも広幡大夫より奉る御玉串を御手に御拝礼あそばされました。

南洋群島13万在住民はもちろん、外南洋に居住する1万余在住邦人が、待ちに待った官幣大社南洋神社に奉安し参らす天照大神の御神霊は、伊藤勅使に奉戴(ほうたい)されて10月27日、かしこくもはるばる海を渡り、パラオ島コロールに到着しました。
11月1日、鎮座祭のよき日。パラオの空は帝国南進の雄雄(おお)しい姿を象徴するかのごとく晴れ渡り、近藤南洋庁長官をはじめ、官民代表約500名参列のもとに天照大神、神鎮まりたもう鎮座祭の御儀は、森厳厳粛のうちに執り行われました。
かくて11時、在住民、感激のうちに式は滞りなく終了し、午後1時半よりは一般の参拝が許されました。

紀元2600年の東京市奉祝会は、かしこくも賀陽宮同妃両殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、この聖代に生を受けた700万市民のあふれる歓喜と感激をこめて、11月13日、明治神宮外苑競技場で盛大に挙行されました。開会劈頭(へきとう)、橿原神宮からお迎えした御神火は、芝生席中央、国旗掲揚塔下のかがり火に遷火されました。
かくて大久保市長は、紀元節に賜った詔書を奉読。白衣の勇士をまじえた観覧席は、10万の市民各層の代表に埋め尽くされ、奉祝の気分はいよいよ高く、聖寿の万歳を奉唱しました。

(一同、万歳三唱)

さらに式典が終わると、2600羽ずつの鳩が場内3カ所から一斉に放たれ、ここに真摯(しんし)敢闘を誓う700万市民の、力の祭典は開始され、両殿下の御前に頼もしい体育絵巻を繰り広げました。

また、名古屋においても曠古(こうこ)の聖典を寿ぐ市中音楽行進が挙行され、全市民こぞって心からこの佳き年を慶祝しました。

「天皇陛下、万歳、万歳、万歳」
(一同、万歳三唱)

外地においても11月10日、一斉に聖寿の万歳を寿ぐ喜びの慶祝風景を描き出しました。まず、8万の在留民を擁する上海では、海の兵(つわもの)陸戦隊の堂々たる市中行進によって慶祝の幕を開きました。
市中行進を終えた陸戦隊は、隊伍(たいご)堂々、上海神社に参拝。護国の悠久と繁栄を祈願いたしました。さらに在留民は朝早く遙拝(ようはい)式を行った後、久方ぶりに神輿(みこし)をかついで故国をしのぶ奉祝の一日を送りました。
午後からはまた黄浦江(こうほこう)上に海の精鋭を動員。嶋田大将、査閲のもとに閲兵式を挙行。

南京においては、各部隊ごとにそれぞれ奉祝式を挙行しましたが、支那派遣軍総司令部では、西尾総司令官以下が参集し、11時25分を期して声高らかに万歳を三唱。聖寿の無窮(むきゅう)を寿ぎ奉りました。

北京在留の日本人約7万は、この日午前10時、東単広場に集合して祝典を挙行。万歳を三唱した後、多田最高指揮官閲兵のもとに鼓舞堂々、分列式を行い、今ぞ燃え上がる東亜民族の意気を高らかに示しました。

南支那の広東では、官民合同の祝賀式を開いた後、約1万の在留民は行列を組んで司令部に至り、後宮(うしろく)中将の前に万歳を三唱。
さらに陸戦隊は堂々たる街頭行進を展開。かくてこのよき年の慶(よろこ)びの日、日本人のいるところ全東亜各地に元気で朗らかな奉祝風景が描き出されました。

大陸の空を縦横に飛んで、北に南に敵の残存勢力に壊滅的打撃を与えつつある、我が荒鷲の戦果は、日一日と上がり、ここにまた中支海軍航空隊の輝く成果が記録されました。11月初旬、我が海軍航空隊水上機隊の一部は秋冷の水面を蹴って勇躍、基地を出発。安徽省の山間に盤踞(ばんきょ)する残敵、爆撃の壮途につきました。
一路、江南の山野を快翔、安徽省の敵重要拠点たる沙村上空に達した我が水上機隊は、逃げまどう敵に急降下の必中弾を加え、これをまったく壊滅させました。
さらに機首を立て直した我が部隊は、風光明媚な廬山(ろざん)のふもと、ハヨウ湖畔の景徳鎮を急襲。付近に新築した敵兵舎めがけて、またまた急降下の猛襲を繰り返しました。
かくして敵の新築兵舎も、我が矢継ぎ早の攻撃にまったく破壊し去り、その成果を確認した殊勲の部隊は、全機悠々、帰還の途につきました。

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