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■海を渡ったサムライたち―日伯セレソン物語(6)―ジョルジ与那城−3−スピード通じず引退決意−34歳の遅過ぎた「日の丸」

6月5日(水)

 一九九三年五月十五日、超満員の東京・国立競技場を舞台に、初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」が幕を開けた。
 対戦カードは、横浜マリノスとヴェルディ川崎。後期の日本リーグで「黄金カード」と呼ばれ、人気と実力で群を抜いた日産と読売が前身だ。
 プロ化以前の読売を長く支え、最初に「ミスター」の称号を受けたのがジョルジだった。
 七二年にジョルジを迎えた読売は、当初から個人技を重要視。キックアンドラッシュ全盛の時代に、パスやドリブルを多用する異色のスタイルを目指していた。
 七三年、監督に就任したオランダ人フランツ・ファン・バルコムは、ジョルジにとって大きな支えとなった。
 細かいパス回しと個人技での打開を打ち出すバルコムの方針が、高い技術を持つジョルジを生かした。
 「あの人が監督じゃなければ帰国していたかも」と振り返るジョルジ。
  ×  ×  ×
 準得点王となった前年に続き、七四年には十三得点で得点王を獲得。
 また、七五年以降は、兄マコトが絶賛した周囲を生かす能力も見せ始めた。三年連続得点王の岡島俊樹を支え、ジョルジも、三年連続アシスト王に輝いていた。
 しかし、一部昇格の道は遠かった。七四年に二部で初優勝しながらも、三年連続で入れ替え戦に敗北。待望の一部昇格は、ジョルジが卒業した高校の後輩、ラモスを前年に迎えた七八年三月だった。
 ジョルジとラモスのコンビは、最高だった。ジョルジがアシスト王、ラモスが得点王に輝いた八三年には初優勝し、翌年も栄冠を勝ち取った。細かいパス交換で中央突破するコンビは、芸術の域に達していた。
 「自分で楽しめないサッカーが、お客さんに楽しいはずがないでしょ」
 ジョルジの哲学だ。
 外国人枠を生かしたいクラブの方針で、八五年一月には、日本に帰化。与那城ジョルジとして、新たなスタートを切っていた。同時に「日の丸」も現実の目標となった。
  ×  ×  ×
 「韓国との最終予選に柱谷が出られない。力を貸してくれないか」
 決戦を直前に控えた八五年九月、ジョルジと同僚の戸塚哲也は、代表監督の森孝慈の自宅に招かれた。
 二次予選の累積警告でエースストライカー柱谷幸一が出場停止だった。
 「柱谷の穴を埋めるため、まず戸塚が頭に浮かんだ。そして戸塚を生かすにはジョルジが必要だった」と森は言う。
 代表入りは、いわば偶然の副産物だった。
 初戦に敗れ、追いつめられた日本は十一月三日の蚕室五輪スタジアムの一戦で、切り札のジョルジを先発で起用する。
 「二点差を付けて勝つ必要があった。読売コンビの得点力に賭けた」と森。
 時間がなく戸塚の姿もなかった初戦と違い、初めての先発にジョルジは燃えた。しかし、持ち前のスピードが通用しない。全盛期には相手を振り切れたタイミングでも、韓国選手の壁に阻まれ、幾度となくボールを奪われた。健闘むなしく一|〇で敗北し、世界への扉は閉ざされた。
 日本サッカーがプロ化に向かうきっかけとなった二試合は、三十四歳のジョルジにとっても大きな意味を持った。
 「もう自分のスピードが通じない。辞め時だ」
 最初で最後のフル出場が、皮肉にも引退を決意させる結果となった。
 リーグ歴代三位の五十九アシスト、一試合四アシストのリーグ記録を持つ「ミスター」は翌年三月のシーズン終了を待ち、読売に別れを告げた。
 「夢を実現できたのは日本のお陰。感謝の気持ちしかありませんよ」
 永遠のサッカー少年は、現在、東京ヴェルディ1969で第二の「チグリーニョ」を育てる毎日だ。
 ジョルジのサッカーは終わらない。
=敬称略=この項終わり
    (下薗昌記記者)


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