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「私は隠し子」最高視聴率53.3%の元国民的子役が壮絶半生を初告白!

公開日時:2014年05月07日 13時53分 更新日時:2014年05月07日 13時54分

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日本テレビ「解決!ナイナイアンサー」公式サイト
日本テレビ「解決!ナイナイアンサー」公式サイト

6日放送の日本テレビ『解決!ナイナイアンサー』に、元国民的人気子役の斉藤こず恵が登場。父の隠し子であった自身の半生を初告白した。

40代以上には懐かしいアノ曲を歌った天才子役

斉藤こず恵は、1974年、6歳でNHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』に主演、53.3%という最高視聴率を記録した大人気天才子役。1976年には、『山口さんちのツトム君』で歌手デビューし、150万枚の大ヒットを飛ばした。現在はブルース歌手、女優として活動している。

今回、こず恵が初告白した” 隠し子事実”については、同じ劇団で同じ年の幼なじみ・坂上忍も「ビックリですね。知らなかった」と心境を告白。
 当時のこず恵や母・いづ世さんは明るく、そんな素ぶりをまったく見せなかったと語った。

隠し子、極貧、壮絶な半生

こず恵の父は、複数の会社を経営し資産十数億円の資産家で、妻と息子3人を持ちながら、14歳年下のいづ世さんに一目惚れ。不倫愛の末、こず恵を出産したいづ世さんは、両親からも見放され一人でこず恵と妹を育てたという。

もうひとつの”家族”を持つ夫に負担をかけたくないと、いづ世さんは生活費をほぼ受け取らず、知り合いの飲食店で夜働いていたそう。
 「長屋みたいな感じの、3畳と4畳の部屋が1つずつの、お金がない人達が住むような家でした」と、こず恵は当時の生活を振り返った。

父は、ほとんど家におらず「会社の出張」だと言われ、アルバムにも母と一緒の写真はあるが父と写っているものはわずか。
 「もう1つの家庭の方に重きを置いていたんだと思う。隠し子だとは思っていなくて、父は忙しいから帰ってこないんだとずっと思っていた」というこず恵は、父が出かけて行ったら今度はいつ戻って来るかわからない、という寂しさと恐怖感を抱いていたそうだ。

更なる悲劇を生んだ”大ブレイク”

そんな寂しさを埋めるため、いづ世さんはこず恵を3歳で児童劇団に入団させた。こず恵は、6歳で朝ドラの主役に抜擢され、天才子役として大ブレイク。
 しかし、これが悲劇を生むことに…。
 天才子役出生の秘密を嗅ぎ付けた雑誌記者が、毎日のようにこず恵を取り囲み、「お父さんとお母さん、結婚していないの知ってる?」「君、隠し子なんだって」と、心無い言葉を浴びせた。こず恵は、幼すぎて記者たちの言っている意味が理解できなかったが「本当の家族じゃない」ということを言われたのは「すごく覚えている」という。

家庭の事情が週刊誌に報じられたことで、好奇の目にさらされることになったこず恵は、近所の人からも「お父さん、ハワイに出張なんて言っているけど、本当は自分の家に帰ってるのよ。あなた、隠し子なんでしょ?」などと言われ、度々泣いている母の姿に、意味は解らないけど「ただならぬこと」だと、子供ながらに感じていたそうだ。

両親から「隠し子」告げられ…

10歳の時、父と母から「もう気づいているかもしれないけど、パパとママは結婚していない」と告白されたこず恵。「ショック…もしかしたらとは思っていたけど、まさか自分の両親に限って」と当時の心境を語った。さらに、父に連れられて行ったレストランで、義理の兄2人と対面。義兄たちと話す父の見たことのない笑顔に「ショックというより、やっぱりそうだったんだ、という思いが強かった」と、自分が隠し子であることを思い知らされたという。

中学生で芸能界を引退したこず恵は、その後陰湿なイジメにあい、思いつめてうつ状態になり自殺未遂を起こした。「逃避性記憶障害、嫌なことから逃げ出したい子供がなる病気。どこかでずっと思い悩んでいたんだと思う」と当時を振り返った。

その後、父は本妻と離婚、やっと家族一緒に暮らせると思った矢先、父の胃がんが発覚。死期を悟った父はこず恵に遺産放棄を依頼した。会社5つ、十数億円の遺産は全て本妻の子供たち3人のものとなった。
 「お金が欲しいとは考えなかった」ものの、「父から隠し子だという現実をつきつけられ悲しかった。父に愛されていいないのでは?というしこりになった」とこず恵は語った。

壮絶な介護生活の果て、母が語った真実

15年後、父は72歳で認知症を発症し、その介護はこず恵といづ世さんの2人で担った。心身ともにボロボロになりながらの介護生活だったが、父は外から見ると平然と元気に見え「遺産相続のアピールだ」と遺産放棄を知らない人達から言われてしまったとか。4年間の壮絶な介護生活を経て、父は2007年に永眠。
 こず恵は、「生まれて来ない方がよかったんじゃないか」常にそんな思いを抱いていたが、その答えを父に問うことは叶わなかった。

しかし、現在のこず恵は自分の宿命を受け入れ「望まれてきた子でよかった。両親2人の子でよかった」と思えるようになったという。
 彼女の心を変化させたのは父の死後、母・いづ世さんから聞いた真実。
 不倫という許されない関係ではあったものの、父と母は、最初から将来を約束し合っていたそうで、子供が出来たと知った父は手放しで喜び。「どんなことがっても、産まれてきた以上は2人で面倒をみよう」と誓い、まだ産まれてもいないのに、赤ちゃんを産湯につけるタライを買ってくるほどだったそう。

また、こず恵の心のしこりとなった「遺産放棄」については、「遺産争いに巻き込みたくなかったんだと思う」といづ世さんは語った。
 遺産もあったが負債も抱えていた父は、こず恵にはお金の代わりに思い出の家を遺してくれていた。
 「私が籍に入っていなくても、私の子供として産まれてきてくれた、それが1番嬉しいです。子供が私を成長させてくれた。ありがとうが多いです」そう最後にいづ世さんは語った。

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