●石山合戦
織田信長の天下統一の野望に最も頑強に抵抗したのは一向宗(浄土真宗)本願寺派の門徒集団であり、その総本山が法主顕如を推戴する石山本願寺であった。元亀元年(1570)から11年に及ぶ長い戦争の結果、天正8年(1580)信長は顕如を本願寺から退去させることに成功したが、堂塔伽藍は全焼し、現在もこの時代の遺構は謎に包まれている。
『信長記』には、「そもそも大坂はおよそ日本一の境地なり」に始まる有名な一節があり、大坂の優れた地勢について詳しく述べられている。信長は本能寺の変に倒れたが、この地に築城を期していたことは想像に難くない。
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石山合戦配陣図
図は左が北で、画面上部の周囲に柵をめぐらせた一画が寺域を表している。
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