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 ビキニ環礁での米国の大規模な核実験から60年。太平洋のマーシャル諸島は、実験による放射能で汚染された。仕事や充実した医療を求めて米国に移住する人も増えているが、その米国では実験の歴史や被害への理解は深いとは言えない。移住者たちは複雑な思いを募らせている。

■感謝しているけど

 米アーカンソー州の州都リトルロック。第五福竜丸も被曝(ひばく)した1954年3月の水爆実験から60年になる2月28日、実験を記憶するための集会が開かれた。

 参加者の大半は片道3時間以上バスに揺られ、州第4の都市スプリングデールからやって来た。マーシャル諸島からの移住者たちだ。白人の参加者は数えるほどで、地元メディアもほとんど報じなかった。

 ロンゲラップ環礁出身のナイコ・オリワイラーさん(74)は核実験の後で汚染された食品を口にし、甲状腺障害などに苦しんできた一人。今でも、毎日10種類の薬を飲み続けているという。「米国にいることで、薬が簡単に手に入るのは感謝している。しかし、故郷がどうなったのか、もっと知ってほしい」と願う。

 マーシャル諸島から米国への移住者はアーカンソー州に集中している。中でもスプリングデールは人口約7万人のうち約5千人を移住者が占め、本国の人口の約1割に相当する。2009年にはマーシャル諸島の領事館もでき、選挙活動のために政治家が訪ねて来ることもある。

 冬は気温は零下になり、最も近い海まで700キロ以上。故郷とは正反対の場所だが、カルメン・チョン・ガム領事によると、島民が集まったのはほんの偶然という。1970年代半ばに住み着いた1人が家族を呼び寄せ、近くの食肉加工工場などで職が得やすかったためどんどん増えた。

 移住者が増える背景には両国の特殊な関係もある。第2次世界大戦の後、米国が信託統治していたマーシャル諸島は86年に米国と自由連合盟約(コンパクト)を発効。米軍基地などを提供する代わりに、経済援助などを受ける。マーシャル諸島の住民はビザを取得しなくとも米国内で就労できるようになった。

 スプリングデールに住むミドル・ラルフォさん(66)も子どもの教育を考えて16年前に渡米。「故郷を離れているのは寂しいが、学校も医療も米国の方が優れている。帰りたい気持ちもあるが、まだしばらくはいると思う」と話す。