第5回神戸文学と建築物語 元町・栄町・乙仲・海岸通を物語る建築たち

最終更新日
2008年7月19日

元町・栄町・乙仲・海岸通地区の主な建築物など

元町・栄町・乙仲・海岸通地区の主な建築物など

ファミリアホール(三菱銀行神戸支店)

地図上1番

ファミリアホール外観明治33(1900)年竣工
設計:曾禰達蔵
施工:直営
構造:石・煉瓦造3階建

竣工時の現ファミリアホールこの建物は、明治33(1900)年に三菱銀行神戸支店として建てられました。設計者は曾禰達蔵で、神戸における本格的な近代洋風建築の嚆矢として知られています。

ルネッサンス様式風の左右対称な意匠を持ち、正面玄関に当たる部分は、1階は切り石積みで、その上にペアになったコリント式の柱が載ています。さらにその上には破風(ぺディメント)がありましたが、これは戦災で失われています。両翼に当たる部分では、2階部分の柱が付け柱(ピラスター)となっていて、全体的には彫がやや薄い印象があります。居留地が返還されたばかりの明治33年当時の神戸では、大規模な建築物はその中にしかなく、居留地以外ではほとんどが木造の平屋建であったと考えられるので、この建物は周辺でひと際目を引いたことでしょう。

完成当初の写真からは、執務室に天井が張られていたことが伺えます。建物の西側が増築されているようですので、その際に天井も現在の高さになったのかもしれません。

ファミリアホールは、現在でも神戸を代表する近代洋風建築のひとつであるだけでなく、特に三菱時代の曾禰設計の建築物は全国的に見てもほとんど残っていないため、近代建築史の観点から見ても貴重な建物であると言えます。また、この建物は、この地で元町や栄町の繁栄、米騒動、鈴木商店の栄光と挫折などを見守り続けてきた、生き証人でもあるのです。

地下鉄海岸線みなと元町駅出入り口(旧第一銀行神戸支店)

地図上2番

地下鉄海岸線みなと元町駅出入り口明治41(1908)年竣工
設計:辰野葛西建築事務所
施工:清水組
構造:石・煉瓦造2階建

第一銀行は、日本最初の商業銀行である第一国立銀行が改称した銀行で、後の第一勧業銀行、現みずほ銀行の源流の一つでもあります。第一銀行神戸支店の設計は、辰野葛西建築事務所。辰野葛西建築事務所は明治建築会の大御所であった辰野金吾が、東京帝国大学退官後に弟子である葛西萬司と設立した事務所で、やはり明治の代表的な事務所のひとつです。

建物は煉瓦の地に白い御影石で縁取っていく、東京駅等にも共通する「フリー・クラシック」と呼ばれる「辰野式」のデザインですが、戦災で屋根と室内を失い、改修された後昭和39年からは建設会社の大林組の所有となっていました。洋風建築の多い神戸でも、煉瓦の外観はひときわ目立っていましたが、阪神淡路大震災で煉瓦積みの躯体が大破、外壁の保存工事を行い、現在は地下鉄海岸線みなと元町駅の出入口として利用されています。

海岸ビルヂング(旧日濠館)

地図上3番

海岸ビルヂング外観明治44(1911)年竣工
設計:河合浩蔵
施工:旗手組
構造:煉瓦造3階建

海岸ビルヂング内観内部も戦災の後、大きく改変されましたが、1階から3階まで一直線に登る階段は現在でもとても印象的です。

商社兼松の創始者の一人である兼松房治郎が興した兼松商店の本社社屋として建設されました。

兼松房治郎は、オーストラリアに渡った経験から羊毛輸入を手がけたことで知られます。兼松は当初居留地に近い栄町に事務所を構えていることから、後に海岸通に移転したと考えられます。

建物の設計は河合浩蔵、明治44年の完成です。ドイツ・ルネサンス風の意匠を持ち、正面中央のコーニスの上に巨大なペディメントが載る堂々たる建物でしたが、戦災でペディメントを失ったため、印象は大きく変わってしまっています。

神戸郵船ビル(旧日本郵船神戸支店)

地図上4番

神戸郵船ビル外観大正7(1918)年竣工
設計:曾禰中條建築事務所
施工:大阪橋本組
構造:鉄骨煉瓦造3階建

第一次世界大戦の景気に沸く大正の神戸に、鯉川筋を隔てて旧居留地と相対して造られた事務所ビルです。この頃を境に日本人の建築家が旧居留地の中でも腕を振るうようになって行きます。

設計は前述の曾禰中條建築事務所。曾禰はつねに最善の建築を求め、構造においても新構造や新材料の研究に熱心だったと言います。この建物も煉瓦積だけではなく、当時の新しい素材であった鉄骨や鉄筋コンクリートが使用されています。

当初のデザインでは東側と南側の出入り口の頭上にドームを抱き、東側玄関脇のペアの柱も円柱で繊細な装飾を持つ優しい印象の建物でしたが、戦災で甚大な被害を被ったため、戦後の改修設計競技で選ばれた安井武雄建築事務所が改修を行いました。改修は円柱を角柱にするなど大規模なもので、装飾も簡略化され、モダンな印象を持つ建物となりました。

銀泉神戸ビル(旧住友銀行神戸支店)

地図上5番

銀泉神戸ビル外観昭和9年(1934年)竣工
鉄筋コンクリート造4階建
設計:住友合資会社工作部
施工:清水組

この建物は、昭和9年に建設された旧住友銀行神戸支店で、設計は住友合資会社工作部です。

住友合資会社工作部は、住友家第15代家長の住友吉左衛門友純(号・春翠)が、各地の住友の支店とその元締めとなる本店を設計するために精鋭を集めた「本店臨時建築部」がその前身で、昭和8年に解散、その伝統は「長谷部竹腰建築事務所」に引き継がれるため、その終息期の作品となります。

それまでの銀行建築は古典様式の色彩を強く持ち、正面性も明確である意味では威圧感のあるものが多かったのですが、この建物はそれらとは異なり、半円のロマネスク風のアーチを持ち、窓周りの円柱にはアラベスク風の繊細な幾何学模様を用いながらも、全体としては装飾を略し、銀行としての威厳を残しつつもモダンで明るくかつ優しい表情を湛えています。

フットテクノビル(旧帝国生命保険神戸出張所)

地図上6番

フットテクノビル外観大正10(1921)年竣工
設計:清水組
施工:清水組
構造:鉄筋コンクリート造5階建
国の登録有形文化財

1階は腰花崗石張、上部擬石仕上げ、2階以上は平成16年に原形に近い外観、保存と補強を行い、創建時の骨格をよく残しています。

毎日新聞神戸ビル(旧三井物産神戸支店)

地図上7番

毎日新聞神戸ビル保存された石積壁大正14(1925)年竣工
平成元年新ビル竣工
設計:河合浩蔵
施工:大林組
構造:鉄筋コンクリート造3階建

ビルの正面玄関と、それに続く石壁は、平成元年の建替えの際に保存されたもの。

乙仲通のレトロ建築群

地図上8番

乙仲通のレトロ建築群1元町商店街の南に沿って走る栄町通。旧居留地の西側に位置するこの通りが誕生したのは、神戸開港後の明治6(1872)年10月。

乙仲通のレトロ建築群2「この地が将来繁栄するように」との願いを込めて、元町通と海岸通の間に新設されました。道路開通後、貿易の中心地である神戸港や外国人居留地に近いこの地域には多くの人や物が行き交い、経済の中心地として発展していきます。

乙仲通のレトロ建築群3明治43(1910)年には、この通りに市電が運行。名実ともに商業・交通の中心地となった栄町通は、銀行や証券会社、保険会社が次々と軒を連ね、 「東洋のウォール街」とまで呼ばれるようになりました。

乙仲通のレトロ建築群4一方、栄町通を一筋南に入ると、ひと味雰囲気の違った「乙仲通」があります。港に近いこの通りはかつて「内海岸(通)」と呼ばれ、海産物問屋が立ち並んでいたり、貨物運送の輸出入手続きなどを行う業者の行き来が盛んでした。「乙仲通」の愛称の由来は、彼らの業務が昭和14年「乙種海運仲立業」と規定され、俗称「乙仲」と呼ばれていたからです。

乙仲通のレトロ建築群5このあたりにも、大正末期、昭和初期のものと思われる建物が残っています。ただ、竣工年や設計者など、不詳のものが多く、はっきりしたことがわかっていません。これら当時の古い倉庫やビルなどが残っている「乙仲通」では、建物を再利用した、若者向けの雑貨店やレストランなどが立ち並び、休日には多くの人が訪れています。

乙仲通のレトロ建築群6そして、これまで「乙仲通」が通称ということで、市の地図や案内板に記載がなく、案内がしにくいという声が出ていたため、地元の協議会が名称の人気投票を行い、平成20年6月、正式に「乙仲通」が認証されました。

乙仲通のレトロ建築群7

松尾ビル(旧小橋呉服店)

地図上9番

松尾ビル外観大正14(1925)年竣工
設計:竹中工務店
施工:竹中工務店
構造:鉄筋コンクリート造5階建

現在はアーケードがかかり、建物北側正面上部の外観は見ることは出来ません。建物内には数少ない蛇腹戸の手動式エレベーターが現役で稼動しています。

神戸地方裁判所

地図上10番

神戸地方裁判所外観明治37(1904)年竣工
建替:神戸営繕事務所1991年
地下1階、地上2階建
設計:河合浩蔵
施工:直営
構造:石・煉瓦造

端正な石積みのベースメントを有し、2層目は白タイルの縞模様が強調されたデザイン、3層目は窓上に白い御影石のアーチをつけ、その他の壁は色鮮やかなレンガ造というファサードをもつドイツ風ネオ・ルネサンス様式となっています。

JR神戸駅(旧国鉄神戸駅)

地図上11番

昭和初期の神戸駅外観昭和9(1934)年竣工
設計:鉄道省
施工:大倉土木
構造:鉄筋コンクリート・鉄骨造

神戸駅は明治7(1874)年5月に大阪-神戸間の終着駅として開業します。

明治22年には、東京から神戸の東海道本線が全通するのに合わせ、2階建煉瓦造の2代目駅舎が完成します。

現在の駅舎は3代目であり、高架駅として整備されました。