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  •  豊田と言えば、トヨタ自動車。中学生のころ工場見学し、未来のクルマを描いたのを覚えてるよ。自分の絵が評価され、一人だけ賞状をもらったんだよ。認めてもらえたのがうれしかったなあ。真剣に審査するというトヨタのすごさ、社風も感じた。  高校時代はあらゆる映画を見たよ。「燃えよドラゴン」とか、わくわくする物語は好きで。映画関係の仕事に就きたい、と周囲に話してたなあ。 ◆大島監督の言葉  三年生のときに読んだ大島渚監督の記事が印象的だった。映画を製作する高校生の質問に答える内容。監督は、世間を知らない学生がつくる映画はつまらない。だから、有名な大学に入っていろんな人に会いなさい。それが重要だ、と。  僕は真面目な性格じゃなかった。当時は学校を休んで、友人の家で遊んで過ごす時もあった。でも、あの記事が引っかかって、大学に進もうと思った。  高校進学のときは美術の専門学校へ進もうと悩んだけど、あきらめた。それで、高校がつまらないと感じたんだ、とも思ったしね。得意なことを生かして進学しようと考えて浪人し、名古屋の河合塾美術研究所に通って、デッサンなど彫刻を学んだ。 ◆バイトが契機に  日本大学芸術学部に進んだけど、怠けていたなあ。でも、四年生の時、東宝撮影所でアルバイトしたのがきっかけで、今の仕事につながった。  東京ディズニーランドの建設に際し、パレードで使うキャラクターの乗り物をつくるために模型が必要で、東宝特殊美術課でダンボやくまのプーさんの粘土の模型を作ったんだ。そしたら一九八四年のゴジラ映画の復活に伴って、人形の粘土原型を作る契約社員として招かれ、映画の仕事に携わるようになったんだよね。  大学は六年目で卒業し、アルバイトをしながら美術の助手を始めた。歌手の玉置浩二さん主演の映画「プルシアンブルーの肖像」が初めて携わった作品。エンドロールに自分の名前が上がってくるのを見たときの快感は相当だったよ。  美術は作品の背景にすぎない。良いセットと言われてもありがたくないし、セットに目が行くようなら作品はだめだよね。  でも、状況や情景をつくる重要な仕事。置く家具、照明の当たり具合、俳優のせりふや立ち位置などを考えてセットプランを作っていく。題材はSFもあれば、アフリカの家を造ることもあって、本当に多岐にわたる。そこが、楽しい。  三河の人たちは質実剛健という感じ。温暖な気候で仕事もあって過ごしやすいから、三河から外に出る人が少ないような印象。若者は好きなこと、やりたいことを見つけ、勇気を持って海外などへ飛び出してほしい。三河は生活がしやすい環境だけに、ぬるま湯とも言えるからね。  <はらだ・やすあき> 美術デザイナー。1959年生まれ。豊田市上郷中学校、松平高校を経て、日本大芸術学部に入学。卒業後はフリーの美術助手として東宝、東映、日活で映画製作に携わり、87年に「シャコタンブギ」で初めて美術デザイナーを務める。その後も「GANTZ」や「日本沈没」、今春公開される「偉大なる、しゅららぼん」「MONSTERZ(モンスターズ)」も担当。ソフトバンクモバイル「白戸家」シリーズなどCMも幅広く手掛ける。 ◆取材を終えて  慣れ親しむ東京の日活調布撮影所で、故郷や仕事への思いを語ってくれた。迷いを抱きつつも、自らの歩みを止めず、進んできた姿が垣間見え、引き込まれた。  俳優の小栗旬さんが出演する味の素のCMのセットも、見せてもらった。明かりなどをコントロールでき、さまざまな角度から撮影可能なことがセットの強みという。でも、「見る人にセットと気付かれず、家のように見せるのが仕事」。作品と向き合う姿勢に情熱を感じた。  (教育報道部・古根村進然=前豊田支局)
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      【中日新聞】