ホーム

宮崎学オフィシャルサイト

だいぶ遅れたが新年挨拶と柄谷行人新刊と高橋玄新作の案内など

謹賀新年

宮崎学である。
気づけば1月も半ばを過ぎておったな(^^ゞ

正月もなんとなく打ち合わせや読書で過ごした。
盟友・柄谷行人の新刊はおもしろい。献本感謝。

遊動論 柳田国男と山人

ワシももう少ししたらもろもろ出す。

それから、まだ少し先だが、高橋玄の新作も公開予定。

ゼウスの法廷

これは近くなったらまたアップするとしよう。

2014年1月16日 宮崎学

イノセ批判が止まらないが、今さらという感じではある。

イノセ批判が止まらないが、今さらという感じではある。
以前、東京新聞に載せたコラムを転載しておく。
物書きはこのくらいのセンスがなくてはいかんよ、と言っておこう。
もちろん、しっかりイノセから抗議がきた(笑)
というか、今となってはイノセに投票した300万人の都民の罪の方が重い。

本音のコラム 2005年7月28日東京新聞 「猟官運動」
 最近、ある新聞記者から質問を受けた。今の内閣が改造された頃の話で、「作家の猪瀬直樹さんが国交大臣になりたくて首相官邸に足しげく通い、熱心に猟官運動をしていたのを聞いていますか」というものだった。私には具体的な情報がなかったため、「猪瀬氏がどのような人格の人なのかよく知らないし、確かに物書きとしての業績にはさしたるものはないものの、物書きが猟官運動というはしたない行為はしないんじゃないかなぁ」と生返事をしておいた。
 私は中坊公平氏が住管機構(現RCC)の社長だった時、弁護士とは存在として「在野性」の中にあるべきとして批判したことがある。今となってはこの批判は全く正解であったと考えている。そして物書きも弁護士以上に「在野」であるべきというのが私の考えで、その政治的な「意見」は「在野」的に表現されて意味を持つという意見に同意する。時の政権の人寄せパンダぐらいの意味しか持たない政府委員などに成り下がることは、物書きとしてはよほどの「自覚」がなければできないことであると思う。
 さてその物書きがその「在野性」を純化させるとアナーキーな発想となることが多い。そのためか、一昔前の物書きには無頼派的な人が多かった。例えば猪瀬氏が師とする故本田靖春さん(本田さんはそうは考えていなかった)などは、ある意味ではその典型であった。

哀悼・辻井喬さん

体調を崩されていることは案じていたが、そろそろ年末のごあいさつに伺おうと思っていたところだった。
またひとり昭和の戦後史の生き証人がいなくなったことは寂しい限りである。
謹んでご冥福をお祈りする。

2013年11月29日 宮崎学

2012年3月3日、東京・新宿で開かれた講演会「暴排条例・暴対法改訂がもつ〈危険〉」で講演する辻井喬氏。

2012年3月3日、東京・新宿で開かれた講演会「暴排条例・暴対法改訂がもつ〈危険〉」で講演する辻井喬氏。

堤清二氏死去=セゾングループ築く、86歳—作家「辻井喬」[時事通信社]

東京新聞・筆洗(29日付)
本名とペンネーム。二つの名を使い分ける人は数多(あまた)いるが、その二つの名前がいずれも抜群の存在感を放つ人はまれだろう。「無印良品」などで日本の消費文化に新風を吹き込んだ経営者・堤清二。小説や詩で活躍した辻井喬▼二つ顔を持つこの人はある時、たまたま会った財界の大物に誘われ、用件も知らぬまま新聞社の幹部に会いに行く。その新聞は、米国による北ベトナム空爆を批判する社説を載せていた。財界人らは偏向報道だと非難し、圧力をかけた。「このままでは、広告出稿ができなくなる」と▼堤さんは用件も聞かずに同行した軽率さを悔やみつつ言った。「僕はあの社説は偏向しているとは思いません。北爆を続けてもアメリカは国際的に孤立するだけで、勝つことはできないと思います」▼日々、実利を追う経営者の世界と、精神性を大切にする芸術家の世界。堤さんは回顧録『叙情と闘争』(中央公論新社)で記している。この二つの世界の<音信不通と言ってもいい断絶>こそは自分が直面し続けた断絶であり、堤清二と辻井喬の分裂でもあると▼その葛藤の末たどり着いたのは、どんな世界だったのか。回顧録はこんな詩で結ばれている。<もの総(すべ)て/変りゆく/音もなく/思索せよ/旅に出よ/ただ一人/鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凜(りん)と>▼凜とした響きを残しつつ、堤さんは人生の幕を閉じた。

ホーム

Feeds

ページの上へ戻る