あのトイレの絵文字、64年東京五輪で誕生
2020年の東京五輪・パラリンピックに合わせて来日する外国人観光客のために、東京都内の道路や鉄道、競技場などの案内表示を多言語で表記する検討が始まった。
1964年東京五輪の時にも、デザイナーたちの知恵を集めて独自の案内表示を編み出し、それが世界へと広がった。日本人の「おもてなし」の心が生んだ表示とは……。
「(外国の)観光客はこれからすぐに来ます。食事のメニューも様々な言語で記載されていると選びやすい」。東京都の猪瀬直樹知事は11日、首相官邸で安倍首相と会談した際、道路や鉄道などの案内表示に加え、レストランのメニューや商品についても複数の言語で表記する必要性を訴えた。
現在、都内の観光名所などに設置されている案内板は、日本語、英語、中国語、韓国語の4か国語で表記されている。20年五輪の期間中に東京を訪れる外国人観光客は推計25万人。都の提案では、従来の4か国語にアラビア語とフランス語を加え、飲食や物販などの分野にも広げるアイデアだ。
すでに期間中は、電車内のモニターで競技結果や観光案内、交通情報を複数言語で提供する計画もある。
ローマ字表記になっている道路標識を英語表記に変更することも決まっており、順次、付け替えられる。
ただ、表示される言語が増えれば、より広いスペースが必要となり、言語の順番なども統一しなければ、逆に混乱を招くことになる。都幹部は「公共の看板以外にも多言語を広げるには、民間の協力が必要。簡単ではない」と語り、実現には時間がかかりそうだ。
外国人観光客が迷わないための案内表示は、64年五輪でも大きな課題だった。この時に誕生したのが、絵文字による案内表示「ピクトグラム」だ。
「日本には何千種類の家紋があるので、伝統的遺産を活用して、外国人が困らないよう、誰が見ても分かるものを作ろう」。デザイン評論家の勝見勝さん(故人)の呼びかけで、当時、第一線で活躍するデザイナー11人が集まった。赤坂離宮(現在の迎賓館)の一室で、テーマごとに方眼用紙にデザインを描いては、壁に貼って修正を加える。シャワーを知らないデザイナーが、実物を見るためホテルに出向いたこともあった。
制作に約4か月かけ、今ではおなじみのトイレや食堂など39種類のピクトグラムを完成させた。「社会に還元すべきだ」という勝見さんの考えで著作権を放棄したため、世界中に広がった。