夜明けのトロア滲む-作品解説

AmazonMP3iTunesでの配信が始まりました。
こちらは、それぞれ単曲でも買うことができます。
またinterfaceさんより作品解説を頂きました。
曲群と合わせて内省的世界を広げるようなガイドになっています。

【テクノロジカル】

■科学技術が極限まで発達した今日においてようやく明らかになったのは、任意の系における最小単位のふるまいが、その総合である最大単位、すなわち集合的無意識ともいうべきものの影響下にあるということだった。それは極小にあっては粒子の波、極大にあっては科学技術の体系それ自体を方向づけていたのである。
■法則を有しないことを唯一の法則とみとめ、科学技術はそれを包摂する道を選択した。いわく計算不可能性の設計――端的には混沌、また一般にそれは魔法と呼ばれることになる。今日、あらゆる仕組みは回るために回りつづけ、回るがゆえに回りつづける。機能が目的を求め、目的が機能を省みるなかで、人はどうあれば人らしいのか。

【魔導師の見た夢】

■計算不可能性は事前予測不能であるから、魔法のありさまは事後的な啓示というかたちで人々に与えられる。預言を主宰する者は魔導師と呼ばれ、彼らは混沌がみる夢を観測して人々に伝えた。このとき魔導師は正直でなければならなかったが、無意識に嘘をつくこともあった。彼ら自身もまたすでに、混沌に取り込まれつつあったのである。
■魔法に対する信頼の欠如が科学技術に対しても及ぶようになると、予測不能な未来に対する漠然とした不安がひろがり、誰もが魔法によらず計算可能な過去の装置によって暮らすようになる。それはしばしば資源と時間の浪費をともない、動力を失った仕組みは回転を止め、やがてあらゆるものが停滞してゆく。

【澄んだ緑の森林浴】

■平易な疎通もうまくできず、未来は不透明で、いま自分がどこにいるのかさえわからない宙吊りの状態にあって、わずかばかりの確かさを求めた先に得られたものは、しかし確かなものなどなにもないということだけである。かような不安定さから逃れるべく、平坦な世界に埋没し、同化し、透明になろうとする試み――たとえばこれを浮遊という。
■浮遊の感覚は現実性を希薄化し、馴致(じゅんち)することを可能にする。役割演技に偏った疎通様式、あるいは他者との差異によって消極的に定義された人格の内と外とが平坦にならされ、あの自分とこの自分、現実と非現実とがなめらかな同一線上に配置されるとき、自己は不確かさから遊離し、透明さを増して、いやがうえにも浮遊する。

【入り口の鍾乳洞の青】

■記号化され、匿名化され、発話の主体も客体も無差別とするような疎通様式の純化を望むのは、確かさを求めて循環する不安定さに疲れ、もはや自分が自分であることさえ重いと感じられているからである。それら重いものを脱ぎ去って、もっと軽く透明になりたいと願う彼らは、たとえばその重さに任せて身を投げる。
■空の青へと落ちてゆく先、重力に引かれて下に落ちるか、軽く透明になって消えてしまうかは先験的にはわからない。昔の学者風にいえば、それは文字どおり命がけの飛躍である。結果は明白だ――飛べば落ちる、落ちれば死ぬというのはあくまでも観察者の意見なのであって、本人にしてみれば、やはり飛んでみるまでわからないのである。

【月の裏側かじられた】

■この屋上からみえるあの建物との物理的距離は、ふだん地を這うこのからだが覚えているそれよりも、ずっとみじかいもののように感じられる。しかるに手を伸ばしてもふれることはかなわず、測量の意識を伸張すればするほどにその目盛りは無限に分割され、ついに対象のもとへと到ることがない。
■この場所とあの場所との間には、互いが外側へと向かうがゆえに、互いの内側にすでにふれているような、あの既視の感覚にも似た恍惚が宿る。手すりのこなたが外側で、残余のあなたが内側であるとみとめるとき、ここには閉塞的な開放感と、開放的な閉塞感とが、同時に配当されている。

【子供たちの習いごと】

■果たして主体の消去はいかにして可能か。私たちが主体以前とおぼしき子どもたちに純粋性を垣間見るのは、彼らが知るより前に知るための方法を十分わきまえているように感じさせるからである。彼らはつねにすでにあまねく全体を触知していて、自己と自己以外とを明確に区別することをしない。そのすべを知らぬのでなく、その必要がない。
■私たちは成長するにしたがって全体性との連絡を失う。集団という比喩を用いるとき、そこにはすでに、集団に対する個としての私がおのずと規定されている。自己の意識はいよいよ集団のそれから乖離して、全体性が抱える痛みを自己のものとして感じることができなくなる。それは私と隣の私とが、相互に依存する必要があることを知らせている。

【仔犬のラプソディア】

■隣の私が痛んでいるとき、彼と相互に依存する私もまたその痛みに無自覚ではありえないはずが、それをいい表す言葉をみつけられない。全体性からの乖離が進むにつれて、私は私以外のなにものでもないと思わざるをえなくなる。隣の他者が感じる痛みは自分のものではありえない、全体が痛んでも自分だけは痛まないと、思わざるをえなくなる。
■主体の消去、すなわちなにものでもなくなることを望んでいながら、それと同時に私以外のなにものでもない私になりたいと望むようす、それは私たちが個としての私と相互に依存する私とを、同時に体験しているという証左に他ならない。前者を思想、後者を資質と呼ぶとき、両者は実存あるいは自己信頼に係る言語を起動する。

【風を切って走る獣】

■理想は現実に先行し、頽落(たいらく)は現実に遅延する。そうして三者はともに同じ方向へと進む。頽落は理想の一形態であり、理想は頽落によって告知されるから、頽落的現実だけが理想的現実を引き寄せるし、あらまほしき過去の理想だけがありうべき未来の頽落を予期させる。
■私たちはいつも遅れて気づくが、しかしどんなときでも遅すぎるということはない。目的はつねに不在であり、機能はすでに与えられている。どこまで行こうともどこにも行けないことに気づいてしまえば、いながらにしてどこにでも行けるのである。系の内側に答えはない。私たちは良い間違え方をしなくてはいけなかったのである。

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