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ステーキ炎上発言に見る「アルファツイッタラーが排外主義を煽る」と言う大問題

  ツイッターで、戦前生まれの高齢男性が、「驚いた!1万円のステーキをご馳走になるより、現金三千円を貰いたい若者が多い事実。我々ジジイと話しが合わない筈だ」と発言して、ネット原住民らに罵倒される炎上騒ぎが起きている。この老人は元政治家とか企業経営者ではない。プロフィールを見る限り、ただの「その辺のお爺ちゃん」である。その辺のお爺ちゃんが、テレビを見て、若者の感覚に驚いてツイートをしたら、炎上してしまったのだから災難だ。

  顛末を振り返ると、どう考えても炎上する側の方が言いがかりである。

 この炎上は「アルファツイッタラー」が煽っている。彼らはフォロワーが数千人、数万人にのぼる人たちで、影響力がある。「逆張り冷笑系」と呼ばれる人たちで、社会ネタや雑学を引き合いに、ハスに構えたような発言をする人たちだ。多くは30代~40代前半の中年たちで、人気モデル栗原類の母親の栗原泉女史のように、名前と肩書きを出している有名人もいる。

 とにかく見ての通り、文章の背景を考えたりすることもなく、「老害」「認知症」「火葬場」などと酷い言いようだ。繰り返すが彼らが敵意をむき出しにしている対象は見ず知らずの、「その辺のお爺ちゃん」である。

 いずれのアルファツイッタラーにも共通しているのは強烈な憎悪心だ。

 彼らのタイムラインを追えばわかるが、常日頃から世の中に存在する神羅万象に難癖をつけている。みんなだいたい30代~40代辺りの中年に多くアラフォーが特に顕著だ。強い存在(たとえば安倍首相やワタミなど)に対しては下から目線で憎悪し、弱い存在には一方的に容赦なく罵倒をする傾向も似ている。まるで「ネット上は憎悪を発散するためにある空間」だと思っているかのようだ。

 あるアルファが1つの事象について揶揄的な悪口雑言を書くと、別のアルファがそれをRTしたうえで、似た様な書き込みをし、元の投稿者もRTをしあう。そういう負の連帯が広まることで「アルファツイッタラー的言論空間」が出来あがり、何千何万のフォロワーやフォロー外にまでふくれあがっている。

 

  私は「アルファツイッタラーが排外主義を煽る」と言う構造があると常々思っている。

 彼らは法律に違反していないし、何も悪いことをしていないが、よく考えてほしい。

 元の発言者はただの「その辺のお爺ちゃん」である。見ず知らずの赤の他人から死ねとか老害だとか誹謗中傷をひたすら受けているのはあまりにも可哀想ではないか。

 それを助長しているのは、まさしく上のようなアルファツイッタラーたちだ。

 

 

 ハッキリ言って、東日本大震災以降、アルファツイッタラーと呼ばれる人間の書き込みは目に余るほど低劣になっている。大学教授や政治家・オピニオンリーダー的人物も含めてだ。2ちゃんねるの平均的な書き込みよりひどい。隔離板の荒れ果てたスレッドの中から最もひどい書き込みを凝縮したような存在にアルファツイッタラーやその取り巻きたちがいる。

 彼らの軽率な発言こそがもっとも罪深いのではないかと私は思っている。

 

 2ちゃんねるの場合、書き込む側は「名無しさん」であり、読む側も「しょせんは2ちゃんねるだからなあ」と言う感覚だ。そもそも、そういう書き込みの集まった場という割り切りがあった。だが、ツイッターは完全な匿名性ではないし、そもそも基本的には、プライベートの私的空間の集合体である。

 たとえるなら、高齢者がひっそりと暮らしている民家の中で、家族や仲間と一緒に晩酌をしながらふと話をしたら、家の壁に頭を当てて聞き耳をしていた人物が「問題発言」を確認し「これは問題だ。かかれー!」と号令をかけた途端外から大勢の群集が土足で上がり込んで老人をリンチして吊し上げているようなものである。この号令役にいるのが他ならないアルファツイッタラーなのだ。

 匿名ネット文化感覚に麻痺した中年のアルファツイッタラーにはわからないのだろうが、我々デジタルネイティブ世代からすれば、SNSのアカウントは自分の分身のようなものだ。そこではハンドルネームを使おうが、身内の付き合いがあり、私的な空間がある。そこを侵害するようなことはあってはならないはずである。

 

 

 今の日本で大きく問題になっているヘイトスピーチや排外主義は、右翼思想の現象ではない。「アルファツイッタラーが排外主義を煽る」と言う大問題がそこにあるのだ。

 当たり前だが「老人はインターネットに書き込んではいけない」なんていうルールはない。私の死んだ祖父もこのステーキ発言の老人と同世代だが、30年前からマックを使いこなしていて、晩年もMBAからブログに書き込んでいた。世の中にはネットをやる高齢者はいくらでもいて、藤沢の地域情報ポータルサイト「えのぽ」は地域の高齢者が立ち上げているもので、行政などとも連携しているようだ。むしろ「高齢者も積極的にネットを活用したほうがよい」という方向性で行政も動いている。買い物難民の高齢者もネット通販が使えれば生活が飛躍的に便利になるように、利用できる恩恵の方が大きい。

 「高齢者はネットに書き込んでいけない→それなのにこんな発言をしている→こんなものは潰されなければいけな」と言う思考の連鎖によって火に油を注いで炎上を煽るアルファツイッタラーはまるで「在日を日本から叩き出せ」と言う在特会と一緒である。

 

 ネット原住民たちは、常日頃から憂さをため込んでいて、抱えていて、吐き出すことを生きがいにしている。似た人間たちと憎悪による同調をひたすら繰り返すことで生きているのだ。でも、依存状態に陥ると、ずっとネットの中にかじりついているだけでは満たされなくなる。その結果「排斥デモ」が発生するわけである。

 

 なぜ「老人追放デモ」がないのかというと、日本は今高齢社会でそこら中に高齢者がいるからだ。女性追放運動がないのは人口の半分が女性だから。反若者運動もないが、少子化といえども、若者はいくらでもいる。

 そんな中、「在日コリアン」は人口的にはほとんどおらず、高齢化が深刻になっている。つまり憎悪のはけ口にできる「弱い属性」の中で最も反撃されるリスクはなく、ネット原住民の世界だけを見ていれば「日本国民の大半は在日嫌悪に賛同している」と誤解しやすい。そうやってネトウヨが暴走しているだけなのだ。

 

 もっとも、アルファツイッタラーたちは、最低限のリスク意識を持っていて、ニュースなどで在日排斥問題に行政が対策の取り組みをしようとしていることをよく理解している。そのため在日コリアンにむき出しで憎悪をする人は少ないが、根本的な精神としては、在特会と何も変わらない。だが、ニートではなく、会社員だったり、それどころか大学の先生だったりする人もいるから、発言の質に「名無しさん」以上の信ぴょう性とか重みが生じることになり、そして少なからず多くの人が受け流されるようになり、ネット上は「憎悪の自由」の空気が蔓延していくのである。

 

 彼らこそ排外主義のドンなのだ。

 

 日本には表現の自由がある。

 しかし、他者の存在を委縮させる憎悪表現は望ましいものだとは思われていない。

 アルファツイッタラーやネット原住民の理想とするような、「自分や自分に似た都合の良い存在」だけが認められ、「自分の気に食わない他者の存在を委縮させる憎悪表現」が「高齢者がネットを利用する権利」より優遇されるような世の中はディストピアである。

 若者であっても在日であっても誰でも存在が認められ、そして尊重しあうことができてしかるべきなのだ。歪んだ不穏な願望を持つ人たちは、何様のつもりなのだろうか。

 

 それをあたかも、アルファのタコツボとか匿名のムラ社会の密閉された特殊空間で過半数を超える支持があるからということで、「ネット全体の総意」とか、ましてや「日本国民の総意」であるかのようにつり上げるなんて、よくないことだ。

 

 だが、罪の自覚がない彼らは絶対に反省をしないだろうし、今後も憎悪を煽り続けるのだ。在特会を解散させて外国人排斥を法律で規制しても、今度はこの炎上のように老人叩きが蔓延し、それを規制すれば若者憎悪や障がい者差別や性的少数派バッシングに転嫁するだけだから、こうした存在にこそ対策が必要なのである。

 

 最後に、ネット慣れしたユーザーであっても、一般市民の社会的弱者が火あぶりにあっている様子を煽り立てて喜ぶアルファツイッタラーよりよほど「理性的な分別」が付いている人がいるということ示した目に、いくつかツイートを引用して終わりたい。