メインカラムの始まり
石川 忠雄
(いしかわ ただお)
大正11年生まれ。
昭和21年9月慶應義塾大学経済学部卒業。
同年10月法学部助手兼大学院特別研究生となる。
昭和23年9月法学部助教授。
30年4月法学部教授。専攻は中国共産党史の研究を端緒に、現代中国の外交政策を中心とするアジアの国際政治を扱う。
昭和31年7月から32年6月までアメリカハーバード大学に訪問教授として出張、また同年7月から二ヶ月中国政治史研究のため引つづき留学する。昭和35年3月法学博士、同年義塾賞を受賞す。
昭和35年12月体育会理事に選任され39年、44年と、しばしばその任にあった。
昭和40年5月から44年6月まで永沢塾長の下に常任理事、46年10月から52年5月まで3期に亘り法学部長兼大学院法学研究科委員長をつとめたあと、同52年5月塾長に選ばれ、平成5年5月27日まで4期16年間塾務につくし、その後学事顧問を委嘱される。
塾外においては、大学設置審議会会長、日本私立大学連盟会長、全私学連合代表、臨時教育審議会会長代理、青少年問題審議会会長、大学審議会会長等を歴任。
平成3年文化功労者として顕彰され、平成7年5月勲一等旭日大綬章を受賞、平成12年11月文化勲章を授与される。
平成19年9月25日死去、享年85歳。
大正11年生まれ。
昭和21年9月慶應義塾大学経済学部卒業。
同年10月法学部助手兼大学院特別研究生となる。
昭和23年9月法学部助教授。
30年4月法学部教授。専攻は中国共産党史の研究を端緒に、現代中国の外交政策を中心とするアジアの国際政治を扱う。
昭和31年7月から32年6月までアメリカハーバード大学に訪問教授として出張、また同年7月から二ヶ月中国政治史研究のため引つづき留学する。昭和35年3月法学博士、同年義塾賞を受賞す。
昭和35年12月体育会理事に選任され39年、44年と、しばしばその任にあった。
昭和40年5月から44年6月まで永沢塾長の下に常任理事、46年10月から52年5月まで3期に亘り法学部長兼大学院法学研究科委員長をつとめたあと、同52年5月塾長に選ばれ、平成5年5月27日まで4期16年間塾務につくし、その後学事顧問を委嘱される。
塾外においては、大学設置審議会会長、日本私立大学連盟会長、全私学連合代表、臨時教育審議会会長代理、青少年問題審議会会長、大学審議会会長等を歴任。
平成3年文化功労者として顕彰され、平成7年5月勲一等旭日大綬章を受賞、平成12年11月文化勲章を授与される。
平成19年9月25日死去、享年85歳。