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DAISUKE NISHIMURA | 西村大助 | Editor / Art Director / Artist / Musician

国内外のクリエイティブシーンに大きな影響を与えた雑誌『 TOKION JAPAN』の編集責任として日本側から貢献し、時にはデザイン等にも関わり、今や伝説となったカンファレンス「 Creativity Now 」を東京で成功させるなど、カルチャー誌が低迷を続けるなか、分かり合える仲間たちとともに奮闘してきた西村大助。編集者、アーティスト、ミュージシャン、グラフィックデザイナー、Webデザイナー、キュレーターetc…。ひとりの人間が手がける仕事量をはるかに凌駕する膨大なクリエイティブワークを展開する彼は昨年、多岐に渡るそれらの活動のプラットフォームとも言える新メディア『 SOMEONE’S GARDEN 』を立ち上げた。隔月発行されるフリーマガジンの制作を軸に、展覧会や音楽イベントの企画運営、映像製作などを次々と手がけ、ワールドワイドな広がりを見せている『SOMEONE’S GARDEN』の活動の裏には、果たしてどのような想いが込められているのか? これまでの氏の活動を振り返りつつ、現在の心境について語ってもらった。

Text:原田優輝


現在は『SOMEONE’S GARDEN』の活動を中心に、様々なプロジェクトを手がけられていますが、元々は東大で物理を学ばれていたそうですね。その背景にとても興味があるのですが、まずはその辺りから教えて頂けますか?

よくありがちな話だと思うのですが、子供の頃に誰もが思うような「宇宙飛行士になりたい!」みたいなノリがきっかけでした。それから教授になりたいと思うようになり、大学に入ってからは複雑系の物理学を学びました。簡単に説明すると「人間の指がなぜ5本になるのか?」とか「蝶の羽の模様はどのようにして決まるのか?」というようなことを解明する学問です。それから徐々に生物や医学に興味が移っていったので、大学院では脳の研究をするようになり、いくつか論文を書いて修士も取りました。博士課程3年目の時に、アーティストビザを取ってニューヨークに行ってしまったので、結局中退したのですが…。

かなり異色な経歴ですよね。サイエンスと同様にアートにも昔から興味があったのですか?

何かを表現したいという想いはずっとあって、以前から音楽をやっていたんです。その後、博士課程1年目の頃から自分で絵も描いて露店で売るようになりました。今から見るとひどい絵ばかりだったのですが、意外にもそれが結構売れたり、『たけしの誰でもピカソ』に取材されたり(笑)、『BUNGEI』という雑誌では今やかなり有名になった天明屋尚さんの隣のコーナーで紹介されたりもしたんです(笑)。当時は若いエネルギーに身を任せて、短パンで走り回っていたようなものだったから、今思うとスゴく恥ずかしいんですけどね(笑)。

西村大助西村大助

そうした表現活動は、大学院での研究と何か関わりがあったのですか?

基本的には若気の至りというか…、とにかくエネルギーを発散したかったんですよね(笑)。当時は、サイエンスとアートは別物と考えていたところがありました。これまでに、アーティストがサイエンスから影響を受けて作った作品は数多くあるのですが、逆にアート作品に影響を受けた研究者が、新しい法則を見つけたということはないんです。そういう意味で、サイエンスとアートは融合できないという気持ちが強かった。最近では、渋谷慶一郎さんやカールステン・ニコライなど、サイトエンスとアートをより高度に融合できる作家も現れてきているので、自分の考え方も少しは変わってきてはいるのですが、当時の僕には他の活動の方が刺激的で、サイエンスへの興味は徐々に失われていったんです。

ニューヨークに渡られてからはどのような活動をされていたのですか?

ある時、『TOKION』のオフィスが移転してくるという話を聞きつけて、訪ねてみたのがきっかけで、TOKIONのWebサイトと本誌の編集、TOKIONショップの店員などを手伝うようになりました。また、当時はアーティスト・イン・レジデンスとしてCAVEというギャラリーに住み込んでいて、そこで毎月展覧会をやったり、週末の深夜には友人とストリートライブをしたり。小さなレーベルにも所属していました。あの頃はいい時代でしたね。ただ色々なことをやりすぎて、あまりまとまらなかった(笑)。その後『TOKION JAPAN』を復刊させるということになり、日本に戻ってきました。

『TOKION JAPAN』ではどのような意識で制作に取り組まれていたのですか?

日本版と本国版を分けることなく、お互いに協力して1つの雑誌を作りたかったんです。それはパブリッシャーのアダムや編集長のケン・ミラーも同じ考えだったと思います。1日に何度もメールや電話で本国と連絡を取り合っていたのですが、ニューヨークが求めているものと、こっちが紹介したいものの間にはギャップがありました。日本版に関しては表紙の制約などもあったし、なかなか難しいことも多かったですね。でも、アメリカでやっていた「Creativity Now」だけは何としても日本で成功させたいという想いが強かったですね。

西村大助西村大助

あれほど様々な分野のクリエイターが集まったカンファレンスはかつてなかったものだったと思います。

1回目は400人、2回目は600人のお客さんが来てくれて、大成功させることができました。楳図かずおさんや藤原ヒロシさん、茂木先生など本当に色々な人たちが来てくれて、メチャクチャ面白かったですね。泣いたり、笑ったり、大げんかしたりして(笑)。そういう意味では、『TOKION』ではやりたいことができたと言えるのかもしれません。でも、いつからかマーケットのシステムなんかが入ってきて、だんだんおかしくなっていきました。『TOKION』という世界は、僕の関わるずっと前からも、そうした商業システムとは無縁のところでコツコツと小規模でやっていたと思うのですが、だんだんガッカリさせられるようなことが増えてきて…。今は売れさえすればなんでもOKというか、チラシの集まりのようなカタログ誌が多くなってきていますし、そういう時代に変わってきているということなんだと思います。

そうした時代のなかで、「SOMEONE’S GARDEN」はひとつの新しいメディアの形態だと思うのですが、どういう経緯でスタートしたのですか?

『TOKION JAPAN』が終わって、しばらくWebデザインなどの仕事をしていたのですが、その頃、知り合いに紹介された「フラヌール」というカフェで1度ライブをしたんです。それがスゴく盛り上がって、「今後も一緒に何かやりましょうよ!」という話になり、毎月そのカフェでライブをすることになったんです。それが『SOMEONE’S GARDEN』の最初のきっかけにもなりました。実は今、オフィスを移転中なんです。もうすぐ新宿2丁目の怪しいネオン街の中に出来上がるかも…(笑)。詳細はウェブで告知します。

西村大助

その後、フリーマガジンを作るようになった経緯を教えてください。

「SOMEONE’S GARDEN(=他人の庭)」という名前は、いろんな経緯があって生まれたのですが、最終的には『TOKION』の時からずっとお世話になり、尊敬していたアートディレクターのディアン・チェウクに選んでもらった名前なんです。ロゴも彼女にデザインしてもらいました。ロゴさえできれば、一応胸を張って始められるので(笑)。それから国内外のアーティストたちに色々連絡をしてみたら、みんな協力してくれると言ってくれたので、マガジンを作ることになりました。その頃にヨーロッパやアメリカで仕事や留学をしていた知り合いもどんどん帰ってきていたので、彼らと一緒に「フラヌール」に編集部を置くカタチでスタートしたんです。

現在はどのような体制で運営されているのですか?

編集部には、固定メンバーは2人だけです。僕と元々ユーロスペースなどで映画の仕事をしていた津留崎麻子が常駐で、その他は、NY時代からの友人である山内真と芦川朋子、トキオン時代からの仲間である東直子と古屋秀恭などが関わってくれています。その他にもボランティアスタッフとして協力してくれている人たちが国内外に散らばっていて、割とユルいつながりでやっていますね。活動内容としては、隔月で発行しているフリーマガジンを軸に、東京都が運営しているトーキョーワンダーサイトのアドバイザーとして展覧会やアートイベントの企画運営協力をしたり、音楽イベント、企業タイアップ、ファッションカタログのアートディレクション、Webサイト制作などを幅広く手がけています。ただ、軌道に乗るにはもう少し時間がかかるかなとは思っています。とにかく今は来た話をひとつひとつやっている状態ですね。


今後の展望を教えてください。

スタートから1年が過ぎたのですが、これまでは物珍しさに色々な人たちが集まってくれたところがあると思うんです。でも、それだけではスグに消えてしまいますから、これからはもっと慎重にやっていかないと厳しいですよね。うちにはスーパーデザイナーのような人がいるわけでもないですし、もっと色々な才能を集めていきたいと思っています。

時代の流れに合わせて、クリエイティブチームの形態もどんどん変化しているように思いますが、最終的に必要なものはやはり「個」の才能なのでしょうか?

やっぱり自分たちでモノをクリエーションできないとダメだと思うんですよね。ただそれは「デザイン」に限ったことではないと思っています。デザインバブルとも言える時代のなか、良いデザインなんて巷にあふれています。でも、そのバブルが崩壊しつつある今、必要なことはそういうものではないような気がしています。

西村大助

今西村さんが注目されていることがあれば教えてください。

今年の始めに3週間以上かけて、車でヨーロッパを放浪旅行してきたんです。これはKENZO Perfumeとコラボレーションしたプロジェクトだったのですが、本当にたくさんの素晴らしいアーティストと出会ってきました。その時、大事なことが分かったんです。どんなに同じに見えても、違う歴史の中で培われたものは全く違う。土地と人は切っても切り離せない。少し前に韓国などで広まった「身土不二」の思想とかなり近いのかもしれませんが、僕ら人間は重力を感じて生きてきて、最後は土の中に戻っていくわけですね。その事実をもっと大切にしないといけない。これからは土地とリンクしたクリエーションがもっともっと出てこなくてはいけないと、感じています。「SOMEONE’S GARDEN」のサイトも、そういうところにヒントを得て作っています。今はまだパイロット版ですが、 Google Map を使った新しいネットワークツールを作りたくて、これからもっとしっかりカタチにしていきたいと思っています。

西村大助

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